02 レギュレーション違反
カナリア・カフェはアナトレー王国の中にある、小さな町アルケーで産まれた少女である。
農業を営みながら町の自警団――主に町の周辺に出没する廃呪を掃討する、領主の兵の協力を得ずらい小さな町や村では特に重要な役割――に所属する父親と、それを支える母親の間に産まれた第一子である。
その産まれ自体は、ハッキリ言ってとても良くある、珍しくも無い平凡な物である。
しかし故に彼女も平凡な人間か?と言えば、答えは否であった。
彼女の特別性を語るには、その出産まで時を遡る必要性がある。
出産それ自体は何ら問題なく行われ、母子ともに健康であった。
しかしそうしてこの世に生を受けたカナリアの体には、この世界の者であるのならば、絶対に見逃せない
そこに刻まれた聖なる証。つまりカナリアと言う少女は【印持ち】――いずれ来たる神の代理人を決める闘いへの参加資格を持った人間であるという事だ。
ここで重要なのは、彼女が貴種の産まれでは無く、いたって普通の平民である。という事だ。
身分に関係なく――それこそ大貴族の子弟でも、スラム街に住む孤児でも、刻まれる事のあると言う触れ込みの聖印ではあるが、傾向として優秀な素質を持つ子供に刻まれやすいという物がある。
そして優秀な素質を持つ子供と言えば、やはり何百年以上の単位で血を厳選している貴族に多く、結果として【印持ち】は貴族、若しくはそれに匹敵する血筋の持ち主が多くなるのは必然と言えた。
国や世界といった尺度で語ればそれなりの人数が居るが、実際の現場の感覚では珍しい――それが、平民の印持ちであった。
そして、そんな境遇の産まれを経たカナリアだが――その前評判通り優秀な子供に育った。
法術に対する適性が高かったため聖神教の神官と成り、齢15にしてもう5本線。
アルケーの町に居る5本線の神官は、彼女とジャン神父のみで、ジャン神父の5本線が長く真面目に勤めてきたことに対する年功序列的な物であるのに対し、彼女のそれが純粋に才能を評価されての物であると言えばその優秀さが伝わるだろう。
性格も些か男勝りにキツイ所はあるが、礼儀はしっかりと弁えており、利発で他者の教えはキチンと受け取る性格である。
容姿も、両親のパーツの良い部分ばかりを受け継いだのか、可愛らしいと言われるに足る物だ。
そして何より彼女の一番に優れた所は――――この境遇で然して天狗に成っていない、という事だろう。
特別だ、優秀だ、等と散々言った前言を翻すようだが、カナリアは特別な少女ではあるが、”特別の中の特別”では無い。
魔法やらなにやらのファンタジーと関係の無い、現代社会においても良くあることだが、特別な人間が集まると、その中で更に特別か?という観点で篩にかけられる。
例えば、極めて偏差値の高い大学の生徒。例えば人気スポーツのプロ選手。
彼ら、彼女らは皆須らく天才で、努力家だ。その枠内に入れた時点で、その他大勢の一般人など及びもしない。
しかしとても夢の無い事に、彼らが至ったその場所は、往々にして
周りから天才だと持て囃されて良い大学に入ったものの、その中で大した成績を残せなかった者がいる。
子供からの夢を叶えてプロのスポーツ選手になったものの、万年2軍で一度もめざましい活躍を出来ずに引退した者がいる。
そしてそれらは大して珍しい話では無いのだ。
一般人から見て、華々しいなんて思われがちな職業は大体そうで、その実態は華々しい所か、数多の天才の屍の上に立つ、一握りの天才中の天才にのみ生存が許された極寒の大地である。
そして【印持ち】もその例に漏れない。いや、その最たるものと言ってすら過言ではない。
なにせ彼らをより集め、最終的に決めるのは、神の代理人・以後100年間に渡り世界を背負う神託を受けた統一王。
簡単に決まる筈など無く、寧ろ簡単に決められては困る。
唯の天才では遥かに足りず、天才の中の天才ですらまだ遠く、そのまた更に天才の、普通であれば歴史に名が残るのが確実の、上澄みの上澄みの更に上澄みだけが頂きに登れるのが【印持ち】である。
まあ、その少し聞いただけで身が震える様な特別of特別の具体例がアレンだったりする訳だが、話が逸れるのでそれは置いておこう。
そんな厳しい印持ちの中で、金もコネも無い平民の境遇は中々に厳しかった。
なまじ、周囲の一般人よりかは優れた才能を持ってしまっている所為で天狗になってしまい、そんな甘えた性根と実力で”本物”同士が戦う地獄に放り込まれる。
或いは本人より周りが舞い上がってしまった上、頂きと己の間にどれほどの差があるかを知ってしまい、その
そんな事が珍しくも無いのである。
そんな中、カナリアは周囲の人に恵まれた、と言って良いだろう。
彼女の両親は、聖印が刻まれた自分たちの娘が、華々しい活躍をするよりも、とにかく無事で居てくれることを望んだ。
彼女に法術を教えてくれたジャン神父は、教え子が傲慢や重圧で潰れてしまわぬ様に、バランス良く指導を行った。
そしてカナリア自身に、それらの愛情や気遣いを確かに受け取るだけの、素直さと利口さがあった。
よって彼女は、自分の立ち位置を良く分かっている。
聖印持ちの中というくくりでは、下の上…………甘く見積もっても中の下の彼女だが、平民の聖印持ちという条件ならば、かなり上位に位置する。
そして無事に【神託祭】を終えられる可能性に至っては、変に実力がある所為で戦いの中心に巻き込まれやすい貴族の聖印持ちより、程々の実力で現実が見えている彼女の方が高いだろう。
……まあ完璧な
――もしかして、【神託祭】の中で、白馬に乗った王子様に見初められちゃったりして!!
なんて甘い夢を見ることもあったが、年頃の少女の可愛らしい夢の範疇だろう。
それに、身分の差を超えて命懸けの戦いが行われることが多い神託祭においては、あながち無い話でもない。
――さて、色々と長くなったが、最終的な総括をするとすれば、アルケーと言う町において、最も綺羅びやかに輝いている人間がカナリアで間違いなかった。
……………………………………少し前までは。
*****
――その日覚えた衝撃を、カナリアは、いやアルケーの町の住人は一生涯忘れることは無いだろう。
事の発端は、アルケーの町に新たな住人が加わった事である。
言ってしまえば、ただ引っ越ししてくる人がいる、と言うだけの話だが、よくある話ではない――少なくとも
世界を覆っていた、神の加護という名の陽の光が殆ど消え失せる【暗夜期】。
これまでの蓄えを消費しながら、夜明けが来るのを待ち望んでいるこの時期においては、どこの場所にも余所者の席は無い。
当たり前と言えば当たり前だろう。
自分たちの明日すら定かならぬ状況で、先に居た者より後から来た者が優先されるのもおかしな話なのだから。
よって、この時期に引っ越しを行う人間と言うのは、殆ど2種類に分けられる。
1つは元いた場所が滅びるなどして、辛い立場になると分かっていながらも、否応なく引っ越しせざるを得ない者。
もう1つは、引っ越しによって発生するリスクを跳ね除けられるだけの実力を持って居る者。
今回、アルケーの町にやって来た
1人目は凄腕の戦士である事が明らかに分かる赤髪の大男。
彼に関して言えば、少し前にアルケーの町に滞在していたので、その実力や人格のほどは既に明らかだ。
2人目は、彼の妹であるらしい同じく赤髪で、貴族の令嬢のような麗人。
どう見たって20歳位にしか見えない若々しさなのに、10歳の子供が居ると言うのだから驚きだった。
そして彼女の息子だと言う左手に包帯を巻いた黒髪の少年。
その極めて特異な風貌は、この世界において、【印持ち】とは逆の意味で見逃せない特徴を思わせたが、しかしそれを鑑みても尚、後数年も経てば周囲の女子から黄色い声を浴びそうな整った容姿の少年だった。
何れの
少なくとも暫くの間、アルケーの町は彼らの話題で一杯になるだろう。
カナリアも、色々と厄そうではあるが、自分の理想の王子様の様な成長を見せそうな少年に、心躍らせる事になったかも知れない。
………………………………本来だったら。
しかしながら実際、そうはならなかった。
何故ならその3人に付いてやって来たもう1人が、話題と注目の全てを掻っ攫ったからである。
「綺、麗…………」
「――――――」
カナリアの隣で、彼女と共に、自分たちの町へ引っ越しをして来る人を、見物しに来た女友達が、呆然として呟いた。
カナリアは声を上げなかったが、それは彼女が驚かなかったからではない。
彼女と、彼女の友人の間にある違いは、”思わず声が出てしまうほどに驚いた”か、”全く声が出なくなるほどに驚いた”か、というだけの事だ。
どちらも生涯最高の衝撃を受けた事に変わりはない。
引っ越ししてきた最後の1人は若い少女。
――その少女は美しかった。ただひたすらに、どこまでも。
腰まで伸びた長い白髪は、陽の光を受けて揺らめいて煌めいて、まるで頭に天使の輪が、背中に天使の羽が生えているかの様。
鮮やかな赤い瞳は、所有者を魅了する呪われた宝石の如く怪しい魅力を放っていて、ずっと見ていると魂を吸い取られそうにすら感じる。
肌は新雪と比するほどに白く、繊細で、あらゆる不浄を祓い清める、清らかさと無垢さを周囲に覚えさせる。
顔の造形など、最早怖いくらいに整っていて、話をする前からきっとこの子は変な事など一切考えない、天使の如き浮世離れした子なのだろう、なんて普通だったら絶対しない予想を考えさせる。
しかし、それにしても不思議なのは、事前情報ではやって来る子供は年が近く、どちらも10歳前後だと聞いていたのに、少女の姿はカナリアと同じか少し下くらいの年齢に見えるのだ。
10歳でこの発育とか、余程良い物を食べているのか、美の化身なのかのどちらかだろう、と戦慄せざるを得ない。
――尚、後程本人より、「成長期だったみたいで、1ヵ月半くらいで、
まあそれは一先ず置いておこう。
重要なのはこの日、アルケーの町に比類なき程に美しい少女――クリスがやって来たという事である。
*
アルケーの町に新たにやって来た
然もありなん。当然と言えば、当然の話だろう。
それをもって彼女らを、狭量だ、心が醜い、だの詰るのは些か可哀そうだろう。
そりゃあ長い人生、何が起こるかは分からない。
時には、自分の住む町に、顔が良すぎる同性がやって来る事だってあるだろう。
だがいくら何でも、これは無い。童話に出て来る妖精か何か?と言いたくなる様な奴が出て来るのは酷過ぎる。
まるで、既存の生態系を破壊し尽くす外来生物の来訪だった。
よって彼女らは極めて憤慨した。
――見てみるが良い。クリスに微笑みかけられた、自分たちと同年代の男の顔を。
鼻の下なんて伸び放題で、頬に至っては溶け落ちるんでは無いかと思わんばかりに下がっている。
何が酷いって、もし仮にクリスが男の子であったのならば、その顔を晒しているのは自分たちだったと、断言出来てしまう事だった。
何の変哲も無い小さな町にやって来て良い人間じゃ無い!と言うのが彼女らの総意だった。
まだクリスが、かつてお風呂場でアレンの脳味噌を破壊した時の、年齢よりも幼く見える栄養不足の幼女状態であったのなら話は別だったのだろうが、悪魔をして傾国と言わしめる美の才能を持った肉体の上に、超越者の魂が入った今のクリスは、成長が早い!発育が良い!老いない!のエルフか何か?と言いたくなる状態である――いいえ、神です。
それこそ最初の生ゴミを食っている様な最悪な環境下で、漸く
まあ、デザベア曰く、
「
との事で、そう考えれば寧ろ華奢に成長している方なので、最終的に身長的には日本人女子の平均位かそれより少し下で成長は極めて緩やかになるだろう。
尚、胸はでかい。傾国に生命力に長けた魂が入っていたら、そらそうだと言う話だ。
しかし、何にせよ現時点で既にクリスが男性の脳味噌破壊兵器である事は疑いようもない事である。
ただ、しかし。この時点においては、アルケーの町の少女らには、多少の余裕があった。
特にカナリアに至っては、クリスに食って掛かろうとする少女らを止める程にも。
それが何故かと言えば、クリスが病弱で、非力に見えたからだろう。
男の目を惹く”お人形さん”としては負けるけど、”人間”としては勝ってる――とまで酷い事を思っている子は居なかったが、ニュアンス的にはそんな感じである。
この場合はいくら何でも規格外に過ぎるとは言え、人間の魅力は顔だけでは無いのだから、それだけで敗北感を感じる必要は無いだろう、と。
多少、負け惜しみが入っているのは否定できないだろうが、延々と劣等感を感じるよりかは、マトモな結論だ。
…………問題は、その余裕もわずか数日で崩れ去る事になった、と言う事である。
――クリスが聖神教の神官となった。
小さな町である。噂は直ぐに町中を駆け巡る。
これに対し、少女らの反応は冷ややかだった。
激務で知られる神官の仕事を、あんなスプーンよりも重たい物を持ったことも無さそうな
悪印象から来るこの予想だが、当然の如く大外れ。
神官となったクリスは、初日から頭角を現した。
アルケーの町の神官の大半が、聖輝石――廃呪を倒した際に取得できる聖なる石――の補助が無ければ使えない術を、クリスは何ら問題なく独力のみで発動してのける。
僅か数日、たったそれだけでアルケーの町において、カナリア以外では比肩することの出来ない実力をクリスが持っていると言うのが、町中の共通認識になってしまった。
これに更なる衝撃を受けていたのが、カナリアである。
彼女はなまじ本当に実力があった所為で、他の子では感じ取れない。クリスとの彼我の実力差を感じ取れてしまったのである。
差がどれだけかは彼女にも分からないが、まず間違いなく己より上。今辛うじて互角に見えているのは、クリスがその実力を発揮する様な場面が来ていないからだ、と。
いずれ、神託祭が近づいて、他の印持ちと関わる様になった時に漸く出会うはずの”本物”がそこに居た。
この時点で死屍累々の有様な、カナリアwith町の女の子達であるが、無慈悲にも更なる追撃が彼女らに加えられる。
類稀なる実力と容姿で噂になったクリスだが、その性格も噂になり始めたのである。
曰く、老若男女誰にでも笑顔で優しく、ひたむきで努力家だと。
虐殺だ。大虐殺である。
やめて…………。と言う嘆きの声が響き渡る。こんな怪物と比較される身にもなって欲しいと。
頼むから童話の登場人物は童話に帰ってくれ、と言う悲痛な思いが少女らの本音であった。
そして事此処に至って、カナリアの状況に変化が訪れた。
周囲の少女たちが、カナリアの事を褒め称え始めたのである。
「カナリアって凄いよね」 「カナリアって努力家だよね」 「カナリアって真面目だよね」
なんて感じである。
何故、そんな事になったか。その理由は簡単だ。
クリスへの”当てつけ”である。
気に入らない何かを貶すのに、直接的に罵倒するのではなく、他の何かと比較して、それを為す。
まあ、良くある話だろう。
クリスに対抗出来そうなのが、カナリアだけだったから、その対象に選ばれただけの事。
元からカナリアと仲の良かった友人たちは兎も角、現在クリスに覚えている反感を、少し前まではカナリアに覚えていた子も居ると言うのに、虫の良い事である。
そんな同輩たちの思惑をカナリアは当然察していた。
彼女らの称賛は、自分を透過してクリスへと向けられていると。
故にカナリアは、それらの声に対し受け入れの意を示さなかった。
…………けれど、拒絶も出来なかったのだ。
傷ついたプライドに称賛の言葉はまるで麻薬の様に甘く染み込んで、どうしても断固とした拒否までは出来なかった――それが形だけの嘘っぱちだと分かっていても。
そうやって周りの声を否定しないでいたら、カナリアはいつの間にかクリスと一番に敵対している様な立場になっていた。
寧ろ、最初は周りを止めていたにも関わらず、である。
そんな不本意な立場にカナリアがおさめられた、その後。
またしても状況に変化が訪れた。
そうやってクリスに反感を覚えていた子たちが、1人、また1人とその意思をなくしていったのである。
その原因はクリスにあるが、彼女が何か特別な事をしたわけではない。
彼女がしたのは単純な事で、アルケーの町に来た最初からずっと、自分を気に入っていない相手だろうがなんだろうが、相手を慕って話し続けただけである。
特別なことでは無いが、だからこそ特別な事と言えるかも知れない。
無論、すぐに効果が出た訳でも無い。
人は、気に入らない相手がやっている行動には、どうしても悪いバイアスがかかる。
クリスの態度も、当初は”良い子ぶっちゃって、心の中ではどうせ自分たちを馬鹿にしているんでしょ?”と冷めた目で見られた。
だが彼女らにとっては恐ろしい事に、そう言った化けの皮が剝いでやろう!と言う荒探しの視線で見ても尚、クリスの態度に嘘が見えてこないのである。
寧ろそうやって隅々まで注目したからこそ、クリスの態度が本物だと認識せざるを得なかった。
中には――
「嫌味を言われてる時も笑顔にしちゃって、罵倒されるのが好きな変態なんじゃ無いの!!」
なんて言う者もいたが、流石に発言した当人ですら邪推が過ぎると思ったのか、”ま、まぁ、そんな事ないよね……”と気まずそうだった。
それはそうだろう。
あんな性欲の”せ”の字も無さそうな!!!!!!可憐で!!!!!!!!!清楚な!!!!!!!美少女が!!!!!!!!!
そんな”救いようの無いド変態”みたいな事を思っている訳が無いんだから――――――――!!!!!!!!!
とにかく、クリスが自分たちの事を本気で慕っていると、アルケーの町の少女たちは徐々に理解していき、それによってクリスへの反感が薄れて言った訳である。
人間、自分の事を真摯に慕ってくれる相手に、何時までも悪感情を抱き続けるのは、存外に難しい。
懐いて擦り寄って来る子犬を蹴飛ばせるのは(悪い意味で)特別な人間だけだろう。
……これが、ストーカーだとかヤンデレだとか言った倒錯した愛情の持ち主が相手になると、また別の話になるが。
それにそう言った感情的な話だけでは無く、実利的な話もある。
今の時代において、聖神教の神官が担う役目の重要さは説明してきた。
そしてその上で、明らかに実力者で、少し頼んだだけで力を貸してくれそうな相手に態々敵対する必要があります?という話なのだ。
結果、感情と利益の方向が一致して、クリスは少女たちに受け入れられた訳だ。
真摯にやっていれば報われるのである。めでたしめでたし――――――――では流石に終われない。
この一連の流れで最も割を食ったのは、間違いなくカナリアだ。
周囲から勝手に高い所に運ばれて、その直後に梯子を外されて置き去りである。
明確に拒絶しなかった彼女にも、非が全く無いとは言わないが、それにしたってこれは酷過ぎで、間が悪いにも程がある。
クリスは最初から分け隔てなく、カナリアとも仲良くしようとしていたが、流石にこの状況ではその手を取る事が出来なかった。
如何にカナリアが年齢の割にしっかりしているとはいえ、この屈辱を飲み込むには若すぎた。
これで、他の子と同じく素知らぬ顔でクリスと仲良くしたら、いくら何でも
この話の何が悲しいと言えば、この時点でカナリアはクリスの事を、もう嫌っても疎んでも無い事だろう。
自分を慕ってくれるクリスの態度は、他の子と同様にカナリアに刺さっていたし、何ならコロッと立場を変えて自分をこんな状況にした周りの子より、何度も冷たい態度とったのに、一貫して自分を慕い、思いやってくれるクリスの方が信頼出来るまであった。
相手の事が本当に嫌いで、嫌っているのならともかく、これは状況が拗れ過ぎである。
*
さて、話は一旦逸れるが、どれをとっても重要な聖神教の神官の役割だが、それでも敢えてこれが一番重要だ!と言う物を選ぶとしたら何だろうか。
人によって答えは様々だろうが、多くの人の答えは”結界の作成”になる筈だ。
廃呪を退ける聖なる結界。
結界内に廃呪を入れない効果と、弱い廃呪には効果が無い代わりに、一定以上の強さの廃呪を結界の周辺に近寄らせない廃呪除けの効果を併せ持つ結界は、人類の生存圏における生命線と断言できる。
小さな町や村が滅びる原因の殆どを占めるのが、結界を破られた事なのだから、その重要性は改めて説明するまでもない。
それほど重大な結界の展開と言う仕事は、どこの場所においてもそこで一番優秀な神官が行うのが普通であった。
アルケーの町において、数年前から今までの間にその役目を担ってきたのはカナリアだった。
凡そ1ヵ月に一度の間隔で彼女は結界に力を注ぐ。
勿論、彼女に全責任を負わせている訳では無く、経験豊富なジャン神父が補助についてはいたが。
与えられた役目の重さに、カナリアはかなりの
そしてここで話は元に戻る。
クリス達がアルケーの町にやって来て、なんだかんだ1ヵ月近い時間が経過した。
前回の結界の展開作業がクリスが来る少し前だったので、次の作業の時間がやって来たと言う訳だ。
己の状況に、日々悶々としていたカナリアは、その事に考えが至った時愕然とした。
結界の展開のお役目をクリスに取られると、思ったのだ。
何せクリスには実力がある。それにジャン神父の覚えだって良い。
…………それはただ、町にやってきたばかりのクリスが上手く周りに馴染める様に、ジャン神父が気を使っているというだけの事なのだが、今の余裕が無いカナリアには、贔屓の様に見えてしまっていた。
ただでさえ情けない己の現状。この上、重要で光栄な仕事まで取られたくない、とカナリアは思ったのだ。
だから彼女は、ジャン神父に直訴した。
「どうか、今回も私に結界を張らせて下さい――!!」 と。
その結果――――彼女の要望は通った、それもかなりの難色を示されると思っていた彼女の予想に反してアッサリと。
それに要望が通ったも何も、ジャン神父としては最初からそのつもりだったようで――
「勿論です。貴方以上の適任なんていません」
――と、そもそもクリスに任せる気は無かったのだ。
嬉しかった。これまでの努力が報われたような気がして、この信頼に何としてでも応えよう、とカナリアは思った。
そして迎えた結界展開のお役目の当日、彼女は今まで以上の集中力を持って、事に望んだ。
――会心の手応え!!
心意気に比例して増大する
心地よい達成感が彼女を包み込む。
そうやってスッキリとしていると、途端に自分が意地を張っているのが、とてもくだらない事である様に思えた。
今すぐには、難しいかも知れないけど、周りの目など気にせず自分もクリスと仲良くしていこう、なんて前向きな考えも持てた。
悪い流れが変わりだした様な、そんな気がしたのだ。
……さて。
この後の顛末を語る前に1つだけ。
1つだけカナリアの名誉の為に断言しておこう。
今回の結界の展開の作業において、彼女はミスをしていない。
プレッシャーと、気合の入れすぎで空回ったなんて、ありがちな事は一切無かった。
彼女は、彼女に任せられた仕事を十全に、100%果たしたのだ。
いや、カナリアが小さな町に収まらない才の持ち主であることを鑑みれば、100%以上の仕事だったと言える。
少なくとも、アルケーの町と同程度のコミュニティにおいてと言う条件下であるのなら、カナリアの張った結界の性能は、世界中と言う基準で見ても五指に入るだろう。
だからこの後発生した出来事は、不幸な事故だった。
それも、起きる可能性が絶無であるとまでは言えないが、限りなく0に近く、現実的に考えて殆ど考慮しなくて良い類の。
――数日後。アルケーの町の中に、町の自警団のメンバーが強力な廃呪と交戦し、大怪我を負ったとの報が駆け巡った。
それも、結界の廃呪除けの効果の範囲内である筈の町の周辺で、だ。
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