第十一話 思惑の(?)天使

 言い切ると、静寂が辺りを支配する。

 そよ風が肌を刺すと、太陽は漂ってきた雲に覆われはじめ、コンクリートの大地に影を落とし始める。


「……空那ちゃんが、いるからダメなんだね」


 再び白崎の口から綿貫の名前が出てくる。不本意だがやむを得まいか。


「ま、それもある」


 ここはあえてそう言っておく。現状一緒に居るところを目撃されてる以上、下手に関係ないなどと言ってもまず納得できないだろうからな。登下校を共にしてるところだっていつ目撃されるか分からない事だし。


「なんで? 空那ちゃんは元宮君の事を昔見捨てんだよ?」

「まぁ見方によってはそうともとれるな」

「だったら……!」


 言い募ろうとする白崎を手で制する。いつまでも主導権を握らせはしない。


「それでも、あいつのおかげ間違いに気づけたのは事実だ」


 とりあえずそれっぽい事を口にする。

 だが白崎にしてみればそれは一緒にいる理由として解釈できるだろう。

 ここからどう出てくるかなと次の言葉を待っていると、白崎がおもむろに口を開く。


「やっぱり元宮君は、自分が間違いだったって思ってるんだね」


 悲し気に視線を落とす白崎だったが、再びこちらへと顔を向ける。


「うん、いいよ分かった。いったん元宮君の事は諦めるね」


 ぱっと明るく言い放ち、仕切り直しとばかりに手を叩く白崎。


「そうしてくれると助かるが」


 恐らくこれだけでは終わらないだろう。この女はそう簡単に引き下がるような事はしないはずだ。


「だからそれは置いといて、一つだけお願いを聞いてくれないかな」

「お願い、か」


 鬼が出るか蛇が出るか。いずれにせよ、俺は極力俺の都合の良いように話を持っていくことだけを考えるまで。


「うん。そのお願いって言うのは、私の彼氏のフリをしてほしいってことなんだけど」

「はい?」


 想定外の内容に、間の抜けた返事をしてしまう。

 何言ってんだこの子。


「実は私、ストーカーされてるみたいなんだよね」


 かと思ったらえぇ……。こいつもストーカーとか言い出しやがった。


「特に実害はなかったから放置してたけど、私はもうさっきも言った通り元宮君の事が好きだから、いい加減に諦めてほしいかなって」

「だから俺を彼氏役にと」

「うん、元宮君は強いし、急に私が頼った時も上手く合わせてくれたくらい機転もきくから、偽物の彼氏役にはもってこいなんだよ。それに、私の大好きな人でもあるし」


 白崎は頬を染め窺う様な視線を送ってくる。わざわざ大の字入れなくてもいいだろ。


「随分買ってくれているみたいだが、そういうのは警察に頼むべきことだろ」


 というか前もどこかで同じような事言った気がするな……。


「まー、それもいいんだけど、相手にも一応将来があるわけでしょ? 警察沙汰にするのは流石に可哀そうかなって」


 将来があるっていったい何目線でものを言ってるんですかね。

 ただまぁ、少し気になる言い方ではあるが。


「そりゃ随分とお優しい事で」

「まぁね。元宮君は知らないかもしれないけど、私これでも天使の一枚絵、なんて呼ばれてるんだよ? たまには天使っぽく振舞わなきゃ」


 ああ天使目線でしたか。

 パッと楽し気に満面の笑みを浮かべる姿は、天使というより小悪魔と表す方が相応しいように感じる。


 それにしてもストーカーとはな。ただどうにも綿貫と違って、白崎の中にはしっかりとストーカーとの像がはっきりしているような感じがする。話し方も事実を淡々と告げている具合だし、可哀そうと言ったりストーカーをしっかり人として認識している気配だ。これはもしかしたらマジなのかもしれいない。まぁだからなんだという話ではあるのだが、一応話は聞くか。


「で、それを俺が受けるメリットは」

「うーん」


 尋ねると、白崎は頬に人差し指を添える。


「受けるメリットはもしかしたら無いかも」


 にこやかに言う白崎だったが、一転、その視線は挑戦的な眼差しへと変わる。


「でも、デメリットはあるんじゃないかな?」


 なるほど、デメリット。


「それはどういう意味だ」


 薄々白崎の思惑に感づきつつも、とりあえず尋ねる。

「私こう見えても自分のためなら手段を択ばない性格してるんだよね~」


 でしょうね。


「これまでも気に入らない子は天使の地位を活かして排斥してきた」

「何が言いたい」

「もう分かってるんでしょ? 私は元宮君の事が好き。でも元宮君はとある女の子にかかりきり。そうなると私がその女の子が気に入らなくなるのは当然の事だよね?」

「……」


 やはりそう来たか。まぁこの女の性質上そういう発想をしてくる事は大方予想できていた。それにあっさり引き下がらない事も。

 ここからはうまく立ち回らないとな。


「分かった。偽物の彼氏は演じる。だが条件が二つある」


 断れば本当に綿貫に何かしかねないからな。ここはこの女の意思に寄り添いつつも、俺の苦労が最小限になるよう留めておきたい。


「条件?」

「ああ。一つは登下校は共にしない」

「どうして?」

「当面の間、登下校は綿貫とするからだ」


 言うと、白崎の瞳がうっすらと霞みがかる。


「また空那ちゃんなんだ……」


 怨嗟のこもった声音に、少しだけ嫌な汗が滲み出てくるが、臆さず続ける。


「ああ。だがこれについては綿貫だから、というより綿貫が先客だから、という理由が大きい」

「先客?」


 俺の言葉が予想外だったのか、白崎は怪訝そうに尋ねてくる。


「簡単な話だ。俺は綿貫からも白崎さんと似たような依頼を受けている」

「え?」

「ストーカーされてるから登下校は一緒にしてと言われてるんだよ。乗り気じゃないとは言え引き受けてしまった手前、最後までその役割を全うする義務が俺にはある」


 あくまで俺の感情で動いているわけではないという事を言外に伝える。


「ストーカー。空那ちゃんが」


 白崎は腑に落ち無さそうに繰り返す。やはり聡い。

 とは言えあまり話が脱線しても困るので、さっさと次に移させてもらう。


「そして二つ目の条件は、俺と白崎さんの関係が偽物である事を、特定の人間にだけ開示させてもらう」

「特定の人間に開示?」

「ああ。一人は綿貫。もう一人は菅生だ」


 はっきりと名前を伝え、話を終える。


「俺からは以上だ」


 白崎が押し黙る。俺が今後やりやすいようにするには、この二つの条件は重要だ。必ず押し通す。

 と言っても、ほぼ私情みたいなものではあるのだが。

 しばらく考え込む白崎だったが、やがてゆっくりと口を開き始める。


「一つ目は……ともかく。二つ目については呑めないよ。だってこれはストーカーを諦めさせるためにするんだよ? 嘘だって分かったら意味ないよね?」

「それついては二人にはくれぐれも他言させないように俺がする」


 断言し、揺さぶりをかけていく。


「信じられると思う?」

「信じてもらうしかない。俺の見立てではこの二人なら確実に秘密を守らせることができると踏んでいる。白崎さんが俺の事を買ってくれているのなら、その言葉に一定の説得力はあると思ってるんだが」


 その目的に沿う事は可能か、白崎が俺の事をどのように評価しているかなど、そう言った要素を踏まえ、俺に都合の良いように話を運ぼうと試みる。


「条件が呑めないって言ったら?」

「仕方ない。この話は無かったことになる」

「でもそれでいいの? 私、本気で空那ちゃんを追い込むよ?」

「そうだろうな。だがお前こそいいのか? そうなれば俺は間違いなく本気で抵抗する。俺の過去を知ってるなら俺もまた手段を選ばない素養を持っているのは知ってるだろ?」


 白崎の目を見据えると、相手もまた俺の事を見つめ返してくる。

 お互いの許容ラインはどこにあるのか、推しはかる。

 しばらくの膠着の末、先に目を逸らしたのは白崎の方だった。


「……そっか。まぁ、流石に私も好きな人を敵には回したくないからね。それが元宮君なら尚更。うん、いいよ。元宮君の条件で。でも私からも一つだけいいかな」

「聞こう」

「たぶん私たちの関係が偽物だって知ったら、なんでそんな事してるかって聞かれると思うんだよね。だからその時はこう答えて。“私が好きな人の気を引くために元宮君に彼氏のフリをしてもらってる”っていう風にね」


 その条件に一体どういった意味があるのか、すぐ答えを出すには、少し考えるべき事が多そうだった。

 ただ恐らくそこが白崎の最大限の妥協ラインであろう事は予測できる。であるのならば、俺の答えは一つだ。


「分かった。聞かれたら二人にはそう説明する」


 頷くと、白崎がふっと口元をほころばせる。


「これで交渉成立かな。これからよろしくね元宮君」

「よろしくされるほどの事でもないが、こちらこそ」

「それじゃ、教室に帰ろっか」

「ああ」


 首肯し、屋上の扉へと足を向ける。

 さて、これで晴れて俺は白崎の偽物の彼氏を演じる事になったのだが、そのためにはもう少し詳しい話を詰めておきたい。


「それで、彼氏を演じるにあたって俺は何をすればいい?」


 教室で何かするのかとか、休日どこか行くのに同行するとか、簡単な事は考え付くが、とりあえず白崎の方が依頼してきた側なので、ある程度委ねる姿勢を見せる。


「……何をすれば」


 ふと白崎が立ち止まるので、俺も立ち止まる。

 顎に手を添え、考え込む姿を眺めていると、不意に白崎の顔がこちらへと向く。


「え、彼氏彼女ってどういう事すればいいんだろう⁉」

「えぇ……」


 縋るような眼差しで放たれた言葉に、拍子抜けするとともに、前途の多難を予感した。

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