第十二話 当惑の天使(とその他大勢)

「やや、やっぱり、人前でキスした方がいいのかな⁉」


 教室の扉の前までやってくると、白崎が顔を真っ赤にしながらそんな事を言ってくる。


「いや待てどうしてそうなる」


 色々と順序かっ飛ばしすぎだろ。多少あった屋上での理知的な雰囲気どこにやった。


「だ、だって、ナンパしてきたあの人たち、キスしたら付き合ってるって証明できるって言ってたよ⁉」

「そりゃまあ、キスするくらい仲良かったら証明にはなり得るだろうが……」


 言うと、耳を紅くしながら白崎が真剣な眼差しを向けてくる。


「じゃ、じゃあしよう!」

「嫌に決まってるだろふざけんな」


 とんでもない提案に、すかさず拒否を示す。


「なんで⁉ ちゃんと恋人同士って証明しないとダメだよね⁉」

「何もキスだけが証明する術というわけではないだろう」

「例えば……?」

「あ? 例えば?」


 出し抜けに放たれた問いかけに言葉が詰まる。


「例えば、なんだ」


 やばい、そんな事人生で一度も考えた事無かったからすぐに答えが出てこない。そもそも恋人って何をもって恋人なんだ。ましてやどうすれば第三者に証明できる?


「や、やっぱりこれもうキスするしかないよ! うん、もうそうするしかない!」


 答えあぐねていると、突然白崎は俺の肩を掴み、自分の方へと向けさせる。


「ちょ、おま、」


 白崎が俺を熱のこもった眼差しで見つめてくると、一瞬で顔を真っ赤に発火させた。


「できない……っ」


 白崎はぱっと身を翻すと、自らの顔を両手で隠ししゃがみ込む。


「だ、だってそんな、元宮君と、私の大好きな元宮君とキスなんて~っ! ~っ!」


 声にならない悲鳴を上げながら、ぶんぶん体ごと自らの首を振りまわす白崎。

 勝手に暴走して勝手に自爆して忙しい女だな……。

 ただならぬ気配を醸していた屋上からのあまりのギャップについ半目で見てしまう。

 もしかして案外天使の名に相応しく純朴な子だったりするのだろうか。


「ちなみに男性経験は?」

「あるよ!?」


 いやあるんかい。


「でもそれも私を潰そうとしてきた女を返り討ちにするためだけにその彼氏に告白してオーケーもらって、いかにも楽しそうにしゃべってる姿を見せつけたら後はバイバイしただけの関係だし」

「うわぁ……」


 何が天使だ。俺の目は一体何を見てたんだ。

 ていうかそれは男性経験に入るのだろうか。


「と、とにかくどうしよう!」


 白崎は立ち上がると、さっと振り返り熱冷めやらぬ様子で再び俺へ目を向ける。


「まぁそんな急がなくてもいんじゃないのか。たまにでも一緒に行動してればそのうち噂になってなし崩し的に恋人認定されるだろ」


 極めて現実的なラインを示し、冷静さを取り戻してもらおうと試みる。


「そ、そっか……言われてみれば確か」

「サトリストチャレンジしようと思ったのに、どこいったんだぁ元宮君」

「に⁉」


 突然扉の向こうから聞こえてくる声に、白崎が肩をびくつかせる。

 それから時を置かずして教室の引き戸が開かれると、教室の喧騒と共に金髪が姿を覗かせた。


「ってここにいんじゃーん? 探しちまったーってお? 白崎さんもいる?」


 束の間の沈黙が訪れると、不意に俺の腕が温もりに包まれる。


「じ、実は私たち、付き合う事になりました~」


 突如白崎が明るいトーンで言い放つ。


「え?」

「え?」


 不本意ながら金髪の声と重なる。

 思わず白崎へと目を向けると、俺の腕をとりながら火を噴き出さんばかりに顔を真っ赤に染めていた。嗚呼、冷静さを取り戻しきれなかったか……。


「えぇぇぇええええ⁉」


 ややあって放たれた金髪の絶叫に、教室の喧騒どころか学校中が静まっていくような錯覚に陥る。


「うっせーぞ~金髪―」


 クラスの誰かが言うと、金髪は口をぱくぱくさせながら教室へ顔を向ける。


「だ、だだ、だってよ、サトリストと、白崎さんが付き合う事になったって……驚きまくるくね普通⁉ 声出るしょ!?」


 金髪の訴えかけに、何言ってんだこいつと白々しい空気を醸す教室だったが、そのうち何人かが俺の腕をとる白崎を目撃し、あれこれはマジでは? みたいな視線を交わし始める。


 やがて交錯する視線は徐々に囁きに変わり、囁きは少しずつさざめきに移行し、挙句の果てには大騒ぎが巻き起こる。


 白崎の関係者やら野次馬根性丸出しの奴ら何人かは立ち上がり始める中、ふと綿貫と目が合う。否、目が合うというよりは、視界に入ったという方が正しいだろうか。綿貫の目は確かにこちらを向いてはいるが、全身石像のように微動だにしていないため、瞳に俺の姿が映っているかも怪しい。なんなら既に死んでしまって死後硬直に至っているまで見える。


 こいつはダメだと今度は菅生の姿を探すと、こちらは箸片手に取り巻きと談笑……しているように見えたが、これ一方的に取り巻きが話しかけてるだけだな? 当の菅生は箸からからあげが落ちても気づかないくらい呆けているようだった。

 こっちも重症そうだが……まだ呼びかければ対話はできそうか。


「白崎、連中への細かい説明とかはまかせたぞ」

「は」


 俺の言葉に、白崎が目を丸くする。

 イエス以外の返答だったので、何か不服でもと目を向けると、


「は、はじめて元宮君が呼び捨てに……」


 白崎は頬を染め口元を緩めていた。いやこれっぽっちも他意は無かったんですがね……。

 そんな白崎の反応を見てか見ずしてか、ますます野次馬たちが群がり始めるのでその間を縫う。

 時折質問を投げかけられつつも、適当にあしらいなんとか菅生の元へとたどり着いた。


「菅生」


 声をかけると、ようやく我に返ったか俺へと焦点を合わせてくる。


「お、おー、元宮~。おま……お前も、これ食うか? うまいぞぉ」


 菅生は明らかに動揺した様子で要領の得ない事を尋ねてくる。

 差し出してきたその箸、何も掴めてませんよ……。


「いやいい。ただちょっとだけ顔貸してくれ」

「お、おうなんだなんだー? 元宮から用とは珍しいじゃねーか。あ、珍しいと言えばお前白崎さんと、付き合い始めたって?」


 全体的にちぐはぐな印象を抱かせるような返事に、やはりこいつは白崎に惚れていたのかと確信する。

 早急に誤解を解かねばと使命感に駆られつつ、俺は菅生を教室の外へと誘った。

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