第123話『ノンプログレム』





 放課後。

 俺が教室から丸出さんと共に部室に向かうと、部室の建物の前で佇む鳥谷先輩と江入さんの後ろ姿があった。

 なんで二人とも中に入ってないんだ……? 


 その答えはさらに近づいてからわかった。


 俺たちの憩いの場、将棋ボクシング文芸部の部室棟は見るも無惨に荒らされていたのだ。


「な、なんだよこりゃ……」


「え、嘘……そんな……!」


 俺と丸出さんは部室棟の惨状にそれ以上の言葉が出ない。


 窓ガラスは割られ、白い壁には赤や黄や黒のスプレーが乱雑に吹きかけられ、ドアの前には腐った生肉、生卵、干物が大量に陳列されていた。


「おう、酷いもんだろ? 中も相当やられてるぜ」


 室内を見回っていたのか、酒井先輩が窓から顔を出して首を横に振りながら言った。


 よく見れば鳥谷先輩の舎弟さんたち数人も室内の奥にいて項垂れている。


 鳥谷先輩の舎弟さんたちは部員ではないが、日頃部室の清掃を担当してくれているのは彼らなのだ。


 江入さんがまったくやろうとしない本棚の埃掃除も定期的にやってくれているし。


 自分たちが綺麗に整えてきた場所を荒らされたらそりゃショックも受けるだろう……。


 入り口前で邪魔している腐った食品類を跨ぎながら俺も室内に入っていく。


 外の被害も酷かったが、内部はより苛烈に荒らされていた。


 部室の中央に置かれているボクシングのリングは内部にペンキをぶちまけられ、本棚はひっくり返されて床に散らばった本は水浸し。


 壁にはバーベルが突き刺さって穴が空いている。

 くそっ、なんでこんな……!

 クラスの友人との約束で結城優紗が部室に来ない日でよかった。


 短気で短慮なあいつがこの状況を見たら、チートパワー全開で犯人を比喩ではなく本当にぶち殺しに行っていただろう。


 まあ、俺も今回は自分を抑えるのに苦労しているが……。

 カタンと木の音がする。

 丸出さんが半分に割られて床に捨てられていた将棋盤の片方を拾い上げた音だった。


「その将棋盤って丸出さんの……?」


「ううん、これは元から将棋部にあったやつ。でも、この数ヶ月間はずっとこの盤を使ってきたから……」


 特別思い入れのある品ではなかったのが幸いだが、だとしても彼女が少なからず悲しんでいるのは確かだ。


「誰がこんなことを……」


 丸出さんが悲しげに呟く。


「やったのは雪之城だ。こんなことをするのは雪之城しかいない」


 鳥谷先輩がハッキリとした口調で言った。


 雪之城……。


 一年生を差し向けて俺や鳥谷先輩を襲うだけじゃなく、将棋ボクシング文芸部にまで手を伸ばしてくるなんて……。


 やっぱり、俺がいたから……? 俺が自分を責めかけていると――


「すまん、みんな、こうなったのはきっとわたしがこの部に入っているからだ……」


 鳥谷先輩が絞り出すような声で言った。

 なんで鳥谷先輩?

 可能性的に一番狙われるのは馬王になってしまった俺なんじゃ?

 


「ケイティさんのせいじゃないっす! オレたちのせいなんです!」



 鳥谷先輩を庇うように舎弟さんたちが声を上げた。



「実はオレら、去年の一学期は雪之城の派閥にいたんすけど……」



 言い出しにくそうに告白するのはパンチパーマの舎弟さんだった。


 そういえば須藤が元雪之城派閥のメンバーには他の派閥に鞍替えしたやつもいるって言ってたっけ。


 彼の後ろにも二名ほど苦悶の表情を浮かべた舎弟さんが並んでいる。


 この人たちって鳥谷派閥の生え抜きじゃなかったんだ。



「オレらは雪之城の野郎が復学してきて、配下に戻ってこいって言われたときにケイティさんの名前を出して断ったんです」


「正直、あいつの下にいたときは窮屈で腹立つ思い出しかなかったですし……」


「そんときはそれで帰してもらえたんですけど……」


「まさかこんなことになるなんて――」


 舎弟さんたちは皆、涙を滲ませていた。


「雪之城が部室にこんなことをしたのはきっとオレらが戻るのを拒んだ腹いせっす。だからケイティさんのせいじゃないんです!」


「オレらが最初についていくやつを間違えたせいで皆さんに迷惑をかけることに……。本当にすみませんっ!」


 パンチパーマが頭を下げて謝罪すると、次々に舎弟さんたちが部員たちに謝り始めた。


「すみません」

「すみません」

「すみません」


 ものすごく申し訳なさそうに謝罪を繰り返す舎弟さんたち。

 彼らだってこの部室に愛着を持っていたはずだ。

 パンチマーマはたびたび手作りのお菓子を持ってきてくれた。


 特にマカロンはとても美味しくて何回もご馳走になった。


 部室がこんな目に合わされて、彼らだって悲しくて悔しいはずなのに被害者になりきれず負い目を感じてしまっている。


 丸出さんや酒井先輩はそれを何とも言えない苦しげな表情で見ていた。


 江入さんは……なんかあんま変わりない。


「バッカ、お前たちが断っただけでこうなるかよ。それを言うなら舎弟を奪ったわたしがいるからだろ」


 鳥谷先輩は舎弟さんたちを気遣って宥めるように笑った。


「雪之城とはさ、去年タイマンで勝負したんだよ。そこでわたしはあいつに完勝した。だけど、あいつはその結果に納得がいってなかったんだろうな……。これは十中八九、わたしに対する嫌がらせだ」


 ギリっと歯を軋ませて拳を強く握る鳥谷先輩。


「今回は部室だったけど、次は皆に直接危害を加えてくるかもしれない。だから、今後はこんなことがないよう、わたしはこの部から去――」


「ケイティ先輩、それ以上は言わないで下さい」


 丸出さんがピシャリと鳥谷先輩の言葉をシャットアウトする。


「悪いのはこういうことをする人たちです。鳥谷先輩に悪い要素なんてないです」


 丸出さんは強い口調でそう断定した。


 まあ、喧嘩してなきゃこんなことになってないとは思うけど……。


 悪い要素が少しだけありますみたいに言うと、せっかく責任を感じさせないようにしているのが無駄になるからね。


 そういうことをしたからされても仕方ないじゃなくて、行為自体が良いか悪いかで判断していきましょう。


「鳥谷、ふざけたことは言おうとすんなよ? お前が部のメンバーであるのはこれからも変わらないからな? 変に抱え込もうとするんじゃないぞ」


 酒井先輩も同じく鳥谷先輩を責めずに明るく声をかける。


 江入さんは二人の対応を見て、自分も文芸部分の担当として何か言わなくてはいけないと感じたのか、キョロキョロと視線を彷徨わせた後、『ノンプログレム』と簡素に呟いた。


 もしかして『ノープロブレム』だろうか……。



「ありがとう、皆……。だけど、仲間を集めてつるんでるくらいならと雪之城の動きを静観していたわたしの判断ミスが招いたことでもある。もう二度とこんなことをさせないよう、あいつとはきっちり話をつけてくる」



 鳥谷先輩は肩にかけていた学ランをパンチパーマに渡すと、くるっと身を翻して校舎に向かっていった。


「鳥谷先輩、待って下さい! 俺も行きますよ! 一緒にとっちめてやりましょう!」


「…………」


 俺が追いかけると、鳥谷先輩は神妙な表情で振り返ってきた。


「えっと、鳥谷先輩……?」


「ああ、そうだな、じゃあ、しんじょーも来てくれるか?」


 謎の間は一体何だったのだろう。



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