第89話 ニート、風の精霊とデートする

 春日鉄人の朝は早い。


 黒助、柚葉、未美香と一緒にきっちり朝食を取ると、彼の1日が始まる。

 農家や大学生、高校生と違って、ニートはその日の行動を全て自分で決めなければならない。


 1日で何をして、何を得るのか。

 その設定を初手で失敗すると、貴重な時間を無為に過ごす事になってしまうと彼は言う。


「よし! 防波堤で釣りでもしよう!! おっ、兄貴! 出勤?」


 今日の予定を数十のパターンの中から厳選した鉄人が寝転がるソファの前を、ツナギに着替えた黒助が通りかかった。

 鉄人の言うように、これから職場へ向かうところである。


「ああ。今日は稲作班の指導をしなければならん。畑と田では作業が違うからな。かと思えば、重複する点も多い。基礎を叩き込むのが肝要だ。鉄人はどうする? 小遣いが必要か? 今、手持ちは3万しかないが。これで足りるか?」


 家族であれば、喩えニートであろうと徹底的に甘やかすのが黒助の流儀。

 だが、そんな兄に甘えているだけでは、ニートと言う高潔な精神は維持できない。


「そんな! 悪いよ! 僕、兄貴にはいつも感謝してるんだよ! ご飯食べさせてもらって、好きなことやらせてもらって!」

「そうか。お前は俺と違って頭が切れるからな。ゆっくりとその才能を活かせる道を探してくれ。応援している」



「うん! だから今日はお昼ご飯代の3000円だけでいいや!」

「お前は本当に慎み深いな。よし、5000円で手を打とう。では、行って来る」



 結局今日も小遣いを貰った鉄人。

 黒助が転移装置に消えて行ったのを見届けてから、自分の部屋で釣竿を探す。


 鼻歌交じりで準備をしていると、家の呼び鈴が鳴った。


「はいはい! うちねー、テレビないんですよー! あと、宗教は決まってるんで! 保険だったら農協の共済に入ってます! 新聞は日本農業新聞取ってます!! ……あら?」


 流れるように全てを拒絶する鉄人だったが、相手はセールスの人ではなかった。


「……呆れたし。あなた、来客がある度にそんな事してるん? ないわー」

「セルフィちゃんじゃない! どうしたの? まあ、上がってよ! お茶くらい飲んで行って! さあさあ! はい、ちょっと良いスリッパ!!」


 風の精霊、現世にやって来る。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「……ふぅ。なかなか美味しいお茶だし。で、このプラスチックみたいなのは?」

「それは最中って言うんだよ。美味しいから食べてみて!」


「こんな質感で食べものなん? ……うわぁ。まあ、食べるけど。はむっ」

「どう? 僕が贔屓にしている和菓子屋さんのヤツだよ! 8個で1400円もするんだから!!」


「……美味いし。現世ってホント、なんでこんなに色んなものがあるん?」

「コルティオールは人間ってほとんど滅んでるんだもんね? 昔はきっと色々あったんだと思うよ! 最中のおかわり、いる?」


「……もらう」

「はい、よろこんでー!! 今度はさくら最中をあげちゃう! これも美味しいんだよ! 期間限定!!」


 それから、セルフィは最中を3つほど堪能した。

 満足そうな表情の彼女に、鉄人は「さて」と言って、尋ねた。


「ところで、何しに来たの?」

「そうだったし! 鉄人が美味しいものくれるから、忘れてたじゃん! 黒助様がね、種苗園とか言うところで、このメモに書いてあるもの注文して来いって。場所だけ教えてくれたら、ウチが独りで行くから。地図ちょうだい」


 鉄人は磨いていた釣竿を収納して、餌を冷凍庫に戻してパーカーを羽織った。


「よし! じゃあ行こうか!」

「は? いや、別に来なくていいし。黒助様も、鉄人は忙しくていないかもって言ってたし」


「ラッキーだったねー! ちょうど今! 僕は暇になったところなんだよ! 一緒に行こう! セルフィちゃん可愛いから、平日の昼間に商店街歩いてたらナンパされちゃう! それか補導!!」

「……来てくれるん?」



「ヤダー! ギャルがデレてるー! キタコレ、キタコレー!!」

「ばっ! べ、別に一緒に来てくれて嬉しいとかじゃねぇし!!」



 セルフィのツンデレも美味しく頂いた鉄人は、黒助の軽トラを拝借して8キロ先の種苗宴に向かい出発した。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 鉄人は黒助に「車は好きに使って構わんぞ」と許可を得ている。

 ニートの活動は行動範囲が広がれば、それだけ得るものも増えると言うのが鉄人の持論であり、黒助もそれに賛同している。


 黒助は弟を教習所に通わせ、軽トラの自動車共済もしっかりと見直した。

 そんな訳で、ニートと精霊の2人を乗せて軽トラは走る。


「なんで現世の人って車に乗るん? 飛べばいいじゃん」

「はい! 頂きました! 異世界ギャルの世間知らずパターン!! ふぅー! アガるぅー!!」


「……聞くんじゃなかったし」

「ごめんって! それはね、現世の人は飛べないからだよ? あとは、そうだなぁ」


 鉄人は赤信号を確認して、ブレーキペダルをゆっくりと踏み、続けた。



「大事な人を隣に乗せて移動ができるってさ、それだけで特別な感じになるからじゃない? 僕はセルフィちゃんを隣に乗せてハンドル握るの、すごく楽しいよ!!」



 驚くなかれ。これがニートのセリフである。

 空を自由に飛び回る風の精霊に歯の浮くようなセリフを投げつける。

 訓練されたニートはやる事も一級品のようだった。


「ごめんくださーい! どうもー、春日ですー!!」

「……ちょ、先行くなし」


 駐車場に軽トラを停めて、流れるように種苗園に入店。

 そこで平日の昼間なのに堂々と胸を張って名乗るのが鉄人のスタイル。


「あら! 春日さんとこの弟さん! なに? 今日も昼間から遊んでるの?」

「違いますよ! 嫌だな、おばさん! 兄貴の代わりにおつかいクエストっすよ! これ、預かって来たメモ!」


 種苗園の店番をしていた婦人が「はいよ」と言って、手際よく品物をカウンターに持って来る。

 その間、セルフィは鉄人のパーカーの裾を摘まんでいたのだが、その事実に気付いていないのが我らのニート。


「はい、これで全部ね! それにしても鉄人くん、可愛い彼女ができたのねー?」

「でしょー? 可愛いんですよ、セルフィちゃん!」


「だったらあんた、なおの事でしょ! 仕事見つけなさいよ!」

「たはー! 痛いとこを突いてくるんだから! あ、これね、お土産の最中! ご主人と食べてください! じゃ、品物受け取っていきます! またよろしくでーす!」


 肥料や種を荷台に載せると、軽トラ春日号は再び走り始める。


「……誰が彼女だし。バーカ、バーカ」

「あらら、怒った? ああいう流れだと、話の腰折らない方が早く済むんだよ! セルフィちゃんも慣れないとこで居心地悪かったでしょ?」



「……あなた。ホントに働きなさいよ。何でもできるでしょ」

「その時が来たらねー! 僕、まだ自分探しの途中だから!」



 そのまま、軽トラで転移装置に突っ込んでコルティオールへ向かった2人。

 向こう3日ほど何故かセルフィの機嫌が良くなるのだが、それはまた別のお話なのである。

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