第18話 作戦会議

 それ以来、さらに仕事へ打ち込むようになった。


 当然成績も上向いてきて、さらに女子社員が近寄ってくるもとともなる。

 しかし秘書室長がそれにつれて頻繁にやってくるようになったので、それが抑止効果となった。

 部長への内示を受けたものの、彼女からすればそれすらも通過点だと思っているに違いない。

 いずれは取締役、常務、専務、社長を見据えているようで、その夫人の地位を得たいのだろうか。


 野望は高く持つべきだ。

 たとえそれが叶わなくても、挑戦することには意義がある。

 平凡な日常に憧れて、平凡に生きようとすれば、並み以下の生活しか送れないのが実態だろう。

 新入社員が係長になる、課長になる、部長になる、と目標を高く持てば、たとえ失敗してもその手前の役職くらいまでにはのし上がれるものだ。


 そうやって仕事をしてきたから、役職を駆け上がるスピードは誰よりも早かった。いまだ平社員の入社同期だっている。

 それに比べれば、九月に部長となる俺は嫉妬の的になるだろうか。

 そうなると必ず身のまわりの不祥事を暴こうとする輩も現れるのが常だ。

 常務が口にした「身辺整理」とは、そういった者に付け入るスキを与えないよう、過去の女関係を清算しろということだ。


 今夜も、過去に関係を持った女性との会食が予定されている。

 正直に言って、ディナーをともにするだけでは部長の辞令が下りるまでに全員の口止めはできようはずもない。

 なるべく口の硬そうな女性を選んではいたものの、実際「裏切られる」可能性がないとはいえなかった。

 その難しいことを分担して今までの関係を納得させていくのだから、真弓は仕事のうえでとても頼もしいパートナーとなるだろう。やはり未来の社長夫人を目指しているのかもしれないな。

 だが社長が俺で本当に満足できるのだろうか。


 昼食をともにしている秘書室長は苛立いらだちを露わにしている。

「雄一、あなたいったい何人と寝たのよ。説得するだけでもあごが疲れて仕方ないわ。『同じ女とは二度と寝ない』なんてカッコつけるのは勝手だけど、尻拭いする身にもなってほしいわね」

「それなら俺にすべて任せてくれたっていいんだけど」

「それで押し切られて二度目をヤラれたら、こちらの立つ瀬がないのよ」

 文句を吐きながら弁当を頬張っている。

 こんな美人なのに料理もうまいっていうのは反則だよなあ。

 この完璧主義者は、それでも煮え切らない俺の世話を焼いてくれている。おとこ冥利みょうりに尽きるとはこのことか。


「だいじょうぶだって。少なくとも紡木つむぎさんと寝るまでは二度目を考えるつもりはないんだから」

「ってことは、彼女と致したら二回戦のゴングが鳴るのかしら? そのときは必ず最初に選びなさいよ」

 まわりに他の社員がいるのに、ずけずけとシモの話で男と盛り上がる。

 それでも男子社員羨望の的なのだから、秘書室長ファンが社内にどれだけいるのやら。


「まあそんなに急がないさ。彼女とは真剣に向き合いたいしね」

「私にも真剣に向き合ってほしいものね」

「真弓には感謝しているよ。お前がいなければ俺の出世はかなり遅れていたのが現実なんだし」

「あなたねえ、夜は積極的なのになんで昼に自信が持てないのかしら。もっと自分の実力を信じてみることね。夜はとっても頼もしいけど、昼間のあなただってたいしたものよ。そうでなければ、女子社員だってあなたになんて引っかからないわよ」

 褒められているのだろうが、今ひとつ実感はないんだよなあ。

 昇進が早いのは常務の覚えがよいからで、それは秘書室長が俺の名前を吹き込んでいるからなのだろう。だから実力云々とは別のところで昇進が決まっていくような気がしてならない。

 それとは別に、女癖が悪いのに後始末までしてくれるのだから、プレイボーイとしては願ったり叶ったりの女性ではある。

 それゆえに二度目を意識する三人に名前が挙がるのだ。


「ところで、坂江取締役から連絡あったの? 関係を持っただけで終わってない? いつものフォロー上手も、他社の人相手では通用しないみたいね」

「どうもこうも、接点がないんだよな、あの人とは。本当に一夜の夢だったように感じるし」

「だからこそ会いたくなるわけね。三人のうちのひとりとして」

「それを言うなよ。なおさら会いたくなったらお前が困るだろうに」

「そりゃそうだけど、戦うにしても競う相手がいないんじゃいまいち張り合いがないのよね」

「張り合いって、スポーツじゃないんだから」

「スポーツよ。肉体競技には違いないわ。男女が協力して一緒にゴールを目指すんだから」


 そう考えられるところに、真弓の強みがある。

 致すということを恥ずかしがらず、逆に堂々とおおっぴらに主張してくる。

 物怖ものおじする男性だと閉口するかもしれない。

 だが、このくらい自分の感情をストレートに伝えてくれる女性は信用に値する。仕事でも私生活でもパートナーとして申し分ない存在だ。

 そのうえ美人でもあり、俺を第一に考えてくれるのだから言うことがない。

 この会社にいるかぎり、彼女の助力が得られるだろう。だが、いつまでも彼女に甘えられるわけでもない。秘書室長がより高みを目指しているのだから、いつ捨てられるかにも注意を払う必要はあるだろう。


 最終的に誰を選ぶかとなったとき、彼女を選んでもすでに手の届かないところまで行っている可能性すらある。

 女たらしが最終的に誰からも見向きされなくなった。ドラマではよくある展開だ。

 途中まではうまくやれていたはずなのに、最後に決断するところを間違えただけで、結局全員から見放されてしまう。

 こちらが躊躇ちゅうちょしている間に、恋の魔法の効果が切れる。

 彼女ははたと目を醒まして、それまで慕っていた男性がとるに足らない三下さんした以下だと気づいてしまう。それまでどんなに親密であっても、一度恋の炎が立ち消えるとすきま風が吹いて、あっという間に寝冷えしてしまうのだ。


「坂江取締役を呼び出してみましょうか? うちの常務を使えば可能なはずよ」

「いや、今は地歩ちほを固めるべきだろう。これ以上厄介なネタを増やすと、火消しが今以上にたいへんになるぞ」

「あら、そうだったわね。これ以上仕事をわずらわされるのは勘弁願いたいわ」

 常務が呼んだとなれば内容を把握しようと、先方は面識のある彼女を送り出すしかなくなる。だがそうやって呼びつけておいて、なにもありませんでしたでは彼女の印象が悪くなるに違いない。気になっているからこそ、しくじりたくはなかった。


 まあ業務提携の方向性が正しければ、そのうち必ず会えるはずだ。

 それに昇進していれば彼女とも自然に近づけるようになる。

 今は「二度寝る候補の三人」以外に断りを入れて関係を解消していくほかない。


 今晩食事する女子社員も、賢い人だから話せばわかってくれるだろう。

 そもそも『同じ女とは二度と寝ない』と公言して受け入れたのだから、関係をおおっぴらにされて困るのは彼女たちのほうなのだ。

 もしかしたらお気に入りになって玉の輿を狙っていたとしても、秘書室長が目を光らせている以上、出し抜けるはずもなかった。

 その意味でも秘書室長の立場と権限は有意義だった。

 それをいいことに女子社員をよりどりみどりしていたわけだから、本当に甲斐性がなかったとしか言いようがない。


「それで、紡木つむぎさんとはまだなの? そろそろ私を誘ってくれないといつ裏切るともかぎらないわよ」

「元カレをどこまで忘れられるか、だよなあ。俺が元カレに似ているといっても、それは顔つきだけで、夜のほうはずいぶんとおくてだったらしいから」

「ヤリチンのあなたとは正反対だったわけね」

 それは認めよう。だが公に言う必要のある内容なのだろうか。

「皆が見ているだろう。少し発言を慎めよな」

「あら、いいじゃない。真実なんだから」

 本当、裏表のない性格だからなんでも言えてうらやましい。

 紡木つむぎさんにもこのくらい強く話してくれる人がいれば、人生の仕切り直しとしてはじゅうぶんじゃないのかな。


「なあ真弓。紡木つむぎさんと会ってみるつもりはないか?」

「どういうこと?」

 どんな裏があるのか探りを入れてきた。

「お前くらい裏表がないと、誰に対してもストレートにものが言えるよな。彼女に対してズバッと言ってくれれば、吹っ切るきっかけを作れそうなんだけど」

「なるほど。自分の手は汚さずに彼女の意志を変えようとしているのね。なかなかの策士だわ」

「で、どうなんだ?」

「私としては、それで彼女が抱かれてくれたほうが、あなたとの二回戦に早めに挑めるというのなら断る筋ではないわね。でも私で本当にいいの? こう見えて、けっこう容赦ないんだけど」

 いや、どう見てもいつも容赦ないのだが。とは口が裂けても言えないので、心の中にしまっておこう。

 だが紡木つむぎさんが元カレ以外の男性に目を向けるようになるには、奔放な真弓くらいとはいかないまでも、頭の切り替えが早い人を見習うべきではないか、とも思うのだが。

「で、いつにする?」

 彼女のやる気がみなぎっていた。



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