第148話 究極・農家パンチ

 ついに最強の肉体を解放した春日黒助。

 ツナギは破れるのが確定しているため、あらかじめ脱いで丁寧に畳んでおいた。


「あなた、頭がおかしくなったのですか? どうしてこの局面で服を脱ぐのです?」

「影女。いや、ノワールと言ったか。聞くが、乳首の部分から裂ける事が確定しているツナギを脱ぐのはそれほど不思議な事か?」



「は? いえ、今から死ぬのに服を脱いで綺麗に畳む意味が分からないと言っているのですけれど?」

「そうか。所詮はエネルギー生命体だな。その程度のことも分からんとは。服を脱いだら畳む。こんな常識も知らんお前が、世界を破壊するなどと片腹痛い」



 ノワールは黒助が喋っている間も、絶えず漆黒の光弾を放ち続けている。

 が、既に黒助にその程度の攻撃は通用しない。


 彼は右手一本で全てを粉砕する。

 手の届かないところは大魔王を使う。


「じいさん!!」

「くっくっく。この余を使い走りにするか、農家……! 良かろう、余も卿に賭けることにした。周りの者は任せるが良い。『自動追尾の闇ホーミング・アンノウン』」


 ベザルオールの手の平から、次々と光線が発射される。

 それらは的確にノワールの光弾を射抜き、霧散させていく。


「私もお手伝いしましょうかねぇ。まだ名刺は……ああ、ありました! ひぃえぇぇぃやぁっ!! あと、今年の夏の粗品セットの団扇も差し上げましょう!! しぇあぁぁぁいっ!!」

「くっ、きぃぃっ!! 何なのですか、あなたは!? 農家と言い、頭髪の寂しい中年と言い!! どうして人間がこのような力を!?」


 岡本さんの空間凍結魔法が、甲高い奇声と共にノワールに襲い掛かる。

 ノワールは全てを呑み込む虚無であるが、唯一呑み込めないものもあると知る。



 農協である。



 さらに援護は続く。

 兄が戦っているのに、知らんぷりを決め込むのはニートの恥。


「兄貴! 撮影は任せて!! 今日ね、スマホ2台持って来てるから!! 兄貴の雄姿はバッチリ記録するよー! あとで柚葉ちゃんと未美香ちゃんにも見せなくっちゃだよね!!」

「すまんな、鉄人。岡本さんも援護射撃助かります」


 黒助はトランクス1枚の姿になって、一歩、また一歩とノワールに近づいて行く。

 その光景は常軌を逸しており、何もかもを虚無で塗りつぶして来たノワールが初めて恐怖と言う感情を知るに至る。


「ち、近づいてくるんじゃない!! わたくしは、わたくしは虚無そのものだと言うのに!! なぜぇぇぇ!! なぜ、恐れない!?」


「ノワール。聞くが、ならばお前はどうして俺を恐れる? 理由がないからだろう? 漠然とした恐怖は誰もが抱いている。俺は家族が養えなくなるのが怖い。天候不順が怖い。農協から借りたトラクターに乗る時は相当な恐怖との戦いだ。だが、その恐怖を乗り越えなければ生きられない。お前は恐怖を乗り越えた事があるか?」


「だ、黙れぇぇぇぇ!! 『虚無の冥府ブラックホール』!!! 消え去れぇ! 訳の分からぬ者どもがぁぁぁぁ!!!」

「むっ。これは……。吸い寄せられるな。聞くが、その穴に取り込まれるとどうなる?」


 ノワールは再び表情を歪める。

 もはや、それが歓喜なのか絶望なのか、本人にも判断は付いていないのだろう。


「ふ、ふふふふっ!! 虚無に取り込まれれば、待っているのは何もない!! 存在そのものが消滅するのです!! さあ、消えなさい!! あなたが消えれば、次は農協!! それが済めば、わたくしに怖いものなどありはしなっ!?」


 黒助が拳を握り、ブラックホールに向けて力いっぱい振り抜いた。


「農協を消すとか! 冗談でも言っていい事と悪い事の区別もつかんのか!! このバカタレがぁぁぁぁぁ!!!」


 黒助の放った拳圧で、空間が歪む。

 数秒の間があったのち、ブラックホールが消失する。


「ふ、ふふふっ!? わたくしの『虚無の冥府ブラックホール』が……消えた……? こ、今度は、どんな手品を使ったのですか?」

「手品ではない。『ブラスト農家のうかパンチ』だ。これから、お前に繰り出す一撃は俺もどれほどの威力になるのか分からない。だから、先に言っておく」


 黒助は過去を振り返っても例を見ないほど真剣な表情で言った。


「断末魔で農協について叫ぶな。絶対だぞ。いいか、絶対だ」

「ふ、ふふ、ふーっはははは!!! 『虚無の冥府ブラックホール』は何度でも作り出せるのです!! それに、あなたの弱点を見つけましたよ! その組織を恐れているのですね!?」


 再びブラックホールを展開したノワールは叫ぶ。



「農協などと言う組織も!! この虚無のノワールが消し去って差し上げましょう!! ふっはーっははは!! はぁっ!?」

「ヤメろと言っただろうが!! このクソバカタレがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」



 黒助が放った渾身の右ストレートが、確かにノワールの身を貫いた。


「は? は、はははっ! 何も起きないじゃありませんか!! やはり、ただのパンチごときでは!! この虚無は殺せない!! 殺せな、いぃぃぃぃぃっ!?」


 ノワールの身体がボロボロと崩れ始める。

 彼女にも何が起きているのか分からず、ただただ困惑する。


 そんな姿を不憫に思ったのだろうか、黒助が言う。


「ただのパンチではない。今のは、『究極アルティメット農家のうかパンチ』だ」

「そ、そんな……! どうして……!? どうしてわたくしの身体を物理が破壊できるのですか!?」


「知らん。自分で考えろ」

「バカな……! バカな……!! バカ……な……。のう……きょう……」


 消え去ろうとする意識の中、ノワールは最も恐ろしいものの名を呟いた。

 当然だが、最強の農家の逆鱗に触れる。


「黙ってさっさと消えろ!! おらぁぁぁぁぁっ!!!」

「ぐ……。の……う……きょ……」


 ついに言葉を紡ぐことも叶わず。

 虚無のノワールは、完全に消滅した。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「兄貴! さっすが!! 余裕の勝利だ!! ひょー!! すごいや!!」

「いや、鉄人。この勝利は薄氷だった。見てくれ、俺の乳首を」


「あ、兄貴の乳首に、細かい傷が!?」

「ああ。ノワールめ、最後の悪あがきに俺の乳首を狙ったのだ。地味に痛いし、なんか痒い。まさか、これほどの手傷を負わされるとはな」


 ノワールの恐ろしさを再認識する春日兄弟。

 その様子を見ていたベザルオールが隣にいる岡本さんに尋ねた。


「くっくっく。農協の戦士よ。農家とニートが何を言っているのか余にも分かるように説明してくれぬか」

「つまりですね、春日さんは怪我をされた。しかも、これは業務中のものです。共済の出番ですね。通院から職場復帰までの期間を全て保証いたします。大魔王様はこちらの書類に署名と捺印を。ああ、血判でも構いませんよ」


 全知全能の大魔王。

 ベザルオールは確信に至る。



 「コルティオールを救ったのは、農家と農協である」と。



 この記録は、この先数千年に渡りベザルオールによって語り継がれていくことになる。

 なお、彼の肩書も「全知全能」から「全知全農」に変更されるのだが、それは少し未来の話であった。

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