after-18

 一旦手首を離し受け止めると、綿貫が俺に気づく。


「先生どうしたの……って、まーくん! どこに――」

「少し黙ってろ綿貫」

「どーして……」


 なおも口を開こうとするので視線を向けると、綿貫はやや縮こまり口をつぐむ。


「も、元宮君じゃなぁい。先生びっくりしちゃったんだぞっ」

「当然だな。やましい事をしてる時に声をかけられたら誰でもびっくりする」

「あ、あらぁ? やましい事ってなんのことかしらん? それよりも先生のスマホ拾ってくれてありがとね?」


 松さんがスマホを奪おうとしてくるので躱す。

 この期に及んですっとぼけるか……。往生際の悪い。


「あ、元宮君意地悪なんだ~! 先生が好きなのは結構だけどそういう事は小学生で卒業しなさいっ! メッなんだぞ」


 相も変わらずうすら寒い事を言ってくるが無視する。

 あえていつ通りの姿を演じる事でうやむやにしようとしているのだろう。無駄な努力だな。


 試しに松さんのスマホの画面を点けてみるが、残念なことに既にロックがかかっていた。


「ちょ、ちょっと元宮君! 流石にそれはダメよ⁉」

「何が駄目なんだ。盗撮の証拠が出てくるからか?」


 包み隠さずその言葉を吐くと、松さんの顔が目に見えて強張る。


「え……、ま、まーくん? どういう、事?」


 突然放たれた単語に我慢ならなかったか、綿貫がおっかなびっくりに尋ねてくる。


「気づいてなかったようだが、お前この女にスカートの中撮られてたぞ」

「え? うそ……」


 綿貫を瞳孔を拡げると、先生の方へと顔を向ける。


「せ、先生、本当ですか?」


 綿貫に問われ、松さんは我に返ったように瞬くと、取り繕ったような笑みを浮かべる。


「やだぁ、そんなわけないじゃない? 元宮君ったら意外とお茶目さんなんだからっ」

「じゃあこれはなんだ」


 足元あった紙袋を手に取り中を覗けば、雑貨の影でテープに頑丈に巻き付けられた妙な物を発見する。ビンゴだな。


 底に手を入れ無理やり引きはがすと、機械が姿を現す。

 手のひらサイズもないくらいコンパクトだが、しっかりとレンズも付いており明らかにビデオカメラのそれに違いなかった。


「そんな……」


 綿貫もしっかりその形状は認識できたらしく、松さんを見る目が恐れやら悲しみが入り混じったものへと変わる。


「ま、待って違うのよそれは! ジャンク品を買って……」

「そのスニーカーも、メッシュ部分に妙な穴があるな。最近の流行か? いつもの履いてる取り外し可能なヒールはどこにやった?」


 言うと、松さんが下唇を噛む。小型カメラ搭載の靴が流行ったらそれこそ世も末だな。

 しばらく黙りこくっていた松さんだったが、やがて不貞腐れたように口を尖らせた。


「……おーけー、うんうん。いいわよ。認めるわよ。確かに撮ってました」

「ようやく認めたか」


 自らのスマホを取り出し通話のマークをタップする。


「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

「っ!」


 慌てながらこちらへ近づこうとすると、綿貫が半歩後ずさり俺の方へ身を寄せた。自分に害を成す存在には敏感らしい。


「それ以上は近づかない事だ」


 睨みつけ忠告すると、松さんがなだめる様に深く頷く。


「わ、分かったわ。だからその携帯をしまって? いったん落ち着いて話し合いましょ? 綿貫さんも。ね?」


 松さんと視線がぶつかると、綿貫の握る力が少し強くなった。


「話し合いの余地なんて無いと思うが」


 そう言いつつも腕を下ろす俺に、松さんが心なしか安堵した様子を見せる。この場においてはまず俺達に聞く耳を持たせることが先決だっただろうからな。


「確かに綿貫さんを無断で撮影したのは悪かったわ。それについては謝るわ。ごめんなさい」

「謝れば許されるとでも?」

「ええそうよね。うん分かってる。分かってるわ」


 手のひらをどーどーとこちらへ向けつつ、再び松さんが口を開く。


「十万……いや三十万円でどう?」


 松さんが綿貫の方を見て言う。

 傍らへ目を向けると、状況を飲み込めてなさそうな綿貫が目をぱちくりさせていた。


「なんで黙ってるの綿貫さん? 三十万よ三十万。これだけあれば欲しいものいっぱい買えるわよ?」

「え、えと……」


 綿貫が困惑気味に俺の方を見てくる。

 まぁ急にそんな事言われてもそうなるわな。一応示談を持ち掛けているつもりではあるのだろうが。


「生憎俺たちは未成年だ。示談を持ち掛けるなら親に話を通す必要があるはずだが」

「ええそうね。ごもっともよ。でもあれけっこう面倒だし、ここで話終わらせる方がきっと双方にとって有意義なはずよ。もちろんここで払うからには今後一切私は綿貫さんを撮ったりしないし、撮ったデータの全部削除するわ。その代わり今後この事は誰にも言わないって約束はしてもらうけど」


 とんでもない事を言う奴だな。所詮高校生と高をくくってるのか、あるいは本物の馬鹿なのか。真偽はどうあれメイド喫茶で働いてるとか公言しちゃうあたり後者のような気もするが。


「口約束にはなんの拘束力もない。綿貫が金をもらうだけもらってこの事を言いふらしたらあんたどうする? 確かに綿貫が三十万を受け取ったという事実が周知されれば多少後ろ指刺されるかもしれないが、人生の大きな障害にはならないだろう。対してあんたはどうだ? まず間違いなく教職人生は終わるぞ。前科持ちになって社会から追われる身にもなるかもしれない」


 指摘するが、松さんは動じずむしろ怪しげな笑みを浮かべる。


「流石元宮君。よく理解してるわね。でもね、そうなったら危ないのは綿貫さんの方かもしれないわよぉ?」

「というと?」

「ちょっと怖い人達に来てもらう事になるかもねって事。こう見えて私けっこう人脈広いのよ?」


 怖い人たちの人脈ね……。


「それはあんたが撮り師のきたむーだからか?」

「なっ、なんでその名前を……」


 試しに尋ねてみると、松さんはあからさまな反応を示す。

 黙っていればいいものを、自分から白状したようなものじゃないか。別に警察に突き出せば遅かれ早かれ判明する事だとは思っていたので重要視はしてなかったが。


「なるほど。確かにそれならその言葉もあながち嘘とは言い切れなさそうだ」


 ダークウェブの人間であるわけだからな。


「分かった? それなら……」

「だがまぁ、警察に突き出せばそれで済む話だよな」


 言うと、松さんが苛立たし気に声を尖らせる。


「だから話聞いてたのかしら元宮君? 私には」

「ああ、そんな界隈に首を突っ込んでる以上確かにそういう人脈は多少あるんだろうが、その怖い人達は自分のミスでお縄にかかった間抜けのために出張ってくるような連中じゃないだろ?」

「それは……!」


 図星だったか、言葉を詰まらせる松さん。額には汗を滲ませいよいよ焦り始めたようだ。必死にしぼりだしたように声を発する。


「わ、分かったわ! 百万円、百万円でどう⁉」


 何を言い出すかと思えばもうやぶれかぶれだな。


「無駄だ。綿貫だってそんなもので」

「え、百万円も……?」

「マジか」


 聞き耳を立て始める綿貫に絶句する。間違いなく乗るべきではない話なのだが、当事者こいつだし頷かれたら引き下がらざるを得ない。

 だがさしもの綿貫もそこまで頭お花畑ではなかったようで、すぐにかぶりを振る。


「ううん! よく考えたらお年玉とかお小遣いでまだそれくらい貯金あるもん! いらない! こんなやつ早く警察に捕まっちゃえばいいんだ!」

「えぇ……」


 綿貫の述べた理由にドン引きする。

 あれだけ懐いていたのにこの清々しいまでの手のひら返しっぷりもそうだが、お年玉やお小遣いだけでまだそれだけの大金を有している事実にも引く。


 別に綿貫の家は特別裕福というわけでも無かったはずだが……まぁでも父方の祖父母と母方の祖父母がいて、なおかつ親戚との交流もあればありえない話ではないか。だとしても相当可愛がられてきたんだろうが。


「あ、あ、あ、頭おかしいんじゃない⁉」


 松さんが口をパクパクさせながら叫ぶ。

 その声のボリュームに、我関せずだった他の客もちらほらと足を止め始め俺たちの様子を窺い始める。


「だって百万円よ百万円! しかも白崎さんと違ってまだネットにも上がってないのよ⁉ なのにそれをふいにするなんて……」


 突然松さんが口から出したその名前に、全てを察する。だがその事は今は後回しだ。


 そろそろ菅生が店員を連れてこちらへきてくれるはず。予め菅生には俺からの電話を合図に警察への連絡やら店への事情の説明やらをしてもらうよう頼んでいた。


「あの人っす!」

「本当なのかい?」


 どうやら早速行動してくれていたらしい。菅生が店長らしき人を連れてこちらへとやってくる。


 だが肝心の店長はまだ信じ切れていなさそうな表情だったので、一応テープの巻き付いたカメラを見せ状況の説明などを軽く俺からする。


「……なるほど確かにこれは普通じゃないね。すみませんお客さん、裏まで来てもらってもいいですか」


 店長が周囲へと目を向けると、店員と思しき人が応援にやってくる。


「ちょ、ちょっと何よ⁉ 私は今この二人と!」

「分かりましたから、とりあえず警察を交えて話しましょう。既に彼が呼んでくれているみたいるのでね」

「知らないってのそんなの!」


 段々粗暴な口調になっていく松さんを見ていると、少しずつ視界が灰色に濁っていくのを感じる。当たり前と言えば当たり前だが、ここまで余裕のない松さんは初めて見た。こうなったのは全部俺が行動した結果だ。


「ていうかなんで菅生君まで……まさか……!」


 松さんがはっとした表情を見せる。


「はめたのね⁉ そうよ、きっとそうに違いないわ! 私にここへ来るって教えた時からこうしようと思ってたんでしょ⁉」


 暴れようとする松さんを店員と店長が二人がかりで落ち着かそうと試みる。

 他人から見れば冷静さを失った人間が周囲に当たり散らしているように見えるだろう。だが生憎松さんの言う事は本当だ。俺と菅生で松さんを罠にはめたのだ。四人で集まった放課後に、厳密には計画を練ったそれより少し前から。


 計画はシンプルだ。俺たちが遊びに行く情報を松さんに聞かせ、松さんが説明会後ららぽに向かうようなら尾行。位置情報共有アプリで尾行している菅生がどこにいるかを確認しつつ、接触できそうな距離もしくは松さんが接触しようと機を窺っている様子があれば綿貫を一人にさせ、松さんをおびき寄せ犯行に及んだところを捕まえる。


 次の標的が綿貫であることは一連の行動から見ればわかり切っていたからな。何せ既に一度この女は綿貫を撮っている。下駄箱で綿貫にべたべたくっつきながら持っていたボールペン、というよりはペン型のカメラを弄んでいたのは記憶に新しい。


 その事があったからこそ菅生を計画に巻き込んだし、綿貫を餌として選んだ。

 結果予想は的中。共有アプリの地図を見ればカフェを出てからビレバンに至るまで一定の距離でずっと付けてきているようだったため機を窺っていると判断、決行しまんまとこの女を釣る事に成功したというわけだ。


「君たちも申し訳ないけど一緒に」


 店長に言われたので頷くも、それが条件反射に似たただの反応に過ぎないと、頭のどこかでは理解しているらしかった。


 未だ松さんは俺の目の前で何やら叫んでいる。感情が高ぶっているのか目の端には涙のようなものも見えた。覚悟はしていたんだがな。


 なぁそうだろ俺?


 今のこの女の姿が、不幸以外の何かに見えるか?

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