第69話 狙われた死霊将軍

 夜の邪神・ブランドールは、退屈に耐えかねたように言った。


「そろそろ敵を消して来るよ。魔王様、いいかな?」

「くっくっく。ついに時が来たか、ブランドールよ」


 あまりやる気の見えない態度で色白の少年のような邪神は答える。


「まあ、封印を解かれちゃったからね。まだ眠くもならないし。だったら、こんな陰気な場所にいるのもバカらしいじゃない。ここは魔王様の顔を立てて、今の時代の女神軍を全て消滅させて来る事にするよ。あ、もしかして首が欲しい?」


 魔王に対して不遜な態度のブランドール。

 狂竜将軍・ガイルがそれを咎める。


「夜の邪神よ! 魔王ベザルオール様に対して、何たる口の利き方か!!」

「態度ってさ、持っている力の量によって決まると思うんだよね。モリモリ将軍のピポロンくん」


「くっ……。言わせておけば! もう我慢ならんのだよ!!」

「落ち着いて下さい、ピポロン様ぁ!!」



「アァァァルゴォォォム!! だーれがピポロンなのだよ!! 私はガイルだ!!」

「す、すみません。ブランドール様のおもしろ間違いが、つい口に出したくなる語感ですので、思わず……」



 いきり立つガイルを諫めるアルゴム。

 そんな2人を見て、大きなあくびをするブランドール。


「いや、さすがに今の魔王軍は酷すぎるよ。魔王様、もしかして耄碌した? 僕が女神軍を全員消滅させたらさ、魔王軍の幹部も消滅させようか? ここいらで1度フレッシュな顔ぶれに刷新したらどうかな?」


 そう言うと、ブランドールは謁見の間の屋根を突き破って飛び去って行った。


「べ、ベザルオール様!! よろしいのですか、あのような勝手を許すなど!!」

「くっくっく。ガイルよ。ブランドールは三邪神の中で最も若いのだ。年齢で言えば、わずか7歳。知識もあるし、力もあるが、あやつには経験が足りない。ゆえに、礼節など知らぬ。他者を慮らぬ」


「そ、そうでございましたか」

「魔王様。まだお話の続きがありそうですが?」


 アルゴムの疑問に満足そうな表情のベザルオールは続けて言った。



「くっくっく。若い子は刺激をすると何するか分からん。いきなりキレるから怖い。余は1990歳以上も年下のあやつとはバイブスが合わぬのだ」

「ベザルオール様。我らで好きなサキュバスの話でもいたしましょう! そしてあの生意気な小僧が戻ってきたら、言ってやるのです! このチェリーボーイが、と!!」



 アルゴムは思った。

 「この人たちも精神年齢は結構な勢いで幼いなぁ」と。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 ヴィネは今日も朝から『エビルスピリットボール』を使って、発酵の神髄を極めるために心血を注いでいた。

 彼女の腐敗魔法は加減を誤ると発酵を飛び越えて対象を腐らせてしまう。


 これまで「腐敗を進ませ過ぎずに魔法を使う」などと言う酔狂な事は経験がないヴィネにとって、この魔力のコントロールは大きな課題だった。


「オォォォォオォ! 朝日が気持ちいい……! ヴィネ様、豆を取って来ました」

「オォォォォオォ! 冷たい水で顔を洗いたい……! 我らも取って来ました」


 目下、魔力の調整を猛特訓中のヴィネ。

 彼女は眷属のリッチたちを使って、そこら辺に自生しているピンポコ豆を集めさせていた。


「悪いね、あんたたち。それにしてもたくさん採れたじゃないか! これだけあれば、しばらくは困らないねぇ!!」


 例えば、身近な発酵食品にピクルスと言うものがある。

 酢に漬けて作るものがポピュラーだが、塩と水のみで作る、乳酸発酵を利用したピクルスも存在する。

 味は酢漬けのものに比べてまろやかで優しい酸味を持つ。


 つまり、黒助から適当な野菜を貰って来てピクルス作りで発酵の加減を学ぶ方が、ピンポコ豆を集めて味噌や醤油を作るよりもずっと簡単で手間もかからない。

 さらに数がこなせるので魔力の調整の習得も捗るだろう。


「黒助の大事な野菜を無駄にはできないからねぇ! あたいたちは、ピンポコ豆で発酵を極めるんだよ! さて、預かっている本を片手に、今日もやっていくさね!!」


 そうなのである。

 ヴィネは「黒助の野菜をどんな形であれ無駄にしたくない」と言う確固たる意志を持ち、コルティオールではそこら中に生えているピンポコ豆のみを使った特訓にこだわっていた。


 もちろん、黒助が指示した訳ではなく自発的な行動である。

 死霊将軍もすっかりいじらしい事をするようになってしまったものだ。


「……んっ!? な、なんだい!? この魔力! きゃあぁぁぁぁっ!!」


 ヴィネが魔力の放出に気付いた時。

 それは、肥料研究所の上空に夜の邪神・ブランドールが到着した瞬間であった。


「おや。上手く避けたね。完全に消し去るつもりだったのにな。君が死霊将軍・ヴィネで合っているかい?」

「な、なんだい、あんた!! 黒助に渡すための醤油と味噌が台無しになるところだったじゃないか!!」


 まるで大きな手が空間を掴んだようにいびつな形で肥料研究所の壁や天井が消え去っていた。


「ああ、君は知らないんだっけ? 一応名乗っておこうかな。僕の名前はブランドール。夜の邪神・ブランドールだよ。さて、覚えたかな? じゃあ、消えてもらうね」

「よ、夜の邪神だって!?」


 ヴィネは一瞬で全てを悟った。

 この男には勝てないだろう事を。


「女神軍の魔力は弱すぎて感知できなくてね。そこで君の魔力を目印にして来たんだけど。あっちに見える畑が女神軍の本拠地だね?」


 ブランドールはまだ若いため、その暴力的とも言える強大な魔力を持つにも関わらず、魔力に関する基礎的な技術が足りない。

 春日大農場の従業員たちは農作物に悪影響があるため、魔力を極力抑えて仕事をしている。


 だが、ヴィネは違う。


 肥料研究所は農場から少し離れた場所にあるため、彼女は発酵特訓に際し『エビルスピリットボール』を毎日連発していた。

 かつての五将軍が発する魔力である。

 詳細な感知をするまでもなく、居場所は容易に特定できた。


「どうするかな。君が今すぐ、女神軍の農家とやらを差し出すのなら見逃しあげてもいいよ? たかが死霊将軍を消したところで何の自慢にもならないし」


 ヴィネはチラりと農場を見た。

 今頃、黒助は額に汗して土を耕しているだろうと想像する。


 決意は簡単に固まった。


「ははあっ! こいつは笑っちまうねぇ! こんなひょろっとした坊やにあたいの首が取れるってのかい! 死霊将軍・ヴィネ様を舐めるんじゃないよ!!」


 彼女は考えた。

 「一撃で殺されるかもしれないけれど、その一撃で黒助たちに危機が迫っていることが伝われば、それは意味のある死である」と。


 ブランドールは特に感想めいた事は口にせず、端的にこれから行う事をヴィネに告げた。


「じゃあ、この世から消滅してもらうよ。お姉さん。『イレイザーハンド』」

「来な! 坊や!!」



◆◇◆◇◆◇◆◇



 その頃、春日大農場では。


「んじゃ、わたしはヴィネのところに行って来るわね。肥料の追加を頼まなくっちゃだから」

「そうか。メゾルバ。お前もついて行け。ミアリスには重すぎる」

「くははっ。拝承した」


 女神が力の邪神を連れて、まさに戦闘が始まろうとしている肥料研究所へと出発したところであった。

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