after-19 

 かくして佐藤松は警察へ連行された。小型カメラ搭載のスニーカーやビデオカメラは言わずもがな、他にはペン式の小型カメラやカメラの仕込まれた折り畳み傘なども所持しており、警察は余罪なども含め捜査していくらしい。


 事件の当事者たる俺達三人が解放された時には陽もかなり落ちており、綿貫は事を知らされた両親と共に現地から帰宅、菅生と俺は集合場所だった駅まで帰路を共にし別れた。


 ようやく一人になれたところで、ぐるぐる内部でうずまいていた胃酸が食道を逆流し始める。

 急ぎ駅のトイレへと駆けこめば、これまでの記憶が熱を帯びて押し寄せてきた。


 俺はまた俺自身の手で他人を不幸にしてしまった。二度とそのような事が無いように細心の注意を払ってきたのに、結局俺は何かを犠牲にしなければ事を成すことができない人間なのだ。


 犠牲になった者に訪れるのは死。それは即ち自分以外を犠牲にすることは他者を殺す事に他ならない。誰が好き好んで他人を殺したいと思うのか。だってそうだろ。人を殺したって何も得られるものはない。それどころか何もかも失うというのに。


 その揺るがぬ事実の全てが俺のはらわたを引きずり出さんと今も食らいついてくる。引きちぎられないよう懸命にもがいていると、ふと誰かの声が耳に届いた。


――大丈夫?

 

 こちらを気遣う様な優し気な声に、無意識に応答してしまう。


「大丈夫なわけがないだろう」


 排水口に向けて言葉を吐きだす。


「どうして?」

「俺はある人間を不幸に陥れた。それは許されることじゃない」

「なるほど確かにそれは良くないね」


 声が俺の言葉を優しく肯定すると、ふと背中が暖かさに撫でられる。


「でもその人は、本当に不幸なのかな」

「当たり前だ。確か奴は犯罪者だ。法の下に裁かれるべき人間だ。でもそんな事はどうでもいい。犯罪者にとっては犯罪が露見する事は不幸な出来事だ」

「でもその犯罪者は捕まらなかったら他の人を不幸にしたと思うよ? それを防いだんだから正しい事をしたんじゃないかな」

「興味ない。俺がそいつを不幸に陥れた事には変わりないからな」


 言うと、声は返す言葉でも考えていたのか、少し間を置いてから静かに尋ねてくる。


「確かに、そういう面では不幸といえるかもしれないね。でも、犯罪を続けることがその人にとって不幸じゃないって言える?」

「詭弁だな」


 切って捨てると、束の間の沈黙が訪れる。

 そうなれば自ずと思考はまた自分の内側へと向いていくのは必定。今後起こり得る可能性を勝手に想定し、気づけばそれを口にしていた。


「……あいつ、死んだりしないよな」


 犯罪が露見した以上あの女はたとえ刑期を全うしても今まで通りの生活はできない。そんな人生に絶望し自壊するなんて事は十分あり得るだろう。実際、一度俺は自らの手で他人をそこまで追い込んだ事がある。


「心配?」

「馬鹿言え。誰が犯罪者の心配をするかよ。俺が心配なのは自分の事だ。俺は自分の手で他人が死ぬ事に耐えられそうもない。もしそうなれば俺は……」


 自らを断ずる事になるだろう。


「優しいね」

「どこがだ? 理解に苦しむ」

「そこまで思い詰める事ができるって事は、他の人の事を誰よりも考えてあげられるって事だよ」


 誤りに満ちた見解を聞き、再び吐き気を覚える。他でもない自分自身に。


「ああなるほど。だが残念ながらそれも違うな。俺がなんで人を不幸に……殺したくないか分かるか? 他でもない自分のためさ。それも倫理観からくるものじゃない。人殺しになる事で周りから人がいなくなることが怖いからなんだ」


 あの時の後悔を思い出すとき、決まって俺は綿貫含めた他者の視線を思い出す。俺という存在を心から侮蔑するようなあの目だ。


「そっか」


 ふと、背中の一部に感じていた暖かさが全体へと広がる。フローラルな香り身を包み、幾分か安らぎを与えられたような気がした。


「けどそうだとしても、私はずっと正成君の傍にいてあげるよ。たとえ正成君がどんな過ちを犯したって、それが人殺しだったとしても。私は絶対には離れたりはしない。だからそんなに苦しまないで」


 その言葉に、緊張が全身からゆるやかに溶けていくのを感じる。同時に俺の頭にある人間の姿が想起される。


「ありがとう……」


 無意識に感謝の言葉を口にしていた。


「けど、もう平気だ」


 後ろから回された手の甲に触れ、そっと己の身体から外していく。


「先に帰ってもらったはずだったが」


 振り返ればそこには少しだけ寂しそうに笑う白崎の姿があった。


「好きな人が犯罪に巻き込まれてるって聞いて、一人だけで帰るなんてできないよ」

「ま、そこは同感だな。だがそれでもまだ解せない事がある」

「解せない事?」


 白崎が小首を傾げるので、念のため辺りを見渡す。先ほどは必死だったためまともにマークの確認などはしてないなかったが、しっかりとここは男子トイレだった。幸いなのは利用者が一人もいない事だ。


「わざわざ言わなきゃ分からないか?」


 つい半目になるが、白崎は特に気にした様子もなく平然としている。


「だってさっきの正成君すごく辛そうだったし、放っておけなかったんだよ」

「お気遣いどうも。一応待たせてたみたいだからな、この際家の近くまで送る」

「いいの?」

「ああ。幾つか聞きたい事もあるしな。それに……」


 それを言葉にすべきかするべきではないか、一瞬迷うが、その迷いこそ振り切らなければならないものだ。


「どうせ今日で最後になる」


 俺が白崎叡花という存在を意識の中に留めておくのは。


「そっか……」


 白崎はぽそりと呟くと、上目がちでこちらの様子を窺う。


「じゃ、じゃあせめて最後に手とか……」

「嫌だ」

「うっ、即答。徹底してるなぁ……」


 白崎ががっくりとうなだれる。


「それよりさっさとここを出るぞ。見つかったらあらぬ疑いをかけられてまた警察の厄介になる事になるかもしれない」


 まぁ注意とかで済むだろうが、それでも厄介ごとには変わりないからな。

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