第8話 波乱の幕開け
土曜の朝、ひとりでベッドに寝ていた。
このところ自室に女を連れ込んでいない。そういえば、ここまで
原因はやはり理乃だろうか。
彼女と夜を過ごして以来、どうにも他の女を抱く気になれなかった。
昨晩は一度寝たことのある女子社員との会食だったから、やはりゆうべも誘いはキャンセルしている。
そもそも三カ月後に結婚式を控えているのに、もう一度寝てどうしようというのだろうか。
脅す材料としてはじゅうぶんだろう。
課内での評価を下げて降格や解雇もない話ではない。
実際に何名かは女性関係がもとで左遷や解雇をされている。
だが結婚を控えているからと、上司を追い落とそうとする女でないことはよくわかっているつもりだ。
あの女子社員は口が堅い。そうでなければ、一緒に寝たことが今まで会社にバレないはずはないのだ。
理乃にしても、関係をうちの常務に告げるだけで、こちらを破滅させられるはずなのに、そういった動きは見せていないようだ。
常務の信任もまだつながっている。まああの常務は
それにしても、なぜ女と夜を過ごす気力が湧かないのだろうか。
以前なら仕事帰りは必ず女を連れ込んで、一戦交えて裸のままふたりで朝を迎えるのが当たり前だったというのに。
習慣がこんなにも簡単に変わるはずもないのだが、その原因がとんと思いつかない。
理乃がいい女なのは認めよう。
だがそれ以外の女がつまらなく見えているわけではなかった。
常務秘書室長の真弓だって誘われれば主義を曲げてもう一度寝たってかまわないと今では思えている。
以前ほど『同じ女とは二度と寝ない』が鉄則ではなくなっているような気がしていた。
それなら「初めて二度寝る女」を誰にするのか。
焦点はそこに絞られるはずだ。
今でも誘いをかけてくる真弓か。役職は上だが相性のよかった理乃か。
それともこれから出会う女なのかもしれなかった。
玄関のチャイムが鳴った。
ベッドから抜け出してドアへと向かう。
ドアスコープを
解錠してドアを開けようとした。
「あ、ちょっとお待ちください!」
しまった。素っ裸で寝ていたのをすっかり忘れていた。
慌てて脱衣所へ向かい、バスローブを着てから戻ってドアを開ける。
「あ、
バスローブ姿を見て
言い訳しようにも、実際に事はなし。潔白なのだから堂々と対応しよう。
「ゆうべはよく眠れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
言葉にトゲがあるな。
なにかに怒っているようなのだが、とんと心当たりがない。
「ゆうべはその……女性を連れ込まなかったのですか?」
「ああ、はい。もとから毎日連れてきているわけではありませんし」
「ですが、昨日とあるフランス料理店で女性と親しげに話していらっしゃいましたよね?」
「よくご存知で。もしかして、
「え、ええ……まあ……」
薄化粧の頬がわずかに上気している。
なぜ彼女がこんな反応をするのだろうか。
まるで一度夜をともにした女と再び話しているときのようである。
「あそこが女性を連れ込む入り口なのですか?」
どうにもこちらの行動が見抜かれているような気がしてならない。
「というと?」
「以前にも、その、あの店で女性と一緒にいらしたのを見たことがあります。その日の夜は女性の声が伝わってきましたから」
さらに顔を赤らめている。
以前のように「ヤッてる」と罵られることはなかった。
年頃の女が男の部屋の前で怒鳴り声ででも口にする言葉ではない。
そのあたりにようやく気づいたのだろうか。
「ちなみにその店で私を見たのは何回でしょうか?」
「昨日とそれ以前の二回です」
ということは、こちらを試しているのか。
「たった二回見ただけで、私があの店から女性を連れ込んでいるとおっしゃる理由がよくわからないのですが」
「し、しかし……」
やや
「しかも、以前は確かに連れ込んでいますが、昨日は一夜の関係はありませんでしたよ。あの店で食事をしたら必ず寝ているわけではないですよね。
「そ、それは……そうですが……」
顔を逸らして、なにか恨めしそうな表情で流し目を送ってくる。
もしかして行きつけの店を特定したから女を連れ込むなと言いたいのだろうか。
それともまさか一度寝てほしいとか。
いや、さすがにそれは飛躍しすぎだな。
だが一度も寝ていない女が、他の女に嫉妬するのもなにかおかしい。
そのあたりを見極めてからでないと、うかつなことは話せないな。
「それでは……このことは、私の早とちりということで……」
「そうですね。早とちりだと思いますよ。もし私が女性を連れ込むのなら、あえて同じ店は選ばないのではないかな。店員にしても、私を見知っているわけですから、連れの女性に『気をつけろ』くらい忠告はしそうなものですからね」
「それも、そうですね……」
なにか煮え切らない表情を浮かべている。
このぶんだと本題は別にありそうだな。
だがそれを切り出す必然性に乏しいようだ。
だからついつい以前の女性関係を持ち出しているように感じられる。
「あの、その……もしよろしければ、一緒に遊園地へ行ってくれませんか?」
「遊園地、ですか?」
あまりに唐突なお誘いでつい
「はい。友人からふたりぶんのチケットをいただいていたのですが、一緒に行く人がいないものですから。もしよろしければ……と思いまして」
ショルダーバッグからチケットを二枚取り出した。
違和感に気づいて彼女の服装を見てみると、水色に花柄のワンピースを着ている。よそ行きの格好だろうか。
どうも展開がおかしいと思ってはいたが、まさかこれが原因だったのだろうか。
こうして静かに話しているかぎりは美人な顔立ちをしている。
だが夜の相手となるとまた異なる基準になるのだが。
「ひとりで二回行く、という選択肢はなかったのですか?」
「ゆ、有効期限が迫っておりまして」
「ちょっとチケットを拝見しますね」
チケットを見ると、二枚とも今日が期限になっている。
「確かに迫っていますね。でもいいのですか? 私は女を部屋に連れ込んで一戦交える男ですよ」
「それはもちろん知っています。だから一緒に寝ないと約束していただくのがお誘いする大前提です。それにバーへ連れ込んだりお酒を飲まそうとしたりもしないでください。私はお酒が飲めませんので。それとも寝る予定がない女とは一緒に行動できないとおっしゃるのでしょうか」
まいったな。
確かに予定はないのだが、長らく女と寝ていないため、できれば可能性のある女と過ごしたいところだ。
しかしいつも迷惑をかけている
まあ一度デートをしたところで関係が変わることもないだろうし。
「わかりました。それではお供させていただきます。ただ少し待っていただけますか」
「なぜでしょうか」
「まさかバスローブ姿で遊園地に行くわけにもまいりませんので」
彼女は今さらながらこちらの格好を意識したようだ。
慌てて振り返りうつむいている。
今日の
これは寝られなくても有意義な一日を過ごせるかもしれないな。
さて、着替えるにしても近所へ買い物に行くでもなし。ある程度は格好をつけないと
彼女も、毎晩のように嫌がらせをしているこちらと嫌々ながら遊園地へ行くとしても、それなりに着飾ってはいたのだから。
だからといって白いスーツ姿などという場違いな格好をするわけにもいかず。やはり買い物に行くときの服装くらいがちょうどいいかな。
ただ彼女のワンピースと色を合わせてみたほうが、連れとわかっていいだろう。
ブルージーンズをはいて白のティーシャツの上に水色のジャケットを羽織った。ボサボサなので整髪料をつけて撫でつけ、女たちに会っても目立たぬよう薄めのサングラスをかけた。
なにか気合が入っているように鏡では見えてしまうが、一度寝た女たちを
「お待たせ致しました。では参りますか、姫?」
こちらもかるい嫌みを忘れなかった。
このくらいの距離感のほうが、彼女とは一線を引けてよいはずだ。
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