第2話 おっさんの目覚め

  俺は薄闇のなかで目覚めた。

 コタツに光が差し込んでいるのがわかる。つまり、まだ生きているらしい。

 頭痛がひどかった。確かに生きている。なぜだ?

 睡眠導入剤を酒で飲み下し、練炭に火をつけてコタツのなかへ置き、そこへ頭をつっこんで眠りに落ちたというのに。それでも死ねなかった。生き残っちまいやがった! クソッ!

 コタツから抜け出し、中の練炭を確認すると、おぼろげながらも生き残った原因に察しがついた。

 原因一、練炭は上辺だけしか燃えていなかった。七輪を買う金がなかったので皿に載せて火をつけたのだが、そのせいかほとんど燃えていなかった。

 原因二、コタツ布団を開けっ放しだった。練炭の煙は油くさい悪臭がする。だから俺は悪臭でむせることがないよう、眠りに落ちる寸前までコタツ布団を開け放っておこうとしていた。

 ところが薬が急速に効いたため、布団を閉じるのを忘れて眠りに落ちてしまっていたのだった。

 練炭はほとんど燃えず、コタツのなかは換気が十分だった。

 加えて、薬は飲み慣れたものだったので、酒で流し込んでも死ぬほどの毒性を発揮しなかった。

 これが思いつく限りの、俺が生き残っちまった理由だった。

「うっ!」

 急に吐き気がこみ上げてきたので、俺は流しに急いだ。身体がふらついて足がもつれる。

 それでも転ばずに流しにつき、こみあげてきたものを吐き出す。

「おええええ!」

 からあげの破片と透明な酒が排水口に消えていく。からあげは最後の晩餐のつもりだったものだ。吐いてしまえば、なおのこと死なない。

 一酸化炭素のせいか、酒のせいか薬のせいか、視覚に異常が出ている。ものが二重に見えた。

 目を閉じて状況を整理しようと務める。

 俺の自殺は失敗した。

 生き残ったことに感謝できるか? いいや無理だ。状況は何も変わらず、俺はやはり死にたかった。

 練炭を焚いて眠り薬まで飲んだっていうのに死ねないなんて、あまりに常識外れだ。もしかしたら俺は不死身なのでは。

 死ぬこともできなという恐怖がこみあげる。

 ああ、死にたい。もちろん理由はある。

 まず俺は、四十三歳にして童貞だった。

 女の子に告白されたこともあるし、彼女ができたこともある。なのにいつも身体を重ねる前にケンカ別れしていた。

 なまじ女の子と縁があるものだから、そのうち経験できるだろうと、風俗にも行かなかった。そして時だけが経つ。けっきょくまだ童貞だ。

 童貞の上に無職だった。

 二年前までは働いていた。ひとつの工場で二十年も勤めあげていた。

 もともと、性格の悪い所長には何度となく反発していた。ある日、新人イビリの陰険さに我慢も限界を超えて、ヤツを殴りつけちまった。そのせいでクビだ。

 四十も過ぎると世の中がわかってくる。

 運のいいヤツ、運よく権力者になったヤツばかりが得をするだけだと悟って、まともに働くのに嫌気が差した。そして借金を重ねていまに至る。

 生き残っても不安と恐怖しかない。

 死ぬことも出来す、借金も返せず、運はだいたい悪い。

 となると、よくて刑務所ぐらしになるのがオチじゃねえか。自由を失うのはいちばん嫌だ。

 ため息をつくと、ある考えが閃いた。

 もしかすると、俺はやはり死んだんじゃないだろうか? 死んで別の世界に来た可能性だってなくはない。なんといっても練炭に火をつけてコタツに潜り込んでも死ななかったくらいだ。信じられないことの起こる可能性はいくらでもある。

 ここが新たな世界なら、俺にとってより生きやすくなっているはずだ。たとえば借金が帳消しになっているとか、もともと借金していなかったとか、そんなふうに。

 確かめてみよう。

 ダブる視界のなか、ふらつきながら外へ出る。郵便ポストを開けてみた。

 バサバサと何枚ものハガキが落ちてくる。詳しく調べなくてもわかった。すべて借金の督促状だ。

「くそ、変わったところなんてねぇ……」

 世界は変わっていなかった。

 俺はハガキを拾って家のなかへ戻った。

 どうせ中身も見ずに捨てちまうんだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る