第十話 魅惑の天使
「その言い草だと違うみたいだな」
遠回しに綿貫の事を認めると、白崎がうっすらと微笑む。
「そうだね。綿貫さんから元宮君の事は聞いてないよ」
「でも俺以外の事は聞いたって事か」
「流石元宮君。分かってるね」
大方綿貫の名前を出してきた時点で綿貫からなんらかのヒントを得たであろうことは想像できるからな。
「そう、私は空那ちゃんから元宮君の事じゃなくて、空那ちゃん自身が奈良のどこらへんに住んでたか聞いてたんだよ」
なるほど。うっすらと俺の過去に辿り着いたルートが見えてきた。
「そんな時私は見つけた。元宮君と綿貫さんが一緒に秋葉原で仲良く歩いているところをね」
やはり歩いている
「あの時はびっくりしたな~」
不意に白崎が自らの髪を指でくるくるを弄び始めると、毛を一本引き抜いた。
「お礼を言おうと思って追いかけたら別の女の子と仲良さそうに歩いてるんだもん」
白崎は指を離すと、そよ風に乗って姿をくらます毛の行方を案じる。
その所作にただならぬ気配を感じていると、白崎は再びこちらへと目を向けた。
「それで元宮君って確か奈良県出身だよね?」
「そうだな」
黒歴史の地とは言え、奈良の事は嫌いじゃないからな。出身だという事は隠してなかった。
「それは元々知ってたから、あとは連想ゲームだよね。出会って間もないはずの二人が何故か親し気に歩いているのはおかしい。ただ二人には奈良出身という共通点がある。となると二人は奈良県で知り合いだった? しかもあの距離感はけっこう付き合いは長そう。少なくとも小学校は一緒と考えられるだろう。これは難敵かもな~。敵を倒すにはまず敵を知らくちゃ。確か空那ちゃんの住んでた辺りは吉井小学校の校区内。吉井小学校の子は桜野中学校へ進学するらしい。あれ、桜野中学校って有名なの? 特に検索ワードにある自殺って何かな? わー、いっぱい記事がある~。へぇ未遂で済んだのかー。でもなんでこんなに多くのネット記事が? 掲示板でもけっこう取り上げられてるみたい。なるほど、元々その中学生は色んな子に嫌がらせをしていたという経緯あり」
淡々と言葉を紡ぎ続けていた白崎だったが、ここでようやく一区切りする。
「事件の裏には一人の少年が? 嫌がらせに対する報復が原因か」
白崎はおもむろにスマホを取り出すと、記事の映った画面を見せてくる。
「いかにもある事ない事書いてるなーっていうネット記事の中で、これが一番真実に近いと思った記事だよ」
自然と本文へと目が行く。なんというか……随分と稚拙な文章だな。まぁでも、確かに他の記事より綿密に調査されているようには見えるか。
「まぁもちろん、これ以外のも読んで、総合的に判断したんだけどね。どの内容の記事も元宮君とか空那ちゃんで当てはめると腑に落ちるのが多いっていうか。ただそれでも確信には至らないよね。だからさっき聞いてみたというわけです」
これでおしまいとばかりに手を合わせ、にこやかに微笑む白崎。聞いてみた、とは三つ単語を並べた時の事を言っているのだろう。
なんというか想像以上に恐ろしい子かもなこの子は。論こそ主観に依っている節はあるが、情報の処理量は目を見張る者があるし、それでいてしっかりと真実を嗅ぎ分ける嗅覚も兼ね備えていそうだ。実際数ある虚構の中から真実に辿り着いたわけだしな。行動力という面でもなかなかだ。
これは相手にすると骨が折れるだろうな。
「で、俺の過去を暴いてどうする? 学校中に知らしめて俺の立場どん底に叩き落としてくれたりするのか?」
だいたいこの女の性質は理解したため、今度は目的を知るべく口を開く。
「元宮君をどん底に……なるほど、そういう方法もあるんだ……」
白崎が考え込むそぶりを見せ、何やらぶつくさと呟く。
やはり何かの目的はあるようだな。でも俺をどん底に叩き落として成し遂げられる事ってなんですかね……。先が思いやられる。
「うん、でも安心して元宮君。私はそんな事しない。だってほら、他の人が知らないって事を知ってるってなんか特別感しない?」
「どうだろうな」
適当にはぐらかすと、白崎の表情が陰る。
「二人だけの秘密じゃないのは残念だけど」
確かにこの事については綿貫も当然知っている。
「で、俺を陥れるのが目的じゃないなら、なんで今過去の話を持ち出した? 単に軽蔑したいだけならさっさと済ましてくれ」
言うと、白崎は俺の懐へと身体を寄せ、俺の手を取ってくる。
「そんなとんでもない、軽蔑なんてするわけないよ⁉」
黒真珠のように澄んだ瞳が、俺の眼を捕らえる。
手の温もりが、俺の掌にじんわりと浸透していくのを感じた。
呆気にとられつつも、なんとか口を開く。
「……いや別に軽蔑してくれて構わないぞ。実際俺はそれだけの事をしてるからな」
「ううん、してないよ。元宮君は悪くない」
「いやいや何言ってるんですかね……」
してないわけないでしょ……。あんな陰険で暴力的な行為、人としてどうにかしてる。
「だってそうだよね。危害を加えられたからやり返す。当然だよ。しかも元宮君の場合は自分のためじゃなくて他人のためなんだよ? それってとても尊い事だと思うんだ」
白崎の言葉が、俺の内部へと徐々に滲み込み始めるのを確かに感じた。
昔の俺ならその言葉に頷いてしまっていただろう。だが今の俺なら理解できる。それが紛れ間もない悪であったことも、この女はどうにかしているという事も。
「悪いのは俺だよ。何せそれを知っていた周りの人間は例外なく俺の事を非難した」
それは一番仲の良かった奴でさえもだ。
「だからってそれが正しいって事にはならないよね。多数派の意見が常に正しいなんて考えはおかしいよ。例えばガリレオなんてその良い例。当時天動説が主流だったのを地動説を推したことで迫害された。後になって地動説の方が正しい事が分かって罪を取り消されたけど、それは三百五十年後の話。逆に言えばそれは三百五十年間人類は間違い続けていたという事になる」
まぁ地動説はその後から百年経たないうちにニュートンのような優秀な学者によって主流となるのだが、白崎が言いたいことはそういう事ではないのだろう。
「それについては宗教問題も絡んでくるから一概には言えないが、ただそれを差っ引いたとしてもそれは答えがあった問題だからに他ならない。だが今回の俺の行いが正しいかそうかについては価値観の問題だ。価値観というのは人との間に形成されるもので、どれが正解かは人の数でこそ決められる」
多くの人に非難された時点で、その行為はれっきとした誤りだ。
「そっか、そうだよね……」
悲し気に顔を伏せる白崎だが、再び顔を上げ力強い眼差しを向けてくる。
「でもね、少なくとも私は元宮君を非難しないよ! だって私には元宮君の行為は正しくて、尊くて、あと……」
ここでようやく手を握り続けていた事に気づいたらしく、頬を紅くし慌ただしく離す。存外初心な反応に関心を引かれていると、白崎は小首を傾げ恥ずかしそうにしながらも笑顔を見せる。
「かっこいい事だから」
白崎の所作はどこまでも洗練されていて、天使と称されるのも頷ける。
「私は元宮君のすべてを肯定するよ。ずっと味方でいる。それにもし元宮君が行くって言うなら……」
白崎は語気を強めると、まっすぐ俺の目を見てくる。
「私は地獄にだってついていく」
嘘偽りの感じられない黒く澄んだ瞳は、確かに俺の双眸を捉えているように見える。
そして思い出してしまった。この子の放つ言葉の一つ一つが、かつての俺が喉から手が出るほど渇望していたものだという事を。
ふと、己の心が揺れるのを確かに認識した。
「だから、私とお付き合い、してくれないかな?」
改めて、問いかけられる。
まぁ、確かにこの白崎叡花という子は多くの者を魅了する姿をしている。きっと一緒に並んでいたら大勢の男子から羨望の眼差しで眺められる事だろう。性格なんて外面だけじゃ分からないからな。かくいう俺自身も、正直惹かれてしまっていた。外見もそうだし、何より俺はこの子の性格を肯定的捉えてしまえる素質がある。
客観的に俯瞰すれば明らかにこの女の性質は異常。だが俺の目にはそう映らない。結局の所、幾ら一般論を振りかざし理論武装しようとも、俺が俺である事は変えられないのだ。
その上付き合う事のメリットもある。白崎の性質を鑑みるに、俺が共に歩むと決めれば、きっと今後発生しうる傷は最小限に抑えられるか、あるいは完全に抑えられる。わざわざ動向を窺わなくとも、俺が一緒にいさえすればそれで問題なくなるはずだ。
頭では理解している。頷けばきっと楽になれるだろうと。
だが、それら全ては俺の変えなければならない認識である事もまた理解していた。
「悪いな。やっぱりその気持ちには応じられない」
もし応じてしまえば、恐らく俺は今も昔も俺である事を認めてしまう事になる。
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