◯幼馴染にやりきれない
第二十六話 こうして一つの関係は終わりを告げる
白崎を家まで送り届け、自宅へと帰り布団に入れば、また変わらぬ朝がやってきた。
とは言え今日から六月にさしかかり、幾らか空気感のようなものは変わった気がする。ただの気分的な問題かもしれないが。
外に出れば、空は曇り気味である。とは言え梅雨前線などはまだ来ていないはずなので、たまたま今日の天気があまり優れないのだろう。
例の如く綿貫との待ち合わせ場所へと行くと、まだその姿は見当たらない。
静寂に包まれながら携帯を取り出し待つ体制を整えると、向こうの方からローファーが地面を踏み鳴らす音が聞こえてくる。
音が大きめだなと綿貫の歩いてくる道を見ると、確かに綿貫がこちらへと向かってきたが、どこかいつもと様子がおかしい。
普段ならのんびり歩いて手を振ってくる所だが、今回はどちらかというと焦っている様子で、しきりに後ろを気にしながら早歩きだった。
ややあって綿貫がこちらに気づくと、必死の形相でぱたぱたとこちらへと駆け寄ってきた。
「た、助けてまーくん!」
綿貫が半泣きになりながら制服を掴んでくる。
「どうした」
ただならぬ気配に警戒を強める。
「い、家を出たらね? 誰かがずっと私をおいかけてきてて!」
この狼狽っぷり。これまで一度もそんな経験が無かったんだろうな。
まぁ綿貫のストーカー被害が嘘である事は今更驚きもしない。それよりも、今この瞬間に誰かが綿貫を追跡しているという事実に目を向けるべきだろう。
恐らく最近付けてきた奴の仕業だろうが、ただこれまで気配を殺していた奴が今になって綿貫が気づくレベルに下手な尾行を始めたのか。いやあるいはわざとそうしたのか。
綿貫のやってきた方向から、パーカーフードで顔を隠した人影がこちらへと歩いてくる。
「あ、あの人だよ! あの人!」
綿貫が人影を指さす。そいつの肩にかけられていたスクールバッグには、見おぼえるのあるぬいぐるみがついていた。
これはやられたな。いやあるいはやってくれたと肯定的に捉えるべきところか?
人影はパーカーのファスナーを下ろすと、丁寧に服を折りたたみ自らの腕へかける。
「え? なんで」
その顔が露わになり、綿貫が目を見開く。
「おはよう正成君。あとついでに空那ちゃんもね」
「ついで……」
白崎の言い草にむっとした様子の綿貫。
「それで、ここに姿を現したのはどういうつもりだ?」
登下校を共にするのは規約違反だと言外に伝えるが、恐らく意味を成さないだろう。今ここで意図的に姿を現したという事は、その規約自体を白崎が無かったことにできるからに他ならない。
「ちょっと空那ちゃんとお話ししたくって」
白崎が愛想よく笑う。
「私とお話? 白崎が」
綿貫はいぶかし気にしながらも、その目には明確な敵意が見て取れた。
「うん、そういえば正成君から聞いたんだけど、空那ちゃんってストーカーされてるんだっけ?」
「そ、そうだけど」
出し抜けに問われ、戸惑いを見せながらも綿貫が頷く。
「いつから?」
綿貫の回答に、間髪入れずに白崎が質問を重ねる。
「一週間くらい前から……」
「そっか、大変だね。確か登下校とかに付きまとわれてるんだっけ?」
「そうですが何か?」
終始つっけんどんとした態度に、白崎は笑みを崩さない。
「ということは、昨日も一昨日もそれまでも、ストーカーにつけられてたのかな?」
一昨日と言えば初めて綿貫が誰かにつけられ始めた頃だな。もし綿貫がこのまま俺との登下校を望むのであれば、頷くべきではないところだが。
「勿論そうだよ? まーくんがずっと一緒にいてくれるおかげで大丈夫だけどね」
綿貫がマウントをとるかのように俺の腕へくっついてくる。浅はかな事をしてしまったな。
「あれ? それはおかしいんじゃないかな」
白崎が待ってましたとばかりに口火を切る。
「だって昨日も一昨日も、空那ちゃん誰にもつけられてなかったよ?」
「な、なんで白崎がそんな事……」
「え、だって私、この目で確認したから」
そう言ってスマホを片手に持つ白崎。
「何言って……」
声を絞り出す綿貫だが、後に続ける言葉は見つからなかったようだ。
「ほら、学校の周りにストーカーいるのって嫌じゃない? だから証拠集めて警察に突き出そうかなーって思って、一昨日は二人の後つけてたんだよ私」
「なっ……」
白崎の告白に、完全に言葉を失う綿貫。
「でも、二人を付けてる人はどこにもいなかった。それどころか怪しい人影一つ見当たらなかったよ。一応証拠として動画は撮ってるんだけど見る?」
白崎が尋ねるが、綿貫は頷くことができない。何故ならこれを見ればストーカーの不在がバレ、一緒に登下校する理由が無くなるからだ。
ま、そういう事だよな。思えば俺が初めて気配を察知したのは、白崎に綿貫と登下校する理由を開示したその日の帰りだった。白崎は話を聞いた時点で、転校して間もない奴が引っ越し先でストーカーされるのはおかしな話だと気づき、その上それが嘘であると看破し証拠を揃えるべく動いていたに違いない。だが、一つだけ気になる事がある。
「でも昨日は付けてなかったみたいだが」
委員会の後は綿貫と合流し、当然一緒に帰ったわけだが、その時は誰にも付けられていなかった。白崎が俺にすら気取られないよう追跡していたと言われればそれまでではあるが。
既に俺の中に解答はあるものの、答え合わせを兼ねて聞いてみる。
「昨日委員会で正成君も空那ちゃんも学校を出るのが遅くなるのは分かってたから、先に空那ちゃんの家まで行って見張ってたんだよ。怪しい人物が来ないかどうか。空那ちゃんが帰って来た時に怪しい人影がついて来ていないかをね。勿論証拠の動画も用意してるよ」
案の定想定済みだったようで、白崎は詳らかに説明して見せる。
なるほどそういう事か。
「そりゃこの時期の修学旅行委員なんて顔合わせ程度のものだよな」
だから白崎は早く学校を後にできたに違いない。
「その通り。だから正成君にその事聞かれた時は少しだけ焦ったんだよ? 運よく自転車がぶつかりそうになってきて曖昧になったから良かったけど、あれが無かったら見破られてたかも」
「少なくとも、空白の時間にお前が何をしてたのかくらいは探ったかもな」
実際気になったから聞き出そうとしたわけだし。問い詰めなかったのはそれよりも優先して考えるべき事がその時あったからで。
ただまぁ、これで疑問は解けた。道理で白崎が俺の後ろから現れ、なおかつ制服姿であったわけだ。俺が綿貫と別れそのままの足でいとファに向かい、白崎もまた綿貫が無事帰還したのを確認し、そのままの足で追いかけてきた。あるいは交通機関を利用した可能性もあるな。
ともあれ、ここまで詰めてきた白崎に対して綿貫ができることは限られているが、どう出るかな。
「し、白崎さんだよ……」
ふと、綿貫が呟く。
「私のストーカー、白崎さんなんだよ、まーくん」
綿貫なりにこの状況をどうにか打破しようと考えての言葉なのだろう。綿貫にしてはよく考えた方だな。確かにそれも一つの手にはなり得る。
実際ストーカーはいないため、白崎はそれを否定してくると踏み、そうしたら俺にこう問うつもりなのだろう。
私と白崎、どちらの事を信じるのか、と。
一度は関係を絶ったと言え、俺と綿貫は幼馴染である。その上最近はまた関わり始めたため、俺の感情に訴えかけようとするのは、決して分の悪い賭けというわけではない。
しかも綿貫の主張、一見めちゃくちゃなように見えて、その実否定することが難しい。何故なら白崎がストーカーではないという証拠はどこにもない。それにもし白崎をストーカーにしてしまえば、白崎の動画に誰も映ってないのは、白崎自身がストーカーであるからにすぎない。といったような筋を通すこともできる。
が、それをもってしても綿貫の判断は悪手と言わざるを得ない。
もし俺が白崎の立場で、同じ目的を持っているとするのならきっとこう答えるだろう。
「あ、ばれちゃった?」
白崎がにこやかに答える。やはりそう来るか。
「そうだよ。空那ちゃんあまりに可愛いから、ついつい気になっちゃってずっと付けてたんだ。ごめんね」
「何を……」
白崎のとんでもない嘘八百に、明らかな動揺を見せる綿貫。今すぐ否定してやりたいという気持ちが瞳から伝わってくるが、綿貫はそれができない。
何故なら白崎がストーカーだと言ったのは他でもない自分自身なのだから。
もし否定すれば綿貫は嘘を吐いたことになり、そこからストーカーが不在だったことも判明してしまうだろう。もう完全に綿貫からしたら手詰まりだ。奇しくも嘘は嘘を以ってかりそめの真実を作り上げてしまった。
「でも安心して。もうそういう事はやめる。だって私、これから登下校は彼氏である正成君と一緒にするから」
そう言って白崎は空いてる方の俺の手を両手で包み込む。
「ね、いいよね正成君。そうすれば空那ちゃんからストーカーはいなくなるんだから」
白崎が黒真珠のような瞳で俺を見つめる。
策、ここになれり、と言ったところか。ストーカーの不在を暴けば、俺が綿貫と一緒に登下校する理由が無くなる。だからそれを危惧した綿貫が対抗策を苦し紛れに講じるが、それすらも白崎はまんまと利用し、結果的に俺と、そして綿貫に対して、俺と白崎が登下校を共にするための大義名分を示すまでに至った。もっとも、もし綿貫がストーカーの正体が白崎であると言わなければ、ここまでこの女にとって都合の良い結末にはならなかっただろうが。
いずれにせよ、俺はこの白崎の提案に頷く以外の選択肢が無い。何せもし断れば、綿貫のストーカーを看過するという選択をした事実が、少なくとも俺がストーカーの存在を信じていると認識する綿貫の視点では、残ってしまうからな。
ただそれでも一つだけ、まだ俺が断れる状況に持ってくる方法はある。それは、綿貫がこれまでの嘘を全て認める事なのだが、綿貫の性格上そうすることは無いだろう。もっとも、俺が今まで嘘をついてたのを知っていた上で付き合ってたと明かせば、その展開には持っていくことはできるのだろうが、かつて拒絶された時の記憶がそれを許してくれない。
故に俺は頷く。
「そうだな」
綿貫の手からそっと逃れると、代わりに白崎の手が俺の腕を取る。
「それじゃあ行こっか。正成君」
「ああ。綿貫も行くぞ、どうせ学校まで同じ道を通らないといけないからな。
白崎が歩き始めるので、綿貫に声をかけておく。
一緒に登校する理由が無くなったとはいえ、偶然一緒になったのを断る理由もない。
「どうして!」
ふと、背後から声が張り上げるのが聞こえ、足を止めた。
「どうして、偽物の彼女のくせに、まーくんを取ろうとするの! どうして偽物なのに一緒にいようとするの!」
ある意味でそれは何故こんな関係をしているのかという綿貫の問いかけ。
「言ってなかったんだ」
「聞かれなかったからな」
わざわざ進んで目的の不明瞭な条件を遂行したくはない。
「そっか、確かに聞かれたらって話だったもんね」
白崎は俺から離れると、軽やかに身を翻し綿貫へ目を向ける。
「どうしてって、それはね空那ちゃん」
冗談めかした様子で言うと、白崎は可憐な笑みを浮かべる。
「私の好きな人の気を引くため、だよ」
その言葉に、綿貫の視線が白崎の顔へ固定される。
そんな綿貫の様子に白崎は薄い微笑を湛えると、再び俺の腕を取り綿貫へ背を向けた。
そのまま歩みを再開させるので俺もまた前を向くと、背後で剣呑な気配を纏った綿貫の呟く声が、確かに俺の耳へ届く。
――絶対許さない。
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