016-2 光の星
予想が付かないのが現在のニフトの反応だ。
彼女がした事は決して許されることではない。
しかし、事の善悪を除いて今のニフトの状況を考えれば、必死に組み立て、大きな困難と試練を乗り越えて達成した目標が、突如現れた意味不明な怪物にぶち壊された様な物である。
それ自体は些か哀れではある。
だからこそ、ニフトはどんな感情をクリスへ向けているのか。
理不尽に対する怒り?憎悪?悲しみ?
否、そのどれでも無かった。
「嘘……。こんな事、が」
ニフトのその顔は
無論、顔の造形と言う意味では無く、浮かべた表情が、と言う話である。
それはつまり、絶望的な状況で、救いが目の前に現れた時に浮かべるような表情である。
例えば、仄暗い水の底で溺れて、溺死しかけるその寸前に、地上に引っ張り上げられたかの様な。
ぽかん、と呆然としながら、しかし今にも泣きだしそうな、そんな顔だった。
妖艶で大人らしい筈のニフトの姿が、今はまるで迷子の童女の様にすら見えた。
しかしそれでは話が通らない。
彼女は今、曰く恨みに恨みぬいて漸く殺した怨敵を、簡単に蘇らせられたと言う状況である。
怒るべきだろう。憎むべきだろう。
だと言うのに何故、ともすれば母親が生き返ったアレンよりも尚、救われた表情を浮かべているのか。
「貴方、は、何に、絶望、して、いる、の?」
取り合えず分かる事は1つだけ。
ニフトは
そして、クリスの存在がその絶望に対する救いとなる可能性があるのだ。
でなければ、こんな表情を浮かべる筈も無し。
「――ぁ。っ!ま、まだですっ!!」
クリスに問いかけられて我に返ったニフトは、大慌てで現在の状況に対する行動を開始した。
勢いよく後ろに飛び下がって、クリスから距離を取る。
それと同時に、クリスに一部が破壊されたとは言え、未だ健在だった白繭の檻が溶ける様に消えていく。
諦めた?いいや、これは寧ろ逆。
本気を出すための準備であり、他者の横やりが入るまでの間に決着を付けると言う決意のあらわれでもあった。
「【廃呪王】より賜った力。此処でその全てを見せてあげましょう――――!!」
気合の言葉と共に、ニフトの周囲より、これまでで最高の量と濃度の黒い鱗粉が発生する。
その鱗粉より1体の蛾の廃呪が顕現する。
これまで何度もやっていた事?確かに行為その物はそうだろう。
しかし、違う。
顕れ出でる廃呪の質が余りにも違い過ぎる。
これまで、ニフトが発生させていた蛾の廃呪の大きさは、人間大から大熊程度だった。
数字で表せば、2mから4m超の間と言った所か。
無論それでも、怖気が走るような怪物である事は言うまでもないが、 しかし今、正に顕れようとしている1体は桁が違い過ぎた。
どう少なく見積もっても、全長数百m超。下手をすれば、kmにすら達しているだろう。
「これ、は……」
その姿を見て、クリスは一寸した既視感を覚えた。
(モ〇ラ…………?)
特撮映画に出てくるような巨大怪獣ならぬ、巨大怪蟲
この廃呪を簡単に言い表せば、それであった。
映像世界の中では1国を存亡の危機に貶めるレベルの戦いに参戦する怪蟲、問題はそれが現実に顕れたという事である。
「■■■■■■■――!」
召喚された巨大怪蟲が、奇妙なる雄叫びをあげて、その羽根を羽ばたかせる。
それと同時に強力な毒と呪いに満ち溢れた鱗粉が、余りにも大量に周囲へと振りまかれる。
「回復には随分と自信がお有りの様ですが、戦いに関してはどうでしょうか!!」
「……………………」
クリスに対して、挑みかかるような言葉を投げかけるニフト。
しかし、その言葉の勢いの割に、そこに自らが勝利したいという意思を感じ取ることは出来なかった。
抱いた希望が張りぼてでは無かったと、信じたいから。
だから、どうか倒して欲しい。ニフトがそんな風に思っているようにすら、クリスには感じられた。
「
クリスにはニフトの言葉がそんな風に聞こえたから。
「――いい、よ。救っ、て、あげる」
だからこそ、その祈りは歌うように、唄うように、詠うように。
淡々と、平然と。
されど何処までも深々と、澄み渡るように世界へと落とされた。
「【星よ、星よ、星よ――」
「う、そ」
ニフトが呆然と空を見上げた。
これから戦闘を始める時に、途轍もない隙であるが仕方がないだろう。
何故ならニフト以外もそうだったから。
エレノアに縋り付いて泣いていたはずのアレンも。
襲撃から避難していた街の人間も。
遠く離れた街や村の人間も。
動植物、果ては廃呪まで。
この国に存在している全ての命が、誰も彼も呆気にとられて空を見上げていた。
――だって
何十万キロもの大きさの輝く星が、天蓋に悠然と鎮座している。
その星は、目を眩ませる程に、白く、白く清らかに光り輝いて、ありとあらゆる穢れを祓い清める聖性に満ちていた。
されど、危険性は一切感じられず、見ている者の全てが、まるで母親の胎内にいる時の様な安心感を味わっていた。
「は、はは……。あはは……」
見せつけられた驚天動地に、ニフトが乾いた笑いを零す。
自らが召喚した、巨大怪蟲めいた蛾の廃呪ですら、これと比すれば唯の蛾、いいやプランクトンにすら劣る程度の存在感すら持てないだろう。
嗚呼。だがしかし、これでどうやって攻撃するのだろうか、そんな風にニフトは疑問を抱いた。――いいや、自分を誤魔化した。
分かっている。ニフトにだって分かっている。
上空に浮かんだ巨大な物体による極めて
………………けれども、本当に?
本当に
そんな風にニフトが放心する最中。
クリスはアッサリと
「――――墜ちろ】」
「――――ぁ」
天より、星の鉄槌が振り下ろされた。
地上が白白と塗りつぶされる。
その
「こんな……。こんな事、って」
白昼夢でも見ているかの様な光景。
しかし、ニフトを真に驚愕せしめたのは、今の
確かに今の一撃の威力は凄まじかった。
どう少く見積もったとて、同等の質量の隕石による衝突の威力は下回らないだろう。
即ち、国の消滅どころか、
けれども本当に恐ろしいのは、それほどの衝撃があった筈なのに、自分の身に何も影響が無い事だ、とニフトは思う。
召喚された巨大蛾や、周囲に居た廃呪は跡形もなく消し飛んでいるのに、それ以外の者は、それこそ虫1匹にすら危害が加わっていないのだ。
いや危害が加わっていない所か、これは――
「う、そ。癒やしの力も込められて――」
アレンや、その傍に倒れているルークの体についていた傷が完全に治っている。
言わずもがな、今の一撃の効果だ。
あろうことか、攻撃と同時に回復すら為していたのだ。
「あ、の」
「!?」
クリスの呟きに、ニフトがびくっ!と体を震わせる。
しかし、震えているのはクリスも同様だった。
「攻撃、あま、り、得意、じゃ、なく、て。ご期待、沿え、なかっ、たら、ごめん、なさ、い」
「――――――――――――――――――――――ぇ?」
クリスは震えていた。
自分の攻撃のあまりの
今しがたの一撃の効力は、日本列島を覆い尽くす位の面積に居る廃呪を分子レベルで浄滅させて、ついでにその範囲内に居る人間の瀕死レベルまでの怪我や病を完治させた
しょうもない。余りにもしょうもなさ過ぎる。
自分は攻撃が得意では無いと分かってはいたが、それにしたってこれは酷すぎる、とクリスは戦慄していた。
救ってあげる(キリッ)とか言っておいて、この体たらくは余りに酷い。
まるで、「自分、パンチングマシンで150くらい出せるから」、とかイキった挙げ句、微妙な結果に終わった様な感じだ。
やだ、私の攻撃ショボすぎ――!?
そんな風にクリスは激しい羞恥に襲われているのである。
だって範囲内の廃呪を排除したと言えども、精々地表を焼き払った位の事で、また暫くすれば出現してしまうのだ。
幾ら攻撃が苦手と言っても、せめて元の体のままで、全力を出せる状態だったなら、
恥ずかしい。これは恥ずかしい。
街中でストリップしても、興奮はするだけで全く恥ずかしくは無いクリスだが、今は羞恥で顔を紅く染めていた。
何?十分凄い一撃だったと?
その証拠に、巨大怪蟲を倒せただろう、と?
――――蟻1匹踏み潰した程度の事を誇らしげに語る人間など居ない。
それと全く同じ事。
「アハハ、アハハハハハハハハッッッ――」
泣き笑い染みたニフトの大笑が辺りに響く。
此処に救いの奇跡がある事は、最早疑いようもなく。
「本当に、本当に感服致しましたわ。心の底から、誤魔化し無く」
「なら、色、々。説、明。して、くれ、る?」
「そうしたいのは、本心から山々なのですが、残念……お迎えが来たようです」
そう呟いた直後、ニフトの存在その物が、引っ張られ始めた。
転移の兆候。何者かがニフトを呼び寄せているのだ。
「させ、ない」
対抗するようにクリスがその力に干渉する。
――だが、此処で今日はじめてクリスが動揺を見せた。
「!?――こ、れっ」
あろうことか、クリスと何者かの間で、ニフトを呼び寄せる力の鬩ぎ合いが発生しているのだ。
それは、ニフトを呼び寄せている何者かが、クリスと同格、或いはそれに伍するレベルである事の証明である。
じりじり、と少しずつニフトの存在がクリスから離れていく。
全力を出せる状態なら話は別だっただろうが、現状ではクリスのほうが不利だった。
しかし、ここでニフトを逃せば何も分からなくなってしまう。
そう思いクリスは気合を入れ直したが――。
「ぅぁっ――」
「!?」
大岡裁きの如く、存在が引っ張り合いになっているニフトが苦しんでいる光景を目にして、クリスが慌てて力を弱めた。
その事実に、ニフトが弱々しく微笑んだ。
「本当に、お優しいんですね」
そうして、ニフトの体が虚空に消え始める。
だけど、最後にニフトはクリスに言葉を残した。
「もし、もしも貴方が、皆を救ってくれるなら。どうか人の希望を集める立場に成って下さい。そうすれば、全てが――」
そうしてニフトの姿がかき消える。
最後に彼女が見せた姿と声は、憑き物が落ちたかのように穏やかで、優しげで。
まるで何処かで見た覚えがあるような感覚をクリスは覚えた。
未だ分からないことは沢山ある。
しかし、一先ず事件は終了したのだ。
「――クリス」
エレノアの体を、そっと優しく地面に置いて、アレンがクリスへと近寄る。
未だ、生き返った母親との触れ合いは足りていないが、しかし自分たちを救ってくれた友人に対する感謝も同様に大きかったからだ。
「アレ、ン、君……」
その声にクリスは答え。
――そして、血を吐きながら地面に倒れ込んだ。
「クリスッッ!!!!!!!!!!」
その華奢な体が完全に地面に落ちるよりも前に、アレンが体を受け止めた。
しかし、血が。吐血が止まらない。
ゴボゴボとクリスの口から溢れ出す紅い血が、滴り落ちて、体を支えているアレンの服を濡らした。
クリスの赤い瞳が弱々しくアレンを捉える。
「なんっ。なんで、こんな――ッッ」
「ごひゅっ。ちょっ、と。かひゅー。無理、ぎゅぁ、しち、ゃった」
クリスのその言葉に、アレンはどうしてこんな当たり前の事にすら思い当たらなかったのだ!と自身の考えの浅さを恥じた。
自分の母親の蘇生。星を落とすという一撃。
あれ程までに凄まじい力を、何のリスクも無く使える筈が無いだろう、と。
実際には、力の使用その物では無く、それによって器の崩壊と治癒の天秤が崩れたが故ではあるが……しかしそれはどうでも良いだろう。
過程は兎も角、結論は合っている。
――即ち、クリスは死ぬ。
アレン達を救った、その所為で。
「う、うぁぁぁっ、どうしてっ!どうしてそんなになってまで、僕たちを助けてくれるんだっ」
最早、男らしくあろう、と常日頃張っている虚勢を維持する気力すら無い。
アレンは自分の腕の中に居るクリスに、まるで縋りつくかのように問いを投げかけた。
「だって。――だって!!こんなにして貰えるほど、僕は君に何も出来ていない――!」
慟哭めいたアレンのその叫びを聞いて、クリスは少し目を丸くした後、苦し気に、儚げに、ぎこちなく、しかしそれでも確かに、僅かな笑みを顔に浮かべた。
「――ごほっ!友、達。助け、る。理由、要、る?」
「――――――」
その言葉に、アレンは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
分かった。
クリスだ。
クリスの様な人間こそが生きるべきなのだ、報われるべきなのだ。
自分などよりもずっと――!、と。
友人として、クリスと釣り合うような人間に成りたい。
クリスの様な人が報われる世界を作りたい。
そんな一生を懸けるに値する目標が、アレンの心の中で爆発的に溢れ出す。
だというのに。
「ぁ、少し。眠、い。――か、な」
「駄目だ!クリスッッ、駄目だっ!!!!」
眠る様に、クリスの瞳が閉じられていく。
腕に感じている筈の体温が徐々に、しかし確かに消えていく。
叶えたい夢の目標である相手が。
生涯を懸けて恩を返したいと、決意した相手が。
何も、まるで何も出来ずに、自分の手の届かない遥か彼方の取り返しのつかない遠い所に逝こうとしている。
こんな不条理があってなるものか。
アレンは強く、深く、真剣に祈った。
「お願いだ、クリス、死なないで!!僕、なんでもするからっ――――!!」
「な ん、 で、 もっ!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
クリスは起きた。
そりゃあもう、バッチリと。
「……ぇ?…………ぇっ??」
「今、なんで、もっ、て、言っ、た、よね???????」
勢い良く喋る所為で口から血が飛びまくるが、しかし今のクリスにとってはどうでも良かった。
寝てる場合じゃ無いのである、吐血している場合じゃねぇのである。
だってなんでもだ。なんでもなのだ。
なんでもって事はつまり――――なんでもって事だよ??????????
これは大変な事ですよ。とばかりにクリスのテンションはアゲアゲだった。
「あ、あのっ。く、クリス……………………?」
「あ」
可哀そうなほど混乱しているアレンの態度に、クリスが漸く少し冷静さを取り戻した。
「……………………………………………………………………………………」
「……………………………………………………………………………………」
何とも言い難い無言が、2人の間で流れる。
「…………あ、れ。私、なん、で、生き、てる、の!?????」
知らんがな。
…………一応補足しておくと、ふざけている訳ではなく、クリスには自分が生存できている理由が、本当に思い当たらなかった。
なにか、こう……、ギャグ補正的な感じで生き残った様に見えるが、当たり前の話だが現実に
幾らクリスが存在と思考のふざけたお笑いキャラでも、駄目な時は普通に駄目なのである。
アレンの言葉でテンションが上ってその意志の力で生き延びた、と言うのも無い。
そもそも、エレノアを生き返らせた時点で、クリスはとっくに限界を迎えていて、気合だけで終わりを先延ばしにしている状態だったのだ。
意志の力で起こせる奇跡など、とっくのとうに起こしていて、だからこそ更に意思を焚べた所で意味など無い。
よって結論を述べれば、クリスに自身の
そう。
「――――あ」
よってクリスは気付いた。
そもそも、自分の状況を知っていて、かつそれに対応できる者など、消去法で1人?だけだった。
「ふふっ」
「クリス?」
どうやったか。どうしてなのか。
それらは未だ全く分からないが、それでもクリスは自分を助けてくれた相手を理解した。
その答えが無性に可笑しくて、嬉しくて。
まだ混乱の極地に立っているアレンに、クリスは微笑みながら答えを伝えた。
「小さ、な。お友、達、が、助け、て、くれた、みた、い!」
少し離れた所で此方に背を向けながらプカプカと浮かんでいるその相手を見て、きっと不満げな表情をしているんだろうな、とクリスは笑った。
雲の切れ間から差し込む陽の光が、クリスには無性に気持ちよく感じられた。
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