第九話 疑惑の天使

 午前の授業を滞りなく終え、席を立ちあがると、教室をそそくさと出ていく影が見えた。

 紙切れを入れた人間は誰なのか。大方予想はつきつつも、指示通り屋上へと向かう。

 階段を上っていくと、屋上へ続く扉に突き当たった。

 ドアノブを押し込み屋上へと出て辺りを見渡すも、誰もいない。


 まだ来てないだけかそれともイタズラだったか。

 とりあえず真ん中の方へと出てみると、後ろの方で扉がひとりでに閉まり、あの時感じたものと同じ種類の視線を感じる。


「これを入れたのはお前か白崎」


 メモを取り出し振り返ると、扉の横で白崎が寄りかかっていた。

 相変わらずそれだけで絵になる整いっぷりだ。


「うん、そうだよ。昨日ぶりだね元宮君」


 微笑みこちらに手を振る所作はいつもと変わらない。


「それで俺に何の用なんだ?」


 尋ねると、白崎がステップするかのようにリズムよく近づいてくる。


「まずは昨日のお礼かな? ありがとね。すごく助かっちゃった」


 白崎は後ろで腕を組むと、軽く上半身を倒しアイコンタクトを送ってくる。

 まずは、ね。


「それはご丁寧に」

「ふふっ、言い方がなんか取引先の人に言ってるみたい」


 何がおかしいのか、可憐に目を細めて口元を手で隠す白崎。今のはどちらかというと嫌味の意味合いが強かったんだが。何せ俺の迷惑などお構いなしで巻き込んできたのは白崎自身だ。


「たまに歩いてたら声かけてくる人いるんだけどあの人たちはなんだかしつこくて……。特にロン毛の人、鼻からこっちが嘘ついてるって決めつけてくるし。まぁ実際嘘はついてたんだけど」

「まぁ……」


 確かに、とは思うが、はいともいいえともつかない曖昧な返事をすると、白崎は身を翻し俺から背を向ける。


「それにしてもかっこよかったな~。あの時の元宮君」


 あの時の俺がかっこいいわけないだろう。気持ち悪いの間違いだ。

 いったいこの子は何を言っているのだろうかと訝しんでいると、白崎は再び俺へと向き直る。

 ブラウンがかった髪の毛を宙を舞うと、フローラルな香りが漂ってきた。


「だからね、私好きになっちゃったんだ、元宮君の事」


 頬を染めながら舌を少し覗かせ白崎がはにかむ。


「はい?」


 唐突な告白につい不信感が口に出る。ますます何言ってんだこの子。


「それでその、元宮君さえ良ければ私と付き合ってほしいなって……」


 いかにも恥ずかしそうなそぶりで言ってくるが、本心から出ている言葉には到底思えない。厳密には所作から嘘は感じられないのだが、状況的には嘘としか思えない。とは言え頭から嘘だと決めつけるのもどうかと思うので、とりあえず真に受けて断ることにした。


「あー、まぁそう言ってくれるのは嬉しいが、悪い、白崎さんとは付き合えない」


 無難に答えたつもりでいると、不意に空気がチリチリとし始める。


「なんで?」


 大よそ先ほどまで出していたものとは違った低い声色に、不穏な気配を察知する。だがここで臆しては相手のペースに吞まれる恐れがあるので、自らの感情は一旦頭の片隅へと追いやる。


「それはだって俺らはお互いの事まだよく知らな……」

「ううん、知ってるよ?」


 あくまで会話の主導権を握るつもりなのか、俺が言い切る前に白崎が言葉を挟んでくる。しかも知ってるとはまた大きく出たものだ。確かに高一の時も同じクラスだったが、俺たちは一切かかわりが無かったと言っても過言じゃなかった。


「少なくとも私は知ってるよ。元宮君の事なんでも」


 白崎の弁に、胸の中に小さな黒点が現れる。

 そんなわけないだろ、知ったような口効くな。

 そう言った言葉がじんわりと浮かび上がってくるのを自覚し、すぐさま思考の外へと追いやる。


「まぁ、確かに同じクラスだったし多少知った仲ではあるか」


 表向きでは相手の言葉を肯定し、その実これはあくまでそれまでの関係であるという示唆に他ならない。


「うん、そうだね。でもそれだけじゃないよ」

「それ以外に何かあったか?」


 先ほどより直接的に伝える。流石にここまで言ったら分かるだろう。

 だが、白崎は悪い意味で俺の予想の斜め上を行く。


「桜野中学校、女子中学生、自殺未遂」


 思いがけない単語に白崎の目へ視線が行く。その瞳は黒真珠のように妖美で、見つめ続けていたら吸い込まれそうなそんな心持がした。

 その単語には聞き覚えがある。当たり前だ。何と言おう桜野中学は俺が通っていたところだ。俺はここに来てから一度もその名称を口にしたことはないはずだが。


「誰に聞いた?」


 つい尋ねてしまうと、白崎は心なしか嬉しそうに顔を綻ばせる。まるで先生の問いに小学生が手を挙げて正解した時のような得意げな雰囲気を醸していた。


 これは……尋ねてしまったのは悪手だったかもな。元々白崎の中でその三つの単語と俺との関連性はは曖昧だった見受けられる。だが俺が反応を示した時点で白崎の中でその関連性はより濃いものになったに違いない。だから俺はあの場面で尋ねるのではなく徹底的に知らないフリをすべきだった。


 そんな事にもすぐ気づけないとは、どうやら思った以上に白崎の放った単語に思考をかき乱されていたらしい。


「誰だと思う?」

「……」


 考えられるのは綿貫だ。こちらにいて俺の事を知っているのはあいつしかいない。

 一応あいつには俺と関わるなとは言ったものの、昔の事を誰かに言うなとは言ってないからな。だが、少なくとも現段階で綿貫は俺の事を誰かに話したりはしてないだろう。もしあの盛況ぶりの中そんな話をしていたのなら、それは確実にクラスの耳に届き今頃俺は周囲に蔑まれているはずだ。あるいは菅生辺りが直接真偽を尋ねてくれるかもしれないな。


 故に白崎の問いかけの意図はそこにはないのだろう。ただこの女は俺と綿貫に少なからず関係があるという言質を取りたいに過ぎない。

 既に俺の事をごまかすことはできないだろうが、綿貫だけならあるいは。


「皆目見当もつかないな。白崎さんがその女子中学生の身内じゃない限りは」


 一縷の望みにかけ、パッと考え付いた可能性を口にするが、それはすぐに否定される。


「うーん、それは無いかな~。全然知らない子だよ」

「そうか。ならもうお手上げだな」


 とぼけてみるが、白崎は逃してはくれなかった。


「ほんとは空那ちゃんって思ったんじゃない?」


 不意に白崎の口から綿貫の名が出てくる。

 確信めいた声音にすべてを察した。


 ……なるほど。元々俺の方に分の悪い話題だったかこれは。ますますあの単語に反応してしまった自分が悔やまれるな。あの時点であればまだいくらかやりようはあっただろう。


 だがこれで確信は得た。


 秋葉原で感じた気配は白崎のものだ。あの時こいつは俺たちの姿をしっかりその目に捉えている。


 一応まだ綿貫の事だけは無理やり誤魔化せないことは無いが、それをすると今度は白崎は綿貫の方へと接触しようとするかもしれない。現状この女の目的が分からない以上、そんな危ない橋を渡るわけにはいかない。ここは全てを認めた上で俺に都合がよい話になるように軌道を修正する方向に切り替えた方がいいだろう。


 それに先んじては、まずこの女の性質と目的を見極める必要がある。

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