013 元ヤン
「……全く。お兄様まで、黙っていなくても良かったでしょうに」
夜。
とある宿屋の一室にて、赤髪の美女――エレノア・ルヴィニの僅かに不貞腐れたような言葉が空気に溶けた。
自分の息子であるアレンや、その友人であるクリスの前では気にしていない風を装っていたエレノアだが、その実、息子が自分にだけ隠れて友人と会っていたのが大層ご立腹であったらしい。
とは言え子供たちに当たる気など、エレノアの中には欠片も無かったので、結果として彼女の不満は全て兄へと向かっていた。
そう言った訳で、ルークが借りている部屋でお酒を片手に兄に対して愚痴を吐き出している次第のエレノアであった。
それにしても寝間着に薄手のストールを巻き、酔いで顔を赤らめているエレノアの姿は何処か扇情的で、そんな姿で夜中に男の部屋を訪ねるとなると、それはもう大変なことになるだろう。
……まあしかし今回訪ねているのは実の兄の下であり、2人は禁断の関係でもなんでも無いので、何も起こらないのだが。
「なに。折角アレンが自分で決意した事だ。出来る限り見守ってやるのが心意気と言う物だろう」
「それにしたって、こっそり私に教えておいてくれるとか、やり様は幾らでもあるでしょうに!そうしたら私だって聞いてない振りくらいキチンと行います」
頬をぷくーと膨らませながらエレノアは文句を発する。
手に持ったグラスを傾けて、自分の髪色に似た赤ワインを口へと流し込む。
まあ色々と言ってはいるが、要は自分の子供に怖がられて除け者にされていたという事に拗ねているだけなのだ。
それを分かっているから、ルークも顔に苦笑を浮かべていた。
「まあ何だ。少しアレンの事を脅かしすぎたな」
「あそこまで気にしているとは、思いませんでしたもの」
何が、と言えば、アレンに対して人との関わりは慎重にしなければ成らないと、言ってきた件についてである。
基本、ルークやエレノアの前で良い子にしているアレンだから、そこまで気にしていたとは気がつけなかった。
そのアレンの心に気がつけなかったのは、確かに自分の怠慢であり正さなければならない事ではある。だけどもしかし、とエレノアは言う。
「別に私だって、アレンに意地悪したくてあんな事を言っている訳じゃ無いですのに……」
子の苦しみを分かって上げられなかった事は猛省するが、しかし注意自体は間違ったことをしたとは、今も尚思っていない、とエレノアは述べた。
そしてその言葉をルークも肯定する。
「それは俺も分かっているさ――勿論、アレンだってな」
子供の時の失敗は恐れるものでは無い、と人は言う。
寧ろ失敗を恐れて何も行動しない事こそ、気を付けるべきだと。
その意見は概ね正しいだろう。
大人になって、年を重ねていけば行くほど失敗は許されなくなっていくし、迅速な解決や、相応の補填が求められるようになる。
だから未だ失敗が許される子供の内に、その対応などを含めた経験をしておくことが重要なのだ、と言う訳である。
だがしかし、何事においてもだが、限度、という物が存在する。
若気の至りで人を殺しても許されるのか?
些細な不注意で一生、死ぬまで後遺症の残る大怪我をして、いい経験をした、等と本心から胸を張れるか?
勿論、答えは否、だろう。
子供だろうがなんだろうが、起こしてはいけない失敗・取り返しのつかない問題と言うのは存在する。
そう言った意味で、エレノアの注意はアレンにその様な致命的な事態が起きないようにする為に、と熟考された末の物である事は明白だった。
場合によっては、大げさでは無く世界の命運が双肩に乗る事すらあるのが、【聖印】持ちである。
何かがあってからでは取り返しが付かない可能性がある以上、慎重に、慎重に、となる感情は理解出来るだろう。
その愛情は、アレンにだって伝わっている。
「ふん。まあそんな心配を、お前やアレンがしなければならないのは、
「……はぁ。またその話ですか」
話のターンが切り替わったかの様に、今度不満を漏らしだしたのはルークの方であった。
ただし、その不満の対象はエレノアでもアレンでも無く、彼の元
ルークからしてみれば、妹や甥を捨てた男であり、それに対する不満も何度か吐き出していた。
なにせ、今のエレノアやアレンの境遇は、貴族としての庇護を失ったことが大きな要因であるが故に。
それに、その所為かどうかは定かでは無いが、カサルティリオの家を追放されて以降、エレノアの体調がメッキリと目に見えて悪くなっていると言うのもある。
一見、元気な様に見えるかもしれないエレノアだが、それは元が強靭であったお陰であり、日常生活はともかく、戦闘能力や魔法の腕などは、往時と比べると見る影も無くなっていた。
そんな状況に、兄としては一言いいたくもなるだろう。
「何度も言いましたが、私は恨んではいませんよ、お兄様。あの人はあの人で良くしてくれました」
ただ、肝心要の捨てられた張本人であるエレノアには、元夫に対する恨みつらみは無かった。
お酒が大分回り始めたルークとしては、それも逆に癪に障った。
「ハッ、どうだか!俺から見てみれば、都合が悪くなったら、自分の妻や子供を簡単に切り捨てる冷血漢にしか見えないがな」
「はぁ、全く……」
自分を心配しての事だとは分かるが、流石に耳タコだと、エレノアはため息を吐いた。
「あのな、良いか?兄貴。そんな展開だったなら、アタシが泣き寝入りする訳ねーだろーが」
「しかしだな……」
もし仮にこの2人の会話を、作業用BGMとして聞き流している者が居たのなら、今この瞬間、「ん?」「んんんんんんん!?????」とばかりに2人の方を二度見した事だろう。
深窓の令嬢といった風情だった筈のエレノアから、なんか凄い言葉遣いが飛び出した。
何が奇妙かといえば、その突然の変貌に対し、兄であるルークは何の反応も示さない事だ。
「伯爵サマが兄貴の言う通りの腐れ【自主規制】野郎だったら、アタシが出て行く時に玉を潰してるってーの。つまり、伯爵サマの玉が今も無事な事実が、何も問題なかったことを証明しているッッ――――!!」
…………エレノア・ルヴィニ。
知っての通り、平民の冒険者から貴族の妻となった女性である。
現役時代の二つ名は【
得意の炎の魔法を身に纏いながら、
現役時代の態度や評価?
二つ名が【鮮血
それでも彼女の事を分かりやすく言い表すのなら。
……ええ。はい。そうです。
――元ヤンです。
数奇な縁に導かれ、大分こう……突っ張っていた感じだった女冒険者エレノアは、現カサルティリオ伯爵と出会い、互いに恋に落ちた。
そうして行われた両者の婚姻は、エレノア側の知り合いである平民たちと、カサルティリオ伯爵側の知り合いである貴族たち、その両側に対して並々ならぬ衝撃を与えた。
主に、冒険者仲間からは「……え?アイツ結婚出来んの????」
貴族側からは「確かにこの時期に優秀な者を家に迎えることはあるけども……。それでもこのレベルの荒くれ者で大丈夫???」と言った感じだった。
だが、彼女が真に周囲を驚愕せしめたのは、結婚して以降の事であった。
エレノア・ルヴィニ。
彼女の性格を簡単に説明するのならば、負けず嫌いで、それと同時に筋をキチンと通す人間だった。
貴き青き血の中に、言語を解さぬ猿が混じって来た。
率直に言えばそんな風で合った周りの態度に対し、エレノアは自分が平民出である事を言い訳にせず、更に決して暴力的な手段や、反発的な態度を取らなかった。
それどころか寧ろ、心の底で自分のことを蔑んでいると、ありありと分かる相手に対して頭を下げてでも、教えを乞うた。
それは決して貴族の権力や嫌がらせに臆したという訳では無く、彼女自身の信念による物であった。
曰く、自分から望んで入ったのだから、相手の側に合わせる努力するのは、当たり前のマナーで、通すべき筋でしょう?との事だった。
その信念は、裏切らない友人が欲しいから、自分も潔白でいたいと願ったアレンによく似ていると言えるかも知れない――順序としては逆な訳だが。
そうしてエレノアは凄まじい集中力による不断の努力を続け、結果として未開の地の
そうして彼女は莫大なる衝撃を周囲に与えつつも、貴族社会に受け入れられることとなったのである。
……最も、それでも尚エレノアに当たって来るような相手も居なかった訳ではないが、そちらには泣き寝入りせずに、成程それはつまり喧嘩を売ってるってことだな?とばかりに対処をしていた。
因みにだが、その変貌ぶりは兄であるルークからして予想できなかったらしく、初めてその姿を見た時には、こんな一幕もあった。
*
「お久しぶりですわ、お兄様」
「エレノア……なの、か!?」
「……?他の誰に見えるのです?」
「――――何という事をッッ」
「お兄様???????」
「確かにエレノアは、がさつだった!暴力的だった!女らしさなんて欠片もなかった!!!!!」
「……………………」
「仲間の男冒険者内での、『女に見れない女性冒険者ランキング』『ヤル時にちん○ん噛みちぎられそうな女性冒険者ランキング』堂々の二冠だった!!!!!!」
「……………………………………………………………………」
「だが!!!それでもッッ!!!洗脳はッッ、洗脳は無いだろう!!!!これがッ、これが貴族のやり方かッッッ――」
「ワタシ、オマエ、ブッコロス」
「おお!エレノア、意識が戻ったんだな!?」
「上等だ、クソ兄貴ィィッッッ!!!そんなに死にてぇなら、今此処で息の根止めてやらァアアアアアアア!!!!!!!!」
然もありなん。
*
何だかんだ久方ぶりに
「…………確かにお前の言う通り業腹だが、奴を認めなければならない部分も存在するようだ。奴が居なければルヴィニ家の血は途絶えていた――!!」
「もうお兄様ったら!喧嘩売ってます?ん?どうなんだ???………………全くもうっ、そんなに言うのならお兄様が結婚して、血を繋げば良かったじゃないですか」
「良いかエレノア?簡単な話だ。俺には分からん。女性との接し方――!」
「胸を張って言うことではありませんよ????」
「仕方がないだろう、生まれてこの方、性別が女の相手と接する機会があまり無かったのだから!!」
「あらヤダ、うふふ。お兄様ったら。目の前の可愛い❤可愛い❤妹の性別をお忘れになって?」
「お前は、お前だろう――?」
「なんか良いこと言ったような雰囲気出してるけど、この流れでその発言、普通にサイテーだからな?兄貴」
ルークはコホン、と一度、咳払いをした。
「まあ冗談はこの位にしておいて、それだからアレンに怖がられてるんじゃないか」
痛いところを突かれて、エレノアは、うぐっ、と声を漏らした。
だけど!と早口で弁解の言葉を述べ始める。
「ですけど、結婚してから、特にアレンが生まれてからは、殆ど素は出して無いんですよ!?それにそもそも私、アレンに怒った事なんて殆ど無いのに!!だって、とっても素直で良い子に育ってくれましたから。私に!!!良く!!!!似て!!!!!」
「確かにアレンはお前に似ずに素直で良い子に育った。だが戦闘の才能はお前によく似た」
「………………まあ、言いたいことは一先ず置いておきます。それが何故、私が怖がられる理由になるのですか?」
「簡単なことだ。つまりアレンの奴は、本能的に分かるのさ。怒らせたらヤバい、血に飢えた獣の事を――!!」
「やっぱり喧嘩売ってんだろ。クソ兄貴ィイイイイ!!!!」
尚、深夜のプロレスごっこ(意味浅)は隣の部屋からの壁ドンで止められました。
*****
喧騒が終わり、今度は2人とも静かに己の髪色によく似たワインを飲み交わしながら。
「ねぇ、お兄様?」
「何だ?」
「もしも――。やっぱり、何でも無いです。ごめんなさい」
「気になる所で話を止めるな」
「本当に何でも無いです、少し血迷っただけです」
――もしも、私に何かあったら、アレンの事、よろしくお願いします。
そんなエレノアの思いは、言葉にされること無く、夜の闇の中に消えていった。
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