第3話

 梅雨が明けてセミがけたたましく鳴き始めた初夏。

 今日は蒸し暑い日だというのに全校生徒が体育館に押し込まれていた。

 全校集会というわけではない。むしろ全校集会ならば体育館をいっぱいに使って並ばされるからまだ密度は低かっただろう。

 今回の集会は通常の集会とは並び方が違う。

 ステージ前には長机が並べられ、そこに『議長』『生徒会長』といった肩書の張り紙がたらされて、いかにも「私が学校の代表です」と自信満々に威張った連中が驕り腐った表情で座っている。

 そして体育館の残りの三方を学年ごとに陣取っている。体育館中央には演説台が設けられ、それを取り囲むように配置されているのだ。中央の空間を確保するため、ぎゅうぎゅうと押し込まれているから通常よりも生徒同士の距離が近い。それに加えて今は夏真っ盛り。この人口密度では誰かが熱中症で保健室に運ばれてもおかしくはない。

「それでは男子ソフトテニス同好会の設立に賛成する人は拍手をお願いします」

 議長に意思表明を促されて数人が拍手を送る。

 それに引っ張られたかのようにさらに多くの生徒が拍手を始める。

 まさに拍手喝采。

 中央の演説台で男子ソフトテニス同好会の設立をプレゼンしていた男子生徒は、その音を聞いてニヤリと顔を歪めた。

 東郷はこの同好会の設立には賛成だった。

 理由は単純。反対する理由がないからだ。発起人が有志を集めて活動をしようとしているのだ。他の学校はどうなのか知らないが、中学校では生徒の起案で部活を作るという制度はなかった。それに比べてこの同好会設立という行為はまさに高校生らしい青春というものだ。

 しかしこの採決方法には疑問がある。

 賛成する生徒は拍手を、という多数決はどこの学校でも行われていると聞く。しかしそれで本当に多数決となるのだろうか。まず全員が拍手をした時の音量を確認していない。そして賛成が少人数でも拍手の音量が大きければ賛成扱いになるだろうし、賛成者が半数を超えていたとしてもそれが大人しい生徒ばかりで拍手も控えめだったら否決されるだろう。

 短時間で採否を決めるならばこの方法しかないのかもしれないが、生徒総会が終わった後に投票用紙を配り、結果は後日発表という形をとってもいいのではないかと東郷は考えている。

「賛成が過半数を超えましたので、男子ソフトテニス同好会は設立とします」

 拍手に包まれながら、体育館中央で演説を繰り広げた発起人は四方八方に頭を下げる。その感謝の言葉はマイクを通さなくても聞こえてくる。

 気が済んだのだろう。

 三十秒近く頭を振り続けた彼は意気揚々と自身のクラスへと戻っていく。その帰還を彼のクラスメイトたちは誇らしげに出迎える。

 騒めきが落ち着くと議長がマイクのスイッチを入れて議論を再開する。

「続いて各部活動の予算配分についてです」

 彼が堂々とそのように宣言すると体育館が再び騒めきに溢れかえった。

 その声は先ほどのような賛成するようなものではない。議長の進行に異議を唱えるものだった。中には大声で堂々と非難している生徒だっている。

「静粛に!」

 不満や非難を抑え込もうと議長は指導する。

 その声は自身はなにも悪くないとでも言わんばかりに高圧的な口調だった。

 未だに騒めきが収まっていない体育館。二年生の一人が挙手をして彼に発言権が与えられた。

 立ち上がった二年生は一直線に演説台に歩いていく。

 それは鶴見だった。

 彼は無表情だったが、それでも幼馴染である東郷には分かる。

 顔には出していないが怒りに震えていることを。

「二年三組の鶴見です。軽音楽同好会に対する対応について異議があります」

 鶴見は丸めていた緑色の冊子。今回の生徒総会の議題がすべて掲載されたプログラムを掲げた。

「このプログラム表には男子ソフトテニス同好会の決議のあとに軽音楽同好会の部活動に昇格させるかどうかを決めると書いてあります」

「今は部活動予算が議題です。関係のない話は控えてください」

「議長は開会宣言の直後、校長先生に対して宣誓していましたよね? 特定の部活、団体、生徒に与することなく、つまり味方することなく議長として公平に議論を進行する。と」

「議題に関係ない話は慎んでください。これは最終警告です。それでも続けるならば退場処分にします」

 いらついた様子で議長は鶴見の弁論を遮ろうとする。

 しかも「最終警告」「退場処分」という強い言葉を使ってまで。

 しかし鶴見は臆することなく議長の不手際を指摘する。

「人間なら忘れることもあるでしょう。しかし私がそれを指摘したとき議長は何と言いましたか? 「関係ない話はやめてください」と言いましたよね? もしも単純に軽音楽同好会の議題を忘れていたのであればプログラムの進行を引き返して議論していたでしょう。これはもはや意図して軽音楽同好会の議題を飛ばしたとしか思えません。誰かにそうするように指示されているのですか?」

 単に忘れていただけであれば鶴見が指摘したときに議題を引き返すだろう。

 議長が意図してその議題を飛ばした。鶴見の演説によって全校生徒はそのように捉えただろう。

 体育館のいたるところから議長に対する不信感が湧きだしているのを東郷も感じていた。この生徒総会の冒頭で議長の信任を問う儀式が執り行われた。「彼を議長として認める者は拍手!」という生徒総会お約束の採決方法によって。そして当然の結果だったかのように彼は予定通り議長としての役目を務めることになった。

「……議題を戻ります」

 各所から吹き出る不信感に居心地が悪くなったのだろう。

 隣の副議長と相談したのちに、彼はふてくされながらも議題の進行を巻き戻した。

「軽音楽同好会は正式な部活動への昇格を希望しています。これに反対意見がある生徒は挙手をお願いします」

 全校生徒の感情は軽音楽同好会へと傾いていた。

 年に一度の昇格の機会を議長の悪意によって奪われそうになっていたからだ。そんな同好会を誰もが応援している。反対意見が出ることがなくこのままこの議題は採決されそうな雰囲気だった。

 しかしその空気を打ち破るように三年生のエリアで手が上がった。

「それでは三年二組の大村さん」

 名前を呼ばれたのは東郷もよく知っている人物だった。

 大村。

 東郷が所属していた中学校吹奏楽部の当時の部長。

 そして東郷を吹奏楽部に引き入れた第一人者でもある人物だった。

 校内で会ったことはなかったが、彼女がここの学校に進学したことは知っていた。思ってもいないところで彼女の姿を見かけることになったものだ。

 そう感心しつつも東郷は議長の指名方法に違和感を覚えた。これまで何人もの生徒が弁論台に立つために挙手してきたが、議長はいつも「〇年〇組」とだけ指名していた。しかし今回は個人名での指名だ。議長も三年生とはいえ、あの人混みの中から挙手した人物をピンポイントで識別できるものだろうか。

 大村は自信満々にもう片方の弁論台に立ち、鶴見と対立する。

「私は吹奏楽部の部長を務めています。軽音楽同好会の部活動昇格に反対します。彼らは今から六年前に吹奏楽部からドラムセットを盗んでいきました。そのような組織を学校の正式な部活動として認めるわけにはいきません」

 弁論台で大村は堂々と言い放った。

 その意見を聞いて議長が会議を進行する。

「軽音楽同好会の部活動昇格について反対意見が出されました。これに対して軽音楽同好会は証拠のある反論を行ってください。反論がない場合、または客観的な証拠がない場合は反対意見を生徒の総意として軽音楽同好会の部活動昇格の議論を否決します」

 議長はやたらと「証拠」の単語を強調していた。

 東郷が覚えている限り、議長がその単語を使ったのはこれが初めてだ。そして今回の生徒総会では複数の生徒が弁論を行ってきたが、「証拠」と言えるようなものを求められたのはこれが初めてだった。

 しかし鶴見は不敵な笑みを浮かべていた。

 まるでその単語を待っていたとでも言うかのように。

 鶴見は反論の意思を表明して再びマイクに声を吹き込んだ。

「そのような反対意見が来ると思って過去の活動日誌を全て調べてきました。吹奏楽部が主張しているような事実はありません」

 主張を軽々と迎撃された大村は般若のような形相で追撃に入る。

「事実がないのであればその証明をしてください!」

「それは『悪魔の証明』といって存在しない物事は証明する方法がありません。むしろ挙証責任は吹奏楽部側にあると考えています。備品目録などで私たちが盗んだという証拠を出してください。部活動と同好会に関する校則に「部活動は備品目録を備品の廃棄から八年間保管しなければならない」と規定されています。六年前に楽器が盗まれたのであれば備品目録が残っていることでしょう。私たち軽音楽同好会はこの校則を遵守しています。またそれに加えて部員たちが個人で所有している楽器のメーカー、型番、シリアル番号の記録も取っています。お互いの備品目録を突き合わせればどちらが間違っているか明確ですよね?」

「私たちは学校公式の部活動です。盗んでいないという証拠は軽音楽同好会が出してください!」

 鶴見はさらりと反撃する。

 まさか過去の活動日誌どころか校則まで調べ上げていたとは。

 たしかに同好会側が楽器を盗んだと主張するのであればその備品目録を提出すれば済む話だ。それにも関わらず吹奏楽部側は頑なに提出しない。それどころか備品目録の存在を指摘されてもその話題には触れようとしない。

 吹奏楽部の備品管理に何らかの問題があると鶴見は考えて、その穴をつついて迎撃するつもりだったのだろう。

 分が悪いと考えたのだろう。

 大村は別の反対意見を主張してきた。

「それに軽音楽は楽器の音がうるさいです。そのような近所迷惑な活動をしている団体を部活動として認めるなんてことはできないはずです」

「軽音楽同好会では夏でも教室を密閉し、自分たちで決めた活動時間を守って活動しています。それに対して吹奏楽部はどうですか? 常に窓は開けっ放し。それどこかベランダや渡り廊下で楽器を吹いています。果たして近所迷惑なのはどちらでしょうか? 生徒でなく近隣住民の皆様の立場になって考えた場合、騒音問題に気を使っていると思えるのはどちらだと思いますか?」

 どこの部活動にも所属していない東郷は毎日のように吹奏楽部の音を聞きながら下校していた。その時はなにか風流のようなものを感じていたが、鶴見は別の視点で捉えていたらしい。

「近所迷惑だから部活動として認定できない。議題とは少し逸れますが、この意見が通るのであれば吹奏楽部は同好会に降格させなければなりません。同じ音を出す活動でありながら吹奏楽は良くて軽音楽はダメ。そんな意見が通ると思いますか? それに加え、最初に吹奏楽部から指摘があったドラムセットの盗難は事実無根であり、そもそも反対意見としての価値がありません」

「私たちは代々先輩たちから教えられてきたんです! 軽音楽にドラムセットを盗まれたって!」

「さきほども言いましたが、それならば盗難された証拠を出してください。備品目録に記録されているメーカー名、型番、シリアルナンバーを提出すればそれで終わりますよ?」

「先輩たちから聞きました。それが証拠です!」

「何度も言っていますが書面じゃないと意味がありません。誰かから聞いたとかなんて証拠能力はありません。小耳に挟んだのですが、大村先輩は法学部のある大学に進学したいそうですね。人から聞いたという情報に証拠能力が認められると思っているんですか? どちらに立証責任があると思いますか?」

 何度説明すれば理解できるのだろう。

 鶴見の声色はいらついているようだった。

「まさか学校の正式な部活動として認められている吹奏楽部が備品の管理すらやっていないというわけではないですよね? よりにもよって商売道具である楽器。二十万近くする楽器ですよ? 学校から活動費が支給される正式な部活動でありながら、まさかそんな杜撰な管理なんて――」

「静粛に! ……それでは時間となりました。軽音楽同好会から有効な意見が出なかったためこの議題は否決されたものと――」

 鶴見の弁論を遮るように議長が大声で介入した。

 それはまるで吹奏楽部をかばうかのような勢いだった。そしてその介入はあまりにも不自然だった。まるで鶴見が指摘した通り、吹奏楽部が校則で決まっているルールに従わずに備品を管理していないと思われても不思議ではなかった。

 ドラムセットは二十万もする楽器だ。学校の運営費全体で見れば微々たるものかもしれないが、二十万は大金であることに変わりはない。

 部活動昇格を阻止しようとする大村の意見を次々に切り崩していた。もしも大村の意見が通るのであれば、それは軽音楽同好会の部活動昇格を否定するものではなく、吹奏楽部の同好会降格の根拠となるものになりかねなかった。

 この議題で議長は二回の独裁行為を行った。

 一つは意図的に軽音楽同好会の部活動昇格を飛ばしたこと。二つは吹奏楽部が追い込まれたときに強制的に議論を打ち切って次の議題に移ろうとしたこと。

 普段の鶴見は温厚な人物だ。しかし二回も続けてこのような侮辱をされては普段の冷静さを保てるわけがない。彼が怒っているのを遠く離れている東郷も肌で感じ取っていた。

 鶴見は議長に対して何かを言い返すのではないだろうか。

 そう思っていたのは東郷だけではなかった。体育館の全体がピリピリとしていた。

 しかしその討論場に割って入ったのは予想もしていない人物だった。この学校でもっとも演説が得意であり、経験豊富であり、最大の権限を有している人物だった。

「皆さん失礼します」

 タイムアップで強制的に議論終了に持ち込もうとした議長を制したのは校長だった。

 彼はさすがの風格で体育館の中央――弁論台と議長席の間に歩み寄ると手にしていたマイクでスピーチを始めた。

「生徒の皆さん。私は校長として、それ以前に一人の教師として生徒たちの力を信じています。この生徒総会も生徒たちの自治の力を信じ、生徒主導での運営という形を取っています」

 突然の教職員の乱入。

 しかもよりにもよって学校のトップである校長が乱入してきた。

 興奮していた誰もが静かになり、彼の演説に耳を傾ける。

 それに応えるように校長も生徒に対する熱意を語る。

「吹奏楽部も軽音楽同好会もそれぞれの言い分があるでしょう。それぞれの強い思いを感じています。しかしこの問題は生徒たちだけで解決できるものではないと判断しました。大村さんが主張したとおり近所との関係も、鶴見君が指摘した吹奏楽部の備品管理能力も、私たち教員が介入して解決するべきだと考えています」

 たしかにこれは教職員が間に入るべき問題だろう。

 吹奏楽部は軽音楽同好会に楽器を盗まれたと主張する。

 軽音楽同好会はそのような記録はないと主張し、吹奏楽部側に証拠の提出を要求する。

 しかし吹奏楽部は「先輩から聞いた」と言い張り物的証拠を出そうとはしない。

 この無限ループから抜け出すには生徒だけでは不可能だろう。

「そこで全校生徒の皆さんに意見を聞きたいと思います。軽音楽同好会の進退問題を全て校長の責任で今年度中に解決します。私にこの問題を任せてくれる生徒、私を信じてくれる生徒の皆さんは拍手をお願いします」

 ただでさえ鶴見と大村の熱論で会場は熱くなっていた。

 その議論に学校のトップである校長が割って入り、この問題を預からせてくれと頭を下げたのだ。

 誰も反対する生徒はいなかった。

「生徒の皆さん、ありがとうございます。この問題は校長の肩書に賭けて、必ず今年度中に解決させます」

 指笛を鳴らすチャラそうな男子生徒、「校長先生大好きー!」と叫ぶ調子の良さそうな女子生徒。それぞれの学級の近くで待機していた教員たちはそれを抑えるために大忙し。

 生徒たちの信任を得た校長は堂々たる歩みで体育館端に特設された校長席に戻っていく。

「ああ、そうそう」

 校長は何かを思い出したようだ。

 再び討論上の中央に戻ってきて議長と向かい合った。

 マイクを通してスピーカーから聞こえてくるその声は叱責しているようでありながらも優しく諭しているかのような、不思議な魅力のあるものだった。

「私はあなたに議長としての権限を与えました。あくまで会議を公平な立場で進行する権限です。独裁的に全ての物事を決めていいという意味ではありません」

「………………」

「あなたは私に誓いましたよね? 「特定の部活動、団体、生徒に与することなく公平な立場で議論を進行させる」と。あなたは私に対して嘘をついたんですか?」

「違います」

「あなたは嘘を二つもつきました。一つは開会式での宣誓。二つは今の返事。誤って議題を飛ばしてしまうことはよくあることですが、それを指摘しても頑なにその議題に触れようとしなかった。そして吹奏楽部が不利になったとたんに制限時間を理由に議題を打ち切ろうとした。制限時間なんてそもそも設けていませんよね?」

「………………」

「恥ずかしながら私はあなたの事をよく知らない。あなたの行為があなたの思想によるものなのか、誰かから指示されたのか分からない。だけどあなたの仕事は生徒総会を公平な立場で進行すること。黙ってみていたけどもあなたはそれができているとは思えない」

「………………」

「これからは公平な立場で、謙虚な姿で仕事に臨みなさい。それができなければ即刻あなたから議長の権限を取り上げます。この体育館からの退場処分を下します」

「……はい」

「あなたの言葉を借りましょう。これは最終警告です。横柄な態度は慎みなさい」

「……分かりました」

 それだけ言うと校長は再び退場し、自身の席に腰を降ろした。

 その姿を確認すると議長は気まずそうに口を開く。

「この問題に関しては校長先生の預かることになりました。この議論は現時点をもって保留とします」

 控えめな議長の進行によりこの議題はお開き。

 互いに睨み合っていた鶴見と大村はそれぞれの席へと戻っていった。


「鶴見君、今日は練習に参加しなくていいの?」

 東郷は自転車で並走する鶴見に質問した。

 こうやって二人で下校するのは今回で二回目だ。

「いいんだよ。今日はそんな気分じゃない」

 鶴見はエレキギターが格納されているギグバッグを背中に背負っている。本来ならば今日の放課後も軽音楽同好会の練習に参加するはずだった。練習させてくれと頼み込んだらしいが「今日は頑張ったから家に帰って休め」と部長に追い返されたらしい。そんな気分じゃない、というのは彼の照れ隠しなのだろう。

「でも凄かったじゃん」

「それでも今年も部活動に昇格できなかった」

 校長があの舌戦を預かって議題は保留となった。

 鶴見と大村はそれぞれの感情を抱いてそれぞれの座席へと戻っていったが、全校生徒は拍手喝采だった。誰がどちらに向けて拍手を送ったのかは分からない。しかし誰もが退屈そうに臨んでいた生徒総会は二人の舌戦によってこれ以上ない盛り上がりを見せた。

 二人が着席しても拍手は鳴りやむことはなかった。

 議会の運営方法について指導を受けたばかりの議長が「静かにお願いします」と言ったときはさすがに誰もが気の毒に思っただろう。以前のふてぶてしい口調は嘘だったかのように彼は端正に、かつ気まずそうに議長席に座っていた。

 今回の議論は校長が預かり、それぞれの組織にとっては引き分けになった。

 しかしそれは保留になっただけに過ぎない。

 どちらかと言えば大村を代表とした吹奏楽部側の思い通りのままだ。

 今年も部活動に昇格できなかった、と鶴見は何度も嘆いていた。

 それと同時に東郷もショックを受けていた。

 確かに吹奏楽と軽音楽はジャンルが違う。

 しかしあの大村が軽音楽を「うるさい」と切り捨てるだなんて。

 東郷が中学でコントラバスに触れたのも、そこからエレキベースに転向したのも、すべて大村の勧誘がきっかけだった。

 そんな特別な存在である大村がそのように考えていただなんて。

 東郷も鶴見も心に傷を負ったまま自転車を漕いでいく。

 あたりには吹奏楽部の楽器の音が響いている。ふと校舎を振り返ると、トランペットやサックスの部員がベランダから外に向けて楽器を鳴らしていた。

「なぁ東郷、帰ったらセッションしてみないか?」

 落ち込んだ声でそう提案する鶴見に対し、東郷はただ静かに頷いた。

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