前科9:世の中、大体の事はラーメンを奢れば解決する。




 雨が嫌いだった。

 半分壊れたビニール傘をさした少女の視線の先には、一生懸命働く両親の姿があった。

 頭を下げて雨の中を走っていく姿に小さく「がんばって」と声をかける。

 今の姿を見られたくなかった。服は泥だらけ。転ばされてすりむいた部分からはじわりと血が流れている。

 提げているランドセルに「貧乏人」と張り紙までされている事に気づかない少女は、両手を合わせ神様に祈った。


(どうか、雨がやみますように)

 

 一生懸命働く父と母が濡れて風邪をひきませんように。

 願い──その幼くも確かな意思まりょくと少女の血が呼応し、古に消滅した筈の一つの魔術が発動した。

 あまりに強力なその願いまじゅつは東京都から雨雲を消し飛ばし、およそ三か月もの間雨を降らせることはなかった。

 
















「なぁ、千ヶ崎。この前一緒に飯行った美保ちゃんさ。僕の事なんか言ってた?」


「すぐ脱ぐ割に、彼氏のより小さいってさ」


「言葉のナイフが鋭すぎる……! 脈ありどころか完全否定じゃんかよ! 言葉選んでくれよ!」


「っていうか狙った子と初めて飯行って普通脱ぐ?」


 東魔大の学食。真央の目の前で米が山盛りになった丼を抱えた八代がぎゃんぎゃん吼えた。

 窓際の席の一角に陣取る二人のメニューは実に対照的だった。米のみの八代。一番人気のA定食にスムージーまでついた真央。

 先日友人を紹介してほしいと土下座して頼まれ、紹介してみたものの結果は芳しくなかった。そもそも、八代と一緒に食事をしたという事すら奇跡に近い。

 もう真央は気にしてはいないが、ちらほらと視線を感じる。血継魔術科でも真央と八代は特別だ。災厄の魔剣使いと、失われた天候魔術。国からも監視されている。友人や取り巻きが多い真央だが、八代が近くにいる時は殆どの人間が近寄ってこない。それ程までに伊庭八代という人間は特殊で特別なのだ。


(すげーバカだけどね……)


 支配の魔剣使いというのだから、どんなに凶悪な人間なのかと想像していたが実際はかなりのバカだった。

 入学式。半裸で真央の母をナンパしてブチのめした事から始まり八代との付き合いが始まった。幾つものアホな事件を乗り越え、今では気安い友人の一人となっている。昔はもう一人この場に同級生が居たが女性関係でトラブルを起こし現在休学中。その代わりというわけではないが、最近この場に一人後輩が増えた。


「おっ! 美鈴じゃん。またぼっち飯か!? こっちに来いよ!」


 目ざとく後輩を見つけた八代のデリカシーのない声が食堂に響くと、顔を真っ赤にした美鈴が走ってきた。


「そんな恥ずかしい格好で人の名前呼ばないでください!」


 美鈴のその言葉で真央もようやく八代の恰好がおかしいと認識した。 

 スカートを履いてウイッグまでつけて女装をしている。服着てるだけマシなので女装ぐらいではもう反応すらしない。これまでの付き合いでも複数回見た事があった。理由についても大体わかっているから真央は特につっこまない。


「何だよ。僕、今日はきちんと服着てるじゃんかよ」


「珍しくきちんとしてるかと思えば、何で女装なんです!? 頭おかしいんですか!?」


「全裸で洗濯していると、つい全部洗ってしまってな。寮で服探したらこんなのしかなかったんだ。変態扱いは流石に心外だよ」


「ウイッグまでつけてですか……!」


「流石に僕だってTPOぐらいは弁えるさ。周りの人に不快感を与えるのはよくないんだぞ」


「どの口がそんな事を……っ!」


 美鈴は八代と関わって日が浅いので何かとツッコミがちだ。もう二か月もすればこれが日常となるだろうが、反応が初々しくて可愛い。

 あえて指摘はせずに、もう少し見守ろうと「おはよー」と手を振る。よくよく考えてみれば、周りの視線も女装しているからだったのかもしれなかった。肩で息をしていた美鈴だが、ようやく落ち着いたのか疲れたように席に座る。


「そういえば千ヶ崎先輩。噂でお聞きしたんですけど、今日諫早さん宅のパーティに来られるんですか?」


「あー……うん。家の事情でね。美鈴ちゃんも来るの?」


「西園寺家の一員としてですけどね。……もしよければ会場で合流しませんか? 私、末席なので居ても居なくてもあまり変わりはないので」


「ほんと!? あたしもあまり気乗りしなくてね。美鈴ちゃん居てくれるなら嬉しい」


 きゃあきゃあと嬉しそうに話す真央と美鈴。真央はある特殊な事情からこういったパーティーに参加する事が多くなった。いつも誰かに値踏みをされながら上辺だけの会話をするあの場は好きではない。だが、美鈴が居るならそれなりに楽しめそうだった。

 それをにっこり笑いながら見ていた八代が、白米を一気にかきこみ、


「僕も一緒に行ってやろうか? 偶には豪華なご飯が食べたい」


「嫌ですよ。何で生ゴミぶら下げてパーティー行かなきゃならないんですか」


「……っ!! ……千ヶ崎はどうだ? 僕がエスコートしてやろう」


「冗談は存在だけにして」


 二人の辛辣な言葉に流石の八代もぐぬぬ、と二人を睨みつけるが意に介して貰えない。

 

「土下座したら意見変えたりしない?」


「切腹しても変わらない」


「生まれ変わって出直してきて下さい」


「くっそおおおおおおおおお!!!!!! 覚えてろよ!!!!!!!」


 半泣きで食堂から飛び出していく女装男を見送ると、美鈴を目を合わせてふっと笑う。

 それだけで少しだけ心が軽くなった。












「真央様。おかえりなさいませ」


 授業を終えて自転車で走る事十五分。千ヶ崎真央が住んでいる場所は、神楽坂にある大きな洋館だ。門を潜り、自転車を駐輪場に止めると待っていた真央専属の従者が恭しく頭を下げ、自転車を受けとろうとする。

 

「いいですよ。あたし、自分でやりますから」


「そういうわけにはいきません」


 自分の事は自分でやる、が当たり前だった生活が一変して数年。未だに慣れない。

 千ヶ崎真央は異端の血継魔術師だ。両親ともに魔術の素養はほぼ無く、一般高校を卒業して社会に出ている。

 高卒で街の料理店の下働きだった父とそれを支える母。小さな団地が三人の住処だったが、今やその何倍もある大きな屋敷に住んでいる。血継魔術を一度使ってしまってから人生は大きく変わった。駐輪場からわき道を通って、大きな玄関から家の中に入る。廊下の奥には広いリビング。そこに何人もの男達が座っていた。


「やぁ、おかりなさい。真央君。大学はどうだった?」


「どうも、おじさま。お陰様で今日も学ぶ事が多かったです」


「うんうん。それは何より。諫早先生のパーティーに出発は30分後だけど、よろしいかな?」


「ええ。間に合わせます」


「うん。ではよろしく」


 おじさま──真央の遥か遠縁に当たる親戚だ。両親ですら把握していなかった程の疎遠ではあるが、血が繋がっている。それがこの道明寺家だ。血継魔術こそ使えないものの、幾つもの有名な魔術師を出してきた名門の魔術貴族である。真央が血継魔術を使い、全国を賑わせてからというもの千ヶ崎家はこの道明寺家の支援を多く受けている。

 父は仕事を辞めて今では夢だった自分の料理店を母と共に経営しており、東京に幾つもの支店を持っている。全ては道明寺家の莫大な資金援助を受けたからだ。両親の仕事が忙しくなるにつれ、子供一人では危ないという事で、真央はこの屋敷に住める事にもなった。


「おかえりなさいませ。お母さまから本日のパーティー用のドレスが届いていますよ」


 部屋に戻ると従者達が支度をするために真央の部屋に揃っていた。

 着替えからメイクまで全て彼女達がやってくれる。両親は仕事が忙しく滅多に帰ってこない。その埋め合わせか、こうして沢山の物をプレゼントしてくれる。服も靴もアクセサリーも全てがハイブランド。数年前までデパートのセール品を皆で悩みながら買っていた頃が懐かしい。そんな事を思い出しながら母が選んでくれた複数のドレスを眺めていると、


「こちらのワンピースタイプが、真央様にお似合いかと」


「そちらでしたら履物はこちらで」


「会場が少し照明が暗めなので、メイクはツヤ感強めにしましょうか」


 選択権なんかなかった。パーティーは真央のお披露目会も兼ねている。

 即ち、千ヶ崎真央は道明寺家の管理下にあると内外にアピールするためのものに他ならない。本人たちがそれを全く出してこない所がまた面倒くさい。不興をかえば、父と母が経営する店にだって悪影響が出るだろう。自分が我慢をすればいいだけ。言われた通り、望まれた通りに役をこなす。そうすれば誰も不幸にならない。


「じゃあ、それでお願いします」


 笑顔の下で真央は感情を殺し、今日も我慢を続けるしかなかった。

 服を着替え、メイクをされながら鏡に映る自分を見る。今日も道明寺家の為の千ヶ崎真央に顔が作り変えられていた。

 

「真央様。ご友人と名乗る方が正門で騒いでおりますが……その、半裸で……」


「追い返してください。あのままだとパーティーぶち壊しますよ」


「……かしこまりました」


 八代にこのメイクで会いたくなかった。

 伊庭八代とよくつるむが真央にとってそこが作り物の自分でも居なくていい場所だった。夜中にこっそり家を抜け出してラーメンを食べにいったり、公園で酒を飲んだりと家の人達が眉を顰める行為が楽しかった。流星寮に行って皆でバカ騒ぎするのも楽しかった。


「ちょっとごめんなさい」


 椅子から立って窓まで歩いて行く。正門で半裸の同級生いばやしろが警備の人間たちに追いかけられているのが見えた。

 これで良いのだ。明日ラーメンでも奢ってやれば機嫌も治るだろう。八代が元気に魔術を撃たれながら逃げていくのを見届けると、真央はもう外を見る事は無く再び椅子に座って目を閉じ、最後に楽しかった時の事を思い返した。

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