第二十五話 望まぬ遭遇

 マイバッグを片手に、いとファの出口へ向かう。


「付き合わせちゃってごめんね」

「まぁ造作もない」


 ストーカーを判別するという点においては、俺にとっても必要な事だしな。


「でもおかげでお得なのいっぱいゲットできちゃった」

「それは何よりだ。でも倹約家なんだなお前」


 もし仮に父子家庭でかつ一人っ子でもあれば経済的に余裕がありそうなものだからな。

 話を聞くに兄弟もいなさそうだし。

 俺のそんな疑問を察したのか、白崎は力なく笑う。


「お母さんいなくなって、私も悲しかったけど、それはお父さんも同じだったみたいでね。ちょっと精神的に不安定な時期があったんだ。その時変な話にひっかかっちゃって」

「……ああ」


 なるほど。まぁそういう事も当然あるか。大切な人の死というものは個人差はがあるが誰であれ精神的に莫大な負担を要するだろう。それは大人になっても同様だ。


「でも今はお父さんも立ち直ってて、頑張って働いてくれてるんだけどね」

「そうか」


 まぁ今が普通ならそれ以上言う事は無いな。

 歩いていると、ふと前方から中へ入ってくる見知った影があった。

 あちらはこちらへ気づくと、駆け寄ってくる。


「う、嘘!」


 その女は信じられないと言った様子で俺たちの事をまじまじ眺める。


「佐藤先生、偶然ですね」


 白崎が口を開く。


「え、ああ、うん。こんばんは白崎さん」


 戸惑い気味ながらも笑みを浮かべると、こちらへと目を向けてくる。


「あと元宮君も……」

「ども」


 軽くお辞儀をすると、松さんは遠慮がちに尋ねてくる。


「それで、えっと……お二人はどういうご関係なのかしら」


 やっぱり知らなかったというのか。少し意外だな。


「それはもう、恋人ですよ?」


 白崎に言葉に松さんが口をあんぐり開ける。


「嘘でしょ……」


 松さんが絶句すると、少し離れたところで俺へ手招きしてくる。


「なんでしょう」


 別に断る理由は無いので応じると、ぐっと胸倉を掴み顔を近づけてくる。


「も、もしかして二股なの⁉」

「いやいや何を藪から棒に……」


 開口一番訳の分からない事を言い出す松さん。


「駄目よ元宮君! そんなの! 置いてかれる女の気持ち考えた事ある? ある日突然彼が冷たくなったのと思ったら他の子とホテルに入っていくところを目撃して、問い詰めたらキミ変だよとか言ってキレられるの。ほんと……。死にたい……」


 最初こそ俺に向けられた言葉だったが、途中から明らか視線が明後日の方向を向いている。

 あなたの恋愛事情なんて聞かされても困るのですが……。


「ねぇ、元宮君。私の何がいけなかったの? もっとお金をあげれば良かったの?」


 急になんなんだこの人……。


「あの、話す相手間違ってると思うんですけど」


 指摘すると、松さんはハッとしたように口元に手を当てる。


「いっけな~いっ。私ったらうっかりさんっ」


 コツンと自らの頭を叩かないでください、舌を出さないでください。


「と、とにかく、二股とかそういうのは」

「いやいやだから付き合ってないですからねそもそも俺と綿貫」


 まぁ俺と白崎もだが。


「でも仲良くデートしてたし登下校も一緒だし……」

「だからなんでそれだけで恋人認定しちゃうんですか。確かにあいつの距離が近いのは否定しませんけど、それだけです」


 教室ではしっかり俺と距離は置いてるし、綿貫だってそこらへんはちゃんと分かっているはずだ。わきまえてるかどうかはさておき。


「そんな怒らなくたっていいのに。ぶーぶー」

「怒ってないですよ……」


 呆れてはいるが。


「まぁ、そこまで言うならそうなのでしょう。それなら安心しました。でも意外とやるわね元宮君、白崎さんなんてそんな噂全然聞かなかったのよ?」

「まあ」


 厳密には偽物なのだが、他から見たらそりゃそう映るか。


「もういいですか」


 あまり深入りされてもかなわない。


「あ、そうよね。ごめんごめん」


 白崎の元へ戻ると、松さんがふとバッグについてるぬいぐるみに目を向ける。


「おやおや? これは彼氏さんからのプレゼントかなぁ?」

「そうなんですよ~」


 白崎がはにかみながら頬に手を当てる。


「いいなぁ。でもあれ、ちょっとだけ首元がほつれてる……?」

「あーほんとだ~。気づきませんでした~」


 白崎がにこやかに言うが、あなた引きちぎろうとしてたもんね……。


「ま、いっか。それじゃ、お幸せにねぇ~」


 そう言って先生が手を振り、二階へ続くエスカレータへ乗っていく。

 こんな時間だが食料品を買いに来たわけじゃないのか。

 ぐるりと周囲を見渡していると、気になったのか白崎が不思議そうに見えてくる。


「どうしたの?」

「……いや、なんでも。とりあえず行くか」

「うん」


 店の外へと出ていくと、すっかり外は暗くなっていた。

 まぁ時間も時間だしな。


「えっと、ここでバイバイになるのかな」


 ふと白崎が立ち止まるので俺も足を止める。


「お前の家は徒歩圏内か?」


 星を見つつ、尋ねる。


「いつも歩きで来るけど、徒歩圏内かって聞かれたらちょっと自信ないかな。一応湖畔の辺りにあるよ」

「そうか」


 歩いてだいたい四十分くらいか。


「どうせここまで付き合ったんだ。この際近くまで送る」


 言うと、白崎が目を輝かせるのが横目に見える。


「ほんとに⁉」

「まぁ、彼女を家までしっかり送り届けるのも彼氏役の務めだろうからな」

「そ、そっか。そうだよね」


 白崎が口元に笑みが湛えられる。


「じゃあ行くか」

「あ、待って」


 引き留められるので、白崎の方へ向き直る。


「そ、そのー……」


 白崎が恥ずかしそうに視線を泳がせる。


「えっとね」


 はっきりしない白崎だったが、やがて顔を紅潮させながら控えめに問いかけてくる。


「送ってもらうついでに手とか……繋いでもらってもいいかな」

「手か……」


 彼氏役を全うするのであれば、それを断る理由は無いだろう。だが確認しておくべき事はある。


「一つ聞く」


 白崎の注目が俺へと向くのを感じる。


「お前にとってその行為は特別な意味を持つのか?」


 俺の質問の意図が一瞬読めなかったのだろう。目を瞬かせる白崎だったが、ややあって、全てを悟ったかのように笑みを浮かべる。


「ううん、あくまで彼氏役としての業務を全うしてもらうためだよ」

「そうか」


 俺の言わんとしてることはしっかりと伝わったようだ。


「ま、食品売り場に行くまでで既に一度手は握られてるしな。確認するまでもなかったか」


 言うと、一瞬なんのことか分からない様子の白崎だったが、すぐに自らその行為に及んでいた事を思い出したらしい。その顔はみるみるうちに赤く染まっていく。


「ひゃ、ひゃれ、あれは! え、えと、売り切れたら駄目だと思って必死でね⁉」


 どうやら完全に無自覚だったようだ。手をあたふたさせながら狼狽するので幾らか笑いが込み上げてきそうになる。こういうとこはなんとも抜けているというか、隙が大きいというか。


「とにもかくにも、彼氏役としての仕事はこなさせてもらう」


 白崎の手を捕まえ握ると、確かに体温の暖かさが伝わってくる。

 白崎は自らの握られた手を見ると、ふっと顔を綻ばせた。

 瞬間、後方から地面と何かが擦れる音と、微かな高い音色が聞こえてくる。


「あれ?」


 声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。


「あ、菅生君」


 白崎が俺の手をしっかりと握り返すと、後ろの奴に声をかけた。


「白崎さんと、元宮か?」


 振り返れば、菅生が自転車のハンドル片手にこちらを見ていた。なんとも嬉しくないタイミングで現れたな。

 試しに手から力を抜いてみるが、白崎が握ったままなので当然離れる事は無い。


「おお~……?」


 菅生が興味深げな眼差しを、俺と白崎の間へと向けてくる。


「こ、これまたなかなか……」


 半笑いで意味ありげに呟く菅生は、わずかに動揺しているように見受けられた。


「まぁ、こういう事もあるよな」


 彼女のいない友達に軽く自慢げにしてる風を装うが、これはあくまで彼氏としての役割を果たしているだけだと言外に伝えたに過ぎない。目で訴えかけると、そこらへんは菅生も読み取ってくれたようで、これが偽物の関係であると思い出したか普段の調子を取り戻す。


「はいはいそうですか。ったく、羨ましいねぇ。こんな夜遅くまでおデートとは。そりゃ付き合いも悪くなるわけだ」

「元々俺が付き合いの良い奴だったとでも?」

「そういえばそうだったな……」


 菅生が呆れた眼差しを向けてくる。

 そんなやりとりを何と思ったのか、白崎が不意に菅生の方を見てクスリと笑う。

 その姿に少し違和感を覚えるが、他の人から見ればそれは天使のような所作に他ならない。


 案の定、別の意味での動揺を見せる菅生だったが、平常心を保つかのように一つ咳ばらいをする。


「そ、それで? 今から二人は帰りなんだよな?」


 菅生が尋ねると、白崎がほとんど間を置かずに返答する。


「うん。正成君、家まで送ってくれるんだよ? ね?」

「いやまぁ……」


 家というか近くまでのつもりだったんだが。


「ほ、ほーん……そうか、家まで」


 何を考えているのか、菅生は若干含みのある反応をよこしてくる。


「おい菅生、お前何か変な事考えてないか」

「は⁉」


 指摘すると、菅生が肩をびくつかせ声を上げる。


「か、考えてねーし⁉ ぎゃ、逆に何を考える余地があるのかこっちが聞きたいしぃ⁉」

「やだな~、菅生君やらし~」


 菅生へ困ったような笑いを向ける白崎。


「んなっ……白崎さんまでぇ!」


 菅生は羞恥に顔を燃やしながらみっともなく半べそをかく。

 その姿に和やかな雰囲気が流れるのを感じていると、白崎が俺の方へ目を向ける。

「それじゃあ、そろそろ行こっか、正成君」

「ああ」


 頷くと、白崎は再び菅生の方へ視線をやった。


「菅生君は今日も部活帰りなんでしょ?」

「おう、そうだぞ」

「そっかそっか、夜遅くまでえらいよね~。お疲れ様、また学校でね」


 白崎が手を振ると、菅生が喜びを噛みしめるかのよう拳を握る。


「いやぁ、白崎さんにそう言われると今日の疲れも全部飛んでくぅ~」

「またまた~」


 白崎が愛想よく笑うと、菅生は俺の方へ目を向ける。


「それじゃ元宮。しっかり白崎さんを家まで送り届けるんだぞ!」

「おう」


 適当に返しておくと「そいじゃ」と言って菅生は自転車をこぎ始めるので俺たちも歩き始める。


「やっぱ遊びに行くメンバーなだけあって、それなりに仲良いみたいだな」


 言うと、白崎がいたずらめいた笑みでこちらを覗き込んでくる。


「もしかして正成君妬いてる?」

「馬鹿を言え、偽恋人が誰と仲良くしてようが知ったこっちゃない」


 ただ、今後起こるかもしれない良からぬ予感が、俺の脳裏に掠めただけで。

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