第三十七話 歪みはその周囲を歪ませる事によって正しく成る①

 今後どう動いていくつもりかは知らないが、この動画がある限り滅多な事はできないだろう。


 その背中から意識を外し己の影が伸びる方へと目を向けると、菅生が気まずそうに笑みを浮かべていた。


「あーなんつーか……サンキューな元宮」


 なんとか取り繕おうとしているようだが、声にぎこちなさを隠しきれない。まぁそれも無理はないだろう。ある意味今回一番精神に負荷がかかっていたのはこいつだろうからな。これまでの一連のやりとりは菅生の精神をかき乱すに十分余りある。ある程度フォローしてやらないと、明日から学校に来れなくなるなんて事態にもなりかねない。


「別に。友達がやばい状況になりかけてるなら普通は助けるもんじゃないのか」


 友達などとあまりこういう言葉は使いたくはないが、今の菅生には必要な認識だろう。


「そっか……お前はまだ俺の事を友達って言ってくれるんだな……」


 菅生が弱々しい笑みを浮かべる。


「そりゃマイナーラノベの事を語り合える相手は貴重だからな」

「それはそうかもしれねーけど……」


 菅生は窺うように尋ねてくる。


「ずっと聞いてたんだよな?」


 聞いていた、とは恐らく白崎と菅生とのこれまでの一連のやりとりの事だろう。


「一応」

「なら俺が気持ち悪いストーカー野郎だって事も分かってるよな?」

「そうだな、ストーカー野郎」


 答えると、菅生が苦虫を噛みつぶしたような顔をする。


「よ、容赦ねーな……。しゃーねーけどさ。そういうわけだから、お前もそんな奴とはつるまない方がいい。そんじゃ」


 そのまま会話を終わらせようとするので、すかさず言葉を挟む。


「お前は確かにストーカー野郎だ。何故なら相手にストーカーであると認識されるような行動をしてしまったんだからな。幸運なことにこの国は被害者に優しい」

「返す言葉もねーな……」


 菅生が後頭部に手を当てると、弱々しく笑う。


「で、他に何したんだ?」

「へ、他……?」


 出し抜けに聞いたからか、菅生が間の抜けた声を出す。


「ストーカー行為だよ。待ち伏せ以外に何かしたかって聞いてるんだ」

「あーね……俺がしたこと……したことな……。えーっと……」


 腕を組みながら斜め上を見る菅生。これまでの記憶を精査しているようだが、なかなか思い出すことができないらしい。


 それはひとえにストーカーであるが故、と言ってしまえばそれまでだが、正直なところ俺は菅生がストーカーであること自体に懐疑的だ。いや、確かにストーカーには違いないが、社会に制裁されるべきかと問われればそうは思わない。ここ数日間俺は菅生の事を徹底的にマーキングしていたが、俺がストーカーだと感じた行為を菅生はただの一度もしていなかった。なんなら俺が菅生のストーカーであると言われた方が納得できるほどだ。


 故に俺の目には、ストーカーだから菅生が思い出せないのではなく、ストーキングを菅生はした事が無いからそもそも思い出せるわけが無いのだと映る。


 だがあくまでそれは俺個人の価値基準であり、必ずしも社会に迎合されるかどうかは知った事ではない。俺がそう思った。ただそれだけの話。


 とは言えここ数日以外の行動までリサーチしていわけではないので、念のため俺が最大限社会に譲歩して、おおよそストーカーと認識されるに足る行為をしていないかは確認することにした。


「例えばそうだな、ストーカーの名に相応しくコソコソ白崎の事を付け回したりとかは?」

「それは、してないな……そんな事するくらいなら話しかけるし」


 菅生が当然とばかりに答える。

 リア充めが。


「それじゃあ無理やりついて行ったりとかは?」

「それも無いな。一緒に行ってもいいか聞いたら普通にオーケーしてくれてたし……いやでも今思えば俺の事が怖かったからそうせざるを得なかったのかもな……」

「なるほど」


 いかにも人間をたぶらかそうとしていた天使らしい光景が目に浮かぶ。

 あとストーカー行為と言えば何があるか。物的証拠が残るストーカー行為とかをしていればたぶんさっきの段階で突きつけられているだろうし。となると行動面に絞るべきなのだが。


「あとは……ああ、そうだ。相手の許可なくベタベタくっついたりとか、勝手に合鍵を作って住居侵入して待ち構えてたりとか」

「い、いやそんな事しねーよ! 犯罪じゃねーか⁉」

「あ、うん……そうだよね……ほんとそうだと思う……」


 心底驚きを見せる菅生に、何故かこめかみのあたりが痛くなってくる。ともあれ俺の中での結論はもう出たな。


「でもよく分かった。お前ストーカーじゃないわ」

「さっきと言ってたこと違わないか⁉」

「いや、お前は確かにストーカーだ。そこは曲げようがない。ただ俺から見たお前はストーカーじゃないって話だ」

「お、おう?」


 未だよく分かってない様子の菅生。鈍い奴だな。もしかしたらラノベ主人公になれるんじゃないのかこいつ。


「要するに、俺はお前の事をストーカーと思っていないから、これまで通り過ごさせてもらうって事だ」

「元宮……」


 ようやく理解したか、菅生はぽそりと呟き瞳孔を拡げる。


「まぁ、イタい奴だとは思ったが」

「うっ……」


 菅生がまずそうに顔を歪める。

 ストーカーじゃないとは言え、待ち伏せ行為を正当化してもらいたいとは思わないのでしっかりと落としておく。


 自身の行いを省みてか恥じ入った様子の菅生だったが、やがて落ち着いてきたのかおもむろに口を開く。


「けどほんと、お前ってつくづく良い奴だよな」

「どこがだよ」


 突き放したつもりだったが、伝わらなかったのか菅生はニヤリと笑う。


「そりゃ白崎さんも惚れちまうわけだ」

「……」


 唐突に、菅生の存在が遠のいていく。

 月が雲に隠れ始めているのか、視界の端では黒い影がだんだん迫ってきていた。


「我ながらだっせー負けかたしたと思うけど、相手がお前で良かったよ。元宮」


 気づけば光は菅生の背後に佇む街灯だけとなり、辺りは黒々とした闇で覆われていた。どうやら完全に月が雲に隠れてしまったらしい。


「だからこれからは応援する側に回ろうと思う! いわゆる推しカプって奴だな! ってちょっとちげーか?」


 菅生がいつもの調子を取り戻しおどけ始める。


「つっても、元宮はもう白崎さんの気持ちを知ってるだろ? だから今から追いかけて自分の気持ちを伝える、ってのを俺はおすすめする!」


 冗談めかした言い方をしながらも、菅生は真剣にアドバイスしているつもりらしかった。


 なかなかどうして、狂った提案をしてくる奴だ。何が狂ってるってあんなやりとりを目撃してもなお俺が白崎に好意を抱き続けていると思っている辺りが狂っている。それは即ち菅生が白崎に対して悪感情を抱いていない事に他ならない。


 まったく、俺が見込んだ奴なだけあるな。

 さぁここからが正念場だ。俺は今から菅生に艱難辛苦を押し付ける。全ては俺自身のために。


「……それ、本気で言ってるのか?」


 菅生の方を睨みつけるように見る。位置や光源的に俺の表情はよく見えていないだろうが、それでも確かに空気が変わったのを感じ取ったらしい。菅生は笑みを収めると、訝し気な眼差しをこちらへと向けた。


「元宮?」

「本気で言ってるのかって聞いてるんだ」

「いや、そりゃまぁ……」


 俺の質問の意図が読めないのか、どこか釈然としないまま返答をする。


「本気だけど……」


 俺は菅生の返答を確認すると、これみよがしにため息をつてやる。


「はぁ……」

「な、なんだよ」

「そんなだから白崎に振り向いてもらえないんだよお前は」


 なるべく神経を逆なでするような言い方を心掛ける。


「はは、急に何言ってんだよ元宮……」


 菅生が乾いた笑みを漏らす。


「好きな女を他の男に平然と勧めやがって。所詮お前の気持ちはそんなもんだったって事か」


 菅生と俺の間に確かな軋轢が生じ始めるのを感じた。


「あーっと、よく聞こえなかったんだけど、もう一回言ってくれるか?」

「いいだろう。なんなら分かりやすく言ってやる。お前の白崎に対する気持ちなんてヤれればいいかくらいの浅いものだって言ってるんだ」


 大よそ、菅生に一番反感を買う様な言葉選びをする。

 刹那、俺の胸倉を菅生の手が掴んだ。


「……んなわけねーだろ?」


 握る力は強く、明らかに俺に対して敵意を抱いているようだった。


「隠さなくてもいい。確かにあいつの見た目はいいからな。そういう気を抱くのも自然だろう。男子であるならな。そして俺も生物学的には男だ」


 茶化すように笑いかけてやる。が、普段笑いなれてない奴がわざと笑おうとすれば恐らく他人の目にはさぞかし醜悪に映るに違いない。


 さてどう出てくるかと菅生を注意深く観察していると、ふと引っ張られる力が弱まった。


「なるほど、そういう事かよ」


 菅生が俺から完全に手を離す。


「お前にそういうのは向いてねーよ」

「何の話だ?」

「とぼけるなよ。お前みたいに義理堅い奴が女の子を弄ぼうなんて考えるわけねー。どうせわざと悪役を演じて身を引こうとしてるんだろ?」


 つまらなさそうに菅生が言うと、再び月はアスファルトを照らし始める。

 なるほど、これは少し予想外の反応だった。拳の一つくらいは覚悟していたのに。まぁ素直に殴られる気は無かったが。


 とは言え、俺がやるべき事は変わらない。その道が駄目なら別の道から行くまでだ。

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