第92話 元魔王・鬼窪玉堂、働きます

「すまんな。鉄人。代わりを任せてしまって。今日も予定があったのだろう?」

「平気、平気! もうお向かいの渡辺さんちの犬の散歩は済ませたからさ!!」


「そうか。日曜なのに悪いな。プリン工房の試作品は好きなだけ食べて構わんぞ」

「抹茶味と黒蜜きな粉味作ってるんだっけ? 遠慮なく頂くよ! じゃ、行って来まーす」


 今日は鉄人が事業主代行としてコルティオールへ。

 現世の2000倍ほどの信任を得ている春日大農場の居心地が鉄人にとって悪いはずもなく、黒助によって臨時の小遣いまで貰えるとあっては行かない理由がない。


 それからしばらくして、春日家の呼び鈴が鳴った。


「はいはーい! ちょっと待ってくださいねー!!」


 今日は部活が休みの未美香が玄関へ向かう。

 すぐに黒助のところへと戻って来た。


「お兄ー! ミアリスさん来たよー!!」

「おはよ。未美香、この間の大会も大活躍だったわね!」


「えへへー。ミアリスさんたちが応援してくれたおかげだよぉ! ありがと!」

「うぐぅ! この屈託のない笑顔がなんだか胸に刺さる……!!」


 未美香が「お茶とお菓子持ってくるねっ!」と言って、台所へ消えて行く。

 柚葉は課題のレポートを相手に、朝食を取ってから自室で奮闘中である。


「悪かったな。急に現世へ呼び出して」

「別に平気よ? と言うか、朝市の手伝いで散々こっちにも来てるから。今さら緊張とかしないもの」


 ミアリスは週に1度のペースで農協の朝市に売り子として出張っている。

 最初こそ美しい羽に注目を集めていたが、最近は岡本さんの「ミアリスさんは外国人実習生ですから」の一言でお客の8割を占めるお年寄りは納得している。


 「大変ねぇ。頑張るのよ」と言って、お菓子をくれる人が多い。

 時折、ミアリスの写真を撮ろうとカメラ小僧が出現するが、そちらもだいたい岡本さんによるスイープで気付けば処理されている。


「今日だっけ? 鬼窪の仕事ぶりを確認するのって」

「そうだ。ちょうどあいつを現世に戻してから1ヶ月だからな」


「現世って季節があるから退屈しないわよねー。5月って過ごしやすくて好きよ、わたし」

「あたしも好きー! はい、ミアリスさん! 粗茶ですが!!」


 未美香がほうじ茶とお菓子を持って帰って来た。


「ありがと。……何度見ても、このアルフォートってお菓子すごいわね。なんでこんな精巧な絵を食べるものに描くのか、ホントに意味が分かんない。美味しいし」

「ねね、お兄! あたしも一緒に居ていーい?」


 黒助は笑顔で妹の質問に応じる。


「もちろんだ。未美香を同席させられないのならば、我が家ごと爆発四散すれば良い!」

「この流れでわたしが意見しても無意味なのはもう知ってるけど、よくもまあ、一時はコルティオールの魔王だった男と妹を会わせるわね」



「俺がここにいる。それはつまり、未美香にとって一番安全な場所がここだと言う事だ。それはミアリス。お前にとっても同じ事。俺が絶対にお前を守ってみせる」

「ふぁぁぁあぃぃぃぃぃぃっ!! もうヤダ! 隙あらば落としに来るんだけど!! いつでも嫁げるように料理とお裁縫の修行始めたわよ、わたし!!」



 そんなほんわかした日曜日のお昼前。

 春日家にやって来たのは、異世界では魔王、現世ではヤクザとして恐れられている男。


「お控えなすって!! この鬼窪玉堂! 生まれは西の国から、流れ流れてたどり着いた時岡の地!! 命の恩人、春日黒助様のために本日は!!」

「やかましい! バカタレ!! うちの妹がレポート課題をやっているんだ!! あとご近所の迷惑だろうが!! いいから、黙って入れ!!」


「へ、へい。すんません……」


 ヤクザに仁義を切らせない男、春日黒助。

 彼による圧迫面接の幕が今、上がろうとしている。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 未美香が追加のお茶とアルフォートを持って、応接間へとやって来た。


「はいっ! どうぞ! 粗茶ですが!!」

「こ、こりゃあお嬢さん! すんませんのぉ!! ワシみたいなもんのために……!!」


「えへへ! いえいえ! 熱いから気を付けてねっ!」

「お、お嬢さん……!!」


 鬼窪にとって聖女の方の妹は体験済みだが、天使の方は初見である。



「おい。鬼窪。それ以上うちの未美香を汚らわしい目で見たら、殺す」

 コルティオールの閻魔大王こと、春日黒助は何度目でも怖いと理解する鬼窪である。



 彼は早速、地図を広げた。

 時岡市の地図であり、そこには赤ペンで事細かな注釈が書き加えられている。


「この度は、販路を広げる言うことで。ワシら刃振組が使つこうちょる裏ルートを綺麗にしてからご提供させてもらいますんで! へい!!」

「そうか。詳しい説明を頼む」


「へ、へい! 例えば、こちらの賭場は、この1ヶ月で医療老人ホームに改築しちょります。系列の賭場は全部ですけぇ。こちらの食事にですのぉ。春日様の新鮮なお野菜を使わせてもろうたらどうかと思いまして、へい」

「なるほど。聞くが、鬼窪。施設の名前は何と言う?」


「へ、へえ! 柚葉様から名前をお借りして、ゆずさまホームとしちょりますが……」


 黒助が立ちあがる。


「鬼窪!!」

「す、すんまっせん!! すぐに取り下げますけぇ! 命ばかりはお助けを!!」



「何を言ってる。実に良い名前だ。お前、意外とやるな」

「は、はひぃ。こりゃあ、もったいねぇお言葉で……」



 それから、鬼窪のプレゼンテーションは続いた。


 刃振組が元締めをしている歓楽街の闇カジノは有機野菜の直売所へ。

 振り込め詐欺の運営組織は、溜め込んでいた一人暮らしの高齢者の名簿を元に、既に組の資金を使って作り上げている野菜の移動販売車でもって、毎日安価で新鮮な農作物をお届けする地域密着型組織へと看板を変える。


 いつの間にかベースとなっている刃振組の資金繰りが極めて難しい状態にひっ迫していたが、「売上で組員は食わせてやれ」と言う黒助の言葉で丸く収まった。


「い、以上が、ワシにできる精一杯のしのぎになりやす。どがいなもんでしょうかいのぉ……。た、足りんようなら、指ぃつめますけぇ!!」

「そんな汚いものいらん。ミアリス、どう思う? 意見を聞かせてくれ」


「意見って言われても、わたし現世の営業については素人だし」

「違う。ミアリス。コルティオールを統べる女神としての意見を聞きたい。春日大農場は既に俺の家族のためだけのものではない。ゆえに、今日はお前を呼んだ。コルティオールの代表として発言してくれ。俺はお前の言う事を無条件で信じる」



「い、良いと思うわよ!? あと、そんな真っ直ぐに見つめられると、えと、その! か、軽く逝っちまいそうになるわ!!」

「そうか。逝くなよ。よし、鬼窪。お前を春日大農場の渉外担当として認める。精々励め。出した結果に応じて、規格外の野菜を無料で提供してやろう」



 春日黒助の判断により、現世の反社会的勢力が1つ消え、地域密着型の優しい組織が1つ増えた。

 鬼窪玉堂の更生物語は今、この瞬間から始まるのであった。

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