第3話 猫救い

 奇跡的に自殺は失敗しちまった。

 よくはない。

 死に直さなければ。

 かといって練炭はもうダメだ。

 どうせ七輪がなけりゃ燃えないだろうし、眠るための薬もなくなっていた。医者に行って処方してもらうにも、もう医者代もない。

 次に有望なのは首吊りか、しかし……。

 俺はぐるりと見回した。

 家のなかにはデブの俺が首を吊れる場所がない。家賃三万五千円のボロ屋だから、ドアノブさえガタついているくらいだ。

「はぁあああー……」

 死ぬのも簡単じゃない。できるだけ楽に、となればなおさらだ。

 ああタバコが吸いたい。灰皿を漁る。シケモクはすべて限界まで吸ってあった。

 財布を開ける。四百円残っていた。よし、タバコは買える。あとのことはあとで考えよう。

 俺はジャージのまま外へ出て、コンビニへ向かった。覚束ない足取りでよたよたと歩く。

 踏切に近づいたとき、一匹の猫が道路を渡ろうとしているのに気づいた。

 そこへ車がまっすぐ走ってくる。

 瞬間的に閃いた。

 猫を追い払って俺が代わりに轢かれよう!

 俺は両手を振り回しながらダッシュした。

「オラララララー! ほいやー! ほいやー!」

 まずい! 猫は驚き、かえって固まってしまった。もう蹴飛ばすしかないか!

 俺はかまわず突っ込んでいく。

 だが、足がもつれて転びかけ、アスファルトへダイブする形になった。

 飛ぶ!

 反射的に猫を抱え、受け身をとって転がる。

 車が急ブレーキを踏んだ。

 猫も俺も無事。

 ずいぶんアクロバティックに車を避けてしまった。運命はなにがなんでも俺を死なせないらしい。

 車のほうはいったん急ブレーキを踏んだものの、俺の無事を確かめるでもなく、アクセルを踏んで走っていってしまった。

「くそ……」

 舌打ちしていると、代わりに後続車が停まった。メタリックグレーの外車だ。

 運転席から若い男が出てきた。二十代なかばといったところか。

 高そうなスーツを着て、髪もワックスで整えている。イケメンかもしれないが、個人的にはいけ好かないタイプだ。ホストっぽい。

「見てたぜ、おっさん。身体を張って猫を助けるなんて、そんなヤツほんとにいるとは思わなかった」

 俺は猫を放して立ち上がる。

「い、いろろろあってな……」

 薬のせいか一酸化炭素のせいか、舌がまわらなかった。

「そうか」

 男は懐に手を入れて分厚い札入れを取り出した。一万円札を抜き出してこちらに向ける。

「これはいいもん見せてもらった礼だ。うまいものでも食ってくれ」

「ありがたい!」

 遠慮なく手を伸ばすと、男は札から手を離した。ひらひらと舞う札。俺は取ろうと必死に手を振るうが、札は地面に落ちた。それを拾う。もらえるなら文句はない。

 長身の男は俺を見おろしながら言った。

「怒らないのか?」

「出した札をひここめるていうならぶぶっ飛ばすかもな」

「いいね」

 男はさらに名刺を取り出し、今度はちゃんと手渡してきた。

「近所でなんでも屋やってる。社長だ。遊びにくればあんたに合った仕事でも紹介できるかもな」

「ふーん……」

 有限会社アクロスザスター

 代表取締役 諸戸亮吾(もろと・りょうご)と、書いてあった。

 諸戸亮吾が聞いてきた。

「あんたの名前は?」

「釘伊丈(くぎい・じょう)だ」

 今度はまともに喋れた。だんだん回復しているようだった。

 高級車の窓が開き、女が顔を出す。中学生くらいに見えるがいまは平日の昼間だし、みごとな金髪だった。童顔なだけかもしれない。

 女が言う。

「社長、時間」

「そうだったな、あばよおっさん!」

 名前を教えたのに、けっきょくおっさん呼ばわりかよ。

 諸戸亮吾と高級車は走り去った。猫もどこか行った。

 俺はもらった名刺を眺める。 

 こんなヤツに顎で使われるのは癪だが、死ねないとなると頼ることになるかもしれない。

 だが、できるだけ避けたいものだった。

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