第十八話 天使と過ごす昼休み
昼休み。
一応朝のメッセージには了解と送っておいたが、具体的にどう一緒なのかまでは聞いていなかったな。
どうするか確認すべく白崎の方へ目を向けると、視界の端で隣の席の綿貫が誰かと弁当を広げている姿が映る。中学の時はあの出来事が起きるまで綿貫に友達はほぼいなかったからな。もっとも、あの出来事以降は俺憎しのクラスメイトたちが綿貫を保護するような空気感を以って仲良くはしていてくれてたみたいだから、万年ぼっちだったというわけではないのだが。まぁそれでも自己紹介の時とか、今日の白崎に対する態度等から人見知りが完治したというわけではなさそうなのは分かっていたので、少し安心はした。
「正成君、ごはん一緒に食べよ?」
ふと声がかかったので見てみれば、白崎がいつの間にか俺の席まで来ていた。どうやら今は精神に余裕があるみたいだな。天使の名にふさわしい綺麗な微笑を湛えている。
この子偽恋人すると決まった時は随分舞い上がってたみたいだからな……。こちらとしてもあまり冷静さを失われるとやりづらいので助かる。
「おう。ただここじゃなんだし、どっか二人になれる所に場所移さないか」
「う、うん……」
白崎がわずかに頬を赤らめ頷く。まぁ、それでも普段通りにとは行かないか。
「行くか」
さっさと昼飯の入った袋を携え、立ち上がる。
何せここだと視線が痛い。
天使が誰かと付き合っているというある意味異常な光景に、否が応でも興味を引かれてしまうのは理解できるが、普段注目されなれてない俺には少し重荷だ。
それに他の奴らがいると聞きづらい事も聞いておきたいからな。
いくつもの視線を背中に感じつつも教室を出ていく。
ややあって白崎は横へと並んでくると、わざわざこちらへ目を向けはにかんだ。
あまり受けた事のない所作に僅かながらむずがゆさを感じてしまう。
「言っとくが偽装だからなこれ」
指摘すると、白崎が視界の端で慌てふためくのが見える。
「も、もちろん知ってるよ⁉」
「それならいいですが。とりあえず屋上で良いよな」
「お、オッケ~!」
白崎は明るいトーンで承諾しつつも、自らの顔を手でパタパタ仰いでいる。
いかにも慣れてない反応だな……。こんな状態でよくこの関係を提案したものだ。
屋上へたどり着くと、昨今では開放しているのが珍しい事もあってか、ちらほら生徒の姿も見受けられる。ただ俺や白崎の知る人間は一人もいないようだったので、壁際の側面へ腰かけると、白崎もまた俺の隣へと腰かけた。
よし、ここならちょうど屋上の広い範囲から死角になってくるだろう。
そよ風に乗って花のような香りが漂ってくると、じんわりと肩に温もりが伝わってきた。
「なぁ、白崎」
「ど、どうしたのかな正成君」
声をかけると、恥ずかしそうにしながらも控えめに目を合わせてくる。
「距離ちょっと近くないか?」
「え⁉ そ、そうかな⁉ ごめんなさい!」
俺の言葉にそそくさと体一つ分くらい距離を置いてくる白崎。できれば謝らないでほしかった。
「冗談だ。仮にも恋人である事を考慮すれば妥当な距離だろう」
「は、はふ⁉」
そう言いながら今度は俺から距離を詰めていくと、白崎は何やら奇妙な声を発する。
隣をのぞき込んでみれば、耳まで紅く染めた綺麗な横顔を確認することができた。
先ほどとより幾らか熱くなった白崎の体温を肩に感じつつ、頬を滴り落ちる茶系の髪を、指でそっと耳にかけてやる。
「ま、まさなりくん……?」
より一層に朱を深め、戸惑い気味な声を上げる白崎だが気にせず、さらに艶やかな髪の毛を指で絡めとり弄んでいく。
「あ、わ、わ……」
もはや何を言うのもままならない様子の白崎に、これ以上はどのような反応をするのか単純に興味が湧いてきた。
一端髪から手を離すと、緊張が解けるのが触れている肩越しから伝わってくるので、今度無防備にコンクリートに置かれていた手に触れてみる。
白崎は肩をピクッとさせると、顔をこちらへ向けた。
「っ~⁉」
もはや言葉も出ないらしい。
白崎顔を真っ赤にすると、目じりを濡らしながらただ懇願するような眼差しで俺を見てくる。
その表情に、嗜虐心とも言えるような感情が掻き立てていくのを感じつつ、柔くも西洋人形のように精緻なその頬に触れた。
気づけば白崎の瞳は悩まし気に熱を帯び、何もかもを俺に委ね始める。
頬に触れていた指先をゆっくりと流し、艶やかな唇へと這わせると、白崎の瞳が大きく揺らいで――
「きゅ~」
どこからともなく空気の抜けたような音が耳に届く。
見てみれば白崎は目を回し湯気が出ているかと錯覚するほど顔は紅く染まり切っていた。
うーん、ちょっと調子に乗りすぎたか。魔が差すというのはこういう事を言うのだろう。別にここまでしなくても分かる事だったしな......。なんか職権乱用してしまった気分。
「白崎」
正面から呼びかけるが応答はない。
「おい白崎」
「ひゃい⁉」
再び呼びかけると、ようやく白崎は意識を取り戻す。随分と間の抜けた目覚めの挨拶だことで。
「お前、ほんとにこういうのに耐性無いんだな」
未だ熱の冷めやらぬ様子の白崎につい半目になってしまう。
「だ、だってこういうのは初めてだし、ましてや相手が正成君なんだよ~……?」
すっかり疲れ果てた様子で肩を落とす白崎。
俺だからこそか……。
「そうか」
今回は多少間隔を開けつつも、白崎の隣へと戻る。
元々俺には三つ確認しておきたい事があった。そのうち二つは既に確認できたので、残りのもう一つを確認するとする。
「ただそんな奴がよくこの関係を持ちかけたもんだよな」
話の枕として問いかけると、白崎は俺の意図をくみ取らんとする視線をよこしてくる。
「それはもう、私には良い事づくめだし」
白崎は膝を抱えると、軽く首を倒しながら視線をよこし微笑む。
「だろうな」
白崎の俺への好意は、先ほどの俺に対して拒絶を示さなかった事から確信した。同時に、時折見せる初心ともいえる反応も演技ではない事も分かった。後者は関係ないだろうが、前者の事を考慮すればこの関係は白崎にとって十分メリットとなるだろう。
「だが、あくまで目的はストーカーに見せつけるためだったな」
言うと、涼し気なそよ風が頬を撫でる。
「うん、そうだね」
白崎が肯定を口にする。
こちらを見るその瞳は黒真珠のような妖艶さを感じさせた。
「単刀直入に聞く。それは誰だ」
確認したい事の三つ目がこれだ。
この関係を作るきっかけとなったその人物が誰かなのか、俺は知りたい。
学校内にいる、そのストーカーの名前を。
「やっぱり気になるよね」
「当然だな。何せそれを知らなければ俺はその存在自体に懐疑的な目を向けないといけなくなる」
まぁ、そうは言っても綿貫とは違って白崎の頭の中には明確な像があるように見受けられるため、本当に存在はするのだろうが。あくまで揺さぶりだ。
「いるんだろ。この学校に」
重ねて尋ねると、白崎が目を合わせてくる。
「よく分かったね」
「憶測だがな。登下校を共にしない条件を呑めるという事は、この偽装恋人はそれ以外の場所でも有効だという事だ。考えられるのは学校か、プライベートの時間だが、もし後者であれば、遊びなりなんなりに誘って学校外でも俺といようとしなければおかしい。それをしないという事はストーカーが不在であるか、あるいは学校内で演じるだけで効果のある相手、つまり学校内の人間という事になる」
判断した理由を述べると、白崎は口元に薄い笑みを湛えた。
「すごい。さすが元宮君」
「どこがだよ。もしそうならとっくに犯人に辿り着いている。それよりさっさと誰か教えてくれないか。俺としてもそっちの方が今後動きを合わせやすい」
「お世辞じゃないんだけどなー」
「分かったからはぐらかすなよ」
何か都合の悪い事でもあるのか、なかなか名前を口にしない。まさかここまで来て本当にいないなんて事は無いだろうな。
邪推が頭をよぎっていると、おもむろに白崎が口を開く。
「まぁ、教えてもいいんだけど」
白崎が虚空へと目を向けると、再び俺の方を見やり軽く首を傾げた。
「ここで私がぽろっと言ったところで正成君、本当に信じれるかな?」
「どういう意味だ?」
意図がくみ取れず聞き返すと、黒真珠の瞳が俺の視線を捕らえる。
「だって正成君、さっきから特定の誰かの可能性を排除しようとしてるよね?」
「……」
思わず閉口する。
色々な可能性を頭の中に展開する中で、確かに望まない展開というものは存在していた。俺は無意識のうちにその可能性を否定しようとしていたというのか。
それを言動に出してしまっていたかは分からないが、少なくとも白崎の目にはそう映るなにかがあったのだろう。
やはりこの女は侮れない。しかしそう思う一方で、俺の気づかない俺に気づいたその慧眼に、ほんの少し心が揺らいだのを感じる。
「もし、私の言うストーカーがその人だったら、正成君は素直に頷ける? 私は本当の事を言うつもりだけど、もし何か理由をつけられてそれを否定されたら困るよね? それに元宮君って頭いいでしょ? 真実すらも虚構にしてしまいかねない」
「……買い被りだ。真実を変えるなんて誰にもできない」
それは過去を変えられないのも同様で。
しかし白崎はそうは思っていないらしい。
「どうかな? 少なくとも私なら……」
白崎が置かれていた俺の手を取り、耳元へ顔を近づけてくる。暖かいようで冷たいような、奇妙な感覚が手の甲ごしに伝わってくる。
「できちゃうかうもね?」
冗談めかしたような声音でありつつも、しっかり芯は通ったそんな声が耳元で囁く。
どこか蠱惑的な響きを持ったそれについ目を向けると、文字通り目と鼻の先に白崎の姿があった。
黒真珠のような瞳につい視線を奪われていると、ややあってその目が泳ぎ始める。
やがて熱が伝わってくると、頬を朱に染めた白崎は大きくのけぞり俺へ背を向けしゃがみこんだ。
「ち、近いよ正成君!」
「いやお前が近づいてきたんだろうが」
真っ赤な顔を自らの手で覆いながら訴えかけてくる姿に呆れていると、白崎は出し抜けに背筋を伸ばす。
「はっ! しかも手まで握っちゃった……? さっきはこっちの手を握られて、今度はこっちの手で握ったから……どうしよう、一生手が洗えないよ正成君!」
「洗え」
しかし白崎の耳に俺の声は届いていないたしい。口をぱくぱくさせながらただひたすらに慌てふためいている。
しばらくその様子を眺めていると、ようやく落ち着きを取り戻したか、まだ少し恥ずかしそうにしながらも口を開く。
「で、でもそうだな~。もし今日の放課後お買い物に付き合ってくれたら、誰がストーカーか分かるかもね」
「放課後か……」
「うん、百聞は一見に如かず。正成君の目で見て判断すればいいんじゃないかな? それならどんな結果でも信じざるを得ないでしょ?」
白崎は俺に問いかけると、視線を少しわずかに落とす。
「結局いつだって、一番信用できるのは自分だからね」
どこが憂いを帯びた表情に、少しだけ関心を引かれるが気にしないよう努める。俺は誰かに深入りするつもりはない。
「六時くらいとかでもいいか」
言うと、白崎の目から光が失われる。
「ああ空那ちゃん」
「まぁ、契約なんでな……」
気圧されそうになりながらも答えると、一転して白崎がにこっと笑う。
「うん、いいよ!」
頷くと、ふと白崎がぽそりと呟く。
「どうせ近いうちに終わるだろうし」
「聞こえたぞ。何企んでやがる」
「やだなぁ正成君。何も企んで無いよ?」
自らの頬に指をあてがい、小首を傾げる白崎。露骨だな……。
気にはなるが、この様子ではいくら問いかけても答えてくれないだろう。こちらも引き出すための交渉材料を持ち合わせていないしな。
「じゃあ六時にいとうファミリーでいい?」
いとうファミリーか。市内ではそれなりに大きなショッピングセンターだが、よく主婦も普段使いしてるような店だな。どうやら本気でストーカーに引き合わせてくれるらしい。
「いとうファミリーだな。了解」
「うん、よろしくね」
頷くと微笑みが返ってくる。
「それじゃ、飯にするか」
「そうだね」
少し長く話し込んでしまった。
何にせよ、これで確認したいことは全て確認した。後は俺の思うようにやるだけだ。
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