第19話 関係清算
秘書室長の協力は心強いのだが、いかんせん劇薬になりそうでなかなか手が出ない。
真弓が近いところにマンションを借りていたので、そのほうが好都合だろう。
「課長って不思議な方ですよね」
馴染みのフランス料理店で、以前一夜の関係を持った女子社員と夕食をともにしていた。
「『同じ女とは二度と寝ない』からって宣言して、本当にそのとおりにしているんですから。普通ならそんな口約束なんて反故にして二度目、三度目と体を重ねると思うんですけど」
「まあ、これまで同じ女性と二度寝た経験がないからかもしれないね」
「珍しいですね。複数の異性と寝ることに
そうだよな。
なぜか複数の女性と関係を持つのはかまわないけど、二度目は絶対に許さないと決めている。奔放な割に妙に頑なだ。
誘われる女子社員にしても、こちらが相当手が早いと知っているはずなのに、ひとりに
だから口止めと言って呼び出しても「二度目はない」とわかっているので気楽に応じてくれるのだ。
「課長も好きな人を作ったらどうですか? 本当に好きな人がいたら、女の子をつまみ食いしなくなると思うんですけど」
「今は気になっている人がいるんだけどね」
「それってやっぱり常務秘書室長ですよね。社内で噂になっています。あの人が課長と親しくしていて、大目に見ているから課長が女子社員に手を出しているって」
真弓の本心がどこにあるのかはわからない。
ただ一度寝たときに相性の良さを感じて、惚れ直したらしいけど。
これも疑わしく思えてしまう。
「好きな人が他人と寝ていても意に介さないって、相当度量が広い方ですね。普通の人なら、好きな人には自分だけを見てもらいたいって思うものですよ?」
「表向き気の強いところがあるけど、実際は面倒見がいいほうだからな。付き合いも社内ではいちばん長いし」
「それだけ惹かれているってことですよね。秘書室長が
やはり傍から見ていると、彼女とは回数を重ねているように見えるんだろうな。付き合いは長いけど、関係は一度きり。
いっさいの例外はないのだが、それは他の女性が知りうるはずもない。
「実は、彼女とも一度しか寝ていないんだよね」
「そうなんですか? 意外ですね。女子社員が課長との関係について尋ねられたとき、『私の雄一』って言っていたらしいですよ」
「回数云々は好き嫌いとは関係ないからね。どんなに好きでも今は一度きり。二度目が受け入れられるようになったら、そこからまた関係を新たに始めればいいと考えているからかな」
「それじゃあ秘書室長が可哀想ですよ。あれほど課長に尽くしているんですから、責任をとらなければ社内では誰も納得しないと思いますよ」
女子社員たちから見ても、真弓は俺に似合っているらしい。
まあ性に関する発言を恥じることなく堂々と口にする性格は、手広く女子社員に手を出しているこちらとは似合いだと感じるだろう。
やはり真弓と結婚するのが筋なんだろうな。でもまだそれには踏み切れないでいる。
「まだ結婚観がないからかもしれないな。恋愛観も希薄で。致すのもスポーツの面があるから、一緒に楽しめたらいいよねってだけだったから」
「それで女子社員の多くが経験しちゃったわけですね。でもだいじょうぶですか。役職に就いていると人事評価に響くと思うのですけど」
「そうだね。だから今日は君と食事しているわけだけどね」
「私、軽口ではないと思っていますけど」
ちょっと気分を害してしまったかな。
「口の軽さというより、一緒に食事が楽しめる人を選んだだけなんだ」
「なるほど。食事に誘われるだけでもそれなりに評価されたと見ていいんですね」
多少自尊心がくすぐられたようだ。気を取り直して食事に手をつけている。
本当、改めて考えるとわれながら危ない橋を渡っていたものだ。それをすべて尻拭いしてきたのが真弓だった。
彼女には部長昇進後に改めてご馳走しなければならないだろう。
それで彼女への罪滅ぼしができるか怪しいが。
「だから君からも周りの女子社員に伝えてほしいんだ。課長とは一度しか寝ないと決めて納得したんでしょう。絶対に二度は寝ない人だったから、あなたたちも関係を持ったんじゃないって」
「それって課長が考えたセリフじゃないですよね」
「そう。秘書室長が決めたセリフだよ。彼女が女子社員にそう伝えるから、私も食事した人たちにそう言うようにって」
「やっぱり秘書室長には敵わないなあ。あれだけなんでもできると、もう憧れでしかないですよ。課長もそんなところが気に入ったんですか?」
「なんでも言える間柄ではあるね。もう親友くらいの強い絆があるかな」
やはり真弓は優秀だ。
こういう展開になるとわかっていて、シナリオを構築するのだから。
もし同じ部署にいたら、とても敵わないほどの
「で、課長、今日は食事が終わったら部屋へ案内していただけるんですよね?」
「そんなことをしたら、彼女になにをされるやら」
「すでに恐妻家のようですね」
くすくすと笑われてしまった。
実際彼女には頭が上がらない。もし結婚したら彼女の尻の下だろうな。
口に含んだワインがほろ苦かった。
「雄一、お疲れさま」
食事が終わって女子社員と別れた様子を見ていた秘書室長が声をかけてきた。
「本当、君って優秀だよな。どんなトラブルもあっという間に解決しているし。室長を任せられているのも、そのあたりを考えられているから、だよな」
「こっちの
「お前って同じ総務企画課に配属されたのに、程なくして秘書室へ異動になったよな。常務から気に入られたのか?」
「あら嫉妬? 残念ね。実力の差よ」
まったく嫌みに聞こえない。彼女の実力は明らかに俺以上だ。
今回の女性関係清算も、常務から言われて彼女が考えた作戦に則って行なわれている。わが社の
だからこそ、女性関係清算が粛々と進んでいるのだろう。本来なら不平不満を抱く女性が出てこないともかぎらないのだ。
「それはともかく、坂江取締役についての情報よ。聞く気ある?」
フランス料理店の前から俺のマンションへと場所を移した。
「それで、どんな情報なんだ?」
「実は出向の話が出ているのよ、彼女」
「出向って、飛ばされるってことか?」
「本社から飛ばされる、といえばそうなんだけど」
彼女が出向って、いったいどうしてだろう。
今回の業務提携が上層部からの評価を下げたのか。それとも俺と寝たのがバレたんじゃ。
「安心しなさい。あなたと寝たことがバレたわけじゃないから」
心を読んだな、このタイミングのよさは。
「じゃあどうして」
「今回の業務提携がきっかけではあるわね」
「きっかけ?」
「彼女、うちで預かることになったのよ」
「えっ? うちで預かるって、出向先はわが社、なのか?」
「そのとおり」
それで情報が耳に入ったのか。
考えてみれば、業務提携先と綿密な連絡をとらなければならなくなるから、責任者を互いに送り合うのは儀礼的にも当然ではあるか。
「じゃあこちらの責任者として俺が先方へ出向ってこともありうるか」
「なに
「そりゃそうだ。まさか常務が?」
「それもハズレよ。わが社も平の取締役を出すことになったわ」
なるほど。平の取締役同士の出向になるのか。
そういえば今回は対等な提携だったから、互いに送り合う役員も対等になるはずだ。
「これを期に、坂江取締役ときちんと話しなさい。掟を破って二度ヤリたい相手なのか、もうヤリたくないのか」
「ヤリたくないとは思っていないな。かといって二度目に踏み込もうという気分にはまだならないが」
「とにかく坂江取締役と
理乃はともかく、
おそらくこれから寝る相手になるだろうと、真弓が気を揉んでしまうはずだ。ここまで俺のために尽力してくれる女性は稀有な存在なのだ。
「坂江取締役とは業務で話すことはあっても、夜の話をおおっぴらにはできないからな。それを話せるとしたら、わが社に慣れてきてからになるはずだ」
「それまでに
「三人で会う前に、ひとりずつ説得しておかないとな。お前みたいに三人で腹を割れたら、という人ばかりじゃないだろうし」
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