第十五話 危険な香り


 裏門へと着くと既に綿貫は来ていた。

 綿貫はすぐに俺に気づくと、嬉しそうに手を振ってくる。


「待たせて悪かったな」


 遅れたことを謝ると、綿貫は不思議そうに小首を傾げる。


「え、待ってないよ?」


 気を遣ったというよりは本当にそうであるかのような口ぶりだ。確かに待たせたと言っても五分くらいが関の山だろうが……。


「それよりみてみてまーくん、私授業中に闇隠君の絵を描いたんだよ~」


 嬉々としてそんな事を言う綿貫をつい半目で見てしまう。


「ちゃんと授業は聞けよ……」

「えへへ~」


 聞いてるのか聞いてないのか分からない様子でニコニコしながら、綿貫は自らのバッグをがさごそ探り始めると、ノートを取り出す。


 それを両手で広げると、紙を覆いつくすようにびっしり『まーくん』の文字列が隙間なく敷き詰められているのが目に飛び込む。うわぁ……。


「これが絵と」


 俺の反応が予想と違ったのか、綿貫が頭に疑問符浮かべる。


「いやそんな不思議そうにされてもコメントに困るんだが」


 俺の言葉に自らのノートを確認すると、綿貫はあっ、いっけな~いとばかりに口元をノートで隠す。


「間違えちゃったぁ」


 綿貫はえへらーと笑うと、何事も無かったかのようにどこだったかな~とノートをめくり始める。


 いやいやその文字列についてはノーコメントなんですね……。落書きよりそっちのがめちゃくちゃ気になるんですが。


「あった! これ!」


 再びノートを両手で開き、俺へと見せてくる綿貫だが、目に飛び込んできたのは闇隠などではなく、抽象的な何かの絵だった。マジかこいつ。


 アウターサイダーアートとでもいうのか、本来ある位置から大きく目の位置はずれているし、なんなら四個くらい目っぽい部分があったり、輪郭が輪郭を形成していなかったり、極端に細い首だとかパースもクソもない体とか、細かな幾何学の書き込みなど、闇隠というよりはどちからというと陰陽聖戦の敵キャラの怨霊だ。


「どーでしょう⁉ 上手く描けたと思うのですが!」


 綿貫が興奮気味に尋ねてくる。


「まぁ、うん。だいぶ芸術的だとは思うのですが……」

「ほんと⁉ やったぁ」


 綿貫がちょこちょこその場で跳ね喜びを表現する。

 やはりと言うべきか、あるいは予想以上というべきか、とにもかくにも重症である事は間違いないだろう。


「とりあえず行くか」

「うん!」


 歩き始め、帰途に就くと、周りにはまだちらほらと同じく下校する生徒たちがいた。


 コツコツと響く足音に耳を傾けつつ辺りの様子を窺っていると、綿貫が未だノートを大事そうに胸に抱えているのが目に入る。


「今度まーくんの似顔絵とかも描いてみようかな~」


 綿貫が楽し気に呟くので、適当に頷いておく。


「良いんじゃないですかね」


 そういう絵として見ればうまいし。まぁその画風で自分の顔が描かれるかと思うと少し複雑ではあるが。


「ほんと? じゃあまた出来たら見せるねまーくん」

「そりゃどうも」


 このまま放置していたら才能が開花するかもしれないと思いつつも、流石に危なっかしい気がしたので、こうなったと思われる原因を解消しようと試みる。


「なぁ綿貫。白崎の事なんだが……」


 学校からそれなりに離れた所でその名を口にすると、綿貫の目から光が失われる。


「白崎? 誰だっけ」

「ああいや、同じクラスで……」


 綿貫の様子に少し気圧されるが、堪える。


「俺の彼女とされてる女子だ」


 俺の言葉を聞き、突如綿貫が立ち止まるので俺も立ち止まると、微かな足音が遅れて耳に届く。


「白崎……まーくん……彼女……」


 未だ胸にノートを抱える綿貫だが、その力が目に見えて強くなった。

このままだと綿貫のノートがくしゃくしゃになってしまいそうだったので、そうなる前に口を開く。


「あれな、嘘だ」

「え?」


 綿貫が体ごと俺の方へ顔を向ける。

 その目は先ほどとは打って変わって光を取り戻しつつあった。

 開示するのは菅生と綿貫だけと言ってあるので、周りに聞いてる人間がいないか注意しつつ、口を開く。


「ちょっと訳があってな。白崎とは嘘の恋人を演じてるんだ」


 他に漏れないよう多少顔を近づけるが、ほのかに甘い香りが漂ってくるのでさっさと距離を置く。


「嘘? 偽物って事?」

「ああ、彼氏彼女のフリをしているだけの状態。偽装カップルとでも言うべきか」


 伝えると、綿貫は目をぱちくりさせる。


「ほんとに? ほんとはほんとに付き合ってないって事?」

「そうだ」


 言い切ると、綿貫が俺を見つめやがて瞳を揺らす。


「よ、よかったよぉ~!」


 やがてぽろぽろ涙をこぼし始めると、ふわっとバニラのような甘い香りに包まれた。


「……くっつくな」



 目を下に向けてみれば、綿貫が腹の辺りに抱き着いてきていた。


「うぅ、だってもう一生一緒に居れなくなると思ってたからぁ」

「んな大げさな」


 呆れ混じりに言うが、綿貫の耳には届いていないらしい。


「うっく、えっく……」


 未だ涙に肩を揺らす綿貫の方へ目を向ければ、丁度撫でるのに手ごろな位置に頭があった。


 じんわりと伝わってくる人肌の暖かさも相まって、一瞬魔が差しそうになるが、即座に制し、綿貫の肩を手に取り引きはがし作業に取り掛かる。


「だからくっつくなと言ってるだろ」

「あっ……」


 引きはがすと、綿貫は目を濡らしながらも名残惜しそうな視線を向けてくる。


「まぁ、とにかくそういうわけだから」


 だからなんなのだと自らに問いかけたくなるが、それ以上の言葉は喉の奥に引っ込む。


 しかし綿貫は綿貫なりに何か解釈したのか、涙を指で拭いながらふにゃっと微笑んだ。


「うん」

「……」


 まったく手の焼ける。

 だがいつまでも焼き続けるわけにもゆくまい。


「ただこの事は誰かに言ったりするなよ。もし言ったらその時は一生お前と口を利く事はなくなる」


 絶縁の示唆に綿貫は俺の両袖を掴むと、縋るような眼差しで訴えかけてくる。


「そ、そんなのやだ!」

「ならくれぐれも言わない事だ。俺は本気だからな」


 睨みつけるまでとも行かずとも、確かに念を込めて目を合わせると、綿貫も確かな気配を感じ取ったのか引き締まった表情で頷く。


「わ、分かった言わない。言わないから! だから一生一緒にいてね。約束だよ⁉」

「いやそれは無理」


 即答すると、綿貫が口を四角くしながら半べそをかく。


「どーして⁉」

「あくまで関係を絶たないというだけで深くするとは一言も言ってないだろ。てか一生とか保証できるわけない」

「そんなぁっ!」

「それともなんだ、俺と絶縁するか」


 脅すと、綿貫は言葉を失ったのかぶんぶん首を振り回す事で意思表示してくる。


「だったら誰にも言うなよ」

「うぅ……まーくんのいじわる」

「なんだ、文句あるのか。別に俺は……」

「な、ない! ないです!」


 よほど意思を伝えたいのか、綿貫自らの存在をアピールするかのようにぴょんぴょこ跳ねる。


 その姿が少し可笑しく映り、笑みが込み上げてくるのを自覚しつつも、決して外に出さないよう努める。


「なら良い」


 再び歩みを再開させると、足音と共に綿貫もいそいそと俺の横に並んでくる。


「まーくんといっしょ~まーくんといっしょ~♪」


 上機嫌に変な歌を口ずさむ綿貫を横目に辺りの気配を再び探る。

 まだいるみたいだな。

 どうにも誰かに付けられているらしい。先ほどから俺たちの動きに合わせる足音が微かに聞こえる。姿はうまく隠しているようだが。


 周囲を警戒しつつ歩いていると、気づけば家の近くまで来ていた。

 俺も綿貫もこのすぐ近くに住んではいるものの、流石に一緒の道なりというわけではない。


「それじゃあな」


 さっさと自分の家の方へ早々に行こうとするが、綿貫に袖を掴まれ引き留められる。


「なんだ」

「えと、明日も一緒に学校行ってくれるんだよね?」


 心なしか不安そうな様子でそんな事を尋ねてくる。

「ま、そういう話だったからな」


 しかも本当に誰かが付けてきているとなれば、尚更そうせざるを得ないだろう。

 当の本人は何も気づいてないようだがと、固かった表情を柔らかくした綿貫を見やる。


「良かったぁ。それじゃまたねまーくん!」

「おう」


 綿貫は目いっぱい手を振ると、揚々と自分の家へ続く道へと入っていった。


 俺もまた自分の住処へと足を運ぶ、と見せかけ急ぎ追跡者がいたであろう方へ身を翻す。

 が、既に足音も無ければ、人影もどこにも無かった。

 ……遅れたな。


 誰かは知らないが何故急に付け始めたのか。分からないが、もし綿貫に危害を加えようとする目的なのであれば、看過することはできない。

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