第二十七話 深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている的な


 先ほどの綿貫の声が脳裏によぎる。

 性格上滅多なことはできないだろうが、念のため注意深く観察しておいた方がいいかもしれない。


 白崎と綿貫を伴って教室に入ると、綿貫は何も言わずさっさと自分の席へと戻っていった。


 すると、この前弁当を共にしていたクラスの女子の一人が綿貫の方へ行き、何やら雑談が始まる。


 綿貫も慣れて無さそうではあるが、特に煙たがる様子は見せず普通に応対しているようだった。

 白崎とも一旦別れ、俺もまた自らの席へ着き綿貫の観察を再開する。


 まず一時限目。綿貫、うとうと。

 二時限目。綿貫、がっつり睡眠。

 三時限目。最初は真面目に板書を取りつつも、片手間にお絵描き。

 四時限目。お絵描き。


 そしてあっという間に昼休みだ。

 なんというか、いつもこうなのか? こいつ。


 半ば呆れていると、白崎が俺の元へやってくる。

 昼飯をとるべく移動し、一旦観察を中断。

 ひとしきり白崎と過ごし教室へ戻れば、弁当の名残か複数の女子の輪の中の一部に綿貫はいた。

 そんな姿を横目に見つつ、自らの席へと戻ってくると、菅生へ声をかける。


「なぁ菅生、何か特に変わったことなかったか? 例えば白崎の席の付近とか」

「ん? 白崎の席? 変わったことは別に無かったと思うけど。なんかあったのか?」

「……いや」


 まぁ流石にこんな環境下で何かしようとは思わないか。あるいはする気すら無い可能性もあるのだが。


「それにしても金髪に聞いたぞ。昨日は大活躍だったんだろ元宮」

「ああ……」


 恐らくクレーンゲームでの事だろう。当の情報の発信源と思われる所をみれば、今は別の女子の所で何やらおふざけされてるご様子。


「これはワンチャン白崎も本当に惚れちまうんじゃねーかぁ?」


 お道化る菅生に顔の筋肉一つ動かさないでいると、菅生は若干気まずげに頬を掻く。


「な、なんつってー……」


 俺と白崎の関係を知るもう一人の人物。そしてこいつには白崎から提示された条件通りの事を伝えている。


「白崎はいなかったからな。もし仮に白崎が惚れっぽい奴であったとしても、その場に立ち会ってないんじゃな」

「な、なるほどそういう事か」


 頷く菅生は戸惑う一方で、どこか安心したような雰囲気も漂わせる。

 とここで、昼休み終了の予鈴が鳴った。


 五分後、五限目がスタートするので再び隣の席へ目を向ければ、綿貫はこくりこくりと頭を揺らしている。

 六限目。いつもは七限まであるが、今日はこれでラストだ。最後とだけあって少しモチベーションが上がっているのか、しっかり板書を取る綿貫だったが……途中で飽きて絵を描き始めた。


 これにて本日の授業、終了。


 ここまで、綿貫の様子を観察してきたが、単純にテストの点数をちゃんと取れるのか心配になっただけだった。高学歴トリオはバカにしていたが、うちとて全国的に見れば学力は平均より上だ。一年を通して赤点をとるような事があれば、退学だってあり得る。まぁバチバチの進学校じゃないだけあって、補修やら特別補修やらとなんだかんだ救済措置を施してはくれるので大丈夫だとは思うのだが。


 まぁ何にせよ、このまま何事も無いことを願いたい。

 そんな事を祈っている間に、帰りのSHRも終わり放課後である。


 一人で教室に残ってどうこう綿貫が企むパターンもあるので、俺も今日は少しだけ教室に留まる事にしよう。

 と思ったが、綿貫は俺には目もくれず足早に教室から退散していった。


 さしもの綿貫でもあそこまで堀を固められてしまっては打つ手無しという事だろうか。だからすんなり受け入れて諦めたと。


 いやしかし朝方感じた胸のざわつきはどうにもな……。

 それとも何か俺の思いもよらない事を行動に移そうとしているのか? 大よそ考え得る中で最悪の展開まで脳裏によぎるが、流石にそれは無いとかぶりを振る。あいつにそんな度胸などあるわけない。だがしかし、実際過去に俺は……。


「なぁ元宮」

「っ……」


 急に声をかけられ、肺から空気が漏れる。


「どうした元宮? ずっと同じとこ見て」


 見てみれば、菅生が怪訝そうにこちらへ顔を向けていた。


「……ん、いやまぁ、今日の晩飯は何しようか考えててな」

「あー、そういや一人暮らしだったよなお前」

「おう」


 適当言っただけだがうまく誤魔化せたようだ。まぁ晩飯何するか考えないといけないのは事実なのだが。


「あ、そういや」


 ちょいちょいと菅生が教室の隅の方へ誘ってくるので応じる事にする。


「読んだか? ヤミヤミの新刊」

「ああ」


 ヤミガールがヤミ堕ちさせようとしてくる件、通称ヤミヤミ。知る人ぞ知るマイナーラノベ的な立ち位置ではあるが、琴線に触れたら最後、一生琴線を震わせ続けてくる怪作である。俺たちが関わり合いを持つきっかけになったラノベもこれだ。


「なんならフラゲしてその日に読了してる」

「流石ぬかりねーなぁ、って事はあのラストの挿絵もとっくに見てるんだよな⁉」

「ああ、あれな……」


 思い出すと、より胸のざわつきが大きくなる。


「楽しいね~というセリフ後にさ? 急に屋上の柵の向こうに残る一足のローファーの一枚絵。しかもあとかぎすら無い。あんなもん次も買うしかなくなるよな⁉」

「まぁ」


 いやほんとに、気になりすぎるのは確かなのだが。


「ん、なんだ元宮。何か気に入らない箇所でも……」

「二人とも何話してるの?」


 突然後ろから声がかかと、凄まじい勢いで菅生が振り返る。


「ぬおあしゃぁ⁉ し、白崎さん⁉」


 全身で驚きを表す菅生。まぁガッチガチのオタクトークだもんな今の。それを是が非でも隠したこいつにとってはさぞかし精神が乱された事だろう。ましてや相手が白崎じゃな。


 そんな様子に、白崎が口元を隠し可憐に微笑むと、菅生は照れ照れしながら咳ばらいを一つする。


「な、なんでまた白崎さんがここに……」


 菅生が尋ねると、白崎が俺の腕へと抱き着いてくる。手慣れたもんだな。


「元宮君と一緒に帰るためだよ?」

「え?」


 菅生が白崎に抱かれる俺の腕をまじまじと眺めると、口を大きく開く。


「あー……、はいはいなるほどね? そ、それはなんというか邪魔しちまったみたいで……」

「別に」


 口を動かそうとするが、菅生がそれを制する。


「いやいい。いいんだ元宮。分かってるさ。呼び止めて悪かったな。うん。うん……」


 何か言いたげな眼差しで再び白崎と俺の間を眺める菅生だったが、自らを宥めるかのようによしよしと呟きつつも、こちらへ伺い立てる様な視線をよこしてくる。


「でも今まで一緒に帰ってたっけ二人とも……」

「ううん、今日からだよ。元宮君の用事がなくなったみたいだからね」


 用事とはまた上手く言ったもんだ。


「でもどうして?」


 白崎がいかにも純粋そうに尋ねると、菅生がまずそうに目を泳がせる。


「やや、それはー、なんつーかー……」


 そんな様子に、白崎はクスリと笑いながら菅生の胸の辺りをはたく。


「どうしたの菅生君~なんか変だよ~?」


 白崎がいかにもからかうように言うと、その所作に菅生がノックダウンする映像が頭に浮かんだ。


「ま、まぁそうだよな。恋人ならそれくらい普通だよな。うん。変な事聞いて悪かった、そいじゃ、また明日な二人とも!」


 未だ熱冷めやらぬ様子で、教室の出口付近まで行くと、菅生はこちらに手を振り逃げるように走り去っていった。


 やはりまた買い物に行った時と同じような違和のようなものを感じるが、ひとまずはそれを気取られないようにだけ注意しておく。


「でも変と言えば正成君もだけどね」

「は? 俺が?」


 出し抜けに呼ばれ、つい聞き返してしまう。

 全てを見透かすような瞳に吸い寄せられそうになっていると、白崎がその名を口にした。


「別に心配しなくても空那ちゃんは大丈夫だと思うよ? だってたぶん空那ちゃんの中にはまだ正成君がいると思うし」


 済ました様子の白崎に、改めてその底知れぬ観察眼に舌を巻く。


「全て想定内だったか」

「どうかな? ただ、ああでもならないと正成君が一緒に登下校しくれないっていうのは分かってたよ」

「……ああ、まったくその通りだ」


 何せ俺の中での綿貫は未だに無視できない存在なのだから。


 しかし、つくづく侮れないな、白崎叡花という奴は。俺や綿貫の思考など全てお見通し。その上で俺と綿貫の間に蟠りが形成されづらい形で、関係を解消させた。


 目的までは分からないが、少なくとも言える事は、白崎が成そうとする事は、基本的に俺にとって好都合であるという事だ。


「これで悪魔になったつもりかお前は?」


 尋ねると、白崎が小悪魔めいた笑みを浮かべる。


「まさか。悪魔っていうのはもっと狡猾で残忍な生き物だよ?」


 どこまでも深い色合いを帯びる黒真珠の瞳は、覗き込めば確かに悪魔が湧いて出て来るような気配がした。

 が、それを俺が善しとするかどうかは、また別の話である。


 帰り際、念のため綿貫の靴箱も確認してみたが、あるのは上履きだけでまっすぐ帰途についているようだった。

 俺もまた白崎と共に帰途につくと、相変わらず重い色の空が目に入った。

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