第三十九話 本懐
今年は梅雨前線が例年に比べ南寄りらしく、快晴とまではいかなくとも今日は雲の隙間からは青空を見ることができた。
とりあえず目下の問題は片づけたが、まだまだ予断は許されない。あるいはこれからが本番とも言えるかもしれない。枕を高くして寝られるのは菅生の恋を成就させてからだ。
窓の外から教室へと視線を移動させると、丁度綿貫と目が合う。
「ハっ……!」
学校ではできるだけ関わらないという約束は覚えているらしく、綿貫は一通りあたふたした後、机から携帯を取り出しすさまじい速さで指を動かしていた。
どうせ何か送り付けてきているんだろうと俺はポケットの携帯を取り出し、画面を見ずにカバンの中に放り込んだ。
「ひ、ひどい!」
突然半泣きで立ち上がる綿貫。
おいおいと半目になっていると、後ろから女子が歩いてくる。いつも綿貫と昼飯を共にしてくれてる子だな。
「どうしたの空那ちゃん」
「あ、え、えーっと……」
不思議そうな顔を向けられ、綿貫が両手で携帯を握りしめる。面倒な。
カバンに入れたスマホを再び取り出し、適当にネットニュースを漁ると、虐待関連の記事を見つけたのでそのURLをコピーする。
そのまま綿貫のトーク画面に貼り付けると、綿貫の方の携帯からシュポっと間の抜けた音が鳴る。
「空那ちゃん?」
再び名前を呼ばれると、慌てた様子で振り返り携帯の画面を指し示した。
「え、えっと、このニュース見て……」
「あ、これ朝のニュースでやってたやつ。本当に酷いよね~」
「う、うん」
とりあえず意図は理解したようで何よりだ。
そのまま女子トークタイムが始まるのでさっさと視線を外す。
と言っても特にやる事も無いので、とりあえずブラウザを開くと、先ほどのサイトの文字列が目に入った。
父親による娘への虐待、ね。
ほんとに酷いニュースだ。
さっさとニュースのタブは消し、ネット小説サイトを開くと、急に誰かが後ろから手を回してくる。
「うぇいー、もっとみーやくーん」
香水でもつけてるのかあるいは整髪剤の香りなのか分からないが、つんとした匂いが鼻を突く。
「何の用だよ金髪……」
またサトリストチャレンジか? てっきりもうやってこないと思っていたのだが。
「用ってほどのもんじゃないけどよぉ?」
金髪は俺の頬に指を押し付けてくると、ぐっと顔を近づけてきた。
「最近彼女とは、どーなのよぉ?」
ふと、天使の顔が頭の片隅によぎる。
「あー、それな……」
俺と彼女との関係は既にクラス中に周知されていたため、いずれこうなることは分かっていた。
後始末をどうするかについては特に示し合わせてないが、ここは普通に答えるのがベターだろう。
「どこまで行った? 手つなぎ? ちゅー? そーれぇとぉも……へへへ……」
金髪のねっとりした視線をかわすと、頬杖を突く。
「別れた」
「え?」
窓に映る金髪は一転、いやらしい笑みから豆鉄砲を食らったような顔をすると、声高らかに叫んだ。
「えぇぇえええええ⁉」
絶叫が響き渡り、教室の喧騒がやむ。
そこへ丁度菅生が飄々と入ってきた。
「朝からどうした~金髪。廊下の外まで聞こえてきたぞ~」
「す、す、すがやん……」
「なんだよそんな噛み散らして」
こいつすがやんって呼ばれてたのかと素朴な感想を抱いているうちに、金髪が口を開く。
「元宮君が白崎さんと別れたって!」
静かな教室には、金髪の声がよく通った。
瞬間、教室にざわめきが走る。
これは色々と詳らかに聞かれる羽目になりそうだが、まぁ遅かれ早かれ契約を破棄した時点でこの時は来ただろうしな。
特に気にすることでも無い。菅生も適当に話を合わせてくれるだろうし。
と思ったのも束の間。
「なんだとお⁉」
いの一番に身を乗り出して迫ってきたのは菅生だった。
「いやなんでお前が驚くんだよ……」
「いやいやいや、そりゃそーだろ⁉ その……あれだ、関係がもう終わってたとか! 聞いてねーぞ⁉」
「昨日のやり取りの中に破棄という言葉はあったはずだが」
「そ、そうだっけか?」
困惑気味な声を上げながら自らの後頭部に手を当てる菅生。まぁあの状況で会話の端々まで覚えておく方が無理か。
「でも、特にこれからの事は心配しなくてもいいからな」
ぎりぎり文脈に合いそうな言葉選びをしつつ、菅生と俺との間で交わされた約束の事について触れておく。
「そこはまぁ、心配してねーけどよ……」
菅生は後頭部をさすりながら言うと、恥じ入った様子で笑いかけてくる。
「俺はてっきり綿貫さんと元宮が幼馴染って事を知って金髪が叫んだのかと……」
「は?」
げ。
菅生の言葉に図らずも金髪と共に脱毛してしまったが、これはやってしまったな。
綿貫の方へつい視線を向けると、責められたと思ったのかぶんぶん首を振って必死で自分が言ったわけじゃないアピールをしてくる。
咄嗟に自衛に走る辺り良い性格してるなと思うが、実際、全部俺のミスが引き起こしたことなので綿貫は一切悪くない。
間もなくして、本日二度目の金髪の叫びが教室に響き渡った。
「はあああああぁぁぁあああ⁉」
同時に教室がどっと沸きあがったかと思えば、綿貫が女子ズに囲まれ、俺の周りには野郎ズが集まってくる。
これはもうどうあがいても収まりはつかないな……。致し方ない、腹をくくるしよう。
彼女の事やら綿貫の事やら、野郎どもから様々な質問が投げかけられる中、ふと白崎の座席の方へと目を向ける。
今はまだ朝で、全員が登校してきているわけではない。故にそこに白崎がいないのはおかしな事ではないし、綿貫を取り巻く女子の中にいないのも不思議な事ではない。
ふと、これまでの事を思い返す。
俺は俺の手によって誰かが不幸になる事を望まない。
が、実はそれを回避する方法が無いわけではなかった。
それは俺が白崎を受け入れる事。
白崎が俺の歪んだ願望に気づいていたのかは分からないが、少なくとも白崎の行動はそれを叶えてくれるものだった。
俺が綿貫を突き放せば綿貫が不幸になる。だから白崎は自らが糸を引いていると綿貫に思い込ませた。
俺が白崎と恋人になれば、菅生が不幸になる。だから白崎は菅生を駒として扱う事で、俺と白崎の関係が発展しても自分が主導したのだと言える立場になろうとした。
あくまで俺のせいではなく、白崎のせい。そういった図式が成り立つように動いていた気がしてならない。
故に俺は主に菅生の不幸を肩代わりさせないよう画策したのだ。そのまま白崎に甘えてしまえば俺が駄目になると思ったからだ。
いや、厳密には既にたぶん俺は白崎に甘えてしまっている。
最後に俺の事を必ず救い出してみせると言ったあの目に、白崎が俺を見捨てるはずが無いと。
だがもし、口でそう言っただけで、本当はあの時点で見限られてしまっていたのなら?
そうであれば恐らく、今度こそ俺はちりちりと壊れ始めやがて朽ち果てていくのだろう。
だから心の中でひそかに願う。
天使の再臨を。
I want you to love me more 了
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