第174話 出かける前は待ち遠しく、始まってしまえばすぐに終わる。それが旅行。

 鉄人とベザルオールが部屋に戻ると、浴衣に着替えた黒助が出迎えた。


「戻ったか。どうだ、じいさん。現世の観光地は」

「くっくっく。テルマエ・ロマエのルシウスの気持ちがよく分かった。これは大げさなリアクション取るのもやむなしよ」


「そうか。なんか知らんが、楽しめたのなら何よりだ」

「くっくっく。写真を50枚くらい撮ってしまった。早速、アルゴムとガイルに送るとしよう。くっくっく。インスタにアップもしちゃう」


 ベザルオール様がスマホをいじり始めたので、黒助は「じいさん、パソコンを使いこなすとはやるな」と称賛した。

 鉄人は「僕もお風呂に行こうかな? でも、そろそろ晩御飯だね!」と言って、幸せそうな義妹たちを見た。


「あらー! 柚葉ちゃん、浴衣がよく似合う! うなじ最高!! 未美香ちゃんは胸元に油断があってキュートとセクシーの波状攻撃!! キタコレ、キタコレ!!」


「……鉄人さん。褒めるなら、もっと普通に褒めてください。世の中にセルフィさんみたいな人は僅かしかいないんですよ」

「うへー。鉄人がやらしい目で妹を見てくるー。セルフィさんにラインしとこー」



 なお、先ほどまで黒助にやらしい目で見てもらおうと奮闘していた事実は棚に上げている義妹コンビ。



 そんな事をしていると、仲居さんが「お食事はどうされますか」と聞きに来た。

 黒助は全員の腹具合を確認し、全員が「お腹空いた」と訴えたため少し早い夕食を取ることにするのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 ベザルオール様のスマホからシャッター音が止まらない。


「ふふっ。ベザルオールさん、やっぱり現世のご飯は珍しいですか?」

「くっくっく。余はこの、旅館でしかお目に掛かれぬ、謎の青い固形燃料にて煮られる鍋ものを楽しみにしておったのだ。この具沢山のさっぱりした鍋はたまらぬ」


「よかったぁー! ベザルオールさんも楽しそうで! この青いのって何でできてるんだろ? あたし、修学旅行で泊まった旅館でも見たっ!」

「ふむ。確かに。鉄人、知っているか?」


「ああ、これ? 確かメタノールを脂肪酸とかで固めたヤツじゃなかったかな? 火力がずっと安定するんだってさ」

「さすがだな、鉄人。お前の見識にはいつも驚かされる」



「鉄人さんは兄さんと違って、毎日調べものし放題ですからね」

「ねー。鉄人って社会生活で役に立たないことばっかり知ってるよねー」



 鍋は熱いが、妹たちは冷たい。

 「それはそれでありなんだよねー!」とは、強メンタルニートの心中であった。


 何をどうすればこのニートは精神的に追い詰められるのだろうか。


「あ、セルフィさんからライン返って来た! 鉄人、妹に欲情するとかマジキモいし! だってー! ぷぷー!!」

「あらら。僕のスマホにもセルフィちゃんからだ。……ほっほー!」


 そこには、何故か水着姿のセルフィの自撮り写真が添付されていた。

 「胸が見たいなら、ウチに言えし!!」とメッセージが添えられている。


「みんな、留守番組に連絡を取るのは偉いな。よし、俺もミアリスに何か送るか。……む。あれでいいな。……すまんが、鉄人。どうやって画像を送るんだ?」

「オッケー! 任せといて! ははっ、兄貴らしくていい写真だね!」


 スマホからコルティオールへとまた1つメッセージが飛び立っていった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 春日大農場の母屋では。


「マジでキモいしー。鉄人、絶対ウチの水着姿みて興奮してるしー。あーもー。マジでオタクってキモいしー」

「まさかイルノもセルフィさんの水着まで選ばされるとは思わなかったですぅー。もう、さっさと嫁げはいいと思うですぅー」


「あ! 返事来たし!! 浴衣の胸がはだけたヤツも見たいとか言ってるし! マジでキモいしー。……ちょっと、部屋に行ってくるし」

「もう絶対に浴衣探しに行ったですぅー。セルフィさんは悪い男に騙されると、一生貢ぎそうな気配がするですぅー」


 そんな精霊たちを眺める女神。

 ミアリス様はと言うと。


「ふんっ。なによ、みんなして家族旅行の邪魔しちゃって。若い子って、そーゆうとこの気遣いができないのよね。困ったものだわ」

「わー! イルノー!! クロちゃんからラインが来たー!! 旅館のご飯だってー!!」

「あ。絶対面倒なヤツですぅー」


 ミアリス様は無言で冷蔵庫に向かい、ストロングチューハイの缶を3つ持ってくると、そのうちの1つを開けて一気飲みした。

 続けて、叫んだ。



「うぅぅぅぅ!! わたしも黒助とラインしたいぃぃぃ!! けど、面倒くさい女だと思われたくないぃぃぃ!! もぉぉ!! なんでわたしだけライン来ないのよぉぉぉ!!」

「ミアリス様は既に充分過ぎるほど面倒くさい女ですぅー」



 2本目のチューハイをグビグビ飲み始めたタイミングで、女神のスマホの通知音が鳴った。

 彼女の動きは音を置き去りにする。


「…………!! 黒助から来た!! もぉ! なによぉ! 家族水入らずを楽しめばいいのに! 本当にあいつ、優しいんだからさー!!」

「ミアリス様もご飯の写真送ってもらったのー? おいしそーだよね!!」


「わたしのは違う写真よ! ほら、見て!! 旅館の部屋の窓に大きい蛾がいたって!!」

「……蛾。もう、ミアリス様が幸せならオッケーですぅー」


 それからしばらくの間、デカい蛾を待ち受け画面に設定するミアリス様であった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 あっという間に時間は過ぎていき、翌日。

 チェックアウトの時間になった。


 夜の間に当然のように黒助の布団に潜り込んだ柚葉と未美香だが、黒助の寝付きの良さは半端ではなく、彼女たちが何を押し付けても彼は起きなかった。

 夜に間違いを一切犯さない男、春日黒助。



 安心感があって非常に助かる。



「よし。土産物屋にでも寄ってから、帰るとするか。みんなも友達に何か買うだろう? 少なくて悪いが、1人5000円。納めてくれ」


「ひょー! 兄貴は本当に最高の兄貴だよー!!」

「……鉄人さんと感想が被ってしまいました。不快なので、ヤメてもらえますか」


「アキラちゃんにお土産買おうっと! お風呂で使用済みのタオルが良いとか遠慮してたから、頑張って選ぶぞー!!」

「くっくっく。春日黒助。余まで貰っても構わぬのか?」


「ああ。じいさんもガイルやアルゴムに食い物でも買って帰ってやれ。ほら、その辺りにサブレや饅頭の定番があるぞ」

「くっくっく。余は卿の事をお兄ちゃんと呼ぶべきか、真剣に迷い始めておる」


 春日家の家族旅行はこれにて終了。

 英気を養った彼らは、農業、大学、テニス、無職、大魔王とそれぞれのステージへと帰還する。


 きっとより充実した日常が待っている事だろう。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 なお、高速道路に上がった瞬間、黒助が「ぬかったぁ!!」と叫び、急遽サービスエリアへ入った。

 岡本さんへのお土産を買い忘れていたのである。


 あってはならない事態に、メンタル最強の男が動揺を隠しきれないでいた。


「鉄人。じいさん。とにかく美味そうな土産を全部集めてくれ。岡本さんには4つ。岡本さんの部下の皆さん用に……やはり4つは必要だな。個別包装の菓子が良いだろう。金に糸目は付けん」


「オッケー!」

「くっくっく。りょ」


 九死に一生を得る黒助であった。

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