010-1 奇跡の魂①

「街の近郊にいる【廃呪カタラ】は、【球体スフェラ】くらいだが、侮って良い相手では無い。俺やアレンからは決して離れない事。いいな?」


「は、い!!」


 雲一つない澄み渡る青空。

 まるでピクニックにでも行っているかの様な陽気の天候で、少し弛緩した雰囲気を引き締めるべくルークがクリスに注意を投げかけた。

 一見、長閑に見えようとも、ここは酔っ払って外で眠っても大概何とかなる日本と違って、治安が余り良くない異世界だ。

 決して能天気に気を抜いて良い場所ではない。


「でも、俺が居れば大丈夫だよ、クリス!!【球体】くらいだったら何とも無いから!」


(アレン君可愛いな゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛)



 しかしながら、友達の身の安全は自分が守るんだ!!と意気揚々としたアレンの様子を見るに、ルークやアレンがいれば何も問題は無い程度の危険性ではあるのだろう。

 そもそも、そんなに危険な場所であれば、最初から明らかに体力の無いクリスを連れて来る事は無いし、空に浮かびながら無言で付いて来ているデザベアも、クリスに注意を促した筈だ。

 だからと言って何も警戒せずに野原を元気に駆け回られては困る――ルークの注意の意図としてはそんな所だ。

 当然クリスとしても、そんなに無警戒になる気は無かったし、そもそもの話、悲しいかな元気に野原を走り回る様な体力が、クリスには無い。



「街中だと迷惑になっちゃうから、大体何時も外で魔法や戦いを叔父さんに教えて貰っているんだ!!」


「お、おっ!魔、法!!」


 アレンのその言葉に、クリスの紅色の瞳が興味深げに輝いた。

 良くも悪くも普通からかけ離れていたクリスが、「お前、そんな平凡な所あったんだ…………」と言いたくもなる様に、魔法と言うファンタジー要素に興味を惹かれていた。

 初めて普通の男子高校生ぽい所を見せましたね……。

 魔法そのものは、デザベアに自分の魂をぶっこ抜かれて異世界転生させられたり、目の前で大きな鏡が出現したりで、見たことはあるのだが、どちらも行き成りの事で合ったので、イマイチ見た気分には成っていなかった。

 だから至って普通に、変態的思考とは関係なくクリスは魔法を見るのが楽しみだった。


「クリスは魔法に興味あるんだ!そうだ、クリスも俺と一緒に叔父さんに魔法を――」


「――待っ、て」


「――クリス?」


「?どうかしたのか、2人とも」


『なんだ、お前。突然どうした?』


 楽し気に話していた筈のクリスから、突如として表情が消えた。

 いつもいつも楽し気に元気でいる分、突然無感情に成られると大いに目立つ。

 その様子に、アレンとルークどころか、デザベアですら言い様の無い不気味さを覚えた。

 しかしながら、クリスはそれらの言葉に一切返答をしなかった。


 だって誰よりも・・・・早く・・クリスはソレ・・に気が付いたから。

 クリスは、壊れたマネキン人形の様に、首をギギギ、と横に回して、斜め前を向いた。

 そしてその後、小さな自分の腕で以て、前方を指さした。



「あ、れ」

 

「え?」


「……あれは」


 ソレ・・は一言で表せば、黒い丸だった。そう言い表すより他にない。

 大きさとしては砲丸投げの玉くらいだろうか。

 そんな大きさの、絵の具の黒で空間を塗りたくった様な、蠢く不自然な球体が、青々とした草の上を、コロコロ、コロコロと転がっていた。



「【球体スフェラ】、か。良く気がついたな」 


 ルークの発言によって謎の球体の正体が発覚する。

 これこそ廃呪カタラ

 命を呪い、生命を冒涜するモノ。

 その証拠として、【球体】に踏まれた草だけでは無く、横を通り過ぎられただけの草が、突然元気を失って萎びれ掛けている。

 そこまで大きくは無い故に圧倒的なインパクトこそ無いが、何とも言い難い不気味さを見る者に与えてくる光景であった。


「………………」


 しかしながら、不気味と言うのなら此方もだろう。

 廃呪と現実で初めて遭遇したクリスは未だに不気味な沈黙を続けている。

 それこそ先程見せた元男子高校生らしい情緒よりも珍しく、異世界に連れてこられて糞みたいな環境に置かれても明るさと優しさを失わなかったクリスが、廃呪カタラに対しては負の感情を抱いていた。


(許せない)


 と、言うか。

 有り体に。とても端的に、分かりやすく述べるのならば。


 ――クリスは今、ブチギレていた。


(許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、1つ残らず消し飛ばして――)


 自分が何故これ程までの凄まじい怒気を抱いているのか。

 それは、クリス自身にすら分かっていなかった。

 いやそれ以前の話として、怒ったことはあっても、激しくキレた経験などこれまで無かったクリスは、自分がキレているということにすら気がついていなかった。


 ただ、何か。

 何か途轍もない事が起きようとしている。

 そんな重苦しい雰囲気だけが辺り一面に充満していて――。



「大丈夫、クリス。俺が直ぐに倒すから!!」



 ――しかし、クリスの沈黙を廃呪を怖がっているからだと誤解して、何とか元気づけようとするアレンの態度で、クリスの緊張感は吹き飛んだ。

 怒りが収まったからと言うよりは、自分の情緒が可笑しく成っている事に気が付いて、周りに心配を掛けないように抑え込んだ感じではあったが、しかし充満していた重苦しい雰囲気は消え去った。



「頑、張っ、て!!」



 ルークが止めようとしていないし、アレンに取ってはそこまで危険な相手では無いのだろうと判断して、クリスは微笑を浮かべて激励の言葉を投げかけた。

 アレンはコクリ、と力強く頷いて、【球体スフェラ】に向き合った。

 未だに【球体】はコロコロと緩やかに移動していて、つまり前準備の時間などいくらでもあった。



「【種火リノンクロスティ】――」



 声変わり前の少年特有の高い音域による発声が、野原の中で響き渡る。

 紡がれたのは、体内で魔法の使用を補助する為の回路を作成する詠唱――火属性の第一段階。

 アレンの体の中に不可視の、しかし確かに存在する魔力を焼べる溶鉱炉が形作られる。 

 ここまでは飽くまで前準備。

 真に超常たる業が発現するのは、これより後。



「【フロガクシフォス】」 



 その言葉が空に落とされると同時に、アレンの右手に真紅・・の炎が出現した。



(んー?赤色の炎?)



 微妙に釈然とせず、クリスは頭上に疑問符を浮かべていたが、しかしそれと時を同じくしてアレンの右手に出現した炎が、その形を変化させていく。

 時間にして僅か数秒の出来事だろうか。

 形なき炎が瞬く間に、剣を型取っていた。

 熱された鋼鉄の様な赤熱する刀身を持った、綺麗な真紅の宝刀へと。

 持ち手の部分は未だに燃え盛る炎のままで、アレンの右手に纏わり付いているのだが、しかし流石は魔法と言った所だろうか。

 アレンの右手の白手袋には焦げ目一つ入ることは無く、当然熱がったりもしていなかった。


 燃え盛る剣を手に持ったアレンは、【球体】へと向かってゆっくりと歩きだした。

 その歩みは堂々と。実に様に成っていて、今のアレンからは、普段の大人ぶっている子供特有の微笑ましさと、しかし同時に感じる頼りなさが一切見られなかった。


 アレンがゆっくり、ゆっくりと歩み寄る。

 【球体】がコロコロ、コロコロと進む。

 そうして1人と1個?の彼我の距離が一定の近さに成った、その時。


 【球体】がアレンに向かって飛び跳ねた。

 その速度は一定以上の実力を持つ野球のピッチャーが、ボールを投げた時と同じくらい。

 まあ少なくとも100kmは軽く超えている事は間違いない。

 成程、これは確かにルークがクリスに気を抜かないように、と注意する訳である。

 どれほどの威力があるのかは【球体】の硬度にもよるだろうが、仮に普通の石ころ程度だとして。

 こぶし大の石がこれほどの勢いでぶつかってくれば、単純な物理法則の運動エネルギーだけで考えても、当たり所が悪ければ大人でも死ぬだろう。

 草の生気を奪った謎の呪い的パワーも考えれば、その危険性は更に上と考えて間違いなく、少なくとも虚弱極まりないクリスが相対して良い相手では無い。


 しかして、アレンはどうだろうか?

 跳び上がった【球体】はアレンの頭部目掛けて飛んできている。

 あっという間に両者の距離は零に近づいて、しかしその瞬間、アレンの炎の剣を持つ右手が、かき消えた。

 それと同時に、高速で近づいてきた【球体】をなぞる様に空中に綺麗な真紅の軌跡が描かれたのを、クリスは目撃した。



「――ふっ」



 交差の時間は正しく一息の間だった。

 アレンの息を軽く吐く音と同時に、アレンの頭に迫っていた筈の【球体】が、真っ二つに両断されて地面にこてん、と力なく落ちた。

 しかもそれで終わりでは無く、切断面から炎が湧き出して【球体】だった物の残骸が延焼していく。

 それこそやはり一息の間に、【球体】の姿は野原より消失した。


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