第十四節

 婚礼当日、婚儀はつつがなく執り行われた。

 花嫁であるコンスタンサは紺色のヴェールとドレスをまとい、その顔は隠されている。

 教会ではパレルモ大司教による誓約が唱えられ、彼女たちはそれを復唱する。指輪の交換を済ませても、コンスタンサのヴェールはまだ上がらない。

 その後はミサが執り行われ、一通りの儀式が済まされると、人々は準備された宴の席へと移っていった。

 披露宴は盛大なものだった。

 城の門を開け放って執り行われた披露宴には、招待客だけでなく、近隣の小領主や村の代表までが挨拶に訪れ、地続きの門前でも食事と葡萄酒に振舞われていた。

 中でも人々が歓声をあげたのは十体にも及ぶ羊の丸焼きで、内臓を取り出された腹には香菜と野菜がこれでもかと詰め込まれ、東方より持ち込まれたのであろう香辛料のかぐわしい香りを漂わせている。

 人々の注目がひと段落したところで、フェデリコは杯を手に立ち上がる。


「この神聖なる誓いを共に祝えることは、私たちにとっても大いなる喜びである。私たちの新たな途行きを言祝ぐために集まってくれた皆のことを、私は決して忘れないだろう」


 フェデリコが参列者ひとりひとりを見回すように語り掛けるのを、コンスタンサは隣で黙って聞いていた。

 ともすればまた何か突飛なことを口にするだろうか、そう身構えてもいたコンスタンサだが、あえて言えば親し気な声と物腰に気付かされたくらいで、フェデリコの挨拶は取り立てて当たり障りの無いものだった。

 これ以上は人となりを知る手掛かりになるものは挨拶からは無さそうか――そう思い、意識を他へ振り向けた時だった。


「――私たちは今日、夫婦となる


 その言葉に、一度は他へ振り分けられようとしていた注力がぴたりと立ち止まる。

 婚姻は終わっている。誓いの言葉も既に交われた。二人は既に夫婦であり、などは無いはずだった。

 けれど一瞬のうちに逃した影をもういちど捉えることは能わず、挨拶は締めくくられて杯が掲げられた。


「新たな家族に!」


 ちらりとこちらを見やるフェデリコに、にこりと微笑んで返してやる。

 一瞬、フェデリコが頬を染めた。誤魔化すように一気に杯を飲み干し、それが合図となって人々もまた乾杯を号した。

 辺りが一気に騒がしくなる。

 埠頭での出会い以来、フェデリコとの会話は殆ど無かった。婚姻を迎える両者は実際に婚儀を済ませるまで接触を避ける。そういう建前的な習慣もそうだが、それを抜きにしても準備で忙しく、一方で婚礼当日はあらゆる所作が予め定められていることもあってか、自由に言葉を交わす瞬間など訪れようもなかった。

 それはこの披露宴に至っても大きくは変わらなかった。

 参列者が立ち替わり入れ替わり挨拶に訪れるため、主賓たる二人は常に誰かの相手をしていなければならないからだ。現に今も、フェデリコは挨拶客に囲まれて身動きが取れずにいる。

 フェデリコがそれらへの対応に追われる隣で、コンスタンサは改めて参列者を見回してみた。

 人種や出自も未統一で雑多な人々。

 コンスタンサはキリスト教国とイスラム教国とが直に干戈を交えるイベリア半島で生まれ育った。だからそうした光景は見慣れている筈だったが、それはあくまで市井の商人や外交官でよく見かけるという話であって、王宮に仕える官僚のほぼ半数が異教徒や肌の違う者たちで占められているのを前にすれば、流石に驚かざるを得なかった。

 特にコンスタンサの注意を引いたのは、フェデリコ直衛の騎士らの出で立ちだ。埠頭で見た時から、彼らはまるで統一感が無く、異様な活気に満ち満ちている。

 中には子供としか思えぬ女性までおり、コンスタンサは最初、それを小姓か従僕の類かと思っていた。

 エメスだ。コンスタンサがおそらく彼女も騎士の一人だと気付いたのは、他の者たちとへの接し方と彼らからの扱われ方に、それらの関係で見られる特有の上下関係というべきものを感じなかったからだ。


(どうして騎士なんかしているのかしら……顔の型が良いのだから、化粧を整えればもう少し光るのに……)


 そうして化粧のヴェールで覆ってしまえば騎士なんかやらなくてもいいだろうにと感じる。

 浅黒い肌に浮かぶ、狼のような瞳。それを認めてもなおそう思った。

 コンスタンサの視線に気付いたエメスが、輪の中からすっと人混みに消えたかと思うと、ややして彼女は、肉の乗せられた小板を手に駆け寄ってきた。


「エメスと申します、どうぞお見知り置きください」


 コンスタンサは頷き、緊張気味の少女に顔をあげるように促す。


「家名を聞いてもよろしいかしら、エメスさん?」


 びっくりした様子で、エメスが首を振る。


「いえ、家名はありません。ですからただのエメスとお呼びください」

「あら……?」

「それより、こちらを」


 差し出された皿には切り分けられた肉は、独特の香辛料の匂いを漂わせながらも、細かく崩れてぐずぐずになっていた。

 思わず割って入ろうとする侍女を制し、コンスタンサは喜んでそれを受け取ってみせる。

 エメスは侍女が割って入ろうとしたことなど気付いていないのだろう。辺りを少し見回すと、顔をを寄せて声を落とした。


「骨からこそぎ落とした肉です。えっと、そこが一番おいしいのだとフェデリコ様が」


 いかにも秘密だと言わんばかりのその様子は、全く子供のそれだった。

 受け取るコンスタンサの態度も、自然とそれに対するものとなる。ただし常のように、隅々まで計算された振る舞いとして。


「ありがとうエメス、嬉しいわ。おいしくいただくわね」

「はい! それと、その……」


 コンスタンサの言葉に素直に頷きながら、エメスは少し緊張しながら言葉を続けた。


「あの、それともしよかったら、フェデリコ様を怒らないでください」


 投げ掛けられる願い。コンスタンサは興味深そうにその顔を見つめ返した。


「怒る……何をかしら?」

「先日のお出迎えのことです。ご無礼があって叱られたかもって聞きました。けれど私たちはその、これを狩りに出かけてあんな格好に……」


 彼女にすれば元より大して気にもしていないことだ。その理由が自分をもてなすためと言われて、不機嫌になろうはずもない。彼女は微笑みを崩さず、今改めてそう思ったかのようにエメスの手を取る。


「ありがとう、それを聞けて嬉しいわ。お料理もおいしくいただくわね」


 コンスタンサの対応に表情を崩し、エメスは改めて挨拶を宣べると騎士らの輪に戻っていった。


(随分と慕われているのね)


 その背を見送りながら、コンスタンサの思考はあくまで冷静だった。

 新たな夫に人望があるのは何よりだった。それ自体は何も悪いものではない。けれども彼女には、どうにも違和感があった。

 人望はあるにせよ、その人望が君臣のそれではないように感じられる。ただ問題は、その微妙な差異が何であるか、それ故にどうなるのかまで掘り下げられないことだった。

 柔らかく崩れる肉を舌の上に運びながら、彼女はそっと隣に視線を転じた。

 若きシチリア国王の周りは常に人だかりができていた。

 コンスタンサは葡萄酒を傾け、参列客に時折微笑みを返しながらも、それとなくフェデリコの様子を伺い続ける。

 その言葉は明朗快活でよく響き、確かな矜持を感じさせながらも、人を別け隔てるところが無かった。

 それは部下や賓客は無論、あるいは明らかに媚びへつらう者に対してもそうで、歯の浮く世辞にも、フェデリコは鷹揚に笑って追従者を帰してやる。


(ともすれば陽気で無邪気、ともいえるけれど)


 そうではない、とコンスタンサは見ている。

 彼女はフェデリコの立ち振る舞いに、ひとつの筋のようなものを感じたからだ。それを強く感じたのは、すぐ近くで給仕が葡萄酒の空壺を取り落した時だった。

 派手な音が響き、皆の視線が一斉に注がれる。青ざめて幾度となく詫びる給仕を、フェデリコは笑って許した。

 それだけならば、珍しい訳でもない。人間は機嫌が良ければそれくらいの度量は見せることもあるのだから。


「すまぬ、気付かなかった。怪我はないか?」


 フェデリコは、さも自分が給仕に腕をぶつけたように手を振るった。どれほどの人間が気付いていただろうか。少なくともコンスタンサはそれを見ていたが。

 それは些細なことだったかもしれない。

 けれどコンスタンサは、そうした咄嗟の小さな振舞いにこそ、人の素顔が表れるものと思っている。


(思ったよりしたたかかもしれない)


 そのフェデリコの振る舞いに彼女が見たのは、ある種の計算だ。

 給仕を気遣う時に咄嗟に庇ったのは、コンスタンサに言わせれば、必要とあらば嘘をつけることに他ならない。

 ただ鷹揚なだけではないのかもしれない。そう考えた彼女はこれまでの印象を一旦保留とした。そうして改めてその様子を窺うと、そこにはフェデリコの違った一面が浮かび上がってくる。

 村や街の代表が祝いの言葉を述べに訪れた際には、その口元には喜びの色が見られるが、追従者に対する時は、笑顔を見せながらもその瞳に鋭い観察眼が覗いていたからだ。

 相手がその追従を通じていかなる打算を抱いているのか、その人品を見抜こうとする冷徹な瞳がそこに隠されていた。

 最初、フェデリコの印象はあっけらかんとした武将、といった感じだった。

 軍を率いる騎士や戦得手の貴族に時折いる者だ。兵と同じものを食い、共に寝起きするのを好む。そういった人物には特有の好ましさがあるが、往々にしてものの捉え方が兵と同じになっていくとコンスタンサは考えていた。

 良く言えば純粋、悪く言えば単純。上流階級の政治に耐えられなくなるのである。

 彼女はフェデリコをそのように観察していたが、そうした派手な野趣に隠れたある種の冷静さを見つけた時、この幼王を一筋縄ではいかぬ人物として捉え直した。その実像に一歩分け入ったのだ。

 けれど、それ故にますます解らなくなりもする。


(先日のあれは何だったのかしら)


 埠頭でコンスタンサを見つけてからの、人目もはばからぬ振る舞い。あれもまた計算されたものだったのか、あるいは計算の埒外にあるものであったのか。


(あの時は、意表を突かれただけ、だと思うけれど)


 船着き場でのやりとりを思い起こすと、その時の身体の熱が、まだどこかに残されているように感じる。

 突然に抱き締められた時の驚きから、コンスタンサは自らを御することができなかった。

 フェデリコを観察する余裕を失い、それが意味するところを解しかねた。

 時に己を演技してみせる人間の本心は、容易に窺い知ることができない。それはその人の真性が善なるものか悪しきものであるかに係わらず――コンスタンサは、そのことを知っている。


(もし、が同じであるのなら……)


 視線に振り返ったフェデリコが、無邪気にはにかむ。

 コンスタンサもまた、そんなフェデリコに優しげに目を細めてみせる。


 心の奥、私が私にそっと絡み付く。

 知りたいのでしょ――背を撫ぜる、自らの囁き。

 そうねと微笑む。知りたいと思った。幼夫の被る仮面を剥がしたら、それが、どんな表情を見せるのかを。

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