第10話 小休止
観覧車がゆっくりとひと周りし、十五分ほどで地上に舞い戻ってきた。
「意外と面白いものですね、観覧車。舐めていましたよ」
「そうでしょう。羽が生えて飛んでいるような気がしたわ」
「天にも昇る快感が、エクスタシーのたとえになっているのもわかる気がしますね」
「なぜ話がエッチなほうへ流れていくのかしらね……」
頭を抱えている。
彼女の固定観念を崩さないと、幸せな結婚生活も送れないだろうな。ちょっとつついてみたほうがいいか。
「健全な男性だからですよ」
「健康な男性は、性に旺盛なんですよ。草食動物じゃあるまいし。おとなしいだけの男なんて、子孫を残す生物学的意味さえ放棄しているんです」
「あなたはプラトニック・ラブって言葉、ご存じないのですか?」
「そういえば昔一時期流行りましたよね。ですが、どんなに崇高な愛だろうと、子孫を残せなければあまり意味がありません。どんなに精神的な付き合いだとしても、自分の子どもが増えたら嬉しいでしょう?」
「自分で産んだ子どもは間違いなく可愛いだろうとは思うけど、妊娠と関係なくヤルのって不純だと思わないんですか?」
「まったく」
これは断言してもいい。
逆に周りから跡継ぎを期待されるとそう簡単にはいかないだろう。男児の出産を強要されて排卵日を計るタイミング法で狙い撃ちを期する。しかしそのときだけやらされているほうがよほど不純で哀れというものだ。
そもそも愛があれば子どもが必ずできるというものでもない。あまつさえ跡継ぎの男児を迫られたら、義務感のみで致すことになってしまう。
それが本当に正しい行為なのだろうか。
少なくとも日頃から致していなければ妊娠率は上がらないだろう。タイミング法だけに頼っていたら、結局子どもを産めなくなりそうだ。
「そういうものですかね。なんかプレイボーイの詭弁を聞いているみたいだわ」
「詭弁ではなく真実ですよ」
まあ軽蔑している男からこんな話を聞かされても楽しくはないだろうな。
「こちらの性
「思いません。そもそも女性のそういうの、ふざけてでも聞くべきじゃありませんよ」
確かに酒の席で宴もたけなわでもないのにそんな話をするなんて、ふざけていても聞くべきではないか。
だが、なぜこちらの声が壁の向こうに届くのか。その謎は解き明かしたいところだ。
そうでなければ、これからも安心して女を連れ込めなくなってしまう。
そもそも彼女がうちの隣に引っ越してきたのって五カ月ほど前になるかな。
新入社員が会社に近いところに部屋を借りたのか、人事異動で勤務先が変わったのか。そのどちらかだろうとは思っていた。
そこから毎朝怒鳴り込みに来られているのだから、こちらも
漏れているとしていつから聞こえてきたのかだが、引っ越してきて少ししてから注意に来ているはずだ。もし我慢していたとすれば引っ越してきたときから聞こえていたと考えてよいだろう。
であれば前の入居者にもダダ漏れだったのだろうか。
そのときの住人は柴田という男で、うちの部屋にも何度か酒を持って飲みに来ていたくらい親密だった。
だから聞こえていたとすればすぐに注意してくれてもいいはずなのだが、そんなことはいっさいなかった。
やはり彼女になにか問題があるような気がしないでもない。
それなのに管理人さえ部屋にあげようともしないのは、なにか別の理由があるのだろうか。
それこそ彼女が盗聴しているのではないか、との疑いを抱かざるをえない。
だが、証拠もなしにそこまで疑うのは忍びないので、今度怒鳴り込んできたときにきっちりと確認をとってみるべきだ。
いけないいけない。
今は
いつも
「次は、テーマパークエリアですかね。今はなにをやっているんだろう?」
「ハリウッドアニメみたいですね。私あまり好きじゃないな」
「じゃあ他に行きますか? でも乗り物系じゃなくて楽しめそうなのは、あとお化け屋敷くらいしかないんだけど」
その言葉に
もしかしてお化け屋敷も駄目なのかな。
「あ、嫌ならいいですよ」
「そ、その前にちょっと遅いけどお昼にしませんか? いろいろ乗って疲れましたし」
そういえばアトランションが楽しくて食べるのを忘れていた。
男が気づいてあげないといけないんだろうな、こういうの。
あまり遊園地に来たことがないので、ただ楽しむだけになってしまった。
「十三時半をまわったところですし、今なら食堂も
「私はサンドイッチでいいわ。まだジェットコースターの余韻が残っていて食欲が湧かなくて」
食欲が湧かないのにお昼ごはんを食べたかったのだろうか。
もしかしてこちらを気遣ってくれたのかな。
そそくさと食堂へ向かっているので、それに付いていくことにした。
「すみません。私、サンドイッチとカフェオレをお願いします」
メニューをちらっと確認する。
「こっちはカツカレーの大盛りとアイスコーヒーで」
はいよ、と景気のいい声が聞こえてきて、程なく注文した品物を載せたトレーがふたつ出てきた。
お互いに代金を払い終えると、人が幾分引いたであろう食堂の
「遊園地もあまり楽しめないかと思っていましたが、久しぶりだとけっこう楽しいものですね。前に来たのは高校生だったはずだから十年くらい前になるのかな。あ、先にいただきますね」
返事を聞く前にカツカレーを頬張り始める。しっかり噛みながらもガツガツと食べていく。
「はあ、やっぱり一緒に来るんじゃなかったかな。あなたの食べっぷりを見ていると、それだけでおなかがいっぱいになりそうよ」
「軽食であっても、きちんと食べておいたほうがいいですよ。残りのアトラクションを楽しむためにも。空腹だと面白くないだろうし」
「それもそうなんだけどね」
彼女もサンドイッチに口を付け始めた。食欲はまだ残っているみたいでひと安心だ。
「
「一年ぶりくらいね」
「そのときはひとりで来たんですか?」
「いえ、友人と来ましたけど」
「じゃあ、本来だったらその友人と来る予定だったんじゃないですか。その人に悪いですね」
ちょっと反応が遅れてくる。
「……まあ……その予定でチケットをもらったんだけど……ね……」
この反応は触れられたくなさそうだ。ちょっと話を変えよう。
「
「観覧車」
即答だな。だから観覧車から入りたかったのかもしれない。
無理に押し切ってジェットコースターに誘ったの、本当に悪いことをしたな。
「高石さんは、どのアトラクションが楽しみだったんですか?」
「う〜ん……ジェットコースターかな」
「普通、連れている女性の好みを優先してくれるものですよね。とても女たらしには見えませんよ」
「そこは本当にすみませんでした。今日の締めは観覧車にしますから」
「今さら機嫌取りですか?」
楽しそうに含み笑いしている。
いつも怒った顔しか見ていなかったから、心から笑っている姿を見たのは今日が初めてだ。
こうして日常の一面を改めて見ると、とても愛らしい人である。
そして誰かに似ている気がしてきた。なぜか
たとえ芸能人だったとしてもじゅうぶん通用するくらいの美人ではある。
毎朝怒鳴り込んで来なければ、そのイメージはさらに強くなるだろう。
実際今の彼女は太陽が隠れんばかり魅力的に映っている。
それ以降あまり会話することもなく、大急ぎでカツカレーを食べ終えた。
彼女がまだなので追加でアイスコーヒーを買ってきた。
それでも完食していなかったのは、よほどジェットコースターが嫌だったんだろうな。
食べている
そういえば観覧車のそばにパラシュートとバンジージャンプの体験コーナーがあったな。
あのくらいの落下はどうなのだろう。観覧車よりは低いからだいじょうぶだとは思うけど。
あ、そういえば
今の遊園地ってこんなにスピード系かダイブ系のアトラクションが多いのだろうか。
だとすると彼女はそれでもあえてワンピースを着たかったのかもしれない。
そういうのを避けるために。
となるとめぼしいアトラクションは遊園地といえば定番のメリーゴーランドかお化け屋敷だろうか。
その後にもう一度観覧車に乗って帰宅するとしますか。
もうじき彼女も食べ終えるだろうし。
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