第304話 ヴィネ姐さん、春日未美香の保護者を務める!

 コルティオール。

 日が沈むと春日大農場は終業時間を迎える。


 農家にはタイムテーブルは存在せず、作業続行不可能と判断した瞬間が仕事の終わりとなる場合が多い。

 これは家族農家によく採用されている方法で、リーダーを務める祖父、父、息子のいずれかが「おーい! そろそろ帰るべ!!」とホイッスルの代わりに叫ぶのは、田舎の農場ではよく見かける風景である。


 逆に、大規模農園になるとシステマティックな分担業務などにより、会社員などと同様に出勤、退勤の時刻が決められている事が多い。

 どちらも長所、短所はあるものの、知らないうちに体が慣れていて特に何も気にならなくなるのもまた、農家あるある。


 そんな訳で本日もしっかり働いた春日大農場の従業員たち。

 普段は事業主の黒助はツナギのまま転移装置を潜って自宅に直帰するが、今日は少し寄り道をしていた。


「おい。ヴィネ。いるか」


 エチケットを身に付けて、乙女心の理解も少しずつ深まっているのに、どうしてこの男は女子の家のドアを普通に開けるのだろうか。

 だが、女子たちも鍵を閉めていないので、ちょっとこのシチュエーションを期待しているきらいがある事も否定はできない。


「は、は、はぁぁぁぁぁぁっ!! これが噂に聞いてた、着替え中の黒助突撃……!! リュックが言ってたヤツだね!? お、お気に入りの下着で良かったよ!!」

「そうか。ちょっと良いか?」


「女子が下着姿で恥ずかしがってんのに、ちょっと良いかと聞くその強引さ!! もう逝っちまいそうだよ!! 何なら下着も脱いだ方がいいかい!?」

「いや。いらん。ヴィネに頼みがあって来たのだが」


「……はっ!! か、覚悟はできるよ……!! あたい、別に愛人だっていいのさ! く、黒助の性欲のはけ口だって、全然構いやしないよ!! シャワー浴びたばかりだからね!!」

「そうか。明日な、未美香のテニスの試合があるのだが。急に農業組合の会合が入った。出席者が全員フグ鯨にあたらないかと願っていたが、鉄人によるとフグ鯨は架空の生き物だったらしい」


「あ、うん。そうかい。服、着るよ。あたい」

「ああ。鉄人と柚葉は明日、既に魔王城で仕事をする予定があるらしくてな。何でも、新しい本を売る機会を得たのだとか」


「そうなのかい!? ……また10冊買わなきゃだね!! 主人公は絶対続投が良いね! あとで柚葉に、胸の大きなお姉さんキャラの短編描かないか聞いてみよう!!」

「そうか。それでな、引率者が誰もいないのは困る。未美香は可愛い。何かあってからでは遅い。鬼窪も忙しいらしいし、ミアリスには農場を任せねばならん。よって、ヴィネ。お前しか頼れる相手がいない。すまんが、明日1日、未美香の保護者をしてくれんか」


 ヴィネ姐さんの頭脳が高速回転を始めた。

 彼女の中では、ガリレオよろしく数式が大量に書き綴られている。

 そして、答えが導き出された。


「み、未美香の保護者ってことはだよ? 確認だけど、黒助は保護者だね?」

「ああ。当然だ」


「あたいも保護者……! はぁぁぁぁぁぁっ!! 夫婦!? あたい、頑張るよ!!」

「そうか。やってくれるか。礼は後日改めてさせてもらう。明日10時に家に来てくれ。では、俺は帰る。早く寝ろよ」


 その晩、リッチたちを召喚して「何を着て行くか会議」が遅くまで続けられた事は言うまでもない。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 翌朝。

 春日家の呼び鈴が鳴った。


「はーい! あっ! ヴィネさん!! 今日はありがとー!! よろしくお願いしますっ!!」

「はぁぁっ!! 義理の妹になるかもしれない子が可愛すぎて逝っちまいそうだよ!!」


 最近は「着替えるの面倒だもんっ!」との事で、家でテニスウェアを着て上にコートを羽織り試合に赴くのが春日家のスタイル。

 柚氏も先日そのパータンでサークルの助っ人に出かけていた。


 冬なのに短いスカートとノースリーブのウェアを着て元気にはしゃぐ未美香を見て、ヴィネ姐さんは「場合によっては、不埒な輩を殺すことも厭わないよ!!」と、危険な決意を固めた。

 鬼窪と思考がかなり似ている事が判明した瞬間でもあった。


 2人は最寄りのバス停へ向かい、バスが来るのを待つ。

 そこから駅へ向かい、市営運動場の最寄り駅まで向かうのだ。


「平気かい? 試合の前にそんなに動いちまって。あたい、現世のお金持って来たからさ。タクシーで行っても良いんだよ?」

「んーん! 平気!! ちょっと歩いたくらいがね、良い感じのウォーミングアップになるの! けど、あたしの事を心配してくれてありがとっ!! えへへっ!」


 ヴィネ姐さんが逝っちまいそうになりましたが、叫び声が尺を食うので省略します。


「ねね! ヴィネさんの服、ステキだねっ! なんかね、大人のお姉さんって感じがする!! あたし、タイトスカートとか絶対似合わないもんっ!!」

「そ、そうかい? あんまり目立たないようにと思って、地味な恰好にしたんだけどね」


 ヴィネ姐さんは黒のタイトスカートとベージュのセーター。

 その上にコートを羽織っている。


「えー? 目立ってるよー? ヴィネさん綺麗だもん! それに、おっぱいダイナマイトだし!! あたしもそんな風になりたーい! あっ! でもテニスする時に邪魔かも!? ううっ! 悩ましいよー!! けどけど、やっぱりヴィネさんみたいになりたーい!!」

「あたい、一生バスが来なくても構わない気がして来たよ……!!」


 7分後にバスが来て、久しぶりに冷酷だった死霊将軍の表情を取り戻したヴィネである。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 時岡市営運動場に到着すると、未美香と一緒に受付を済ませてから更衣室へゴー。

 黒助は入る事ができない聖域だが、ヴィネ姐さんは引率者として記名し、バッジを胸に付けたためその資格を得る。


 高校テニスの試合は冬季に行われる事が少なく、未美香は試合勘の維持と武者修行を兼ねてオープン参加の試合を見つけると積極的に参加していた。

 今回も大学生や社会人、若いプロまで加わる無差別級の大会。


「あ、あのさ、未美香?」

「ほえ? なになに? あ! 着替えならちゃんと持って来てるよ! この間忘れちゃってね! 汗でびしょびしょの下着で帰ったんだよぉー。辛かったなぁ」


「これ、あたいが作ったんだけど。スポーツドリンク。成分の計算と飲みやすい味付けにもこだわって……。あ゛っ! けど、普段と違う飲み物飲んで調子崩しちゃ意味ないからね! もう、全然無視して良いんだけど、一応持って来た事を伝えたいと思ってね!!」

「わぁぁ! ヴィネさん、わざわざあたしのために作ってくれたの!? 嬉しいっ!! ありがとー!! あははっ! 抱き着いたら弾力がすごーい!!」



 無邪気なミミっちの笑顔で、ヴィネ姐さんがほぼ逝きました。



 この大会はセコンドが認められており、ヴィネ姐さんもコートに同行する。

 だが、彼女はテニスのルールを知っている程度で、技術に関してアドバイスなど到底できない。


 その旨を未美香に伝えたところ、彼女は「にししっ」と笑ってからこう言った。


「普段はセコンドとかトレーナーなんていないからね! ヴィネさんが見てくれてるだけですっごく頑張れそう!! あたし、張り切るかんね! 見てて! ヴィネさんの特性ドリンクのパワーを証明するの!!」


 ヴィネ姐さんが5分ほど失神しました。


 その後、順調に勝ち上がった未美香だったが、決勝戦で若手のプロ選手に惜敗した。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 帰り道。

 ヴィネは未美香に謝った。


「ごめんよ、未美香。あたい、何の助言もできなくて。傍で見てたのが黒助だったらきっと勝ててたよ。申し訳ないったらないよ……」

「もぉ! ヴィネさんってば! あたし、今日の試合に納得してるんだよ? あのね! いつもより集中できたの! きっと、ドリンクのおかげ! あとね、えへへっ。ヴィネさんが一生懸命応援してくれてるのが見えてたから、元気出ちゃった! また試合に付いて来てくれると嬉しいなっ!! 今日はありがとっ!!」


 ヴィネ姐さんは両方の鼻の穴から血を噴き出し、30分ほど駅の休憩室で横になった。

 未美香に別れを告げてコルティオールに戻った死霊将軍。


「リッチたち! 明日から、いや! 今から、スポーツドリンクの開発に取り掛かるよ!! これは重要なプロジェクトさ!! あんたたちの命をあたいに寄越しな!!」

「オォォォォオ。我々、もう死んでる。オォォォォオ」


 今日のヴィネは幸せであった。

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