第16話 パンケーキ

 ガデス到着から三日。

 ウィルソンからの報酬、そして前金を利用して、僕とチサは露店市バザールへと繰り出していた。

 姉は都市から離れるということで冒険用具の買い出しに行っている。


「これでよし、と」


 購入した水晶粉を鞄にしまい込んで、メモを確認する。

 さすが『迷宮都市』の中でも歴史ある領都ガデスだ。

 例の大型魔法道具アーティファクトを修復するために必要な素材のうち、いくつかは簡単に見つけることができた。


 そもそもが、古典的な機構の古い魔法道具アーティファクトだ。

 機構や構成品の部品についてはこの時代でも替えが利くものもある。


 ソフト面──魔力導線や駆動魔法式に関しては僕が頑張るしかない。


 姉は優秀な魔法使いだが、魔法道具アーティファクトには疎い。

 魔法式の構成については議論可能だが、それを駆動魔法式から読み解くことは無理だと言っていたし、ここは僕が頑張るしかない。

 金を払って魔技師を探すことも考えたが、僕たちの素性の関係上、それはやめておいた方がいいだろう。


「どうですか? 揃いました?」

「うん。だいたいはね」


 隣を歩くチサが、魔法の鞄マジックバッグの中身を覗き込むようにしている。

 アストラル空間を利用したものなので中身が見えるはずもないのだが、やはり気になってしまうらしい。


「実際に修復に取り掛かってみないとわからないけど、うーん……」

「何か問題でも?」

「うん。ちょっとね」


 これはほぼ核心に近い推測なのだが……アレを動かすための、魔力マナが足りない。

 アケティ師の生徒たちが掘り返していたのは、おそらく魔力マナの貯蔵用の何某かだろう。

 そこから太い魔力導線を地脈レイライン上に這わせて設置してあった。


 回路や駆動魔法式を修復したところで、それを起動させる魔力マナがなくては魔法道具アーティファクトは使えない。


「何とか考えてみるよ。僕ができるのはそのくらいだからね」


 事実を二人に伝えるのは、まだだ。

 実のところ、この状況にあって自分の冷静さに驚いているものの、姉とチサがどう思っているかはわからない。

 帰れるかどうか不透明だといま伝えるのは、なんだか憚られた。


「チサ、疲れてない? 大丈夫?」

「はい。お気遣い有難く」


 なんだか他人行儀な言葉が返ってくるが、距離は肩が触れそうなほどにそば。

 可愛らしく、美しく成長した幼馴染が隣にいると、なんだか気恥ずかしくなってしまう。

 子どもの頃は気にならなかったのに。


「どうされました?」

「ううん。なんでもないよ。それより、お腹空かない?」

「そうですね。小腹が空いたような気もします」


 素直な言葉が返ってきて、少しうれしくなる。

 ここ数日でわかったことだが、チサという女の子はよく食べる娘なのだ。

 最初は「忍びたるものがそのようにはしたない」とやや妙ちきりんなことを言っていたが、姉も交えて三人で話し合った結果、この状況で我慢や隠し事は止そうということになった。


 チサの父は、イコマの里を務める侍であると同時に、世界中の美味い物を旅がてら食して回るというグルメな〝流浪の賢人〟でもある。

 学園都市ウェルスでも、彼が出版したグルメ本は大人気で、世界中の美食家の間でも有名な食道楽なのだ。


 ……もしかすると、〝斬鉄〟の二つ名を持つ神斬りの侍という事よりも有名かもしれない。


 チサにもその血は濃く受け継がれているらしく、特に甘いものには目がない。

 これは姉にも共通することなので、もしかしたら、女の子の特徴なのかもしれないけど。


 そんなことを考えていると、ふわりと甘い香りが漂って来た。

 フードの中でチサの耳がピンと立つのがわかる。


「いい匂いだ、買ってこようか」

「チサが参ります」

「ああ、そうだね。よろしく」


 甘い匂いを漂わせるパンケーキの屋台へと足を向けるチサ。

 これは、何とも不便だ。

 本当にこの時代の『星証痕キカトリクス』差別の意識は強く、僕が『一つ星スカム』とわかると、毎回小さなトラブルが発生した。


 中には、「『一つ星スカム』が服を着るなど贅沢だ」と市中で身ぐるみを剥ごうとする輩がいるくらいに。

 なお、その男は姉に殴られてひどい怪我を負ったが、姉にお咎めはなかった。


 そう、逆に『星証痕キカトリクス』への信仰も僕らの時代より強い。

 姉のように『五つ星レア』の人間は、多少の傍若無人が許されるのだ。

 僕たちの時代でも残る慣習とはいえ、なかなか根が深い。


「ベリーソースをおまけしていただきました!」


 弾むようなチサの声が、僕の思考を途切れさせる。


「よかったね」

「はい。こちら、ノエル様の分です」

「ありがとう」


 近くにあったベンチに腰掛け、紙に包まれた焼き立てのパンケーキを一口頬張る。

 溶けたバターの風味と、甘酸っぱいベリーの味は疲れた体に沁み込むようだ。

 これは、うまい。


「おいひいれす」


 口いっぱいにパンケーキを頬張ったまま、チサが笑う。

 こういうところは、昔と変わらないかも。


「あ、いたいた。どう首尾の方は? あ、なんか美味しそうなの食べてる!」


 ずるい、と言い出す前に半分になったパンケーキを姉の口にねじ込む。

 次の瞬間、姉の目じりが下がった。


「おいひい」

「そりゃよかった。僕のほうはおよそ終わり、あとは触りながら必要なものを精査していかないとダメかな」

「そ。あたしの方は問題なし。明日の準備は完了よ」


 ウィルソンさんの出発は明日だ。

 商用の馬車は壊れてしまったので、馬車を借りると言っていた。

 僕らはその護衛としてつく。


「まずは依頼をこなしましょ。先立つものがないと、満足にごはんも食べられないしね」

「賛成です」


 パンケーキを頬張った二人に苦笑しつつ、今後の行動プランを考える。

 姉の言う事は至極もっともだ。

 まずは飢えないための生活基盤は築く必要がある。


 ウィルソンの依頼は、その足掛かりにぴったりなものだ。

 土地勘も得られるし、報酬も悪くない。

 この辺は、姉も同じことを考えているはず。


「それじゃ、今日のところは食べ歩きしましょ? 腹が減っては何とやらよ」

「賛成です!」


 先ほどよりも力強く頷くチサにまたもや苦笑しつつも、僕はベンチから立ち上がった。

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