第6話 1-5 第1章最終話 彼女だけの英雄
死闘の火蓋を切ったのは、ケルべロスだった。
突進+ケルベロスの牙が剣也に迫る。
10倍の世界なのに、しっかり動いて見える。
すごい速さだ。
時速は100キロを優に超えているのだろう。
初速でそれだけ出るあんな巨大な生物など存在しない。
しかし、10倍の世界では時速10キロ
軽く走る程度の速度だろう。
その軌跡から攻撃ルートを読み、避けられるように体を動かす。
体の動きも遅いが、間に合わない速度ではない。
反射神経は良い方だと思うが、10倍の速度では、ほぼ0の反射で動ける。
0.2秒の反射神経なら0.02秒の反射神経をもつのと同等だ。
次に反撃のため刀をケルベロスの進行方向へ設置するように置き、刃を立てる。
これで、あの突進力と俺の力で刀が突き刺さる。
あわよくばこれで終わるかもしれない。
そんな淡い期待を嘲笑うかのように、車の衝突事故のような衝撃が俺を襲う。
弾き飛ばされた。
なんて硬い皮膚なんだ。
それもあたりまえだろう、象に素人が刀を刺したところで弾かれるのが落ちだ。
いかに攻撃が見え軌道が見えていようが攻撃が通じなければ効果はない。
それでも。
剣也は笑った。
ダメージは通じない
しかし攻撃を避けることはできる。
一方的な殺戮、いや食事から戦闘ぐらいには昇華しただろう事実に。
ケルベロスは驚いた。
ただの餌が文字通り刃向かうだけでなく、自分の攻撃を避けたのだから。
そんなはずはない。ケルベロスは再度突進をした。
また躱される。
ダメージはほとんどないが、あの硬いものをぶつけて反撃されている。
突進がダメなら爪だ。切り裂きをしてみる。
これもダメ、躱される。
明らかに自分よりも弱い存在に攻撃が通じない。何が起きている?
自我もないと思われていたケルベロスに思考が回る。
しかしそれ以上は続かない。
所詮は畜生。
考えはまとまらずやはり獣へと落ちていく。
大きな咆哮を上げながら何度も何度も剣也を攻撃する。
噛みつき、切り裂き、突進、でも全てかわされる。
微量ながらも自分も血を流し始めた。
体力も消耗している。
時間にして5分ほどだろうか。
ケルベロスと剣也の死闘は続いた。
「はぁはぁはぁ」
剣也も限界が近い。
加速した世界で、5分つまり1時間近く生死のやりとりをしている。
一説には人の集中は90分が限界と言われている。限界は近い。
それに5分といえどほぼ全力で動いている。
体力の限界も近い。
耐えているのはひとえに心の強さだろう。
死を乗り越えた剣也は生半可のことでは、心は折れない。
しかし、それでも集中力には、限界がある。
決定打もないこの状況では、ジリ貧だ。
いつか些細なミスが、決定的な死に変わるだろう。
だから、ここで賭けに出ることにした。
失敗したら間違いなく死ぬ。
しかし加速した思考でこの考えに至ってから、少しずつ準備してきた。
そして、ベストなタイミングが作られた。
覚悟を決める。必ず成功させる。
ほんの少しのミスで、噛みちぎられるだろう。そのときは加速を切らないとな。
ゆっくり噛みちぎられるなんてごめんだ。
でも、剣也は笑ってつぶやいた。
「失敗する気はしねーな。」
そして短く、長い戦いの最終章が幕を開ける。
この距離なら、この獣は突進と噛みつきで俺を殺しにくるだろう。
今までもそうだ、特にフェイントなどかけられてこなかった。
強者ゆえの驕りか、獣ゆえの本能か。
ただ真っ直ぐ最短で攻撃してきた。
剣也の思惑通りケルベロスは突進してきて、その大きな口で俺を食い殺そうとしてきた。
今までなら横に逃げてきたが、ギリギリまで避けない。
そして発動するのは、新たに得た力。
思考加速100倍!
100倍に引き伸ばされた、ほぼ止まった世界でケルベロスの口が見える。
糸を引いた涎と尖った牙、人一人なら丸呑みできるであろう大きな口だ。
今までの俺なら後退りしていただろう。
でもいまの俺なら怯むことはない。
そして俺は腐臭と死の匂いが立ち込める暗い闇にとびこんだ。
ケルベロスの口という闇に。
俺の作戦はシンプルだ。
皮膚がダメなら内側から攻撃してやる。
そのために口の中に入る必要があるが、口の中で刀を振るえるスペースはない。
口といえど俺の力ではこの獣を殺すほどの傷を与えることはできないだろう。
だから突き刺す。
ケルベロスの突進と、俺の全力の突き
これならばいけると思ったが、刀はケルべロスの上あごに2、30センチほど刺さって止まった。
この勢いでも、脳まで貫くことは出来なかった。
1秒にも満たない攻防の中で、
しかし体感にして100倍もの時間の中で
俺は笑った。
良かったよ、もう一つ保険をかけておいて。
ケルベロスの口へ入ったとき、剣也は
刀の鞘をケルベロスの下の前歯の隙間に挟まるよう、刺すように縦にセットしていた。
そしてその鞘の上にバランスよく立つ。
曲芸のようなだが、この引き伸ばされた世界なら一瞬バランスを保つだけでいい。
鞘、剣也、刀の順番で、まるで一つの棒のようになった。
ケルベロスの歯の間に固定された鞘と突き刺さった20センチほどの刀で
まるで、口の中に爪楊枝を縦に入れている状態のようになった。
これが剣也が、仕掛けた保険。
口の中からでも貫けなかった時のための、
突進の力を利用するだけでは貫けなかったときのために、仕掛けたもう一つの剣
利用するのはケルベロスのかみつく力。
そしてケルベロスは、そのまま剣也を噛み砕くために、勢いよく噛み締めた。
爪楊枝が刺さっていることにも気づかずに。
ただしこの爪楊枝は、ケルべロスの命にまで届く明確な殺意をもつ一本の剣
自分と夏美を何度も何度も殺された怒りの剣
20センチほどしか刺さっていなかった刀は、
怒りを代弁するかのように、ケルベロスの脳へと進んでいく。
合わせて剣也は最後の力を振り絞り叫ぶ。
声にならないその叫びが、ケルべロスの中にこだまする。
ちょっとでも力加減を間違えばバランスを崩して折れてしまう。
でも剣也は折れない。この鋼の心は決して折れない。
刀を鍛錬するように、なんどもなんども絶望という槌で
鍛えられた剣也の心は決して折れない。
赤い血が口の中に溢れ出る。
剣也の血ではない。この血はあの獣の血
溢れ出る血が止まらなくなり、痙攣した獣は、その場で倒れる。
刀を抜いた剣也は、涎と血だらけの口を移動して外に出た。
引き伸ばされた世界は元の速度に加速し、色付きはじめる。
オレンジの夕焼けが獣の上に少年の影を作る。勝者が誰かわかるように。
「うぉぉぉぉぉ!!!」
剣也は吠えた、ケルべロスへの勝利に今まで味わったことのない達成感に。
勝った、勝ったぞ!俺は!勝った!!
興奮し、アドレナリンが最高潮に達したところで、
気が抜けた剣也は、血だらけのまま地面に倒れる。
限界まで酷使された脳と身体は、勝利の美酒を味わうことなく、睡眠を選択した。
夏美は、目の前で起きていたことが理解できなかった。
あの化け物もそうだし、剣也がその化け物の攻撃を全て交わし最後には倒してみせた。
まるで全ての動きが見えているかのように、
それに剣也はあの獣のことを知っていたようだった。
わからないことだらけだ、でも今は。
夏美は剣也にかけよった。
どろどろになった剣也を抱きしめて呼吸を確認する。
よかった呼吸はしてる。
早くお医者さんにみせなければ。
でもその前に、夏美は剣也に語りかける。
「状況はよくわからないけど、守ってくれたんだよね。
あの怪物から必死に、本当に必死に。
ありがとう。とっても格好良かったよ。」
そして夏美は助けを呼びに行った。
直後世界にシステム音声が鳴り響く
「ピンポンパンポーン
ワールドアナウンスです。
2021年8月13日 日本の首都東京にて、ワールドクエストが初めてクリアされました。
残りワールドクエストは99個です。
以上でワールドアナウンスを終了します。
ピンポンパンポーン」
世界に初めてワールドアナウンスが流れた。
そして剣也個人だけにもシステム音声は語り掛ける。
「
【Aランククエストを初めてクリアする。】
を、クリアしました。
始まりのタネを一つ攻略者に付与します。
すでに心の鉢による発芽は完了しているため
このタネを発芽するためには
クエストポイントもしくはダンジョンポイントを貯めて発芽を行ってください。
続いてAランククエスト
地獄の番犬をクリアした報酬として
100万ポイントを、付与します。
Bランクギフトが発芽できますが、発芽しますか?
…
返答がないため発芽を保留します。
以上でクエストクリア報酬を終了します。」
意識のない中脳内でアナウンスが流れる。
この後世界の常識はひっくり返り、世界を巻き込むこの戦禍は、
人類に未曾有の厄災を呼ぶのだがそれはまだ先の話。
今日この極東の島国に一人の英雄が誕生した。
本人の自覚ないままに。
まだこの英雄を知るものは彼の愛する少女のみ。
今はまだ彼女だけの英雄は、静かに眠り次の戦いを待つ。
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