014 悪意

 走る。走る。走る。

 息を荒げて。心臓が破裂しそうになりながらも。

 アレンは、ヒュアロスの街の中、石造りの道の上を、必死に駆けていた。



 ――あれ?自分はどうして走っているのだろう?


 なぜだか理由が分からない。頭が妙にボーッとする。

 時折視界が波打つように揺らめいて、天地すら曖昧に成ってくる。


「ひぃいいいいいっっ」


「外だ!とにかく街の外に出るんだ!!」


 今まで気づいて・・・・・・・いなかったが・・・・・・、アレンが何故だか焦りながら走っているのと同様に、道の上を走っている人間が、周囲には数多くいた。

 悲鳴と怒号を響き渡らせて、助けをひたすらに求めている。

 周囲を走っている人間の特徴的な点を1つ挙げるとすれば、彼ら彼女らは、アレンとは正反対の方向へ向かって駆け出している、という事だろう。

 街の中へと駆けているアレンの反対、即ち街の外へ、だ。

 まるで街の中・・・・・・に居る何か・・・・・から逃げている様だ・・・・・・・・・



 ――彼らは一体何から逃げているのだろう。


 息を荒げて疾走している筈なのに、どうにもこうにもぼんやりとしたままの意識の中、再びアレンは疑問に思った。

 自分が走っている理由すら分からない以上、周囲の人間の事も分かる筈も無し。

 しかしその時、定まらない意識のアレンに対し、周囲の叫び声の1つが飛び込んで来た。 


「どうして、街の中に【廃呪カタラ】がっ!?」



 ――そうだ。そうだった。 

 

 叫んだ声が男だったか、女だったかも定かでは無いが、とにかくその声を聞いて、アレンは現状を少し思い出した。

 【廃呪カタラ】だ。

 廃呪カタラが突如として街の内部に湧き出したのだ。

 理由は分からない。ただし、今度の理由が分からないと言うのは、不自然に頭がぼーっとするから、では無く本当の意味で原因の予想が付かないからである。


 通常、全ての街や、村には廃呪カタラ除けの結界が張られている。ここヒュアロスの街もまた、当然に。

 廃呪カタラを倒した際に取得できる【聖輝石】を用い、神父やシスターなどが人の住む拠点に張る廃呪カタラを拒絶する聖なる防壁。

 その強度は、結界を張った人間の力量と、使用した聖輝石の量と質に左右される為、しっかりとした備えをしていなかった街や村が、結界を破られて廃呪カタラの群れに滅ぼされること自体は、無い事ではない。

 だがその場合、結界はから破られる。

 理由も何も、結界が健在な内はその中に廃呪カタラが沸くことは無いのだから、当然のことだろう。

 だからこそ、内から外に混乱が伝わっていっている現状は明らかに可笑しくあった。

 だけどもしかし、自分の現状すら曖昧模糊としている癖に、そんな不思議な事態が発生しているという事には、アレンは確信を持つことが出来て……。



 そう思った瞬間に・・・・・・、自分の視界が広まった様な気がした。

 先ほどまでは何故か・・・見えていなかった筈の廃呪カタラの姿が、目に入る。

 


 蛾。

 長い糸の様な触覚に、鱗粉をまき散らす羽。

 街に現れて人に襲い掛かっている廃呪カタラ。その姿に一番近い生物は?とそこいらに居る人間に問えば、返って来る答えは、ほぼ間違い無く蛾であった。


 ただし、至って普通の蛾の姿その物――なんて事は当然ながら有り得ない。

 まずその全身は、嘗てクリスが出会った【球体スフェラ】と同じく、正体不明の黒い何かで構成されている。

 そして何より目を引く最大の相違点は、その身長。

 普通の蛾は通常、どれだけすくすくと成長しようとも、人間の手より大きくなることなど無いが、この廃呪の蛾のサイズは、人間大を確実に超していた。

 個体差はあるが、凡そ2m超から3m程まで。

 そんな巨大な蛾が、幾匹も頭上を飛び回って、襲い掛かって来る事に対する恐怖は一体如何ほどか。

 普通の人間であっても震えあがる代物である事は確かだが、特に虫が苦手な人に対しては、冗談抜きで一目で失神や失禁しかねない恐怖だろう。

 よって街中に広がる阿鼻叫喚も納得だろう。


 とにかく一体何が起きているのか、それは把握出来た。

 街の内部に突如として発生した廃呪カタラの襲撃である。

 では次の問題点を考えよう。そんな状況で、アレンは戦うでも無く、他の人と同じく逃げるのでも無く、街の中側へ走り続けているのか。


 ……頼りになる伯父ルークは今、この街にいない。

 次に移動することになる街への下見に旅立ってしまっているから。

 だから今、日頃から体を弱くしているエレノアは1人で居るから、それを心配して、自分たちが住んでいる宿屋へ向かっていると言うのが、自分アレンが街を駆けている理由――
















 ……………………………………あれ?そうだったっけ?



 再びアレンの頭がぼぉっ、とする。

 地面に足がついている感覚が、薄くなった。

 街を廃呪カタラが襲い始めた、と言う周囲の混乱の原因は、自信を持って断言できるのに、走っている理由は全く定かにならない。

 それ以前にそもそも。

 先ほどからずっと、ずっと、ただひたすらに走り続けている筈なのに、ちっとも進んだ気がしないのは、何故なのか。



 ……分からない。何も分からない。

 アレンの胸中が晴れない濃霧で覆われる。

 だけども、しかし。



 ――とにかく、母さんの所に行かないと。


 どれだけぼーっと、頭が回らなくとも。

 この状況下廃呪の襲撃において、母親エレノアの事が心配だという思いは、確かにアレンの心にある真実だ。

 だから、余計な事を考えずに、宿屋に向かおうと、そうアレンが決意した、その時、その瞬間。



「ぎゃっ、だ、誰か助け……」


「っ!」



 目の前で、誰かが倒れた。 

 アレンが咄嗟に足元に目を向けると、それは白髪の老婆であった。

 街の外へ向かって走る最中に、足を縺れさせて転倒したに違いない。



 ………………アレンはその瞬間を見ていないし、加えて老婆が近くにいた事にすら気付いていなかった。

 ああ。まるで。目の前に突然・・・・・・人が現れた・・・・・かのようだ・・・・・

 でも、そんな事は有り得ない。

 きっと自分が見逃しただけだ。アレンはそう結論付けた。



「――大丈夫ですか」


「ぁぁ、どうも、ありがとね」


 周囲には目もくれず、母が待つ筈の宿に向かって疾走しているアレンだが、流石に目の前で人が倒れて何もしない訳が無い。

 転んだ老婆を助け起こすために、アレンは自身の腕を老婆へ差し伸べた。

 そう。

 左腕・・を。





 【呪い憑き】となって人間の物から変質したアレンの左腕。

 だからアレンは基本的に人と接触する際に、左腕を使わないようにしているというのに、何故か今この瞬間だけ、咄嗟に左手を差し出してしまった。

 だけども問題は無い。

 アレンが常日頃から左腕に巻いている包帯は、聖なる祝福を得た特殊な代物だ。

 これを巻いている限り、包帯の上からアレンの左腕は通常の人間の物になっている。

 だから何も問題は無い、嗚呼!その筈だったのに!!




 ――何故か・・・包帯が解かれていた。今まで巻き忘れた事など、ただの1度たりとも無いのに。


 時間の流れがとてもゆっくりになったように、アレンは感じた。

 とても人間の物とは思えぬ、爬虫類染みた鱗に覆われ鋭い鉤爪を持った腕。

 そんな恥ずべき自身の左腕が、老婆に伸ばされていく光景が、止めようも無くコマ送りでアレンの視界へと飛び込む。

 鋭い爪が触れた老婆の腕を僅かに出血させた、その途端――



「触れるなぁぁあああああああッッッ!!!」



「――――――っ」



 響き渡る怒号。

 凄まじい勢いで振りほどかれる差し伸べた手。

 数舜前まで倒れて慌てていた筈の老婆が、機敏に立ち上がりアレンを強く睨みつけている。

 その瞳に映るのは、アレンに対する溢れんばかりの軽蔑の念。



「汚らわしい【呪い憑き】の分際で、人様に触れるんじゃない!」



「………………」



 鬼の様な形相となった老婆は、そう吐き捨てた。

 そして、アレンが触れた部分を、まるで汚物に接触してしまったかのように、執拗に汚れを払い落とす動作を行いながら、そそくさと走り去って行ってしまった。



 分からない。何も考えたくない。

 今はただ、母に会いたい。

 それがアレンがぼやける頭の中で、抱いた思いであった。


 …………とにかく、急ごう。借りている宿屋へ。


 傷ついた心を誤魔化す意味も多分に含まれていたが、それでもそう決意を新たにしたアレンは、止まっていた足を再び動かし、目的地へ向けて強い一歩を踏み出した。



 その瞬間・・・・アレンは宿屋に・・・・・・・たどり着い・・・・・ていた・・・



「――――ぇ?」



 一体いつの間にこれ程進んでいたのだろうか。

 場面シーンが突如として切り替わったかの様な感覚。

 凄まじい違和感がアレンを襲うが、しかしそれを深く掘り下げているような時間は無かった。



 住まいとしていた宿屋が倒壊していたから、である。



「なんでこんなっ!?」



 取り乱して駆け出したくなる衝動を、アレンは必死に堪えた。

 とにかく母の安否を確認しなければならない、一刻も早く!!!と強く思うアレンに対して声が掛けられた。



「おおっ、アレン君!来てくれたか!!」



 声の主は年を重ねた白髪の男性。

 知り合いでも無い筈なのに、老人はやけに親しげにアレンに話しかけてきた。



「申し訳ないですが、どちら様ですか……?」



「何を言っておるんじゃ!?儂じゃ!マバティじゃ。近所に住んでいてお主たちと良く親交のあったマバティじゃよ!」



 そうか?そうだったろうか?そうかも知れない。そうに違いない!

 一体どうして忘れていたのだろうか?アレンはしっかりと思い出した。

 この老人の名はマバティ。そしてこの近隣の住人であり、自分たちと親交があったということを。

 具体的にどんな関わりがあったのかは欠片も思い出せないが、そう言っているのだから、そうなのだろう、とアレンは未だ上手く働かない頭で、そう認識した。



「そうじゃ、こんな事を話しておる場合では無い!お主の母親の身が危険なのじゃ!」



「母さんが!?一体どう言う――」



「話は後じゃ、とにかくコッチに!!」



 マバティ老に連れられてアレンは直ぐ近くの、しかし瓦礫によって死角となっていた場所まで移動した。

 そしてそこには――


「母さんっ!?」


「――――――ぅ」



 意識を殆ど失いながら、半身を瓦礫に押しつぶされているエレノアの姿があった。

 無意識に体を魔力で強化しているのか、まだ完全に体が潰れているような状況ではなかったが、このままではそれも時間の問題だろう。



「エレノアさんは、周りの人間を守ろうと、廃呪と戦い、見事倒してくれたのじゃが、その結果こんな事に」



「そんな……」



「なんとか助け出そうとはしたんじゃが、1人ではどうしても力が足りずにの…………。だから良い所に来てくれた」



 母に覆い被さっている瓦礫の量は確かに莫大で、1人で退かすのは厳しい。アレンはそう認識した。

 …………確かに素の力では厳しくとも、魔力で身体能力を強化すれば十分に可能な筈なのだが、今のアレンには何故だかその手段がまるで思い浮かばなかった。

 故に母の救助には他者の手を借りようとした。




「すみません。では、母さんを助けるのに力を貸してくれますか?」



「うむ。もちろんじゃ。直ぐに助けよう」



 アレンの言葉を、マバティ老は快諾した。

 2人でエレノアに圧し掛かっている瓦礫に近づいて行く。



「母さん。直ぐに瓦礫を退けるからね。後少しだけ頑張って!」



「――ぁ」



 少しでも母を元気づける為に声を掛けつつ、アレンは瓦礫に手をかけた。

 正常な右手と、そして呪われた左手を。



「――――お主、その腕」



「ぇ?」



 エレノアの救助に手を貸してくれると快く言ってくれた筈の、マバティ老の助けが何時まで待とうとも来ない。

 不審にて振り向くアレンの眼に映るのは、自分の左腕をじっ、と見つめている老人の姿。



「その腕、【呪い憑き】か。貴様、儂を騙しておったか」



「一体何、を。今はそんな事を言っている場合じゃ」



「――騙しておったかぁああああああッッッッ!!!!!!!」



「っ」



 嫌悪。隔意。敵意。

 アレンに親し気に話しかけていた好々爺の姿は、最早何処にも存在せず、そこに居るのは穢れを許さぬ1人の老人であった。

 常なら、これ以上相手の機嫌を損ねない様に、そして互いに傷つきあわない為に、アレンは引き下がっただろう。

 しかし、今は――



「ぁ、れん。たすけ――」



 傷ついている母が居る。

 助力が要るのだ。何としても引く訳には行かなかった。



「お願いしますっ!腕の事を隠していた件ならば謝ります!!自分なら後で気の済むまで殴っても構いませんっ!だから、今は!今はどうか!!母さんを助けるのに協力して下さい!!!!」 




「ほざけッッッ!!汚らわしい呪い憑きと話しておったと言うだけで、虫唾が走るわッッ!!」



 アレンの必死で悲壮感に溢れる懇願も、何ら効果は無かった。

 目の前の老人は決して自分を助けてはくれない。アレンはそう悟らざるを得なかった。



 一体どうすれば。

 どうすれば。母を助けられるのか。


 その時アレンは気が付いた。


 いつの間にか・・・・・・周囲に人が大勢居る。

 何故か皆・・・・顔がぼやけているが・・・・・・・・・、10や20ではきかない多くの人たちだ。

 そもそも街の住人は、街の外に逃げ出していた筈なのに、今になって街中にこんな人数が居るのは道理に合わなかったが、しかし今のアレンにはそんな事を疑問に感じている余裕は存在しなかった。

 この中の誰か1人でも手助けしてくれれば、母を救出する事が出来る!今、アレンの頭の中にある考えはただ1つ、それのみであった。



「誰か!お願いします、誰かっ!!母さんが瓦礫に埋まってしまっているんです!!どうか、助け出す手助けを!!どなたか、お願いします!!!!」



 自分の生涯でここまで真剣に、他人ひとに助けを求めた事は無いだろう。

 そう思えるほどのアレンの叫び声。

 

 ――しかし、返って来たのは承諾の声では無く、石であった。



「――痛っ。な、なんで……」



 眼。眼。眼。眼。眼。

 アレンを見つめる幾つものまなこは、どれ1つ例外なく侮蔑の念に満ちていた。



「【呪い憑き】……」


「【呪い憑き】だ……」


「汚らわしい!」


「恐ろしい!」


「憎らしい!!」


「きっと今日の騒動だって、アイツの所為に違いない!!」


「そうだ!その通りだ!!」


「【呪い憑き】が穢れを運んで来たんだ!!!!!」

 

「責任を取らせろ――」


「産まれてきて、生きて来た責任を取れッッ!!!!」


 辺り一帯に零れんばかりの罵倒の雨。

 アレンの味方になってくれそうな人物なんて、ここには1人も居なかった。



 どうして。

 なんで。

 一体なにが。



「――――!!」



 でも、母が助けを求めている。


 なんとかしないと。

 なんとかしないと。



 なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。



「――――ン!!」



 炎。

 そうだ、炎が必要だ。

 母を苦しめている障害と、周りのゴミ・・を燃やし尽くすために。

 何物をも燃やし尽くせる、地獄の業火が必要なのだ。



「――――レン!!」




 左腕が熱い。

 血液がマグマと化したかのようだ。

 でもきっと。

 この熱に身を委ねれば、求めた炎が手に入る。

 理由は分からないけど確信できる。

 だから、寄越せ――




 そして、アレンの精神が何処か彼方へと繋がりかけた、その寸前――





「――――アレン!!」




 自分に対する必死の呼び声で、アレンの意識は・・・・・・・覚醒した・・・・




「……………………ぁ、れ?」




 頭が重い。体が怠い。

 しかし、脳内を覆っていた霧の様な感覚は全て消え去っていた。

 今、ここにアレンは正常な思考を取り戻していた。



 ぼんやりと、ハッキリしなかった意識。

 突如、脈略も無く切り替わる場面シーン

 絶対に外してなどいない筈なのに、何故か外れていた左腕に巻かれた包帯。

 会った事も、見覚えも無いマバティ等と言う老人。

 そして、考えついて当然の解決策を何故か全く思いつけない自分。



 それら全ての疑問点に納得がいく答えをアレンは見つけた。



 ――夢、だったのか。


 

 ただの幻。確かな物など何も無かった。それだけの簡単な答えだ。

 そして最後に自分を救い上げてくれた声の正体・・も、容易く分かる。



「ごめん、伯父さん。ちょっと、夢見が――」



 そう。夢。

 ただの悪夢。

 目が覚めれば、直ぐに消え去るだけの――


































「  違  う ! ア  レ  ン  !  !  夢  じ  ゃ  な  い  !  !  !  !  」




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