第二話 病みきれない幼馴染
保健室に先生の姿はなかったので、とりあえず手ごろなベッドへ綿貫を寝かせる。
先生を呼びに行くべく身を翻すと、起き上がるような布擦れの音と共に、後ろから声がかかった。
「まーくん」
ふと、こちらでは耳なじみの無いあだ名で呼ばれる。名前が正成。だからまーくん。
「起きてたのか。まぁたぶん大丈夫だろうが一応一時間目くらいまでは寝てればいい。俺は教師を呼び行く」
さっさと去ろうとするが、制服の裾を掴まれ阻まれてしまう。
「待って」
相変わらず手は小さいみたいだな。
力を入れれば簡単に振り払えてしまうだろう。
「えと、その、久しぶり、だね。えへへ……」
綿貫のはにかんだ顔が脳裏に浮かぶ。知らないふり、は流石に無理があるか。何せ関わらなくなって二年、顔を合わせなくなってからまだ一年ちょっとしか経っていない。
「ま、そうだな」
振り返らずに肯定すると、安心したかのように綿貫の指先から力が抜けるのが分かった。
「じゃ、俺は先生を……」
「まーくんの顔、見たい」
綿貫は俺の言葉を遮り、そんな事を言ってくる。
「どうせ隣の席なんだ、勝手に見ればいい」
「今見たい」
むすっとした不満げな声が聞こえる。こうなるとなかなか折れない。
くそ、もう振り返らないと決めていたのに。
「これで満足か?」
再びベッドの方へと体を向けると、ちょこんと座る綿貫の視線とぶつかる。
「まーくん……」
綿貫が再びその名を呟くと、ばっと立ち上がる。
「まーくんだ~!」
突如温もりに覆われると、バニラのような甘い香りがふわっと立ち込める。視線を下に向ければ、綿貫が俺の身体に抱き着いてきていた。
嬉しそうに目を細める綿貫の姿に、かつて一緒に過ごしてきた、様々な記憶が頭の中を駆け巡る。だが、その記憶の終着点に到達した時、心臓が波打った。
――怖い。力寄らないで。もう関わらないで!
あの悲鳴にも似た声が脳内で反芻する。
忘れて忘れてかけていたのに、こいつの声は、姿は、温もりは、否応なしにあの頃の俺の感情を思い出させてくる。
「なんでだよ」
気づけば綿貫を引きはがし、数歩後退していた。
「ま、まーくん?」
気づかわし気な綿貫の眼差しに、頭が混乱してくる。
「お前は……」
とにかく何か言葉を発するべく口を開くと、幾らか思考がまとまりを帯びてきた。
「お前は、俺の事が怖いんじゃなかったのか?」
聞きたい事なんてごまんとあるが、とにかく一番分からないのはそこだ。
「それは……」
綿貫が逡巡するかのように目を伏せると、おもむろに口を開く。
「確かに、あの時は本当にそう思ってたよ。本気で人を嬲り殺しそうな目してたし……」
……俺そこまで酷い目つきしてたの? しかも嬲り殺しそうって……マジで黒歴史すぎる。
「で、でもね、今は違うよ! 私ね、まーくんと顔をあわせなくなって、一人で高校生になって、やっと気づいたんだ。まーくんが私にとってどれだけ大切な人なのかって。あの時のまーくんは私を守ってくれるのに必死だったから殺気を放ってただけなんだって!」
殺気まで放っちゃってましたか。ええそうですか。
まぁ幾ら恥じても俺の黒歴史は無くなってくれないので、ここは割り切るしかあるまい。過去より現在だ。
「……お前の主張は分かった。だがなんでそんな考えになった? 訳が分からない」
あの拒絶は本物の拒絶だった。それが何故また以前より、あるいは以前以上に俺に対して好意的になるんだ。
「それは……」
憂いを帯びた眼差しに、高校になってから何かあったのだろうかと心配になるが、振り払う。俺はもう誰かに入れ込むことはしないと決めたのだ。それにもし仮に高校の時に何かあったとして、こっちに来たんだからもうその憂いは絶たれているはずだ。俺の出る幕じゃない。
何を言われても無関心でいようと身構えていると、おもむろに綿貫が口を開く。
「いざ守ってくれる人がいないと思うとなんか不安になったから」
綿貫の弁に、肩透かしを食らう。
なんか想定してたのと違うな。
「え、それだけ?」
思わず尋ねると綿貫が身を乗り出す。
「だって、高校生になったら私の周りの全員が知らない人だったんだよ⁉ もし何かあってまたいじめられるような事があったら今度は誰も私を守ってくれない……そんなの耐えられないでしょ⁉」
「いやまぁ、そりゃいじめられるとなると耐えがたいだろうが」
「だよね⁉ だから私にはまーくんが必要なんだよ。だからね? お願い! また昔みたいな仲良くして! 私もうまーくん無しでは生きていけない!」
最後だけやたら重いけどそれ以外軽いなこいつ。ていうか浅い。何が浅いって仲良くしたら守ってくれると思ってる辺り超浅はか。
「なるほど、とりあえずお前が俺の事を怖くない理由は分かった。まぁ理解したわけではないが、お前がそういうならそうなんだろう。その上で一つだけ聞きたいことがある」
「う、うん!」
俺の疑問さえ解消すれば目的が達成できると思っているのか、綿貫は心なしか目を輝かせる。
その姿に呆れつつも、とりあえず決定的な事を聞いてみる。
「もし仲良くしてもお前の事守らないって言ったらどうすんの?」
俺の投げかけた質問に思考が追い付かなかったのか、綿貫は目をぱちくりして呆ける。
ややあって、思考が追い付いたか必死な表情でこう告げた。
「え⁉ 困る!」
いや困るってあんた……。
「どーして! どーしてそんないじわる言うの⁉」
「いやいや言ってないだろ……。だってお前それって単に俺を便利なボディーガードかなんかとしか思ってないって事だろ?」
「え、なんで?」
とぼけているのか、いかにも理解できてなさそうな返事をよこしてくる綿貫。
いやなんでってこっちが聞きたいわ。
「じゃあ聞き方を変える。別に仲良くはしないが、有事の際には必ず守ってやるって言ったらどうだ? お前は」
「え、嫌だよ。そんなの変だし」
「えぇ……」
即答されて困惑する。つまりなんだ? 一応守ってもらうために仲良くしようと考えてるわけじゃないって事か?
「それで、どうでしょう!」
私と仲良くしてくれるよねと言わんばかりに両の手を差し出し、期待の眼差しを向けられる。ほんと何なんだよ……。
いやでも一応これでも長い付き合いではあった。ある程度なら考えを推察できる。
恐らくだがこいつは仲良くする事と守る事を完全にイコールで結び付けている。それだけならまぁ友達は守りあうもの的な感じで聞こえもいいかもしれないが……こいつの性格を鑑みるにたぶん守り合うではなく守られるだけ、なんだよなぁ。
まぁもし仮にそうでなかったとしても、俺の答えが変わるわけではないが。
「無理だな」
言うと、笑みを浮かべたまま綿貫が顔をこわばらせる。
「俺とお前の関係はあの時を境に完全に破綻した」
まぁ元々がどんな関係があったのかと問われると答えに困るところではあるが、少なくとも始まりはあったはずで、その終わりがあの時だったというだけの話だ。
「だからもう仲良くはできない」
「そんな……」
言い放つと、綿貫は悲し気に目を伏せる。その姿にほんの少し罪悪感を覚えるが、すぐに消し去る。
「ま、幸いうちのクラスは良い奴ばかりだ」
俺もそれなりに楽しくやれている。
「だから綿貫さんの心配してる事態にはならないんじゃないか」
あくまでクラスの人間として、綿貫を迎え入れる。これからは次の席替えまでの隣人同士という関係になるだろう。
「それじゃ、今度こそ先生を呼んで……」
「ストーカー」
「……はい?」
突然綿貫の口から出てきた言葉に猜疑する。ストーカー? いったい何の話だ。
「されてるの!」
「なんて?」
突然訴えかけるように言われ、つい聞き返す。
「だ、だから、私、ストーカーされてて、その……仲良くしなくてもいいから、せめて登下校だけでも一緒に……」
言葉を選ぶかのように綿貫が言う。
何を言い出すかと思えばこれまた突飛な。
「なら頼る相手は俺じゃない。警察だ」
「で、でも、でも……そうだ、逆恨みとかされたら嫌だし!」
焦燥をあらわにしながら綿貫が言い募る。
「ストーカーなんて彼氏作っただけでも逆恨みする奴は逆恨みするだろ。訳の分からない勘違いされて俺まで危険な目に遭うのはごめん被る」
「まーくんなら強いから平気だよ!」
「……」
励ますように言われ、思わず閉口する。
俺への迷惑度外視ですかそうですか。まぁこいつ昔からこういう所あるからな。ナチュラルクズとでも言うべきか。自分の事で手いっぱいで周りが見えない。見ようともしない。自分が守られるのが自然な事と信じて疑わないのだ。だからいじめの標的にされる。
「これ以上話しても無駄……」
「ほんとにいいんだ」
いい加減話を終わらせようとすると、それを察したのか俺が言うのを待たずに綿貫が言葉を挟んできた。
チリチリとした空気が肌を刺し始める。
「このままストーカーされ続けて、そのうち私がめちゃくちゃにされても、まーくんは何とも思わないんだ」
ふとその状況が頭を掠め、未だ俺の中に蟠る何かを自覚してしまう。
無心だ、無心。
「いやお前な……」
「いいよ、別に。何とも思ってくれなくても。だってもしそんな事になってもどうせ私……」
ひたと俺の眼を見据え、綿貫が言い放つ。
「死ぬだけだから」
声音に幼いふてぶてしさを滲ませつつも、目だけは本気だった。今こいつはその状況を想定し、本気で死のうと考えている。
綿貫を失う?
喉が乾燥していくのを感じていると、ふと綿貫の瞳が揺らいだ。
訝しんでいると、やがて目からぽろぽろ涙をこぼし始めた。
「うっく、えっく……」
「お、おい」
想定外の所作に困惑していると、泣きながらも突然小さい手が俺の両袖を鷲づかみにしてくる。
「ど、どうじようまーぐん⁉ わたしぢにたくない!」
涙ながらにそんな事を訴えかけてくる綿貫。
さてはこいつ、いざ自分が死ぬ場面想像して悲しくなって泣き出したな? 自分で言って自分で傷つくとかアホかよ……。
未だぽろぽろ泣きながら鼻をすする綿貫の姿に、緊張していた身体から力が抜けていくのが分かる。
「ひっく、まだやり残した事いっぱいあるのに」
片手で涙を拭うが、また次の涙がこぼれてくる。
「えっく、パパもママも私がいなくなったらきっと悲しむ」
今度はもう一方の手でも拭うが、涙は留まることを知らない。あーくそ。
「それに……」
「……登下校だけだぞ」
「へ? ひっく……ひっく……」
しゃっくりしながら綿貫が俺を見上げてくる。
間の抜けた表情に、本気で悲しんでやがったと呆れつつも、再び同じ言葉を繰り返す。
「登下校だけは付き合ってやるって言ってるんだ」
「ほ、ほんとに?」
綿貫の瞳孔が開く。
「だが仲良くするつもりはないし、学校でも必要以上に関わるつもりもない」
「うん、うん! それでいい、それでいいよ!」
食い気味に言うと、綿貫は涙が乾き始めた目元を紅く染めながらふにゃりと笑った。
「良かったぁ」
なんとも幸せそうな笑顔に絆されそうになるが堪える。あくまで登下校を共にすると決めたのはストーカーが気にかかったからだ。綿貫はクラスメイトになるわけで、知り合いが犯罪に巻き込まれるのを黙ってみてられない、そんな陳腐な正義感のために他ならない。
と言っても住んでる場所が近いのかも分からないし、そもそも本当にストーカーされてるのかも疑問符だからな。事の次第によってはすぐにこの関係も終わるだろう。なんなら始まりすら無いかもしれないわけで。
「ひっく」
何にせよ、未だ綿貫のしゃっくりは止まらないらしい。
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