第三十三話 元宮正成 対 菅生拓也
窓を開けると、ふと前の席から視線が向けられる気配を感じる。
「開けない方がよかったか?」
視線の方へ目をやり尋ねると、菅生が首を横に振る。
「いや、開けてくれ」
なら良いがと席へと戻る。
「何か用か」
先ほどからずっと視線を向けられている。
「いやな、次の今日の体育の選択種目何にしたのか聞こうと思って開け終わるの待っててな」
「それくらいいつでも聞けば良いだろ」
「いやまぁ、そうなんだけどなー……」
どこか歯切れの悪い物言いに、少し思う事が出てくる。
「ま、どのタイミングで聞こうがお前の勝手だが。とりあえずバスケットボールにしてる」
答えると、菅生がニッと笑う。
「おお、そうか! じゃあ同じだな! ペア組むってなったら一緒に組もうぜ~」
「別に構わんが……」
わざわざ今から誘う必要あるか? あるいはどうしても俺と組まなければならない理由でもあるのか。まぁいずれにせよ些末な事か。
そうして迎えた体育の時間。
菅生が俺の目の前に立ちはだかる。
ウォーミングアップも兼ねてか、今は自由練習の時間だ。
種目は1on1。
俺はボールを突きながら、このゲームに本気を出すか出さないか思案する。
菅生は中学からバスケ部だったらしく、高校の今も継続して所属しているためそれなりに実力はあるはずだ。手を抜けば呆気なく負けてしまうだろう。とは言え別段負けたところで失うものなど何もないので、普段から授業でやるスポーツなどは適当にやっているのだが……。
今後の事を考えるうえで、俺が何か目に見える形で菅生よりも秀でている要素があるのを開示しておくのはメリットになるか。
と言っても今後何がどうなるかなんて完全に予測する事は困難なので、あまり気乗りはしないが、ここは一つ勝ちに行くことにした。
一つ踏み込めば、素早い反応で菅生がついてくる。
このまま強引に行こうものなら間違いなくボールは奪われるだろう。
俺はすかさず突く手を変え、左へ。
目を見開く菅生を横目になんとか前進するが、遅れて菅生も食いついてくる。なかなかやるみたいだ。
おかげでこちらもさらに加速せざるを得ない。
抜き、追い付かれの攻防戦。自然と床を踏み鳴らす音も激しさを増す。
少しだけ疲労を感じ始めたところで、ようやくリングへ視界が開けた。
俺はその隙を逃さずシュートを放つと、ボールはリングの中へと吸い込まれる。
「ふう」
一息つくと、隣では菅生が膝に手を付き肩で息をしていた。
俺が転がるボールを取ってくると、菅生は端へと移動し足を投げ出し座り込む。
「つええ~!」
未だ肩で息をしながら菅生は天井を見上げる。
特に何を返すでもなくその姿を見下ろしていると、菅生が力なく笑みを浮かべた。
「元宮お前、もしかして経験者だったのかあ?」
「……ま、そんなところだ」
授業で何回か過去にやった事がある。特に小学生くらいの時は体育の種目が変わる度にひたすら猛練習をしていた。理由は……たぶん無いな。強いて言うならばそういう風に親からしつけられてきたから、というのが正しいだろう。まぁどうでもいい事だ。
「そりゃもったいねえなぁ。今からでもバスケ部入らないか? なんてったってレギュラーの俺に勝っちまうんだからよ」
「お前レギュラーだったのか」
ぽろっと言葉を零すと、菅生が目を丸くする。
「おま、今バカにしたろ⁉」
「いや待てそういう事じゃない」
ただ純粋に初耳だったから聞き返しただけだ。
弁明しようと口を開きかけるが、菅生はそれを制する。
「なんつってな。お前はそういう奴じゃねー事くらい分かってる。大方単純に知らなかったら聞き返したってとこか」
「分かってもらえて何よりだ」
流石に努力している人間を貶すような奴などと誤解されたくないからな。
「で、入るか?」
「分かりきってる事を聞くな」
「だろうな」
呆れような笑みを浮かべると、菅生は体育館の奥の方へと目を向ける。
視線を追ってみれば、その先では女子がバレーボールの練習をしていた。当然クラスの女子もいれば、他クラスの名前も知らないような女子もいる。三クラス合同だから当然だな。
その中には綿貫の姿もあった。恐らく転校してきたため、人数に空きのある種目に強制的に組み込まれたのだろう。あいつにとっては個人競技のテニスとかの方がまだ良かっただろうに。
何せ運動があまりできない上に本人もそれは自覚している。中学の体育などでは団体競技の度に俺には不平不満を漏らしつつ、いざ体育の時間になるとできるだけ気配を殺そうとしながら周囲を窺いビクビクしていた。
そんな状態では、当然満足のいく動きなどできるはずもなく、何度ボールを顔で受けそうになっていた事か。なんなら何回か受けていた。
昔の事を思い出していると、不意に菅生が口を開く。
「可愛いよなぁ、白崎さん」
「あ?」
何言ってんだこいつと改めて視線を辿れば、白崎が女子に囲まれ談笑していた。いたのか……。
天使に釘付けな信徒の姿に半目になっていると、菅生がおもむろに口を開く。
「なぁ、元宮」
いつになく真剣な声音に、一応こちらも真面目に聞く体制を整える。
「ぶっちゃけ白崎さんの事どう思ってるんだ?」
何を聞いてくるかと思えば……早速あちらさんは動き始めているらしい。相変わらず行動力のある事で。
これはわざわざこの女から意識を外さなくてもよかったかもな。
「急になんだよ」
答えは決まり切っているが、質問の意図をより明白にすべく即答することは避ける。
「白崎さんは学校の人気者。そんな相手と偽物の恋人の関係という形で関わってるんだ。普通の男子がそんな状況になったら間違いなく惚れちまうんじゃねーかって思ってな」
「なるほど」
言葉をこねくり回しているが、要するに菅生が聞きたいのは俺が白崎の事を好きであるかどうか、なのだろう。となれば何故そんな事を尋ねる気になったのかという疑問は生まれるが、それは言わずもがな白崎が菅生に何かを言ったからに他ならない。それによって今の菅生がどんな心境にあるのか、させられているのか、ある程度の予測を立てるためにも俺はあえて出鱈目の可能性をちらつかせることにした。
「……もし、惚れてしまっていると言ったら?」
白崎に向けられていた視線が俺へと移される。
意外だったのか目を瞬かせる菅生だったが、ややあって視線を外すと、口元にふっと笑みを浮かべた。
「なら宣戦布告だな」
勢いよく菅生が立ち上がると、俺と肩を並べる。
「俺も白崎さんの事好きなんだ。そして確かな手ごたえも感じてる」
黙って聞いていると、菅生が俺の前に立ちはだかり拳を突き出してきた。
「バスケでは負けたけど、こっちの方まで負けつもりはないぞ元宮」
ニッと笑う淀みのない眼差しに、一瞬菅生の顔を見る事を躊躇する。
何故なら、その手ごたえとやらが勘違いである事を俺は知っている。知っているうえで静観している。この調子だと、白崎と菅生が接近するのも時間の問題だろう。だがそれは必ずしも良い意味とは限らない。何せナイフをその腹に突きたてる時だって人は人へと接近するのだから。
が、今更取って付けたように罪悪感を抱いたところで、俺が菅生に危機が迫っていたとしても知らせないことに変わりはない。
それが今後の事を見越したうえで必要な行程なのだ。
「なら俺も手加減はしない」
突き出された拳に己の拳を軽く当てると、菅生が挑戦的な笑みで返す。
これで俺がもし本当に白崎の事が好きであれば、輝かしい青春の一幕になったのだろうが。残念ながらそんな小綺麗な展開になる事はまずないだろう。
何せ俺は歪んだ俺の感情がもたらす結末を、周囲を歪ませることで正当化しようとしているのだから。
さ、攻守交代だと菅生が再び前に出るので、俺はその後に続いた。
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