after-9
放課後、菅生はおもむろに席を立つと、白崎の席へとぎこちない足取りで歩いていく。
「まーくん帰ろ!」
菅生の様子を見守っていると、横から綿貫が話しかけてきた。
「あー、先に外で待っといてくれ。少しやり残した事がある」
「やり残した事?」
「んーまぁ、今はまだお前に関係の無い事だ」
軽く突き放すと、綿貫が憤慨しながら半泣きになる。
「ひどい! どーしてそんな事言うの⁉」
「いやだって事実だし」
それにいずれ綿貫にもいく話だ。
「まーくんに関係のある事は私に関係のある事だもん! だから私も一緒にやる!」
「そうか」
身を乗り出してくる綿貫だが、こうなる事は想定済だ。今、教室に綿貫にいられるとやや困る。というか仕事が増えそうだからな。ここは退場してもらう。
俺はすぐ後ろにある掃除用具入れのロッカーを開く。
「ならまずここにある臭くて汚い雑巾を水で濡らして床を吹いてくれ」
「え?」
「俺は掃除当番なんだ。一緒にやってくれるって言っただろ? 今から雑巾がけをするところだった」
まぁ嘘だが。掃除当番でもないし、当番だとしても基本ほうきしか使わない。ただこの学校に転校してまだそんなに経ってない綿貫なら信じてしまうだろう。
「え、えと……」
横目で嫌そうに掃除用具入れにかけてある雑巾を見る綿貫。
ややあって、一歩後ずさった。
「そ、そうだ……丁度私も図書室で本を返さないといけないの忘れてた、えへ……だ、だから、返してからお外で待ってるね!」
綿貫は早口で言うと、一目散に教室を後にする。チョロいな。
小、中の頃は必ず俺が綿貫の代わりに雑巾がけをしていたからな。というか綿貫に回ってきた汚い仕事は全て俺がしていた。
今思い返せば綿貫のクズっぷりが際立つエピソードだが、一方でそれについては俺が悪かった部分もあるんだよな……。そもそも押し付けられたわけではなく自分から申し出た事だからな。
一番最初に代わってやった時俺はなんて言ったか、確か――
――くーちゃんを雑菌共に汚させるわけにはいかないよ。
「うっ……」
頭がッ……! 低学年辺りまで綿貫をそんな呼び方をしていたのを思い出したのも、そんな事を言っていた自分も凄まじく痛ましい。
今の今まで記憶の彼方にあった自らの黒歴史を掘り起こしてしまい頭痛に苛まれていると、ふと菅生の事を思い出す。
かぶりを振りつつ既にまばらになった教室を見回すと、白崎の席にその姿はあった。
「あ、え、えーっとだな白崎さん……」
「どうしたの菅生君。なんか変だよ?」
「あ、いや、ゴホン」
菅生がバツが悪そうに咳払いする。
少しの間沈黙していた菅生だったが、一つ深呼吸し白崎の方へと顔を向ける。
「次の土曜俺部活午前練なんだけどさ、ぱーっと遊びにいかないか!」
かつてと同じような軽いノリで菅生が誘うと、白崎がにっこり微笑む。
「え、ちょっと嫌かな」
既に教室に残る生徒はあまりいないからか、やけにその声は大きく聞こえてきた。
ややあって、菅生はさび付いた機械のような挙動で首を回す。
「も、も、も、もと、元宮……お、おれ、おれ……おえっ……」
その顔は真っ青に染まり、涙なのか汗なのかもわからない多量の水滴を流していた。
あーこれはもう完全にライフポイントゼロだな。
正直こうなるかもなとは思っていたが、かといって極力俺が動くのも避けたかったからな。しかしこうなっては仕方ない。
席を立つと、俺もまた白崎の元へと歩み寄る。
「あー白崎」
「正成君……!」
心底嬉しそうに顔を綻ばせる白崎。無邪気に喜んでいるようだが期待には沿えないだろうな。
「今度の土曜菅生とかと遊びに行くんだがお前も一緒に」
「行く! 行くよ!」
言い終わる前に白崎は立ち上がると、俺の手を握ってきた。
「対応の差ッ!」
視界の端に菅生が頭を抱える姿を捉えつつ、握られた手を見る。
「おい」
「あっ……ごめんね」
頬を赤らめ上目がちでこちらを覗き込んでくる白崎。
本性を知った後じゃ演技としか思えない所作だが、この女の場合俺に対するこういうのだけは演技じゃなかったりするんだよな……。
「詳細は追って連絡する、が」
言葉を区切ると、白崎が不思議そうにこちらを見てくる。
「綿貫も誘うつもりだと先に伝えとく」
言うと、白崎は薄く微笑み身を翻した。
「そっか。じゃあ私も先にこれだけ言っておくね」
そう言って、肩越しにこちらへ視線を向けてくる。
「今回はあまり協力はできないかな」
「そうか……」
まるでこれまで色々と協力的だったような言い草だが、まぁ手段はどうあれ白崎は終始俺の味方ではあったからな。あながち間違いではない。要するには今までのように俺のために動くことができないと伝えているのだろう。その理由までは俺のあずかり知る事ではないが。
「遊びには行けないか。なら仕方ない」
「え⁉ そ、そこまで言ってないよ⁉」
俺の言葉に、慌てふためきながら再び俺の方へと向き直る白崎。やや食い気味なその姿に、思いがけず喉からむずがゆい何かが込み上げくる。
それが可笑しさからくる笑いである事に気づき、俺はすぐ感情を腹の底へと押し込んだ。
「そうか、それなら良かった」
「っ!」
さっきのがからかいであった事を気づかれてしまったか、白崎は顔を紅くする。
「も、もう! それじゃあまたね正成君、楽しみにしてるからねっ」
白崎は早口で言うといそいそと教室を後にするが、その口元は僅かに緩んでいるようだった。
去っていく後ろ姿にやや罪悪感を覚えるが、それ自体が間違った認識であると改めて自らを戒める。
行動の伴わない罪悪感はただのエゴだ。
「元宮の事が好きってのは知ってるんだよ……」
ふと、足元から悲哀に満ちた声が聞こえてくる。
視線を落とすと、菅生が四肢を突きぷるぷる震えていた。
「知ってるんだけどさ、ここまで対応違うか? いやでも俺だもんな、当然だ……ハハハ……ハハハハハ……」
ぶつくさ言いながら力の無い笑い声を漏らす菅生に、激励の意味を込めて声をかける。
「白崎が俺の事を好きでいる限り、白崎は誰の手にも渡らない。そうだろ?」
半ば自分に言い聞かせるように。
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