第三十八話 歪みはその周囲を歪ませる事によって正しく成る②

「三分の一、正解だな」

「んだよそれ」


 菅生が呆れたような眼差しで見てくる。


「確かに俺は白崎を弄ぼうとは思っていない。それは正しい。身を引こうともしている。けどそれはお前が考えている理由のためではないし、お前の白崎に対する気持ちについては本気で疑っている。流石にヤり目だったとまでは思ってないがな。以上の事を踏まえて三分の一正解と言ったんだ」

「なるほど、要するに前半部分は本心ってわけか」

「それは間違ってない。どうする? もう一度俺の胸倉を掴むか?」


 乱れた襟元を軽く直すと、菅生は肩を竦めた。


「まさか。さっきのは俺も冷静じゃなかった」

「そうか」

「けど、そのままお前の言葉を受け入れる気もねー。俺の白崎さんに対する気持ちは本気だ」


 本心から出た言葉らしく、その目は一点の曇りも見当たらなかった。


「本気なら他の野郎に応援だ推しカプだの言って意中の女を差し出すような真似はしないと思うんだが」

「なるほど。それでああ言ったわけだ。けどお前は分かってないね元宮。本気で好きであるという事は、その人の幸せを誰よりも一番に願うという事だ。たとえその願いを叶えるのが自分でなくとも、その人が幸せならそれでいいのさ……」


 何やらすかした笑みを浮かべる菅生だが、なかなかどうして狂った倫理観を持っているようだ。


「……なるほど。好きとはその人の幸せを一番に願う事か」

「おうよ」


 菅生が力強い眼差しでこちらを見る。だから今すぐ白崎を追いかけろと急かされている気分だ。


「ならなおの事お前は白崎を諦めるべきじゃない」


 言うと、菅生が退屈そうに欠伸をする。


「この期に及んでまだ踏ん切りつかないのか? どうしてもって言うなら一発くらい殴ってやってもいいぞー」

「いや違う。白崎が俺と付き合う事は白崎の幸せにつながらないと言ってるんだ」

「そんな事ねーよ。好きな人と付き合えるってのは幸せな事だ」

「相手が自分を好きじゃなかったとしてもか?」

「え?」


 俺の言葉に、菅生が茫然と目を瞬かせる。


「お前は何か誤解しているようだが、俺は白崎の事を好きじゃない」


 告げると、菅生はチクリとした視線を送り付けてきた。


「流石の俺も呆れるぞ。お前まだ俺に気を遣う気でいんのか?」


 どうやら菅生にはそう映ったらしい。実際は逆なのだが。


「俺は事実を言ったまでだ」


 正面から視線をぶつけると、少し信じる気になったかその目から感情が動くのをくみ取れる。


「いやでもお前……」

「確かに、匂わせるような言動をとったのは認める。でもよく思い出してみろ。俺が一度だって白崎の事が好きだと言葉にしたか?」

「それは……」

「してないはずだ」


 言い切ると、菅生の瞳に動揺が走った。


「で、でもなんだってそんな」

「これについては悪かったと思ってる。ただ惚れそうにはなってたんだ。だからああいう態度をとってしまっていた」


 完全に後付けだが、まるっきり嘘というわけでもない。実際、偽物の関係の中で俺は何度も白崎に心を揺り動かされていた。


「……そっか。なら仕方ねーよな」


 どこか物悲し気に目を伏せる菅生だが、恐らくそれは白崎に向けられたものなのだろう。


「だから菅生、どうか白崎を諦めないでほしい」

「いやでもな……」


 言いたいことはごまんとあるだろう。既に菅生と白崎の関係はかなり複雑なものになっているからな。それが艱難辛苦の道になる事も菅生は理解しているはずだ。


 だが、全ては俺のため――ある事をきっかけにいつの間にか抱いてしまっていた俺の歪んだ願望のため、菅生にはそうあり続けてもらわない困るのだ。白崎を暴走させたのだってそのためだ。

 だから畳みかける。


「お前が諦めたら白崎は一生不幸せなままだぞ。何故なら今後俺が白崎に惚れる可能性は限りなくゼロに近いからだ。お前はそれでいいのか? 本気であいつの幸せを望むならお前自身の手で幸せにしてやるべきじゃないのか?」

「俺の手で……」

「そうだ。他でもないお前の手で白崎を惚れさせるんだ。そうすれば白崎の幸せは約束される。そうだろ?」


 語気を若干強めその眼の奥を覗き込むと、ややあって菅生が口を開いた。


「けど俺なんかにできるか? ストーカー野郎なんだぞ」


 自信なさげに視線を逸らす菅生に、ゆっくりと浸透させるように言葉を投げかける。


「ああ……。今回は確かにお前はやり方を間違えたんだろう。だが、間違えない人間なんていない。むしろ間違えるからこそ人は成長できる」

「そりゃそうかもしれねーけど……」

「まぁ、二の足を踏むのは理解できる。だから決めるのはお前だ。白崎の幸せを願い茨の道を行くか、自分の幸せを願い正しい道に行くか」


 菅生に茨の道を強いるべく、最後に甘言を以ってそそのかす。


「ただまぁ、一途に思い続けるのは美徳だと俺は思うが」


 しかしそれは執着ともいえる。が、後ろ向きな言葉は口にしない。現状、俺がどうあがいても白崎の事を好きになれない以上、菅生には白崎を幸せにしてもらう必要がある。


「一途に、か。……そうだな。その通りかもしれない」


 菅生が顔を上げ呟いたのが聞こえ、安堵する。


「まぁ、なんとかやってみるわ」

「そうか」


 本当に良かった。


「あ、けどもしお前が白崎に惚れて、白崎さんもまたお前の事を好きだと分かった場合……」

「安心しろ。それはない」

「お、おう……即答だな……」


 菅生は戸惑いを見せつつも俺に尋ねてくる。


「でもなんだってそこまで言えるんだ?」


 菅生の問いかけに一つ逡巡する。

 本当の事を言うべきか言わざるべきか。

ただ今回は俺の手前勝手で色々とこいつの内面を丸裸にしてしまったわけだからな。俺の方はまったくの無傷というのも申し訳が立たない。


「それはあれだ。俺に白崎より優先される奴がいるからだ」


 この感情を端的に表せる語彙があると心は理解しているが、脳はやはりそれを否定したがっているので回りくどい言い方になってしまった。

 が、幸か不幸か菅生にはきっちりと伝わったらしい。


「なんだってー⁉」


 菅生が素っ頓狂な声を上げると、前のめりで顔を近づけてくる。


「誰なんだ⁉」

「鬱陶しい離れろ」


 しっしと手で追い払いつつ、菅生へ問いかける。


「なんで白崎の口から綿貫の名前が出たのか疑問に思わなかったか?」

「ああ、確かに」


 素直に追い払われつつ、菅生合点がいった様子で肯定する。


「実はな、綿貫は俺の幼馴染なんだよ」

「なるほど幼馴染な……って、何ですとぉ⁉」


 声を張り上げこれでもかというくらい目を丸くする菅生。


「いちいちオーバーな奴だな」

「いやだってそりゃお前、確か実家は奈良……って、あっ――」

「理解したみたいだな。なんの因果か知らないが綿貫もまたこっちに引っ越してきてあろう事か同じ高校の同じクラスと相成ったわけだ」


 まぁこれ関しては綿貫が色々と調整したみたいだが、まさかうちのクラスに編入されるとまでは本人も予想していなかっただろう。


「それでまぁ、その白崎より優先される存在が綿貫というわけだ。だから白崎にとって綿貫が邪魔な存在だった」

「はぇ~なるほどなぁ……」


 菅生は腕を組みながら物思いに耽ったかと思うと、唐突にこちらに目を向けた。


「つまり、綿貫さんと元宮は運命の赤い糸で結ばれてるわけだな!」

「何故そうなるやめろ」


 あいつとそんなもので結ばれるなんてごめん被る。もし切れたら糸から大量の血が噴き出る未来しか想像できないからな。


「照れんなよ。ったく羨ましいね。俺も白崎さんが運命の赤い糸で繋がりてー!」


 菅生がいかにも羨ましそうに言う。


「……思い続けろと言った手前こういう事言うのもなんだが、よく白崎の事好きでいられるよなお前」

「なんでだ?」


 つい口を突いて出た疑問に、菅生は素っぽく聞き返してくる。


「いやだってすこぶる性格悪いよねあの子。お前の事脅して利用しようとしたり、恋敵だからって相手を不登校に追いやろうとか考えてたり」

「ストーカーした俺がひどい扱いを受けるの当然だからいいけど……確かに綿貫さんを排斥とかそういうのはやりすぎじゃねーかなとは思った」


 前者はどうかと思うが、後者に関しては菅生も思う所があるようだ。


「けどたぶんあの時の白崎さんは冷静じゃなかったと思うんだよな」

「まぁ……」


 確かに俺のせいで精神状態が不安定だったからな。間違っては無い。


「だから俺は白崎さんが本当はああいう事を言う子じゃないって信じてっから」


 澄み切った瞳でそんな事を言ってのける菅生。やはりこいつはどこかおかしい。

 が、これ以上は何も言うまい。実際、白崎が誰かを潰そうとは思いこそすれど、口に出したりしない奴なのは確かだろうしな。


「そうか」


 首肯しておくと、菅生が夜空を仰ぐ。


「っしゃあ! 明日から気合入れてくぞ~! なんたって俺は白崎さんを幸せにしねーと駄目からな!」


 そんな菅生の姿を見て、改めて安堵する。

 これで誰も不幸にならない未来が見えてきたと。

 かつて俺は一人の人間を死の間際まで追いやった。その事を悔いるうちに思ったのだ。


 もう二度と誰かを俺の行動によって不幸にしたくないと。


 だがそれは美しい他者貢献などではなく見苦しいエゴだ。誰かが不幸になろうと俺の知った事ではない。俺のせいで不幸になるのが嫌なだけ。


 つくづく思う。俺はどこまでも歪な人間であると。

関係の薄いうちに関係を断とうとしたが失敗し、天使に懐かれてしまったその時から既に俺の精神はもはや正常ではなくなっていた。何故なら俺の手でどちらか一方を斬り捨てなければならない未来が確定したからだ。


 結果的に俺は白崎を斬り捨てる道を選び、一時的に不幸にしてしまっているが、それでも菅生という存在が白崎の心を揺り動かしてくれれば、その不幸は無くなる。

 故に俺は菅生の背中を押すのだ。奈落の先に理想郷がある事を信じて。


「その意気だ。まぁなんかあった時は俺に言ってくれ。できり限りサポートする」

「おう! サンキューな元宮!」


 にっと歯を見せ菅生が笑う。

 お前は良い奴だよ本当に。俺と違って。

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