after-2

 学校へ行く道中には駅がある。奈良では学校へ行くには草木をかき分けていくのが当たり前なため、一年経った今でも人工物が通学路にあるのはとっても新鮮だ。

 頭上をモノレールが横切っていくのを眺めていると、ふと綿貫が前方へ指をさす。


「もしかしてあれって……」


 綿貫の視線の先を追いかけると、そこには腰を丸くし駅構内に続く階段で足をさする見知った人影が傍らで座っていた。


「一応声かけてみるか……」


 なんかアクシデントっぽいし。


「うーんうーん、困っちゃったんだぞ~?」

「大丈夫ですか」


 傘を畳みながら階段の方へ行き声をかけると、人影の背筋が伸びる。


「きた!」


 きた? 何が。

 訝しんでいると、その人は猫なで声を発する。


「実はぁ、ちょっとヒールが折れちゃったんですよぉ……」


 足元には確かにヒールのないパンプスが横たわっていた。なるほどそれで足をさすっていたのか。


「それでどうしようっかなぁって……え?」


 その人物は顔を上げこちらの顔を見ると、表情を固くする。


「元宮君? と、綿貫さん?」

「おはようございます佐藤先生」


 うちの担任こと松さんに挨拶をすると、綿貫もペコリと頭を下げる。


「あ、あら、あらあら~。お、おっはー二人とも!」


 おっはーて。

 いやそれよりも随分と動揺しているみたいだが。


「それでヒール折れたんでしたっけ?」


 言うと、松さんは目を泳がせる。


「あ、こ、これね? これはね? 取り外し可能なのよ? だから安心してちょ?」


 朝からSAN値を下がる語尾をつけつつも、松さんは慣れた手つきでヒールを元に戻した。


「え、いやじゃあなんで折れたとか言ってたんですか」


 至極当然の疑問をぶつけると、汗をだらだら流しながら松さんは視線を逸らす。


「え、えっとぉ……」


 この様子……なんかろくでもない理由な気がするな……ここはあえて触れないようにするのが吉な気もする。

 この場はさっさと切り上げ学校へ向かおうと決めるが、ふと綿貫が口を開く


「も、もしかして、出会いを求めてとか……」


 綿貫の発言に松さんの顔がみるみると赤くなっていく。


「ど、どど、どどど、どうしてわかったの~⁉」


 松綿貫の肩を涙目で鷲づかみにして訴えかける松さんに、綿貫が逃れたそうに視線を逸らす。


「な、なんとなく……?」

「ううっ……きっと白馬の王子様が迎えにきてくれるって思って……ぐすん。実はね先生、この前彼ぴに裏切られてね? それで忘れなきゃってね? 思ってぇ……」


 急に聞いてもない身の上を語りだす松さん。迷惑この上ない人だな。しかもヒール折れたのを装って出会いを求めるとかどうにかしてる……。


 俺の松さんに対する好感度がどんどん下落していくのを感じるが、綿貫の方はそうでもなかったらしい。不意に目に同情の色を浮かべると、松さんの手を取る。


「そんな……先生可哀そう! あ、あの、私で良ければ、話聞きます!」

「いやぁんありがと綿貫さ~ん!」


 松さんは痛く感動したように声を上げると、自らの隣に綿貫を勧めた。

 この二人は非常にまずい組み合わせかもな……。

 その後、綿貫は延々と続く松さんの身の上話に真摯に耳を傾け、俺はと言えば話が終わるまでその傍でずっと立たされ続ける羽目になった。

 

♢ ♢ ♢


 ひとしきり話し終えた後、松さんは学校でやらないといけない事があったのを思い出したとかで慌ただしく外の方へ出ていくと、向こうでタクシーを捕まえる。

 俺たちも行くかとまた雨の中へと身を投じると、綿貫がぷりぷりしながら口を開いた。


「たっくんって奴ほんとサイテーだよね」

「ふむ……」


 たっくんというのは先生の言う彼ぴの事だ。


「先生には幸せになってほしい……」

「んー。まぁ、それはそうだな」


 別に俺に他人の不幸を願う趣味は無い。

 ただ先ほどの話を聞いてというのならそんな感想はほぼ抱いていなかった。


 曰くその裏切った彼ぴというのはホストで働いていて、そんな彼に松さんは色々と金銭面で支援していたが、ある日他の女とホテルに入るところを目撃した、挙句問い詰めたら警察呼ばれた、みたいな話だが、まぁお察しだな。恐らく松さんの方が変な勘違いをしてホストを困らせてた説が濃厚だ。


 無論、本当に口八丁で騙されていた可能性もあるのだろうが、二人で会ってくれないし家も教えてくれなかったらしいので、その時点で気づけよなと思う。



 少し強くなった雨脚の中を歩くこと十数分。

 ようやく学校へとたどり着いた。


「ねぇ、まーくん。もう教室まで一緒に行っていいんだよね?」


 傘の水滴を飛ばしていると、横から綿貫が尋ねてくる。


「まぁな」

「やったぁ~!」


 顔を綻ばせ綿貫が腕に抱き着いて来ようとするのですかさず躱した。


「確かに一緒に行くことに異論はないが、べたべたくっつかれるは断固拒否する」


 傘立てに傘を突っ込むと、綿貫が恨めしそうな視線を向けてくる。


「むむ、まーくんのいじわる」

「じゃあ一人で行け」


 さっさと下駄箱から上履きを取り出し、教室の方へと向かう。


「あ、ま、まって!」


 背後から慌ただしい気配を感じると、すぐに綿貫は追いついてくる。


「えへへ~」


 横目に綿貫の方を見れば、存外機嫌よさそうにしていた。

 たかだか教室に行くだけで何をそんなに……。


「……?」


 ふと綿貫が不思議そうな目でこちらを見てくるので、すぐ視線を外す。

 中学の頃とは打って変わってのこの無警戒ぶり。調子狂うな。


 今と昔の間で生じるズレのようなものに精神がぐらつくのを感じていると、ふと頭の片隅に何故か"彼女"の顔がちらつく。



 すぐさまそのイメージを振り払うと、既に教室の傍まで来ていたのに気づく。

 綿貫との関係が露見したりと色々と話題の人間になってしまったが、いずれそれも収まっていくだろう。


 今日は何事もなければと良いのだがと願いつつ戸を開けると、多くの視線がこちらに向けられるのを感じる。


 綿貫と入ってきたからだろうかと邪推するが、どうにも様子がおかしい。

 特に何か言われることもなく無事席へとたどり着くが、向けられた視線はそのままで、コソコソと各所で何やら噂されているようだった。

 聞き耳を立てるとわずかだがその内容も聞き取ることができる。


「絶対ないって。元宮君だよ?」

「まぁ、そうだよね」


 もしかして俺ではなく綿貫が注目を浴びているのかとも考えたが、どうやらそのアテは外れたようだ。

 こういう時菅生がいてくれれば色々聞くことはできるんだが、あいつはまだ部活の朝練だろう。


「てかコラとかじゃね?」


 ふと気になる単語が耳に入る。

 コラ、ね。

 一つだけ気になる事があったので、調べるべくスマホをつけようとすると、ふとこちらへと近づいてくる影を視認する。


「よ、よぉサトリスト……」


 顔を上げれば、金髪がどこか緊張した面持ちで俺の方を見ていた。

 その後ろで、新たに教室へ入ってきた綿貫と仲良くしてくれている女子が綿貫の席へと近づいていくのを確認しつつ金髪へと目を向ける。

 

 正直声をかけてくれたのはありがたい。この状況の理由も知っているだろうからな。


「どうした?」


 尋ねると、金髪は視線を泳がせる。


「あーっと……」


 視界の端では教室の面々が俺と金髪の様子を見守っている。

 ややあって、金髪が意を決したように俺の方を見据え、いやらしい笑みを浮かべる。


「いやよぉ、お前白崎ちゃんと別れたじゃん?」

「ああ……」


 その名前が出てきたか。改めて教室内を見てみれば、まだ白崎は来てないらしい。

 この異様な教室の空気と関係あるのかは分からないが、とりあえず話は聞いてみよう。


「まーま、その理由はもう聞かね! うん!」


 金髪が首に手を回し方を叩いてくる。


「そうしてくれると助かるが」


 白崎と別れた事実が周知された時、当然その理由も聞かれたが、そもそも本当に付き合っていたわけではないので、とりあえずクラスの人間にはお互い思う所があって、という言い方ではぐらかしている状況だった。


「でもまだまだ聞きたい事はあるんだよなぁ?」

「ほう」


 ただ単に雑談をしにきただけか、あるいは何か目的があるのか。いずれにせよもう少し話を聞く必要はありそうだ。


「参考までに何を聞くつもりなんだ」

「ひっひ、そいつはなぁ……」


 金髪がいやらしく笑うと、とんでもない事を言いだす。


「白崎ちゃんのパンツの色とか教えてくんね?」


 うわサイテー。マジかよあいつ。みたいな声がちらほらと聞こえてくる。俺も同感です。


「いや急に何言ってんだお前……」


 ほんとそれ。金髪やばすぎだろ。みたいな声がちらほらと聞こえてくる。俺も同感です。


「も、もう別れたんだしいいだろ~? なぁなぁ? ヤる事はヤってんだろぉ? お? じゃ、じゃあ分かるよな!」


 さしもの金髪も教室の声が聞こえてきたのか、やや興奮気味……いや、焦り気味に尋ねてくる。


「いやこんな短期間で何かあるわけないだろ。キスはおろか手すらまともに繋いでないんだぞ」


 厳密には多少あるが、あれは繋いだというか握られたという方が正しい。

 俺の回答に、金髪が目を丸くし固まる。


「は? チューもしてないとかマジ……?」


 どうやら本気で驚いているようだ。


「いや普通だろ」


 一般的には付き合って最低でも二か月は時間を置くもんじゃないのか。


「ハッ、そうじゃねえ!」


 何か思い出したのか金髪は首をぶんぶん振り回すと、俺から俺たちの様子を窺っていた教室の面々へ視線を移す。


「でもこれは流石にリベンジポルノの線は無いっしょ!」


 藪から棒に出てきた言葉に今度はこちらの思考が固まりかけた。

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