第二章 ポンコツ神官と氷の令嬢

01 意識高すぎ高杉くん


 アナトレー王国の片隅にある小さな町アルケー。

 その中に存在する、唯一神パンタレイを奉ずる聖神教の教会。

 更にその中に用意された1室にて、2人の人間が対峙していた。



 1人は腰の曲がった老婆。

 彼女はこの教会に体の治療を求めてやって来た。

 聖神教の神官の役割の1つに、心身を癒す法術を持って、人々の怪我や病を治療する、癒し手と言う物がある。

 小さな町などでは、それのみが医療の核となっている事も珍しくなく、老婆はそれを求めて教会へやって来た、と言う訳だ。



 よって当然、老婆と相対している相手は、聖神教の神官であった。

 黒と白を基調とした、聖神教の法衣に身を包んだ1人の女神官。

 年の頃は、見た目からすれば10代中頃に届くか届かないか位に見える。

 

 彼女の着ている法衣の、その右肩の部分。

 黒い布で作られたその場所には、淡く輝く白い横線が7本も描かれていた。

 それは【位階線】と呼ばれる物であり、神官の身分を表す役割を持っている。

 1本から7本までの間で地位を表し、数が少ないほどに身分が高い。

 つまり少女の法衣に描かれた7本の線は、彼女の神官としての身分が低い事を表しているのである。

 察するに、聖神教の神官になりたてなのであろうか。



 しかしだとすると奇妙な事柄が1つ、存在した。

 老婆が神官の少女に対し、やけに畏まっているのである。

 無論、体を治療して貰いに来ているのだ。

 例え、相手が年若く、身分がそう高く無い相手でも、きちんと礼儀を知っている人間ならば礼は逸さないだろう。信心深ければ猶更だ。

 だが、それでも尚、奇妙と書いたのは、ただそれだけにしては、老婆の態度が度を過ぎているからである。

 それこそ、放っておけば数珠や十字架を握りしめて拝み始めかねない程に、老婆は女神官に対して恐縮していた。 

 一体、少女の何がそこまで老婆を畏まらせているのだろうか?



 まず、一目見ただけで分かる少女の特徴。

 それは美貌、であった。

 それも、そんじょそこらに存在するレベルでは無く、間違いなく絶世の美少女として歴史に名を残せると、誰もが確信出来る程の。

 白い髪に紅い瞳という、ともすれば不気味と思われかねない少女の容姿であったが、神が手ずから作り上げた様な容姿の黄金比が、そんな感想を一切抱かせない。

 男ならば、いいや女ですら、一度視界に入れれば暫くは目を外せなくなる程の、惑星ホシの引力の如き魅力を少女は持っていた。



 ……が。今回の老婆の態度にそれ美貌はそこまで関係が無い。

 何故なら、美貌とは愛でるものだ。拝むものではない。

 よって少女が他者を傅かせているのは、その他の部分。目には見えない特徴が故であった。

 それは少女から流れでる雰囲気の様な物である。 



 圧倒的でかつ、神秘的。

 全身から後光が差して見える程に、少女から流れ出す雰囲気は凄まじい。

 華奢で可憐な少女と相対している筈なのに、雄大な大自然を前にしている感覚を受けるのだ、祈りの1つも捧げよう物である。

 少なくとも、少女の法衣に刻まれている位階線が1本のみであっても、老婆はまるで不思議に思わなかっただろう。



「手を――」



「は、はい!」


 

 少女より、その可憐な容姿に見合った透き通った声が出された。

 その声に従い老婆がおずおずと自らの両手を少女の前に差し出した。

 それを少女は自らの小さく柔らかな手で、優しく包み込んだ。

 そして次の瞬間、少女の手から神々しい白い光が放たれて、瞬く間に老婆の全身を覆い尽くした。




「ああっ……」




「――――」



 その時、老婆に訪れた感覚を述べるのならば。

 丁度良い温度の温泉に浸かっている様な、或いは最早朧げにしか思い出せない己が幼子だった昔日に、母に抱きしめられた時の様な、そんな心地良く安らぐ感覚であった。

 その感覚に安らぐ老婆の様子を見て、神官の少女は嬉しそうにはにかんだ。

 時間にすれば、僅か数秒の出来事である。




「終わりました」




 少女の手から放たれていた光が止まる。

 どこか幻想的ですらあった時間が終わりを告げ、日常の光景が戻って来る。


 


「お加減はいかかでしょうか?」




「全身がすっかり楽に――!これほど体が軽くなったのは久しぶりです!」




「それはとても良かったです」




 少女の問いに、老婆が弾んだ声で返答した。

 しかしその直後、老婆の表情がバツの悪そうな物へと変化した。




「その……。ごめんなさい。神官様のお手をこんなくだらない事で手間取らせてしまって」



 やけに仰々しく感じられた老婆の治療だが、別に行われていた事は大した物ではない。

 不治の病や大きな怪我の治療という訳では無く、肩こりや腰痛などの治療である。

 そしてそんな行為を、溢れんばかりの神聖さを醸し出している女神官にやらせてしまった事が老婆の恐縮の理由であった。



 ……少女の神官としての地位が7本線である事を考えれば至って妥当な行為であるし、そもそもそう言った施術に対する寄付と言う名の料金も、教会の飯のタネなのだから遠慮された方が困る話ではある。

 しかし、老婆の心境を現代地球的な例で分かりやすく説明すれば、マッサージ屋に行ったらロー○法王が出てきてマッサージしてくれた。位の感覚なのである。

 恐れ多い所の話ではない。

 そんなこんなで只管に低姿勢になっていく老婆に、神官の少女は優しく微笑んだ。



「そんなことありません!皆様の笑顔を見る事こそ私にとっての至上の喜びです。それにお婆様が必死に生きて来た軌跡への手伝いですもの、くだらない事である等と私は欠片も思いません。ささやかながらも力になれた事をとても嬉しく感じます」



「神官様……!」



 告げられた少女の言葉に、老婆が大きな感動に包まれる。

 勿論、言葉でそう言っていても、実際にどう思っているのかを知る術は老婆には無い。

 しかし少女の浮かべる柔らかい笑顔は、本当に心の底からそう思っている者でなければ浮かべられない物だと、老婆には思えたのだ。

 少なくとも、少女の正体が素晴らしい善人か、凄まじいまでの女優のどちらかなのは確実であろう。

 なにせ、未だアルケーの街に来てから1ヵ月半程度の女神官であるが、誰が相手でも心優しいその態度と、卓越した回復術の腕で、既にかなりの信用を得ている。

 良くも悪くも注目されやすい容姿をしているのに、これと言って悪い話が聞こえてこないというのは、かなり信頼性の高い情報だろう。



「本当に、今日はありがとうございました」



「また何かありましたら、何時でもいらして下さいね」




 最後まで恐縮しながら老婆が部屋を退出した。

 これで、表面上は・・・・部屋の中に神官の少女が1人となる。

 人目が無くなったにも関わらず、少女の顔から楽し気な笑みが消える事は無かった。

 つまり少女の本性は、女優の方では無く、善人の方であったのだろう。

 少女は自分がたった今、感じている思いを傍にいる・・・・友人に率直に伝えた。




『回復の術に心地よくなる効果を付与して大正解でした。気持ち良くなっているお婆様の顔、とってもエッチでした……!』




『無敵か?お前?????????????????????』


 


 ええ。はい。

 何時ものクリスちゃんド変態です。

 ほう。と頬を紅潮させるクリスの姿は、どことなく扇情的で魅力に満ち溢れていたが、そんな印象が軽く吹き飛ぶほど発言がヤバい。

 新しい環境に来ても、本質的には何にも変わらずに平常運転を続けるクリスの様子に、デザベアは、はあ、と溜息を吐いた。




*****




「それにしても……」



『あ?』



 何時もの発作変態発言を終え、クリスが少し憂鬱気に呟いた。



「ああやって、こう、なんと言うか……。偉そうな雰囲気を出して誰かと話すのは、やはり少々気が乗りませんね。私としてはもっと親しみやすさを重視して行きたいのですけれど」

 


 そもそも、この町に来た当初はそう言う感じで人と接していたのだ。

 そしてその態度は上手く行き、元気で人懐っこい神官の少女として周囲の人間に受け入れられた。

 そう、受け入れられていたのだが…………。



『仕方が無いだろう。お前自身が皆の前で、本当の雰囲気を出しちまったんだからよ』



「うぅ……」



 日にちにして、丁度2週間前の事。

 このアルケーの街でとある事件・・・・・が起こった。

 そしてその結果、それなりの人数がかなりの重傷を負うことになったのである。

 その怪我人ら自体はクリスが治療したことで何ら問題なく完治した。

 後遺症が残った者も、死亡した者もいない。

 それにより事件自体は解決したが、ちょっとした問題?も発生した。



 そもそもクリスは、周りに無用な混乱や威圧を与えないように、このアルケーの街にやって来て以降、神がかった雰囲気や魅了の力が己から勝手に出てくるのを、意識的に封じていた。

 しかし事件により発生した怪我人たちの治療が、デザベアの協力抜きで使える力的にギリギリであったため、それらを封じている余裕が無くなってしまったのだ。

 それでも、問題がより面倒なことになる魅了の方は必死に封じたのだが、その所為で超常の雰囲気はダダ漏れになってしまった。

 結果、それを目撃した人の中で、信心深い者たちは、先程の老婆の様な神々しい者に接する様な態度をクリスに取り始めたのである。



 クリスとしては、そうやって敬われるよりは気安く接して貰える方が嬉しかった。

 呼び名1つをとってもそうである。

 クリスとかクリスちゃんだとか、卑しい雌豚だとか、親しげに呼んで貰った方がクリスとしては嬉しい――特に一番最後の呼び方がオススメだ。




『ハッ!あの手の輩は偉い者に傅くのが大好きなドマゾなんだから、好きにさせてやれよ!!』




「口が悪いですよ。ベアさん」




 相も変わらず口を開けば皮肉が飛び出してくるデザベアに、クリスが苦言を呈す。

 信心深いのは決して悪いことでは無いし、しかも……と話を続ける。




『それに、マゾとして跪きたいのはどちらかと言えば、私の方です!!』




『あの、態々念話を使ってまでセクハラ発言をしてくるの止めて貰って良いスか?????????』



 天使と悪魔的な、片方が良心で片方が悪心で話しているのに、良心側が突然ヤベー奴になるのは止めろ!!とデザベアは疲れた様に呟いた。

 そして、クリスのこう言った発言に付き合っていると、それこそ永遠に止まらないと分かっている為、話の路線を強引に元に戻した。




『とにかく、だ!!悪いことじゃ無いってんなら尚更注文通りにしてやれよ。この程度で音を上げてちゃ、【聖女】なんて遥か遠いぜ?それに、ああやっていた方が、心身的には楽だろう?』




「まぁ、それはそうなんですが……」




 一見、庶民的な性格の人間が、偉い人間の性格を演じている勘違い物的に見える構図。

 確かに、性格的な面で言えば、正しくそうなのだが、魂の性質的に言えば、ああやって超然としている方が本質に近いというのがクリスのややこしい所である。

 それに性格の面も偉そうにするのが苦手、と言うだけで、発言そのものは思ってもいないことを言っている訳では無いのだ。

 勘違い物なのか、そうで無いのかの境界線を行ったり来たりする女。それがクリスであった。



『ま、結局の所、なるようにしかならんだろうさ。そんなに気安げに接されたいなら、今現在そう言う態度を取ってくれてる者たちが変わらない様に気を付けるんだな』




「確かにそうですね。相談に乗ってくれて、ありがとうございます。ベアさん」



『へいへい』



 最後には意外にもまともなアドバイスをしてくれたデザベアに、クリスはお礼を告げる。

 時間にしては数分そこらか、これはこれでクリスにとって楽しい時間であった。



*****


 デザベアとのちょっとした会話を楽しんだ後、クリスは更なる仕事を求めて個室から退出した。

 こうして聖神教の神官となるまでは、一体神官たちがどんな仕事をしているのか説明を聞けども実感は湧かず、日本でのイメージだけで、祈ったりしてるのだろうか?と漠然と思っていたクリス。

 しかし、実際に神官と成って分かったのは、この世界のこの時代において、神官と言う職業はかなり忙しい、という事だった。



 まず前提条件として、この世界においては人間に対する特殊な外敵が存在する。

 廃呪カタラ。人を、地を、水を、汚し穢す呪いの塊。

 聖神教の神官の仕事とは、基本的にその廃呪の悪影響を取り除く事と言って良い。


 世に満ちる悪い気の所為で、治りの遅い怪我や病の治療。

 廃呪を近寄らせない聖なる結界の展開と、その管理。

 穢れた土地や、水の浄化。

 軽く例を挙げただけでも、どれだけ重要な役割であるのか説明するまでも無いだろう。

 仕事など幾らでも存在していて、常に手が足りていない状況である。

 よってクリスに何時までも休憩している気など皆無であった。



「神父様。午前の治療が終わりました」



「どうもご苦労さまです。クリスさん」



 先の老婆を含め、幾人かの治療を終えたクリスを出迎えたのは、男物の法衣に身を包んだ優し気な初老の男性であった。

 名前を、ジャン・スィニス。

 聖神教の信徒であり、このアルケーの町の教会の管理を任されている神官である。

 位階を示す線は5本。

 柔らかい物腰で、町の人間に信用されている人格者である。



 因みに、この町に居るルークの知り合いと言うのも彼の事である。

 アレン達が移住するのに骨を折ってくれた上、聖神教の神官と成った己の事を何かと気にかけてくれるジャン神父に、クリスとしては頭が上がらない。




「もっと休憩をとって頂いて、構いませんよ?」

 



「ありがとうございます。でも、じっとしていると落ち着かなくて……」




 えへへ……。と笑うクリスにジャンが苦笑する。



 ジャンにとってクリスは、良い意味で少し困った子であった。

 教会の仕事……と言うより、人の役に立つ事に対する意欲が高すぎるのである。

 それ自体は間違いなく良い事で、クリスの美点ではあるのだが、放っておいたら永遠と仕事を止めない為に、周囲としては彼女の体調が気にかかるのは当然の事であった。クリスの体が弱いと知っていれば、尚の事。



 それに体が弱ければ、普通は激務など体力的に出来ない筈なのだが……。

 普通の理由では無く、魂と肉体の格の差と言う前代未聞の理由で弱っているのがクリス。

 よって彼女は、体が弱いが頑丈で、体力が無いがスタミナがある。なんて意味不明な状態なのである。

 簡単に体調を崩し、少しの運動で息を切らす癖に、回復力は高く、馬鹿げた精神力も相まって激務だろうがなんだろうがこなせてしまうのである。

 周りが心配するのも分かろうという物。




「ふむ、そうですね……」



 だからといって無理矢理休息を取らせれば良い、と言う訳でも無いのが困った所だ。

 勿論、流石に度が過ぎている場合は制止するが、そうで無い限り、人の為になりたいと言う優しく清らかな思いを無下に押さえつけるのもどうか、と言う話である。

 それに、世知辛い話ではあるが、アルケーの様な小さな町の教会に、意欲も実力も高い人材を遊ばせておく余裕は余り無い。

 結局の所、ジャンに出来るのは、意志の強い若さに満ち溢れた少女に、年長者として彼女が潰れてしまわない様に、しっかりと考えて仕事を割り振る事であった。



 ――結局、彼女・・の言う通りになりましたね。


 ジャンはそんな風に内心で苦笑しつつ、クリスへと話しかけた。



「ではクリスさんには、町の結界の見回りに言って貰いましょう――彼女・・と一緒に」



「――彼女」



 ジャン神父の言葉にクリスがオウム返しをしたその瞬間。

 彼女に対して、背後から極めて楽し気な声色の声が投げかけられた。



「クーリス~ぅ♪」



 同時にクリスの背中に与えられる柔らかい感触。全身を包み込まれる感覚。

 要は誰かに突然、背後から抱きしめられたのである。それにより、クリスの口は可愛らしい小さな悲鳴を発した。



「きゃっ!」



 尚、表面上はこんな感じのクリスであるが――。




『わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!!!柔らかいですっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!いい匂いがします!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』



『うるせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!』



 口では静かにしつつ、念話では大騒ぎすると言う、この1ヵ月で無駄に鍛えられた無駄のない無駄なスキルが炸裂していた。

 脳内で鳴り響く大音量に、デザベアが怒鳴り返した。



 それは、サラッと流した上で、クリスは抱き着いてきた相手の対応を笑顔で始めた。




「どうしたんですか?カナリア」




「えへへ。クリスと長い時間離れ離れになってたから寂しくなっちゃって」




 突如、クリスに抱き着いてきたのは1人の少女であった。

 やはり、聖神教の法衣を着た、クリスより高い160cmに近い身長の、どこか活発そうで、それでいて少女らしさも損なわれていない可愛らしい茶髪の少女。

 名前をカナリア・カフェ。

 今年で15歳になるこの町産まれの聖神教の女神官である。位階線は5本。



 クリスがアルケーの町にやって来て凡そ1ヵ月半。

 様々な人と親交を結べた訳であるが、その中で最も仲良くなった相手を選べと言われた場合の答えが、このカナリアと言う少女であった。

 基本礼儀正しい筈のクリスが、(肉体的には)年上のカナリアを当人たっての希望で呼び捨てにしていることからもそれは伺える。




「長い時間って、今朝会ったばかりじゃないですか」




「私、数時間おきにクリス成分を摂取しなければ命が危ないカ・ラ・ダになっちゃったもの。だからこうやって補給させて?」 




「もうっ。そんな冗談ばっかり!はい、どうぞ。では、しっかりと補給して下さいね?」



 クリスの体に擦りつくカナリア。

 内面はさておいて、絵面だけで言えばとても華やかであり、仲の良さが伺える。

 ……いや、これは仲が良い、と言うより仲が良すぎる、と表現した方が適切かもしれない。

 この僅かな時間のみで、もうスキンシップの量が過剰に見える。

 


 内心で狂喜乱舞している事が、最早説明するまでも無く明らかな変態大魔神クリスの方は平常運転なのでさておくが。

 一般人の筈のカナリアの態度には些か疑問が残る。

 最終的には人に寄るが、同性であっても、いいや同性だからこそべたべたと距離感が近すぎるのは珍しい部類だろう。 

 ではカナリアがその珍しい部類の人種であるのかと言えば、それも違う。



 クリス以外に対するカナリアの距離感は、同性異性問わず、普通である。

 もっと言えば、ほんの2週間程前まではクリスに対する態度も、こんなものでは無かった。

 ぶっちゃけその時の彼女はクリスの事を嫌っていたので、普通どころか険悪であり、その態度も無視までは行かないが、かなり刺々しかった。


 

 その時期の彼女のクリスに対する態度の一例を見てみよう。





「私、忙しんだけど。大した用でも無いのに話しかけないでくれる?」



「ふんっ。悩みも何も無さそうで羨ましいわ」



「幾ら女同士でもベタベタ、ベタベタと……。貴方には、”節度”と言う物が無いのかしら?」


 

 等々、である。



 これはキレている。キレまくっている。触るもの皆傷つけるキレたナイフである。

 私、貴方の事。気に入らないんですけど??????と言う感情が、とても良く伝わって来る。



 尚、現在――







「えへへ、クリスぅ~」




「もうっ!カナリアったら甘えん坊さんですね」




 ベタベタだ。ベッダベタだ。髪にくっついてしまったガムぐらいベタベタだ。

 2週間前の彼女がこの光景を見たら、???????????????????と大量の疑問符を頭の中に浮かべて卒倒するだろう。

 私、貴方の事が大好きです!!!!!と言う感情が、とても良く伝わって来る。



 と言うか、有り体に行ってしまえば、友情のスキンシップでは無く、恋情の触れ合いだった。

 もう、何か目の色が明らかに違う。コイツ、絶対発情してるんだ!って感じである。 



「コホン」



 仲良きことは美しきかな、と静観していたジャンだったが、流石に何時までもそうしている訳にもいかず、2人の注意を引くために1度咳ばらいをした。



「あ、申し訳ありません。神父様」



「ごめんなさい。ジャン神父」



「いえいえ。仲が良いのはとても宜しい事です。ただ、少し私に話す時間を下さい」



「はい」



 ジャンは、中断されていたこれからクリスに割り振る仕事の話を再開した。



「先ほども言いましたが、クリスさん。街に張られた結界の巡回をカナリアさんと一緒にお願いします。何せカナリアさん当人からのお願いでもありますし」



「カナリアが?」



 きょとん、と小首を傾げたクリスに、悪戯がバレた子供の様な笑みを浮かべながらカナリアが事のネタ晴らしをした。



「クリスったら絶対追加のお仕事がしたい!って言うと思ったもの。だから神父様に、クリスがそう言ったら、一緒に見回りをさせて貰えないか?って頼んでたの!」



「言う事が簡単に予測されていたみたいで、少し恥ずかしいです」



 ぷく、と頬を膨らませるクリスに、もじもじと己の指と指を絡み合わせながら、カナリアが答える。



「容易い事ではないわ。深く、深く、心が通じ合っている私たちだから出来るのよ」



「仲良しさん、ですね!」



『この馬鹿の性格を知っていれば、誰でも予想出来るぞ』


『ベアさん、ステイ!』



 クリスとカナリアの姦しいやり取りを微笑まし気に見つつ、ジャンが締めの言葉を発した。



「という事なので、お2人で仲良く結界の見回りをお願いします」



「はい!分かりました!」



「はい。”とても仲の良い”私たちに任せてください!」



 クリスが無理をし過ぎない為の気晴らしも兼ねて、2人で楽しく見回りをしてくれれば良い、と考えてジャンは2人を送り出した。

 いや、勿論とても重要な仕事であるから。気を抜いて良い物では無いのだが。


 しかし、基本真面目で、仕事に手は絶対に抜かないクリスと、(クリスの事以外は)品行方正なカナリアの2人である。

 少し気楽にやる位で、漸く他者の真剣と同じだろうと、ジャンの心の中に心配は全く無かった。



そうして、町を歩き回る2人だが――。


 

 ――ある時は、アラサーくらいの主婦が、溢れんばかりの感謝と共にクリスに話しかける。



「ああ!クリス様。その節は、癒しの奇跡をどうもありがとうございますっ!貴方がいなければ、夫は――」



 クリスは笑顔で応答する。




「いえいえ、力に慣れたのであれば嬉しいです。何時までも夫婦仲良く幸せで居て下さいね?」



「本当にありがとうございました!」



 去っていった主婦の様子に、カナリアは我が事の様に喜んだ。



「流石だわ、クリス。あれからクリス指名の治療を求める人が一杯だものね!」



「(エッチな顔が見たいから)少し心地よくなる様にしている以外は、他の方の治療と然して変わりは無いのに、私だけが賞賛されるのは少し居心地が悪いのですが……」




「いいえ!そんな事ないわ。回復の腕以上にクリスからは一緒にいるだけで安心する空気が流れてるもの」



 大袈裟に褒め称えてくるカナリアに、少々困ったような笑みを浮かべるクリス。



「それこそ、そんな事は無いですよ」



『そうだよなぁ、お前から出てくる空気なんざ、変態イオン位だぜ』



「……………………」



「ううん。だって今、こうしてクリスと話しているだけでも、体の奥底から熱が溢れてきて、全身がポカポカしてくるもの!」



「もうっ!大袈裟ですよ!」



『それはただ、サカってるだけなんだよなぁ……』



『ベアさん。うるさいです!!』





 ――ある時は色とりどりの野菜と果物を並べて売っている店の、店主に呼び止められる。




「おう、2人とも!結界の見回りかい?精が出るねぇ」




「こんにちわ。おじ様。はい。そうなんです。カナリアに色々と教わっているんです」




「へえ、カナリアちゃんも良い先輩をやってるんだなぁ」



「この町で”1番”クリスと、”深い仲”の私としては当然の事よ、おじさん」




「ははは、そうかい!それじゃあその仲を祝して2人に俺からのプレゼントだ」



 そう言うと店主は、2人に瑞々しい赤色の果実を差し出した。




「あれ、良いの?ありがと!おじさん」



「そんな、悪いです」



「いやいや、貰ってくれよ。正直、クリスちゃんに”おじさま”なんて呼ばれた日にゃ金でも払わなきゃ悪い気になるんでな。この位は安いモンよ!いや、マジで!!」



「もうっ、大袈裟ですよ!ですが、ありがとうございます。おじ様」




「そう、それ!!もう1個あげちゃう!!それにその、出来れば上目遣いしながら、もう1回言って貰えると」




「ええ、勿論構いま――」



 クリスが言い切る前に、カナリアが冷たい声で、ボソッと呟いた。



「…………おばさんに、言いつけるよ」



 店主の親父が大慌てで、カナリアへ詰め寄った。



「ちょっ!?冗談!冗談だから!!ほら、カナリアちゃんにももう1個やるからな、なっ!!」



「全く、油断も隙も無い…………」



 

 コント染みたそのやり取りに、クリスがくすくすっと、笑みを零した。



「あまり、おじ様をいじめては駄目ですよ、カナリア?」



「はーい」




 ――ある時は、挙動不審気味の、カナリアと同い年位の少年に声を掛けられる。




「あ、あ、あ、あの!く、クリスさん――」




「はい!なんでしょうか?」




「こここここここ、今度、僕と――」



 2人の間に、ギロリッ、と目を鋭くしたカナリアが立ちふさがった。




「ゲッ、カナリア――」




「私たち、結界の見回りと言う”重要な仕事”をしているので邪魔しないで貰えます?」



「邪魔なんて――」



「な に か ??」



「……何でも無いです」



 逃げ帰る様に少年は退散していった。




「カナリア?」



 その強硬な態度に対するクリスの疑問の言葉に、カナリアは勢い良く答える。



「ふんっ、良いのよ、あんな奴!アイツ、少し前までしつこく私に粉掛けておいてアレだもの。全く、良い性格してるわ!!」




「それは……」



「あ!クリスはまっっっっったく気にしなくて良いのよ!寧ろ、面倒な奴を押し付ける形になって、此方の方が悪い気がするわ。ただ、何が言いたいかっていうと、クリスにはあんなのじゃなくて、もっとお似合いな人がいると思うの!」



「お似合いな人、ですか。例えばどんな人でしょうか?」




「え、えぇっ~。そうね!」



 体をくねくねと、くねらせながらさせながら、カナリアが自分の意見を述べる。




「クリスは、しっかりしているけど、人が良すぎる所があるから、やっぱり似合うのは同じくしっかりしている人じゃないかしら、他意は無いけど!!」



「しっかりとしている人」



 因みに関係があるかは知らないが、カナリアは産まれて15年、しっかりしてるね。と言われ続けて来た。




「それに、頼りになると言ったらやっぱり年上で先輩よね!でもあまり年が離れすぎているのもどうかと思うから、5歳くらい年上の先輩が良いんじゃないかしら!他意は無いけど!!」



「5歳年上の神官の先輩」


 やはり関係があるのかは分からないが、カナリアはクリスの5歳年上だ。



「あと見た目的な話で言えば、クリスの綺麗な白髪に似合う相手は茶色だと私は思うわ!他意は無いけど!!」



「茶髪」


 きっと関係ないとは思うが、カナリアは茶髪である。



「でもやっぱり一番重要なのは気が合うかどうかよね。性別問わず!!!!気が合う相手なのが重要だと思うわ。例えば楽しく一緒に散歩出来る人とか!!他意は!!!!!無いけど!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



「性別問わず」



 関係無いったら無いのだ。



「有難く参考にさせて貰いますね」



「!!!!!!!ええ!是非、参考にしてね!!!!!!!!!!!!!!!」




 そんなこんなで、結界の見回りを続けていたクリスであるが、見ての通り極めて人気が高かった。

 行く先々で好意的な言葉を次から次へと投げかけられる。

 感情の種類は様々であったが、表に見える限りはどれも良い物ばかりで、この町に来てから未だ1ヵ月半程度だとは思えない程に、クリスは町に受け入れられていた。




*****


 そして結界の見回りを終え、その後にも細かな仕事をし、クリスが帰路についたのは、結局陽が沈んでからの事であった。

 その足で向かったのは、町の外れにある一軒家であった。


 この家は、元の持ち主が居なくなって空き家だったのを買い取って、アレン達と共にクリスが住んでいる家であった。

 街に来た当初は蜘蛛の巣が張っていて、中もすっからかんだったが、今となってはかなり住みやすい家になっている。



「ただいまですっ!」


「お帰り、クリス」


「ああ、お帰り」


「お帰りなさい、クリスちゃん」



 アレン、エレノア、ルーク。見知った顔ぶれがクリスの帰りを出迎えてくれる。

 アルケーの町に来て、クリスは神官になり、アレンとルークは冒険者として町の外へ、エレノアは基本的に家中の仕事、とそれぞれ別の役割を果たし始めた。

 故に、かつて居たヒュアロスの街で程、互いにコミュニケーションを取れてはいない。


 しかし、それで疎遠になったか?と言えば、当然、否だ。

 この4人に、少し忙しいからといって他者を邪険にする者など1人もおらず、なればこそ未だ変わらぬ温かい関係がそこにはあった。


 唯一、変わった事があるとすれば、新たな町に移動するのにおいて、クリスの事をルークの娘だという事にした位だろう。

 なので、クリスは彼の事をお父様と呼び始めた。

 ……ついでに、娘としてお背中流します!!!!と、これ幸いと風呂に乱入しようとして、勿論取り押さえられた。



「さ、ご飯出来てるわよ。一緒に食べましょう?今日はどんな事をしたのか聞かせてね?」



「はい!今日はカナリアと一緒に――」



 笑顔に溢れる、光り輝く時間が過ぎていく。



*****


 そして、夜も更けてクリスは自分に与えられた個室に入った。


 因みに、極めてどうでも良い情報だが、スラム街や宿屋での生活では我慢していたが、クリスは寝る時全裸派である。

 薄いコンフォーターを体に掛けただけの状態で、ベッドの上でゴロゴロとしながら、クリスはふと、この1ヶ月半の総括をデザベアに吐露した。



「ベアさん。皆さんの役に立って沢山の希望を集めると言う目標が、全然達成出来ていません!一体どうしたら良いのでしょうか……」



『意識高すぎィィイ!!!!!』



 デザベアは吹き出した。

 訳の分からんことを言い出したクリスに、身に染み付いてしまったツッコミ癖と生来よりの煽り癖が炸裂する。



『え、何?お前、いつの間にか盲目と難聴になったの?散々慕われてたけど見えてないの、聞こえてないの???それともあれか、そういう謙遜風の自慢か何かか??』



「いえ、そういう訳では無いんですが……」



『じゃあどういう事なんだよ』



「そりゃあ昔の、力を自覚していなかった時の事を思えば、自分がしている事が普通に考えれば凄い事だと知識では分かります。ただ……、全く己の力を出し切れていない現状を思うと、感覚的には自分が上手く出来ていると全く思えないんです」



『ほーん。成程。そういう事ね』



 日本に居た頃は力に目覚めておらず、(自分の認識的には)一般人だったクリスだ。

 その時の常識と照らし合わせれば、自分がしていることが他の人にとっては凄まじい事だと知識では分かるし、そこの所をすっとぼけている訳でもない。

 しかし今の彼女は、本来出せる全力から見れば極めて弱体化した状態にある。

 仮に今の体で扱える限度の力だけでも反動を考えずに使えば、(デザベアが幾度も死線をくぐり抜ける羽目になるが)時間はかかるだろうが極めて危うい状態にあるこの世界の現状を、救うことが出来るだろう。

 元の体で本当の全力を出せるのならば、おそらく秒もかかるまい。

 それが分かっている所為で、クリスは感覚的には自分の行動の成果を凄いことだとは、まるで思えないのだ。



 例えば普通に教養の有る大の大人が、小学校低学年の算数の問題を解いただけで、君は天才だ!!!と大袈裟に褒められて喜べますか?という話なのだ。

 もし仮に、そう言った知識の無い異世界に転生して、周りから見ればそれが本当に凄い事であったとしても、だ。



「正直、皆さんに褒められる度に、嬉しさより申し訳無さと恥ずかしさが湧いてきて……」



『ふむふむ』




 今のクリスの現状を、常人の尺度で語るのなら、1+1は2!と答えただけで、町中から祭り上げられた様な物だった。

 羞恥で死ぬ。


 そんなクリスの考えを、デザベアも理解した。



『そうだな、俺から言えるのは1つだけだ――』



 そう。そんなクリスにデザベアが伝えるのは、たった1つのシンプルな答えだ。



『ザッマァアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!Foooooooooooooooo~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!』



 それはもう良い笑顔を浮かべていた。

 完全に頼りにならない時のデザベアである。

 むかっ!と、頭に怒りマークを浮かべた姿が幻視出来そうな状態のクリスが、デザベアの体を掴んだ。

 何時もならば全身シェイクをされる流れ。

 しかしデザベアも何時までも成長しない訳では無い。

 この状況に対する対策は講じてきたッッ――!!



「…………」



『おっ!なんだ暴力か!DVデビルバイオレンスか??クリスさんわぁああああああああ、都合が悪くなると腕力に訴えるんですかぁあああああああああああああああああっっ?????????????????????????????』


「むぅ」



 先んじて煽るッッッ!これがデザベアの秘策――!!

 たった1つの冴えたやり方――!!

 そしてデザベアの思った通り、クリスの手が止まった。

 


 ――勝った!!第2章完――!デザベアは己の勝利を確信した。



「そんな事言うベアさんはこう、ですっ!!!」



『わぷっ!?テメェ、一体何を――』



 しかし、何を思ったかクリスがデザベアの全身を抱きしめた。



「ストレス解消の抱き枕――!!」



『ヤメロォオオオオ!!胸に!!挟むな!!暑苦しい!!息苦しい!!!!!!』



「あははっ。あんまり暴れないでくださいベアさん。くすぐったいですっ!…………………………いや、でもこれ何か気持ちが良――――」



『サカるナァアアアアアアアア――!!!キャァアアアアアアア、誰か!誰か、男の人を呼んでぇええええ!!!変態に!!ド変態に犯されるぅううううううう!!!』



「し、失敬な――!!そんな事しませんっっ!!!」



『じゃあ、とっとと離せやあああああああああ!!!!!!!!!!』



「だ、だからそんなに暴れると、んっ!やっぱりこれ気持ち良………………………ベアさんとはもっと仲良くなりたいと常日頃から思っていました――!!」



『調子の良い事言ってんじゃねぇえええええええええ!!!!!!!!ウォオオオオオオオオ、唸れ!俺の魂ィイィイイイイイ!!!!!』



「あっ!逃げた!!!もっと気持ち良く――コホン。仲良くなりたいのにっっ!!」



『やめろ!!追ってくんじゃねぇっっ!!!!!!!!』



「何もしませんから!!!!!一晩中抱きしめるだけですから!!!!!!!!」



『シねぇえええええええええええッっ!!!!!』



 2人のとても仲の良い夜は、穏やかに?過ぎていった。



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