第80話『まるで忍者だ』





 熊が喋った。


 何を言っているんだと思うだろうが実際喋ったのだから仕方ない。


 幻聴の可能性もあったが、酒井先輩が「マジかよ、リアルプーさんじゃねえか……」と目を見開いていたので確かな事実で間違いないようだ。


「ふんっ!」


『グアッ』


 言葉が通じるなら話し合ってやり過ごせないかな? と俺が逡巡しているうちになんと鳥谷先輩が熊の鼻にハイキックを食らわせてしまった。


 ちょっと何やってんの!?


「鳥谷先輩、躊躇いなさすぎですよ! まずは話し合いからとか考えないんですか?」


 しかし、よくあんだけの角度まで足を上げられたなぁ。


 身長の割に長さのあるおみ足が高く伸びるのは割と見惚れる所作であった。


「迷ってたらその間にやられるじゃないか! ……って、あれ? 熊が喋ってた!?」


 鳥谷先輩は蹴りを浴びせた後で熊のお喋りに驚いていた。

 実家がマフィアだと頭より先に本能で敵を撃退するよう教育されるのだろうか。

 カタギの社会では生きにくそうな性質である。


『グガガガ……地上民ごときがメリタに住まう我を足蹴にするとは……! 万死に値する所業!』


 喋る熊は鼻を押さえながら吠えた。

 めっちゃキレてるわぁ。

 今さら『カブトムシ獲りに来ただけなんです』とか言っても見逃してくれなさそう。


 俺たちは野生動物の縄張りを侵犯し、怒らせてしまったのだ。


 喋ってるから普通の野生動物とは少し違うかもしれないけど。


「かくなる上は……ええい、許せっ!」


 平和的な解決は見込めないと判断した俺は不良撃退奥義の雷魔法をひっそり放った。


『グがッ――!?』 


 ドシーンと音を立てて熊は横転。

 びくんびくん。

 よし、撃退完了。


 鳥谷先輩や酒井先輩の前で野生の熊に殴り勝つわけにもいかないからな。

 もしかしたらすでに『こいつならそれぐらいやるよね』と思われてるかもしれないが。

 まだ大丈夫な可能性に賭けていく。


「こいつ急に気絶したぞ? しんじょー、なにかやったのか……?」


「さあ? 直前にドカ食いでもしてたんじゃないですか?」


「…………」


「…………」


 疑惑の視線を向けてくる鳥谷先輩と酒井先輩。

 おかしいぞ、この状況で俺が何かしたのではと真っ先に思われている。

 この二人から俺は何だと思われているのか。


「新庄、このバカでかいやつは――この辺の熊はしゃべんのか?」


 酒井先輩が痙攣する巨大熊をしげしげと見つめる。


「いえ……俺も喋るやつは初めて遭遇しましたよ」


「ひとまず、地元の猟友会に報告したほうがいいだろう。喋ったことはここだけの話にするとしてもな」


 酒井先輩が現実的な提案をしてきた。


 脳筋じゃないムーブメント見せられると困惑するぜ。



 ドスドスドスッ!



 俺たちがあーだこーだやっていると、何か質量のある長い物体が痙攣して横たわっている熊にいくつも降り注いできた。


 いきなりなんだ!?


「あそこに誰かいるぞ!」


 酒井先輩が月明かりで僅かに照らされた二つの人影を木の上に発見する。


「なぬ! あいつら何者だ! こらぁ! 降りてこい!」


 鳥谷先輩が怒鳴りつけると、木の上にいた者たちは無言で身を翻し飛び去っていった。


 ぴょんぴょんと軽快に木の上を移動しながら森の奥に消えていく。

 まるで忍者だ。

 この森って忍者が住んでたの?


 神がいると言われたり、喋る熊がいたり、忍者がいたり――

 ずっと平凡な森だと思って暮らしてたのに!

 こんなキテレツな場所に囲まれて育っていたなんて驚きですわ。


「コノヤロー! 不審なヤツらめ! 逃がしてたまるかっ!」


 そう叫ぶと、鳥谷先輩は幹を蹴って素早く木を駆け上った。


 去って行った二人ほど軽やかではないが、彼女も枝から枝を飛び移ってアクロバティックに追いかけていく。


 どうなってんだあれは……。


「そういえば鳥谷は以前パルクールにハマっていたことがあると言ってたな」


 酒井先輩が遠ざかっていく鳥谷先輩を眺めながら言う。


「ええ……」


 パルクールとは都市の建造物や自然の地形やらを身体能力だけで跳んだり走ったり登ったりする競技のことである。


 鳥谷先輩ってあんな芸当できたの……。


「新庄! オレたちも追いかけるぞ!」


 酒井先輩に促され、ポケッと見とれていた俺は我に返る。


「ところで酒井先輩……あんなふうに木を移動できます?」


「……無理だ」


 忍者と鳥谷先輩が向かっていったのは緑生い茂る森の奥。


 木や草を掻き分けて歩いて行ったのでは到底追いつけない。


「なあ、お前だけなら同じように追っていけるんじゃないか?」


「まあ、行けなくもないですかね」


 正直、酒井先輩を背負って連れて行っても余裕だ。しかし、酒井先輩の前で人を抱えて木の上を飛び移っていく芸当を披露するのは……。


 必死になって力を隠してるわけじゃないし、酒井先輩にはおおよその片鱗を見抜かれてるっぽいけど、そこまで超人的なことができるとは思われてないはず。


 だとすれば、ここは彼に全力を見せる場面ではないだろう。


 過剰な力を示してドン引きされるのはあまり本意ではないのだ。


「じゃあ、俺だけで行ってきます。先輩は先に家に戻っていて下さい」


 俺は酒井先輩に懐中電灯を渡して木を駆け上がった。

 ちなみに――丸太が降り注いだ巨熊は全身を余すところなく貫かれて絶命していた。

 これでもかとばかりの追い打ち。


 丸太を降らせた連中はよっぽど熊が憎かったんだろうか?



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