第5話 ファストスタイル
パチンコ店で落ち合った海斗と泰明は、市内西側にあるカスタムショップ「ファストスタイル」へ二台連なって向かった。時折海斗がバックミラーを確認すると、路面のわずかな段差を拾い上げた86が小刻みに振動しながら追随してくるのが見えた。
ファストスタイルは、K市だけではなく、全国的に名の知れたショップである。一応、店の看板には国内メーカー数社の代理店であることが示されているものの、実際は国産スポーツカーを中心とした中古販売、カスタム、修理などを広く対応している店というのがこの店の正体であった。現に、二人が店にたどり着くと店先にはショップのデモカーやレアな中古スポーツカーがずらりと並んでいる光景が目に入った。
社外マフラーから腹の底を打ち鳴らすような裏低い排気音を吐き出し、店と工場の間に設けられた駐車スペースに2台が停まると、店の中から白髪の男がのっそりと姿を見せた。
「よぉお前ら。久々じゃねぇか」
ファストスタイルのロゴが入ったツナギに手を突っ込んでやってきたその白髪の男は、車から降りた二人を見るなり最低限の挨拶をした。
「うっす、親っさん」
「久々っすね。親っさん、ちょっと肥えたんじゃねぇすか?」
「へっ、大して金も落とさねぇくせに減らず口叩くんじゃねぇよ」
泰明がからかうと、親っさんと呼ばれるその男は笑いながらも切れのある掌底打をお見舞いした。その一打を受けて、泰明は大袈裟に肩を抑えて致命傷か何かを負ったかのような大ぶりなリアクションをして見せた。
泰明の不躾な言動を二、三言で諫めると、親っさんは海斗の方へ体を向けた。
「ところで川島。シルビアのアイドリングが安定しないんだって?」
「はい。どうも調子悪くて」
「そうか。見てやるから、鍵預かるぞ・・・おーい小西!」
親っさんが工場に向けて胴真声を上げると、若い整備士が小走りでやってきた。
「どうしました?曽我さん」
「このシルビア、工場に持ってって見てくれねぇか?」
「あ、はい」
いかにも真面目な好青年そうに見えるその整備士は、恭しい手つきでシルビアの鍵を受け取ると、早速シルビアに乗り込んでエンジンを掛ける。工場の方へ運んでいくのだろう。
「彼、初めて見る顔っすね?新人さんすか?」
「んまぁな。あれで、腕もいいし愛想も悪くねぇ。ちぃとばかし、俺よりもいい男なのが腹立たしいがな」
「ま、まぁ、確かに彼は、いい男っすけどね・・・」
親っさんはひとしきり豪快に笑った。
確かにその整備士はすらっと細身だったので、身なりを整えれば若手イケメン俳優にも比肩しうる外観を有していた。片や親っさんはと言えば、そこまで腹は出っ張っていないし、世の女性が見れば数十人に一人くらいはダンディなおじさまというジャッジを下すやもしれない渋さはある。だが、どうやっても小西という整備士と男ぶりで同じ土俵に上げると言うのはナンセンスというものだ。
ひとしきりファストスタイルの敷地を笑い声で満たすと、次に親っさんは泰明を見据えた。
「あとは吉田の件だが・・・まぁ、二人共中に入れや。コーヒーくらいなら出せるからよ」
親っさんこと曽我雅人は、ファストスタイルのオーナーである。
かつては伝説のプライベーターとして各地のサーキットのレコードタイムを塗り替え、一時期はレーシングチームに所属し、スーパー耐久、スーパーGTなどの名だたる大会にも出場するほどのレーサーでもあった。現在は引退し、この店を営んでいる。
完全に真っ白に染まった短髪や深く皺が刻まれた風格のある顔面、そして何よりその辺の走り屋風情の小僧たちにも冗談を交えながら気さくに話しかける今の様子からは、海斗には当時の雰囲気は感じ取ることはできなかった。ただただ、店の脇に置かれた何かの大会の入賞カップやレーシングマシンと共に映る若かりし頃の写真が、親っさんの伝説の数少ない証人として語り掛けてくるばかりだ。
二人は狭い店内に申し訳程度に作られたテーブルに座らされた。スタッドレスタイヤの展示場所が真隣にあるせいか、二人の鼻孔は慢性的にゴムの匂いに支配され続けた。県道側の一角には、有名ブランドのスポーツマフラーやショックアブソーバーが展示されているのが見える。その近くにはチューニングメーカーのカタログがずらりと並べられている。
席に座って海斗と泰明が他愛ない会話で時間を埋めていると、親っさんがやってきた。
「悪いな、待たせちまって」
「俺らはいいですけど・・・工場の方はいいんすか?」
「あぁ、若いのに任せてるからよ」
親っさんの手には、ファストスタイルの社名が印字された封筒が握られていた。海斗たちが着座してから、何やら奥の方でマウスのクリック音やプリンタの動作音が幾度か聞こえてきたので、この中身を刷っていたのだろう―――この時の海斗はそれに対してさほど深い考慮を巡らすことはしなかった。
「おい吉田。赤ちゃんが生まれるんだって?おめでとうな」
「うっす、ありがとうございます」
親っさんはにやりとした笑顔を差し向けながら、泰明の肩をぽんぽんと叩いた。
それに対して、泰明は椅子から少しだけ立ち上がり、二度三度と親っさんに頭を下げた。
「男の子か?それとも女の子か?」
「この前の検診では、まぁほぼほぼ女の子じゃないかと・・・へへへ」
遂に我慢できなくなったのか、泰明はにたにたと口元を綻ばせ、頬を赤くした。
比較的気の強めな泰明がへこへこと頭を下げているところを見て、海斗はここぞとばかりに泰明を茶化しに入る。
「こいつちょっと前からデレデレなんすよ。あの泰明がこんな事言うなんて信じられますか親っさん!」
「べ、別にいいだろ!」
「確かになぁ!『天鳳山のジャックナイフ』こと吉田泰明に子供ができるとは夢にも思わなんだ」
「ちょ!親っさんまで!」
「まぁでも、女の子はいいぞぉ。特に男親から見た女の子ってのはな」
いつの間にか親っさんはどっかりと椅子に座っており、店側の人間であるにも関わらず堂々とコーヒーを啜っていた。そして遠くを見るような目で腕を組み、ゆっくりと頭を縦に振っている。
「ん?そんなこと言っとりますけど―――」
その様子を見て、海斗は重大な事を思い出す。
「親っさんずっと独身っすよね?!」
「おっと、バレちまったか。それっぽく言ってみたんだがなぁ」
「まぁまぁ。この流れで親っさんもジョーカノとかどうっすか?嫁さんに頼んでいい子紹介しますぜ」
平成生まれにも関わらず、泰明は小指を立てた右手を顔前に掲げるという昭和感丸出しなやり口で親っさんを煽った。
しかし、親っさんはそれを鼻で笑って軽くいなした。
「いんや、いいっていいって。俺は、鉄砲玉だったお前らが大人になるのを見れるので十分ってもんよ」
「そんなぁ。じっちゃまみたいなこと言わんでくださいよ」
「いやいや、実際のところお前ら大人になったよ。毎週のようにうちに来ては何時間も入り浸って車の話をくっちゃべってた頃が懐かしいってもんよ」
そういやそうだったなぁ―――海斗は昔を思い出した。
かつては海斗・泰明・隆太の三人はほとんど一緒に動いていた。一週間毎晩会っていた時期もあった記憶もある。夜な夜なお互いの愛車で集まり、走りに出かけたり飯を食いに行ったりしていた。時には「新型になったあの車はかっこいいか否か」という議題で本気の喧嘩をしたりもした。
あんな日々がずっと続いていくのかと何となく思っていた。
しかし、やはり年月と共にその関係性はすこしずつ変質していってしまったのだ。それは良い意味でもあり、悪い意味でもある。
「そういえばよぉ、お前ら最近は重松と連絡取ってんのか?」
重松隆太―――その名前が出た瞬間、泰明の顔は固まった。
「あぁ、あいつすか・・・よくわかんないんすよね」
「・・・おぉ、そうか・・・」
まったくこいつは―――泰明の様子を見て海斗は溜息を吐いた。いくら歳を取って丸くなったとはいえ、泰明の言動には未だに往時のエッジが効いている部分が残っている。特に心象が良くない事柄に対しては相変わらず幾ばくかの敵愾心を含んで応答するのが常だ。
泰明が仔細を話したがらず変な空気感になってしまったので、海斗が代わりに回答する。
「隆太はもうこの街にいないんですよ」
「ほぉ、どっかに働きに行ってんのか?」
「いや、どうも未だにプロレーサー目指しているみたいなんですよ。それで色んなショップとかチームを転々としているみたいですよ」
「へぇそいつは熱心だねぇ。今はどこにいるんだ?」
「えっと・・・確か関西のインポート系のチューナーにいるとか言ってましたよ。俺らも最近はあんまり交流なくて」
「ふーんそうか・・・なるほどねぇ」
親っさんもまた、無表情のまま窓の外を見て頷いた。
どうにも、泰明も親っさんも先程とは雰囲気が変わってしまった。そんな中で、海斗だけは快活に隆太を語る。
「あんまり状況は知らないが、あいつは完全にあっちでやっていくみたいだな。こっちは一介の会社員、片や向こうはレース屋かぁ。随分差がついちまったもんだぜ。羨ましいもんだ」
嘘偽りなく、海斗は隆太の生き方が羨ましいと感じていた。
海斗だってかつてはレースの世界で生きていくことを目指し、夜の峠やサーキットで腕を磨いてきた。しかし、チャンスを逃したり走り以外の部分、また資金面の負担が耐え切れずやむなくレーサーの道を諦めたという過去があった。
一方、隆太はそんな自分が追いきれなかった夢を未だ追い続けている。若い頃の夢を追い続けているなんてなかなかできる事ではない。一途に若い頃の願いを叶えようとする夢想者―――海斗には、それがまるで立志伝中の人間のようなカッコよさが付随しているように思えてならなかった。
しかし、泰明はそうでもないらしい。
海斗が隆太を賛美するのを横目に、スマホをいじっている。
「うーんそうかねぇ」
目を輝かせる海斗のそばで、泰明は限りなく感情の籠もっていない声音で呟いた。
店内を流れる地方ラジオ局の呑気な音調が、気だるげな泰明の言葉をことさら無味なものとして強調している。
「そらそうよ。俺やお前みたいに普通は仕事や家の事情で辞めざるを得ないからね。いつか、サーキットとかにも同道させてもらいたいもんだぜ」
「そう。俺はいいかな。今度重松に頼んでみれば?」
やはりそっけないな態度で、泰明は言い捨てた。
その様子を見て、海斗は寂しさとほんのわずかな苛立ちを覚えた。
昔だったらもっと熱くなってるのに―――嘘のように変わってしまった泰明の言いぶりに海斗は思うところがあったはあったが、これもきっと家族ができたからだろう。
「ところで親っさん。その封筒って頼んでたやつっすよね?」
スマホのベゼル越しに泰明は親っさんが手に持った封筒に視線を飛ばした。
「あ、あぁ、そうだよ。どうする?家に帰って見てみるか?」
「そうっすね・・・どうすっかな」
いつも即決即断、信じられないスピードで物事を判断する泰明は珍しく、いくばくかの逡巡の時間を作った。その時、チロチロと海斗の方に目をやった。
何で俺の方を見るんだよ―――泰明の視線の意味はまったくもって理解不能だった。
「いや、ここで決めますわ。一応、こいつにも話しておきたいんでね」
「え?俺?」
思わず、海斗は人差し指を自分の方に指して頓狂な声を上げる、というベタにも程があるリアクションを打つはめになった。それくらい面食らったのだった。
親っさんは海斗と泰明を丸い目をしながら何往復か視線を飛ばしたが、やがて泰明に向かって大きな声を上げる。
「おいおい、何だよ。お前、川島に話してなかったのか?」
「えぇ、まぁ」
「水くせぇじゃねぇか。なんでまた?」
「いや、だって内容が内容だし、言いづらいっすよ」
やや詰問気味な親っさんと、ややしおらしくなってきた泰明。
要領を得ないまま、泰明と親っさんの言葉の応酬を見るしかなかった。
「おいおい!お前いい加減にしろ。じれったいよ」
遂に海斗が痺れを切らした。
それに対して、泰明は諦めの念を表したかのような深いため息を吐いた。
「わーったよ。隠してて悪かった。話すから機嫌直してくれよ」
「別に怒っちゃいねぇけどさ・・・一体何なんだよ?」
「俺さ、86手放そうと思ってんだよ」
「・・・え?」
海斗の頭は一時、思考停止に陥った。
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