◯クラスの天使は病みきれない
第八話 疑惑の教師
日は巡り月曜。
先週末はアキバへ行っていたためまともに休めた気がしない。コラボカフェの後、結局綿貫の秋葉原観光に付き合ってしまったのも疲労が溜まっている要因だろう。何せあの女、グッズを見始めたら延々とその場に留まり吟味し始めたり、かと思えば興味を惹かれた場所へ急に走り出したりと、非常に手がかかるのなんの。まるで子供のお守りをしている気分だった。
まぁ確かに、周りを見れば竪穴住居しかないような奈良県民にとって都会というのはあまりにも珍しい建物ばかり立ち並んでるし、ましてやその建物が自分の興味のある物を取り扱ってるとなればテンションが上がるのは分かるのだが、それにしてももう少し落ち着いて満喫できなかったのだろうか。
その上帰りとかもきっちり最後まで同行したし、息を吐く間などどこにもなかった。労働基準法にのっとれば間違いなく問題になる。
おかげで俺の感情は終始死にっぱなしだったが、それは逆に言えば感情を殺すことができたともとれるため、ある意味では幸いだった言えるかもしれない。
とは言えまだ俺の労働は終わったわけではない。
「まーくんお待たせ~」
スクールバッグを肩にかけ、手を振りながら綿貫が駆け寄ってくる。こいつとは登下校一緒にするって約束だったからな。
「流石に昨日のように遅刻はしなかったか」
「私も成長してるって事だね」
「一切目線は変わってないからそれはない」
「身長の話じゃないよ⁉ ていうか身長だとしても毎日伸びてるもん、ほ、ほら~っ!」
ぷるぷる足を震わせながら背伸びする綿貫だが、まだまだ頭のてっぺんが丸見えだ。
「とりあえず行くか」
「わわっ、ちょっとま……っ⁉」
歩き始めようとするとまた綿貫がこけそうになるので片手で支える。
「無理して背伸びするからこうなる」
「む、無理してないもん!」
「じゃあ今すぐ手を離しても問題ないな?」
「ちょ、ちょっと待って⁉」
慌ただしく綿貫が体勢を整えると、不服そうな目でこちらを見てくる。
「まーくんの意地悪」
「そうだな。だから別に一人で登校してくれてもいいんだぞ」
「そ、それは嫌!」
歩みを再開すると。綿貫が焦りながら隣へ追いすがってくる。
綿貫が何やら話しているのに時々相槌を打ったりしつつ歩いていると、やがて学校へと到着した。
「それじゃ、また帰る時は裏門で」
昇降口で靴を脱ぎつつ、綿貫に伝える。
「うん……」
名残惜しそうする綿貫だが、約束は登下校のみなのでここから俺たちが必要以上に関わる必要はない。
肩の荷が下りた気分で下駄箱の扉を開くと、ひらりと何かが落ちてきた。
「なんだこれ」
足元にメモの切れ端が落ちていたので拾い上げると、そこには整った綺麗な字で『昼休み、屋上で待ってます』と書かれていた。
裏返してみても差出人は書いていない。
これはもしかしてラブレター的な奴ではと考えるが、それにしては裸で紙切れ一枚を入れておくだけと手紙っぽさが無い。それに心当たりも無いしな。
まぁ指示通り屋上に行けば自ずと分かるかとポケットにメモを押し込むと、誰かが俺の方へと近づいてくる。
「あ、元宮く~ん」
声をかけられたので見てみると、何故か担任の佐藤先生が俺へ好奇な眼差しを向けていた。
「ども」
「はいおはようござます。元気でよろしい」
めちゃくちゃボソボソ言った自覚あるんだが元気要素あったか今。
「それと綿貫さーんもっ。おはようございま~す」
「えと、おはようございます」
たまたま靴を履き替え終わり姿を覗かせた綿貫も声をかけられる。既にアラサーと聞くが、それにしてはまだしゃべり方に若々しさを感じるな。
「どう綿貫さん。学校にはもう慣れた?」
「あ、えと……」
「まぁまだか~そんなに来て時間たってないもんね」
綿貫の言葉を先回りすると、不意に含み笑いを浮かべる先生。
「それより~? お二人はどういう関係なのかなぁ?」
「はい?」
「え⁉」
出し抜けに放たれた質問につい聞き返してしまう。
「実は私見ちゃったのよねぇ。電気街口の所で二人で歩いてると・こ・ろ」
先生が冗談めかして言ってくる。
あの時この人いたのか……。もしかして一瞬感じた気配もこの人だったのか? 何はともあれ、何やら誤解している節はありそうなので、そこはしっかり訂正しておかないとな。
綿貫がどう言えばいいのかなと目で訴えかけてくるのを手で応じ、口を開く。
「別に大した関係じゃないですよ。先生なら知ってるかもしれませんが自分も奈良県出身なんですよ。でもって面識もあった上に家も近かったので秋葉原のガイドしてただけです」
「ふむふむ。つまりデートしてたと」
「デ、デートなんて~えへへ」
先生の言葉に、綿貫は朱に染めた頬に手を添える、
「そうはならないでしょ……」
「男の子と女の子が二人で一緒のおでかけしたらそれはデートだと思いま~す」
いや違うだろ。
「そうだよまーくん!」
何故か綿貫まで爛々とした目で見上げ同調してきやがる。
別に俺間違ってないよね? 男女二人ででかけたくらいでデートとか考えるの、たぶん彼氏彼女できた事無い人だけだと思うんですけど。いやかくいう俺も同類なわけだが。
「そういう先生こそ秋葉原で何してたんです?」
「え⁉ そ、それは~……」
これまで饒舌だった先生だが、突然言葉を詰まらせる。
あまり話が膨らむと面倒くさいので話題を切り替えようとしただけだが、存外興味深い反応が返ってきた。
「何か都合の悪い事でも?」
あえて単刀直入に尋ねる。変に探りを入れるようにしたら却って警戒されかねないからな。もしあの時感じた気配が先生のものであるのなら、こちらの不信はあまり悟らせたくない。
「都合悪い事―ってわけでもないんだけど、まぁちょっとしたバイトを……」
「え、今なんて言いました?」
にわかに信じがたい単語が出てきたので聞き返す。
「だからその、バイトを……」
バイトって公務員だよな先生。
「許可とかは?」
一応地方公務員とかは許可があれば副業もできたと思うが、この様子だとたぶん無許可だろう。だとすればこの教師相当やばいな。
「い、いや違うのよ? 大学時代に働いていたところで、オーナーに人手不足だからどうしてもって頼まれて仕方なくでね⁉」
頼むほうも頼むほうだが引き受ける方も引き受ける方だ。
「なんのバイトなんですか?」
純粋に気になったのだろう。綿貫が特に何を思った風でもなくこてんと小首を傾げる。
「それはーまぁ、ご主人様をおもてなしする感じの……」
なるほど、そりゃ許可なんて下りてるわけないわな。
「それってもしかしてメイド喫茶ですか⁉ すご~い!」
感心する綿貫だが感心する要素皆無なんだよなぁ。むしろ世間的に見れば軽蔑される案件かもしれない。何せこの人は教師だ。間違いなくあるべき姿ではない。
「わ、綿貫さん、もう少しボリュームを……」
「あ、松さん先生おはでぇっす」
「はい⁉」
不意に別の所から名前を呼ばれて肩をびくつかせる先生。
目を向けてみれば金髪がヘラヘラ笑っていた。
「だ、誰⁉ 私のいかにも古風でしなびてて嫌いな下の名前で呼ぶ人は! シュガー先生とお呼びと何度言ったら分かるのかしら⁉」
「きついっす~」
そう言いながら颯爽と金髪は立ち去っていく。
「まったくもう……うちの生徒どもは」
腰に手を当て眉をしかめるその後ろ姿を眺める先生だが、確かに金髪の言う通りきつさはあるな。しかも普通に佐藤先生で呼ばせればいいのにシュガー先生って……おやじギャグじゃん。年齢出てますよ。まぁこの人の場合それ以前の問題だが。
「あ、と、とにかく、この事はあんまり言わないでね? 私も二人の事は言わないようにするから!」
先生は綿貫と特に俺の方に目を向け、頼み込んでくる。教師なだけあってある程度人の事は見てるのかもしれないな。
「別に興味ないので」
「うっ、なんかそれはそれで悲しい一言……いやでもいいや、それじゃ、またSHRでね二人とも」
そう言って先生は逃げるようにこの場を去っていく。
「メイド喫茶で働く先生なんてアニメみたいだね。ちょっと憧れちゃうよ~」
「間違ってもそんな大人になるなよ」
「え? なんで?」
不思議そうに尋ねてくる綿貫。無知って幸せだな。
「あ、もしかして」
「はいはい違う違う」
「まだ何も言ってないのに⁉」
「見え透いてるんだよ。そよれりももう俺は行く」
半べそをかく綿貫に背を向け、さっさと教室のある方へと歩いていく。
思いがけずうちの担任のやばい事情を知ってしまったが、正直どうでもいい事だった。あの時感じた気配が先生のものではないと分かった時点で俺の関心からは外れている。
もしあの気配が先生のものであれば、あの時気配を消した意味が分からない。そりゃ犯罪まがいの事をやっているから生徒とは鉢合わせしたくなかっただろうが、メイド姿で練り歩いていない限りいくらでもごまかせるし、実際メイド姿の人の中に先生の顔は無かった。
それに、そのためにこそこそ隠れるくらい警戒心の強い人間なら、わざわざ秋葉原に自分がいた事を俺たちに伝えないだろう。ましてやメイド喫茶で働いる事を匂わす発言なんてするわけもない。
だから別にあの教師の不祥事が発覚して懲戒免職になったとしても、俺たちにダメージが入るわけじゃないだろう。せいぜいバレないように立ち回ればいいんじゃないですかねくらいの気持ちだ。
ただそうなると、俺たちを見ていた奴は誰なのかという事になってしまうが、もしかしたら俺の気のせいである可能性もある。
一応あの時点で警戒は強めていたが、以降俺たちをつけている奴は見当たらなかったし、こそこそ監視している目も無かった。
ただもし意図的に俺たちを監視する目があったのであれば、こちらも対応を考えなければならない。もし本当に綿貫にストーカーがいたのなら、流石に見ぬふりというわけにはいかないだろう。
いずれにせよ、もう少し登下校については綿貫と一緒の方がいいだろうな。
ポケットに突っ込んだメモ帳に触れつつ、俺は教室へと入っていった。
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