第三十五話 静観する者

 白崎の口から飛び出てきた単語が、菅生の混乱に拍車をかける。


「何言って……」

「いや、気づいてないとでも思ったのかな? 菅生君、偶然を装ってしょっちゅう私のこと待ち伏せしてたでしょ」

「それは……」


 本当は否定したいところだろうが、残念なことに菅生はそれができない。何故なら白崎の言っている事はあながち出鱈目というわけではないからだ。少なくともここ数日、この時間あたりに白崎と落ち合えるように行動していたのは間違いなかった。


「やられた方はけっこう気持ち悪いんだよね」


 明確な敵意を以って白崎の言の刃が菅生を突き刺す。


「別にそんなつもりじゃ……」


 絞りだして出てきたのはなんとも言い訳がましい声だった。


「加害者側はいつだってそうだよね。例えばいじめなんていうのもそう。そんなつもりはなかった。遊びのつもりだった。相手がそんなに悩んでるとは知らなかった」


 淡々と告げられる正論紛いの矛は菅生を容赦なく貫いていく。


「あー、なんか言ってたらだんだんと腹が立ってきたよ。今まで我慢してきたからかな。もうこの際菅生君のストーカー行為、みんなに言いふらして発散させるのもありかも」

「そ、それは……!」


 怒気を醸す白崎に、菅生は声を詰まらせる。

 ストーカーのレッテルを貼られ、学校中から白い目で見られる日々。そんなもの菅生が耐えられるわけがない。少なくとも高校の間は様々な形で迫害を受けることになるだろう。それはこれまで菅生が積み上げてきたものが全て水の泡になるという事でもある。


 なんとかして菅生は声を出そうとするが、押し寄せてくる感情やら情報やらで脳が疲弊しているのかうまく言葉を言語化できていないようだ。

こうなってくると正常な判断を放棄した脳が逆上して相手に襲い掛かるという選択も取りかねないが、白崎はそんな事を考慮していないか、あるいは考慮した上であえて無防備を晒しているのか、動じずに続ける。


「ねぇ、この事秘密にしておいてほしい?」


 現在における菅生のただ一つの願いを、白崎が口にした。

 それに対し菅生は無言をもって肯定する。


「だったら私のお願い、聞いてよ」

「お、おう。白崎さんのお願いならなんだって聞くに決まってる!」


 それは許しを乞うための言葉であると同時に、一人の男としての言葉でもあるのだろう。

 白崎はにこやかに微笑みかけると、ある女子生徒の名前を告げる。


「そのお願いっていうのはね、空那ちゃん……綿貫空那を排除してもらいたいって事なんだけど」

「え……」


 まさか少し前に転校してきただけのクラスメイトの名前が出るとは思ってなかったのだろう。ましてやその排除なんて予想できるはずもない。何より、何故白崎がそんな事を願うのかまったく理解できていない様子だ。


「クラスメイト一人を排他する程度、今の菅生君くらいの地位ならけっこう簡単だと思うよ? 鶴の一声とでも言うのかな? 菅生君が何かにノーを突き付ければ必ず同調する人は現れる。とりあえず空那ちゃんが嫌いって公言してよ。たぶんそれでだいぶクラスの雰囲気も傾くと思うし。実際空那ちゃん自身も人に嫌われる素養あるからね。そうだなぁ、だいたい不登校あたりに追いやってくれれば」

「ま、待ってくれ」


 話を進めようとする白崎を制止する菅生を、黒い瞳が非難する。。


「なに? なんでもやってくれるんだよね?」

「そ、そうだけどさ、わかんねーんだよ。なんで綿貫さんなんだ?」

「それはあの子が正成君に苦痛を強いる存在だからだよ」

「へ? 元宮に? ど、どういう事だよ。ますますわかんねーって!」


 混乱気味に言い募る菅生に、白崎が静かに拒絶する。


「菅生君はわからなくていいよ」

「……っ」


 ただならぬ気配に気圧されたか、菅生が閉口する。


「それで、やるの? やらないの?」


 白崎が菅生へと迫る。空気がひりついた気がした。

 菅生はしばらく逡巡した後、悔しそうに拳を握り白崎から顔を逸らす。


「無理だ」


 絞り出したような声を出す菅生に激高でもするかと思われた白崎だったが、その表情は穏やかだった。


「なんで? 嘘ついたの?」


 諭すような物言いで微笑を湛える白崎。表情から感情が一切読みとれない。


「う、嘘じゃない! 白崎さんのためならなんでもやる。何か欲しいなら必ず用意するし、元宮との仲を応援しろっていうなら協力する。でも、元宮を苦しませるからっつって他の人を排除って……っ」


 菅生が不意に言葉を区切る。


「そ、そうだよ。俺は白崎さんのためならなんだってする。でも元宮のために何かするつもりはない。別に嘘はついてないだろ? だから……」


 どうやらまだ菅生は理性的な思考ができるだけの余力はあったらしい。あくまで筋を示して白崎の要求を退けようとする。

 ならば、その理性をさらに揺すられたらどうするだろうか。


「確かに、誰かを表立って嫌う事は相応のリスクを負う事になる、もし仮にそのリスクのせいで菅生君の地位が逆に落ちるような事があったら本末転倒だもんね。だからタダとは言わないよ」

「どういう……」

「菅生君がこれまでストーカーしてきた事を秘密にしておくのに合わせて、もし綿貫さんにダメージを与える事が出来たら……」


 白崎の瞳が月明かりに照らされ妖美に映える。


「少しくらいなら私のこと触らせてあげるよ?」

「んな……っ!」


 菅生が絶句する。


「流石に最後まで、っていうわけにはいかないけど、胸とかなら全然いいし、もし不登校にまで追いやってくれればそれよりも別のところだって良いよ?」


 菅生の息を呑む音が鳴った気がした。

 しかし白崎の方は特に恥じらう様子もなにも無い。ただ一つの目的を成就させるために交渉のテーブルに着き淡々と話を進めようとしている。


 無論、言った事を絶対守るつもりがあるかと言われれば怪しいところだが、もし仮にそうすることで絶対に目的を達成できると確信があれば迷わずその選択肢を取るだろう。そこがこの女の何よりも厄介な性質と言える。


 綿貫も大概厄介な性格をしているが、綿貫の場合基本的に迷惑をかける相手は自分が心を許した相手のみだ。それは例えば意中の人間などが当てはまる。


 一方白崎の方はと言えば、基本的に意中の相手に迷惑をかけるような事はしない。それどころか自らの肉体を切り売りしてまでそいつのために尽くすことができる。だがそれは意中の人間にだけ向けられる感情であり、その他の人間に対してはどこまでも冷徹になれてしまう。白崎にとって自分が心を許した相手以外心底どうでもいいのだ。


 それ故に、もし好き勝手やらせた場合、甚大な被害をもたらしうるのは圧倒的に白崎の方だろう。ましてや怒りで理性的な思考が鈍くなっている今、相手を救済するのに一番最適だと信じてやまない方法があれば、多少無理がでたとしても強引に推し進めようとしてしまう。杜撰に実行してしまう。


 さぁ、是が非でも他者を救済しようとしている、そんなある意味で本物ともいえる天使に対し菅生、お前はどうする? どう答える?


 辺りを重苦しい空気と静寂が支配する。

 その沈黙を破るのは天使か、それとも悪魔か。


「駄目に決まってるだろ! そんなの絶対に駄目だ!」


 淀んだ空気に一石を投じたのは他の誰でもない、菅生だった。


「こんな訳の分からない方法で俺は白崎さんを物にしたいとは思わねぇ! そんな事するくらいなら、俺はどんだけ惨めな扱いも受け入れる!」


 菅生の強い声が静かだった遊歩道に響き渡る。

 ああやっぱりそうか。お前はそういう人間だよな。

 これだから嫌いじゃないんだよこいつの事は。


 さて、こうなればもう白崎が選べる手段も限られてくるが……普段に比べて判断能力が正常ではない状態であれば恐らく。


「それじゃあ駄目なんだよ菅生君……」


 白崎がボソリと呟くと、不意にポケットから手袋を取り出し、それを装着した手で菅生の手首を掴む。 


「っ⁉」


 そしてその手を自らの胸へとあてがった。

 突然の出来事に一瞬硬直する菅生だったが、やがて慌てた様子で飛びのく。


「な、何を!」


 動転した様子の菅生に白崎が口角を吊り上げる。


「あーあ、これでただのストーカーじゃ済まなくなっちゃったね菅生君」


 やはり強硬手段をとってきたか。


「ストーカーに合わせて強制わいせつ。こうなったら学校どころか社会からの居場所も無くなっちゃうよ?」

「こ、これは俺がやったわけじゃ……」

「無いね。無いけどさ、この国って基本的に被害者の味方なんだよ。ことセンシティブな事に限っては尚更」

「でも今のは!」

「うん、そうだね。だから今から私が被害届を提出して警察が来ても否定すればいいんじゃないかな? でもたぶん警察は味方してくれないよ。さっきも言った通りこの国は被害を訴えた側に甘い。その上、この服の上には菅生君の形跡がばっちり残ってる」


 ああほんと、ばっちり残っちゃったな。


「ま、そっちの制服には何も残ってないけどね」


 白崎が指を動かしながら手袋を付けた手を見せつける。


「だからもう菅生君は私の言う事を聞くしか無いんだよ? 一生社会で肩身の狭い思いをしたくなかったらね」

「そんな……」


 まぁ、これくらいの事のせいで社会でどうこうなったりするかは疑問符だが、今の菅生にとってそれは耐え難い真実として重くのしかかってきているはずだ。ただでさえ精神状態を揺さぶられていた状況にこれでは、さしもの菅生とて首を縦に振らざるを得なくなるだろう。あれほどまで意志を貫く姿勢を見せたこいつにそれはあまり酷というもの。


 だから、ここからは俺の番だ。

 これまでずっと静観していたが、そろそろ頃合いだろう。


「ふふっ、それじゃあ早速明日から空那ちゃん排除に向けて動いてね。まぁもう菅生君に拒否権は無い状態だけど、それでも上手く言ったら胸くらいはちゃんと触らせてあげるからさ」


 士気向上も兼ねてだろう。白崎が弾んだように言うが、菅生は決して耳を貸そうとしない。


「……それには及ばねーよ。言う事は聞く。でも何があっても白崎さんに手を出すつもりはない」


 菅生の病的なまでの誠実さを目の当たりにしつつ物陰から出ていくと、こちらに気づいた白崎が目を見開く。


「綿貫にも手は出さなくてもいいぞ」


 突然背後から声をかけたからか、菅生が勢いよくこちらへと振り返る。


「も、元宮……⁉」


 唖然とする菅生の肩に一つ手を置き、久方ぶりに俺は天使と対峙した。


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