第三十六話 天使の退場
「そんな、どうして、正成君がここに……」
どうやら俺の登場は想定外だったらしい。白崎の声からは焦りが滲み出している。
これは意図的に意識を外し続けたかいがあったな。
「あの時から正成君は完全に私から興味を失ってたはず……そうじゃなければこんな事……。え? あれ? もしかして興味が無くされたと思ってたのは私のただの誤解で、ずっと見てくれてた……?」
焦燥に駆られたように言葉を連ねつつも、最後には頬に両手を添え口元を緩ませる。
……ふむ、何やら思考の末に訳の分からない答えに辿り着いたみたいだが、実際白崎から興味を外していたのは事実だ。これまでの姿を鑑みるに白崎はこと俺に対しては過剰なまでの自意識を有している。もし仮に俺が白崎に少しでも興味を向けようものなら、間違いなくそれに感づいて警戒してきだろう。
わざと怒りを誘い思考を鈍らせたとは言え、白崎くらい頭の回る人間に警戒されてしまうと、流石に何か企まれた時に阻止できる自信がなかった。
ただ、そんな奴を野放しにするのもまた本末転倒なので、俺は白崎ではなく白崎が駒として選びそうな菅生を監視し続けていた。体育でバスケをした時点で白崎が行動し始めていたのは分かったからな。ま、ライトな表現をすればあれからずっと菅生のストーキングをしてきたわけだ。
「ね? そうなんだよね? 正成君。本当は私の事考えて……」
「いや。契約が破棄された時点で俺の中でお前はただのクラスメイトだ。そして俺は大半のクラスメイトの名前をまだ把握していない」
縋るように見つめてくる白崎に毅然として言い返すと、ぼそりと菅生が呟くのが聞こえてきた。
「そんな自信満々に言う事かそれ……?」
「……」
そんなところに自信を持った覚えはないが。
菅生の方を一瞥すると、若干申し訳なそうにしながら曖昧な笑みを浮かべるので再び白崎の方へを目を向ける。
「そっか……そうだよね……」
白崎が肩を落とすと、絹のような髪が滑り落ちた。
「でもね、今更出て来ても遅いよ正成君。菅生君はもう私の言われた通りの事をするしかないんだから」
静かに白崎が告げると、後ろの方から菅生が息をのむ音が聞こえる。
「私知ってるよ? 正成君にとって一番大切に思ってるのは勿論空那ちゃんだけど、同時に菅生君の事も大切に思ってるって事。そんな菅生君を私はこの制服と一緒に警察に行く事で破滅させる事ができる」
だから邪魔をするなと、暗に警告しているのだろう。
実にくだらない主張だ。だが、俺にとってくだらない主張でも菅生がそれを一大事だと認識すればそれで白崎の目的は達成できる。何せ実際に判断し行動するのは白崎ではなく菅生だからな。オタクである事実ですら過剰に気にする菅生への効果は絶大なはずだ。十分に行動を起こさせる動機になりうる。
「でもね正成君。これは正成君のためなんだよ? 正成君と空那ちゃんは一緒にいるべきじゃない」
「……」
返す言葉が無いな。俺だってそんな事は理解している。俺と綿貫の距離が近づくことは俺にとっても、そして綿貫にとってもたぶん悪影響しか及ばさない。
それでも動こうともしない気持ちが自らの中に蟠り続ける限り、俺はそいつのために行動し続ける。
「だから菅生君も悪い事をするわけじゃないんだよ。だって正成君のためになるんだから。友達のために何かをしてあげるのは決して悪い事じゃないよね?」
「だからって人を……」
白崎の問いかけに口を開きかける菅生だが、置かれてる立場的にあまり下手な事を言うべきではないと考えたのか口を閉ざす。
その姿を横目に見つつ、俺は菅生が学校を出た時から起動させ続けている携帯をポケットから取り出した。
「言っただろ。綿貫に手を出す必要はないと」
画面に映る赤いボタンをタップし録画機能を止める。
「白崎、お前が菅生にしていた事は全部ここに保存してある。だからもし仮にお前が警察に行ったところでこれを俺が渡せば事件にはなり得ない。なんなら立場も逆転するかもな」
時間を調整し、白崎が菅生の腕を掴んだ瞬間から再生する。
画面には確かに先ほどの光景が映っていたことを確認すると、白崎は諦めたように肩を落とす。
「まぁ、そうだよね……。私が元宮君の立場でもたぶんそうしてた」
だろうな。実際白崎は同じような手法で一度綿貫を追い込んでいる。
「分かったらこれ以上余計な真似はするな。それでまだ何かを企むというのなら俺は躊躇なく使えるものは使う。よく覚えておくんだな」
念を押すと、白崎が口を開く。
「正成君こそ」
伏し目がちから白崎の視線は俺へと向き、静かに歩み寄ってくる。
「正成君こそ……覚えておいて。今回は失敗しちゃったけど、私は必ず正成君の事を救いだしてみせるよ」
俺にしか聞こえないような小さな声は悲しみを伴いながらも、確かな芯のようなものが通っているようで何を言っても折れそうになかった。故に俺は無言のままを維持する。
白崎は特に俺の返答は期待していなかったのか、そのまま俺の脇を通り過ぎ街灯の光る方へと去っていった。
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