第七話(2/2) 逆心ある人形が

 辛見ツラミクラはいくらか人混みに慣れてきた。と云っても、人間の群れに慣れた訳ではなかった。

 周囲が人間らしく蠢くことには、この先も慣れそうになかった。ただ、人混みでの歩き方は上手くなっていた。あるいは、八草ハッソウススムの気遣いに気付き始めた。

 八草辷は間を縫うのでなく、裁つように進んでいた。道を見つけるのでなく、道を作るように進んでいた。辛見伖が後に続くことを考えていた。辛見伖を近くに引き寄せ、自身を盾として歩いていた。

 八草辷の御蔭で、辛見伖の心に余裕が生まれた。辛見伖は人混みに居ても、余計な事を考えられるようになった。

 今の今まで辛見伖が考えていた事は、人間の群れと鬼怒川キヌガワヒカルについてであった。人混みの中をどう歩くか。鬼怒川晃と会えなくなるのか。それらだけであった。

 辛見伖の考え始めた余計な事。辛見伖は八草辷の目的が気になりだしていた。

 八草辷はどうして自分を連れるのか。八草辷はどうして姫の意思に反逆するのか。八草辷は人間をどうしたいのか。八草辷は自分を鬼怒川晃に会わせてくれるのか。

 辛見伖は八草辷に尋ねた。

「スーちゃん。スーちゃんは何がしたいの?」

 八草辷は前を向いたまま答えた。

「とりあえず、夢ノ国から客さんを追い出したい。もちろん、辛見、あんたもだ」

「どうやって?」

「知らない」

 八草辷は言葉を続けた。

「夢ノ国の出入りは姫の権限だ。姫だけが退園の方法だ。だから、俺は知らない。ましてや、姫を介さずに夢ノ国から出る方法なんぞ、俺には想像もつかない」

「姫さまを介せばいいじゃん。姫さまを説得しようよ。逆に、姫さまが説得してくれるかもしれないし。私たちが納得できるような説明をくれるかもしれないし」

「納得って、人類滅亡にか?」

「うん」

 辛見伖は笑顔で頷いた。

「だから、姫さまの所へ会いに行こうよ。姫さまはお城に居るんでしょ? お城ってどこにあるの?」

「わからない」

 辛見伖はゆっくりと足を止めた。八草辷も立ち止まった。そのまま、八草辷は振り返らなかった。辛見伖は俯いていた。

「スーちゃん、道、わからないの?」

「わからない」

「わからないのに私を引っ張っていたの?」

「ああ」

「わからないのに、私を人混みへ引き込んだの? 私、嫌だって言ったよね? でも、私、我慢したよ? スーちゃんが自信満々に引くんだもん」

 八草辷は何も言わなかった。辛見伖はもう一度尋ねた。

「スーちゃん。道、ホントにわからないの?」

「…ごめん」

「何それ! てっきりわかっているものだと思っていたのに!」

 辛見伖は八草辷の手を上下に振った。耐えかね、八草辷は勢いよく振り返った。

「辛見だってわからないだろ。そも、なんで俺がわかっていると思ったんだよ」

 辛見伖は八草辷に鋭い視線を向けた。

「だって、私と羽田ハネダさんの所に走って来たじゃん!」

「あの場所はわかりやすかったんだよ。夢ノ国の中央にあるんだ。風景に一番奥行きのある方向へ行けば辿り着くんだ。それに、他の場所と違って人間が居ねえ」

「同じ要領で把握すればいいじゃん。私をお城へ連れてって!」

「同じ要領ってなんだよ。そもそも、そんな事ができたら苦労してねえよ」

 辛見伖は八草辷の手を引いた。八草辷と反対の方向へ歩きだした。ところが、八草辷は動かなかった。

「どこに行くんだよ」

「羽田さんの所! 羽田さんなら道がわかるでしょ?」

「羽田は連れて行ってくれねえよ。行けばゲームオーバー。人類が滅亡するまで行動不能だ。

 そもそもそも、羽田の所に戻れるかもわからねえだろ。方角が変わっているかもしれないし、羽田が移動しているかもしれねえ」

 辛見伖は八草辷に向き直った。

「じゃあ、どうするの? 何か策でもあるの?」

 八草辷は胸を張って答えた。

「ない!」

 辛見伖は叫ぶか何か、しようとした。


 しかし、その前に声が掛けられた。

「辛見さま、何をしておいでですか? あと、スベルさんも」

「スベルって呼ぶな!」

 八草辷は反射的に叫んだ。そこには槌ノ子ツチノコ乃文ノブンが居た。八草辷の表情が強張った。

「槌ノ子。なんでここが…」

「人通りの真ん中で騒いでいれば、どんな方にもわかりますよ」

「…なるほど」

 八草辷はなんとも云えない表情をした。

 辛見伖は槌ノ子乃文の質問に答えた。

「槌ノ子さん。私、お城に行きたいんです。姫さまに会いたいんです」

「ええ。私も辛見さまを城へお連れしたいです。あと、スベルさんも」

「スベルって呼ぶな!」

 八草辷は槌ノ子乃文を睨んだ。

「俺たちを連れて行くっていうのは、姫の指示か?」

「そういう訳ではありません。ただ、御二方には目の届く場所に居ていただきたいので」

「御二方…」

 辛見伖は小さく手を挙げた。

「槌ノ子さん。ヒーちゃんはお城に居るんですよね?」

「いえ。現在、ヒーさまは夢ノ国におられません」

 辛見伖の顔は青くなっていった。槌ノ子乃文は辛見伖が慌てだすより先に説明を足した。

「ご安心ください。ここは夢ノ国ですから、ヒーさまはお目覚めになっただけです」

 ところが、辛見伖の顔色は変わらなかった。その宥め賺しも今回ばかりは通用しなかった。

 辛見伖は八草辷の腕を掴んだ。

「どうしよう。現実には人が居ないんだよね? ヒーちゃんが一人になっちゃうよ」

「大丈夫だろ。と言うか、むしろ大丈夫だろ。夢ノ国に残されているよりは、よほど安全だよ。なんせ、現実で活動ができているんだから。

 現状、危ねえのは辛見を含めた残り全人類だよ。だから、あんたはあんた自身の心配をしていろ。そして、俺の腕を放せ」

 辛見伖は掴む力を緩めた。手を離すことはしなかった。どうしても消えない不安がそこにあった。

 八草辷も無理に振り払おうとはしなかった。


 槌ノ子乃文は話を進め始めた。

「それで、スベルさん」

「スベルって呼ぶな」

「では、八草辷さん。あなたは何がしたいのですか?」

 槌ノ子乃文は尋ねた。真面目な、険しい表情をしていた。八草辷の名前を業務的に呼んだ。語調もいくらか威圧的であった。

 ところが、八草辷は素直に答えなかった。辛見伖も顔を上げた。

「槌ノ子、

「槌ノ子さん、『辷』をなんて読んだ!」」

 八草辷と辛見伖の声が揃った。

「『ススム』と読みました」

 槌ノ子乃文の表情は変わらなかった。八草辷と辛見伖は小さくなった。

 槌ノ子乃文が八草辷に向ける目は冷めていた。

「それで、何がしたいのですか?」

「あ。でも、私もそれ聴きたい」

 辛見伖は八草辷に顔を向けた。

「どうしてスーちゃんは姫さまに逆らうの?」

 辛見伖に他意はなかった。辛見伖は純粋に、八草辷のホンシンを知りたかった。

 確かに、目の前に居る槌ノ子乃文は怖かった。今の槌ノ子乃文は何かに急いていた。確かに、隣に居る八草辷は頼りなかった。八草辷は何も知らず、何もわからず、なんの策もなかった。

 それでも、辛見伖は八草辷を信じてみたかった。

 声の届いた八草辷を、謝ろうと試みた八草辷を、「人間じゃない」と懺悔した八草辷を、人波から守ってくれた八草辷を、隣に居てくれた八草辷を、スーちゃんを。辛見伖は信じようと思った。


 八草辷は溜め息をついた。ゆっくりと顔を伏せた。

 そして、勢いよく顔を上げた。辛見伖と槌ノ子乃文に、満面のドヤ顔を見せた。

「なんとなーく!」

 三秒間、沈黙。

 辛見伖はわなわなと口を開いた。

「滑った…」

「滑ったって言うな」

 八草辷の顔から笑みが引いた。

 槌ノ子乃文も呟いた。

「『スベル』だけに、ですね」

「スベルって言うな。いや、スベルって呼ぶな。誰がスベルだ!」

 八草辷は大きく息を吐いた。小さく息を吸った。

「なんとなく、だ。

 姫が何をしたいのかは知らん。形見だの楽園だのも、よくわからん。俺だって人間は世界に要らないと思った。必要ないと思った。そこに異論はねえ。

 ただ、「じゃあ、人間を消そう」という考え方は嫌だ。なんとなく嫌だ。理由はないが、根拠もないが、嫌だった。それだけだ」

 槌ノ子乃文は苦い顔をした。

「イヤイヤ期ですか」

 八草辷はにやりと笑った。

「生後二日で反抗期だぜ? 将来有望じゃねえか」

 槌ノ子乃文は口を噤んだ。八草辷も真面目な表情に戻った。

「そんな訳だ。俺はあんたらの思う通りに動かねえ」

「そうですか」

 槌ノ子乃文は目を伏せた。八草辷は身構えた。何をしてでも槌ノ子乃文を振り切るつもりでいた。一方、辛見伖の姿は見えなくなっていた。

 辛見伖は人混みの中に居た。そこから手を伸ばし、八草辷の背中を掴むと、思い切り引っ張った。八草辷の姿も人混みに消えた。


 槌ノ子乃文は視線を上げた。すでに八草辷も辛見伖も居なかった。その事に対して、槌ノ子乃文は大して反応を示さなかった。踵を返し、自分が来た方へ戻っていった。人間たちから離れていった。

 槌ノ子乃文の向かう先には城があった。



 辛見伖は片手で八草辷の腕を掴み、もう片方の手で人混みを掻き、進んだ。それで精一杯だった。まだ八草辷を気遣って歩くことはできなかった。

 八草辷は辛見伖に声を飛ばした。

「おい、辛見。いきなり引っ張るな」

「ごめん」

「それで、何するつもりだ?」

 辛見伖は足を止めずに答えた。

「私、やっぱり姫さまに会ってみたい。絶対に悪い人じゃないんだよ。話せば何かわかるはずだよ」

「『人』じゃないけどな」

 八草辷は辛見伖に引かれるまま歩いた。辛見伖の歩みに迷いは見えなかった。八草辷はその事を不思議に思った。

「そも、会うったって、辛見も城への行き方を知らないんだろ?」

「知らない」

 辛見伖は足を緩めなかった。八草辷の表情は曇った。

「そもそも、話すったって、具体的には何を言うつもりだ?」

「わからない」

「なんか考えくらい…」

「ない!」

 辛見伖は言い切った。八草辷は抑えきれずに大声を出した。

「あんたも結局、考えなしじゃねえか!」

 しかし、辛見伖は歩き続けていた。進行方向から視線を外さなかった。

「でも、立ち止まっていられないんだよ」

 八草辷は何も言い返さなかった。その活動を否定することができなかった。その根拠は身に覚えがあった。

 現に、文句を垂れるも、八草辷が足を止めることはなかった。辛見伖を止めることはしなかった。

 ただ、八草辷は、自分たちの行動がよろしくないことも知っていた。このままでは何も解決しない。これでは何も解決しなかった。せめて見当をつけたい。

 八草辷は城について考えた。

 城の場所は都度変化していた。風景も一定でなかった。それでも、一つくらい、変わらない決まり事があっても悪くないだろう。咎められはしないであろう。規律を乱したことにはならぬであろう。

 八草辷はその決まり事を探した。城に関する記憶を掘り起こした。


 答えは単純であった。

「なあ、辛見。あんたは城に行きたいんだよな」

「うん。そうだけど、何?」

「そして、槌ノ子は俺たちを城へ連れて行きたかったんだよな」

 辛見伖の足取りが重くなった。

「俺ら、槌ノ子から逃げる必要なかったんじゃね?」

 辛見伖は振り向かなかった。顔を振り向かせないまま、過去を振り返った。

「でも、スーちゃん、羽田さんは連れて行ってくれないって言ってたじゃん。従業員さんは何もさせてくれないって言ってたじゃん」

 八草辷は辛見伖の姿から目を逸らした。

「言った。言ったが、よくよく考えたら、城へ行くには従業員が居なくちゃいけねえんだ。従業員の帰る先に、城が場所を移すんだ。

 城の場所はコロッコロ変わるが、無作為に変わる訳じゃない。姫が変えてんだよ。加えて、城は従業員以外立入禁止だから、城の場所は客さんに大して影響しない。だったら、城が従業員を迎えに行ったって、なんら問題は起きないんだ」

 辛見伖は往生際が悪かった。

「でも、連れて行くって、嘘だったかもしれないでしょ? 槌ノ子さんの方便だったかもしれないでしょ?」

「別段、素直に連れて行ってもらう必要もないだろ。槌ノ子の後をつけることができればよかったんだ。槌ノ子は羽田と違って深追いしないだろうからな。あいつ、サボり性だし」

 辛見伖は進行方向を大きく変えた。元来た方へ戻ろうとした。ところが、八草辷は動かなかった。

「今度はどこへ行くんだよ」

「槌ノ子さんの所」

「方角が変わっているかもしれないし、槌ノ子は移動しているだろうよ」

 辛見伖は顔を八草辷に向けた。

「でも、立ち止まっていられないんだよ!」

「さっきも聞いたよ。ホント、考えなしだよな」

「その貶し文句だってさっき聴いたよ! そもそもそも、スーちゃんだって私のこと言えないでしょ。お城への行き方がわかっても、その方法じゃお城へ行けないでしょ。槌ノ子さんを尾行するってのも、今しがた気付いたんでしょ」

 八草辷はムッとした。

「槌ノ子じゃなくてもいいんだよ。従業員を見つけて、そいつをつければいい」

「従業員さんたちも暇じゃないんだよ。キャンペーンの対応で大忙しなんだよ。そんな簡単には持ち場を離れないよ」

「そうですか。では、辛見さまがお持ちの方法は、さぞ即効性があるのでしょうね?」

 辛見伖は得意げな顔をした。

「従業員さんに頼めばいいじゃん。槌ノ子さんの言ってた事を少し変えれば、きっと連れて行ってくれるよ」

「どう変えるんだよ」

「槌ノ子さんが「姫は私たちを目の届く場所に置いておきたいのだ」って言っていましたよ。とか」

「そんな嘘に従うマヌケが居るかよ。「その話が本当ならば、槌ノ子さん自身が連れて行ったでしょ?」って思われるだろうが」

 八草辷は顔を顰めた。辛見伖は眉を顰めた。

「スーちゃん、従業員でしょ? 知り合いに居ないの? 頼めそうな従業員さん」

「俺はまだ、従業員になって日が浅かったんだ。そも、知り合いが少ない。俺を馬鹿にしてきた奴は多いけどな。そもそも、さっきから言ってんだろ。そんなマヌケは存在しない。夢ノ国にだって居ねえよ。そもそもそも、マヌケな知り合い従業員が居たとして、都合よく今すぐに連れて行ってくれるかよ。従業員さんたちは暇じゃないんだろ?」

 辛見伖は口を尖らせた。

「スーちゃん、役立たず」

「あ? 足を引っ張る無能お客さまよりマシだろ」

「それ、私のこと? 私、スーちゃんの足、引っ張ってないもん。腕しか引っ張ってないもん」

「そういう話じゃねえよ」

「私、無能じゃないもん。スーちゃんよりか有能だもん!」

「有能な奴が素っ頓狂なマヌケを探そうだなんて提案するかよ」

「私、お客さまじゃないもん!」

「そこ否定したって、なんも変わんねえだろ! とかく、策を講じろ!」

「だから、従業員さんに連れて行ってもらうの!」

「だから、そんなマヌケは居ねえんだって!」

 辛見伖と八草辷は、再び、人通りの真ん中で騒ぎ始めた。そこに、ある従業員が口を挟んだ。

「辛見さま。スベルさん。やっと追い付きました」

 辛見伖と八草辷は声の主に目を向けた。そして、思わず呟いた。

「「居た」」

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