第七話(1/2) 逆心ある人形が
「おい。おかしいだろ」
八草辷は自身の目を疑った。目に映った光景を信じきれなかった。
夢ノ国にはかつてない量の人間が居た。人間で溢れ返っていた。それを零れないよう、従業員たちが整理していた。ところが、人間はまだまだ増え続けていた。
八草辷はある事に気付いた。
「たしか、今日は土曜日だって言ってたな。週末ってやつだ。週末は至る所が混み合うと聞いたが、そういう事か。じゃあ、週末は毎回こうなのか」
「いえ。今回きりです」
八草辷はギョッとし、振り返った。いつの間にか、そこには
槌ノ子乃文は平然と説明を付け足した。
「第一、週末というのはヒーさまや
「じゃあ、次回はこうじゃねえのか。あー、驚いた」
槌ノ子乃文は首を傾げた。
「そんなに驚く事でもないでしょう。千客万来に伴い、従業員も突っ立っているだけではいられなくなった。それだけの事です」
八草辷は遠くの従業員たちに目を遣った。従業員は点在していた。
「いや、その事じゃねえよ。客さんの量に驚いたんだよ。別段、従業員が働いていることには驚いてねえよ。むしろ、この状態でも動かないでいたとしたら、そっちのほうが驚きだわ」
「そうですか」
槌ノ子乃文も八草辷と同じ方に目を遣った。人間たちは流されるように歩いていた。
そして、槌ノ子乃文は、やはり平然と、説明を付け足した。
「ああ。それとですが、「次回」はありません」
「は?」
八草辷は槌ノ子乃文を睨みつけた。槌ノ子乃文は八草辷の視線に答えた。遠くを見ていた。
「「今回きり」と申したではありませんか。次回以降はないのです」
「なんだ? 働きません宣言か? ボイコットか? 賃上げでも要求すんのか?」
「いえ。そっちではありません。従業員が何かする訳でも、何かしない訳でもありません。
夢ノ国に来週が来ないという話です。夢ノ国が夢ノ国としての活動をやめるという話です。週末が明けるまでに、夢ノ国は壊れてしまいますので」
八草辷は怒声を上げた。
「そんな訳ねえだろ。そんな話、初めて聞いたぜ?」
「そうでしょうね。教育役である私も初めて言いましたからね。他の誰から聞くと言うのですか」
「じゃあ、なんだ。これは閉園キャンペーンだって言うのか!」
「まあ、そんなところでしょうね」
「そんな訳ないよな?」
槌ノ子乃文は八草辷に視線を向けた。八草辷は苦い顔をしていた。
「そも、現状が異状だろ。この量の人間が、どうして夢ノ国に居るんだよ。夢ノ国に居るって事は、こいつら全員、現実での活動が止まっているんだろ? じゃあ、現実は滞りまくりじゃねえか」
槌ノ子乃文は八草辷の言葉に答えた。優しく微笑んでいた。
「現実は人間様以外にも物が居ます。人間様が居なくなったからと云い、現実が滞ることはありません。
それに、必要不可欠な部品という物は存在しないのです。人間様か何かを失ったところで、世界が壊れたりなどしません。むしろ、健康になったりするかもしれませんよ?」
「今の言い方で確信した。あんたら、そもそも人間は居ないほうがいいとか思ってるんだろ。人間全部をこっちに連れて来る気なんじゃねえのか?」
「全部ではないですよ? ほぼ全部です」
槌ノ子乃文は笑んだ。八草辷は訝しげに睨んだ。
「そもそもそも、あんたら、何をする気だ?」
槌ノ子乃文は城を見上げた。
「夢ノ国は形見を残したいのです」
「形見? 形見ってなんだ?」
「形見は形見です」
「ダメだ。話にならねえ。あんたと話していたって埒が明かねえ!」
八草辷は走りだした。城から離れていった。
槌ノ子乃文は八草辷の後ろ姿に声を飛ばした。
「あのー。スベルさんは私とここで待機なのですがー?」
遠ざかりながら、八草辷は何かを叫んでいた。
一方、
「え、すごい! 何があるんだろう!」
元より、その場所からは人混みの蠢きが見えていた。遠くの道を人間たちが絶え間なく行き交っていた。
しかし、今回は様子が違っていた。明らかに人間の量が増えていた。絶え間など、考えることもできなかった。一つの生き物が這っているようにさえ見えた。
それでいて、人間は蠢いていた。細胞一つ一つがボコボコと鳴っているようであった。加え、人間が増える度、生き物の影は大きくなっていった。ボコボコも激しさを増した。気味が悪かった。
ただ、相変わらず、夢ノ国の中央では人間が増えていなかった。そこにある人影は、辛見伖と
人間の群れから離れた場所で、辛見伖は無邪気に躍っていた。そんな辛見伖を羽田共輔は見つめていた。
辛見伖はベンチに腰を下ろした。騒ぎ疲れていた。
辛見伖は遠くの人間たちに目を遣った。
「なんか、すごいですね」
辛見伖は羽田共輔に声を掛けた。
「そうですね」
羽田共輔も遠くを見た。辛見伖は首を傾げた。
「でも、不思議ですね。人、いきなり増えましたよね。何かあるんですか? 何があるんですか? キャンペーンですか?」
羽田共輔は小さく笑った。
「まあ、キャンペーンと言えばキャンペーンですね。しかし、たった今始めた訳ではないのですよ?」
辛見伖は羽田共輔に視線を向けた。羽田共輔は依然と遠くを眺めていた。
「私たちは形見を残したいのです」
「形見? 形見ってなんですか?」
「形見は形を見るための物です。
現在、私たちはどこにも居ません。私たちを確認できた皆さまは、私たちを見ることができなくなりました。私たちを確認できる皆さまも、私たちを見ることはしません。こうなるよう、私たちは活動を成してきました。
しかし、私たちが本当に居なくなった後、私たちが本当は居たのだと知っていただくのです。存在しない存在があったのだと知っていただくのです」
辛見伖は難しい顔をしていた。羽田共輔は辛見伖に顔を向けた。
「…と、私は思っております。
が、姫はもっと謙虚なのです。ただただ万物のため、ひいては世界のため、活動を成したいのです。夢を見せ続けたいのです。楽園を作りたかったのです。それだけなのです。それだけだったのです。本当に立派なものです。
まあ、いずれにしましても、私たちは形見を残したいのです。喜んでいただければ嬉しいのですが」
羽田共輔は恥ずかしそうに笑んだ。
結局、辛見伖には理解できなかった。それでも、それ以上の事は聞かなかった。黙って羽田共輔に微笑み返した。
「辛見!」
不意に名前を呼ばれ、辛見伖はビクついた。辛見伖と羽田共輔は声の聞こえた方に視線を向けた。
「あ。スーちゃんだ」
八草辷が駆けて来ていた。辛見伖は大きく手を振った。対し、羽田共輔は平静を失っていた。
「スベルさん? どうしてここに…」
辛見伖は不思議そうに羽田共輔を見た。
八草辷は進行方向を見て走っていた。視線は50m先。
拳は緩く握り、左右交互に、肘の方向へ、強く振り下ろした。腕を振ること自体は目的でないため、肩に力を入れる必要もなかった。足を前へ出すために、脚を速く動かすために、体を進めるために、腕を振った。
足は前に前にと出ていた。右足は、頂点を左膝の位置に据え、踝で弧を描く。母指球で地に着く。着いた足は地を掻く、押す、弾く。その頃、左踝が右膝の横を過ぎる。右足は左足に追い付かむと、再び前へ出るのであった。
羽田共輔の10m手前、八草辷は緩やかに上体を起こした。走っていると云うよりか、速度を保っていた。流していた。腕を振り、地面を蹴り続けていた。
5m手前、八草辷はその地点を左脚で突いた。左膝は伸びていた。踵、小指の付け根、親指の付け根を順に着けた。右膝を振り上げた。左足で踏み込んだ。
八草辷は跳んだ。
「スベルって呼ぶな!」
俗に云う、飛び蹴りであった。
ところが、右脚は伸び切らなかった。蹴りにはならなかった。
ここで、アルト。
「スーちゃん、ストップ」
低い声が聞こえた。
八草辷はくるりと回った。羽田共輔の手前に、トッと着地した。
「なんだ!」
八草辷は辛見伖を鋭い目つきで見た。しかし、すぐに委縮した。八草辷に比べ、辛見伖のほうがうんと恐ろしい形相で構えていた。
「暴力反対」
「…はい」
羽田共輔は笑った。
「『よい子は真似しないでね』ってやつですね」
八草辷は羽田共輔に視線を向けた。嫌気の差した視線であった。
「よい子だ? 物事を善悪でしか判断できない奴が、子どもについて語ってんじゃねえよ」
「いや、今のは悪だったでしょ」
八草辷と羽田共輔は辛見伖に目を遣った。
「暴力も暴言も一概に悪だよ。正義の鉄拳も公正な判決も、例外なく悪だよ。誰かを傷付けるならば、それは十分に悪なんだよ」
八草辷と羽田共輔は辛見伖を見つめていた。辛見伖の表情は冷え切っていた。
「さて…」
羽田共輔は八草辷に視線を移した。
「どうしてスベルさんはここ、に…」
言葉はそこで途切れた。羽田共輔は静かに縮こまっていった。八草辷の拳が腹部に入っていた。
「…スベルって呼ぶな」
「スーちゃん!」
八草辷は辛見伖をちゃんと睨んだ。
「辛見! あんたもだ! その『スーちゃん』ってなんだ!」
「『ススム』だから『スーちゃん』だよ! そんな事より、暴力反対!」
辛見伖は乱暴に答えた。今の辛見伖にとって、『ススム』だの『スベル』だの、そこは重要でなかった。
しかし、八草辷にとってはそこだけが大切であった。八草辷は気の抜けた顔で、辛見伖の方を見ていた。
辛見伖は再び声を荒らげた。
「聞いてるの?」
八草辷は我に返った。一瞬き。辛見伖が怒っていた。怒りを露にしていた。ただ、その根拠はわかっていた。
八草辷は目を移した。屈み込んでいる羽田共輔を見下ろした。
「羽田。殴ってすまん。次また名前を誤ったら、その時は蹴る」
存外、八草辷は素直であった。
羽田共輔は俯いたままであった。殴られた箇所を左手で押さえていた。右手はゆっくりと上がっていき、上がり切った所で、サムズアップを披露した。
「あんた、実は平気だろ。むちゃ元気だろ」
八草辷は顔を顰めた。辛見伖は冷ややかに八草辷を咎めた。
「元気かどうかは関係ないから。あと、スーちゃんはスーちゃんで、反省とかしてないでしょ。さっきの、謝ったことになってないからね?」
八草辷は辛見伖の言葉に応えなかった。不意に辛見伖の手首を掴んだ。そして、羽田共輔と反対方向に駆けだした。
「え? なんで?」
「いいから、行くぞ」
「Eから? じゃあ、Wへ? N経由ですか? S経由ですか?」
八草辷は何も答えなかった。辛見伖は引かれるままに足を動かした。
「ねえ、スーちゃん? ホントに…」
辛見伖は振り返って叫んだ。
「羽田さーん。助けてくださーい。私、連れ去られてまーす。スーちゃんに…、スベルちゃんにぃ!」
「だから、スベルって呼ぶな!」
羽田共輔は俯いたまま、遠ざかる声を聞いていた。
辛見伖は再び八草辷に目を遣った。
「それで。ホントにどうしたの?」
八草辷は走ることをやめた。前を向いていた。辛見伖も前を向いた。人間たちの蠢きがあった。
「行くぞ」
「ごめんなさい。嫌です。許してください」
辛見伖は涙を浮かべ、首を横に振った。
八草辷は人混みに足を踏み入れた。辛見伖も手を引かれ、力なく人混みに入っていった。
八草辷は駆け足でなくとも、急ぎ足であった。
「辛見。千客万来だ」
「よかったですね」
八草辷は話し始めた。辛見伖はすでに気力が擦り切れていた。
「よかねえよ」
八草辷は話を続けた。
「夢ノ国に居る人間が増え続けている。つまり、現実で活動している人間が減り続けてんだ。このままだとマズいんだ。わかるだろ? 現実が滞るんだ」
「そうかな?」
「そうだろ。そも、現実で活動できない状態が続けば、あんたら、壊れちまうんだろ?」
「そうかな?」
「そうだろ。なんで疑問符が外れないんだよ。
そもそも、夢ノ国は何がしたいんだ? 現状がよくないって、俺にでもわかんぞ。世界をどうしたいってんだ?」
辛見伖は人波に揺れていた。沈みそうな声で八草辷に答えた。
「それなら羽田さんが言ってたよ。形見を残したいんだって」
「槌ノ子もそう言ってたな。でも、形見ってなんだ?」
「よくわからなかったけど、楽園を作りたかったんだって」
八草辷は黙って辛見伖の手を引き続けた。言葉の意味を読み取ろうとしていた。しかし、何もわからなかった。
「あいつら、ホントに何がしたいんだ?」
「そんなに知りたいなら、もう直接聞けばいいじゃん」
辛見伖は投げ遣りに言った。途端、八草辷の進みが遅くなった。辛見伖を掴む力は強くなった。
「それはダメだ」
「なんでさあ」
八草辷の視線は下がっていった。
「辛見。従業員は人間じゃねえんだ」
「そうですか」
「羽田も槌ノ子も、もちろん俺も、人間じゃないんだ。姫が作った人形なんだ」
「そうなんですか」
八草辷は振り向いた。辛見伖のテキトーな相槌が気に食わなかった。文句を言ってやろうとした。ところが、言えなかった。八草辷は辛見伖に睨まれていた。
「羽田さんは人形だから殴ってもよいと? 槌ノ子さんは人形だから頼りにならないと? それで? スーちゃんは人形だから、何?」
八草辷の足は止まってしまった。
辛見伖は不機嫌そうに続けた。
「昨日さ、私さ、授業で指されたの。久々に答えを求められたの。「なぜケンには境界がなかったのか」って聞かれたの。変な問い掛けだと思わない?
ない理由を問うってさ、もともとはそこにあったみたいじゃん。ケンに境界があったみたいじゃん。でも、違うでしょ。
確かに、みんなは境界を持っているよ。ケンだけが持っていないよ。そしたら、例外なケンがおかしいと思うよ。ケンに原因がありそうだよ。確かにそう考えちゃうよ。
でも、違うでしょ。違ったんでしょ? 境界なんてさ、みんなが勝手に持っただけでしょうよ。
肉塊と石塊の区別が付かなかった? 区別を付ける必要がなかったんだよ。肉塊だって石塊だって犬なんだよ。「犬は犬」だって云ってたじゃん。
生物としての自覚がなかった? 自覚がなかったから境界がなくなったんじゃないよ。逆だよ。ケンには境界がなかったから、自分が生物か非生物かなんてどうでもよかったんだよ。自分を生物だって思うから境界に拘るんだよ。でも、ケンはケンでしょ? 生物だ非生物だっていう自覚はどうでもいいんだよ。自分は自分だっていう自信さえあればいいんだよ。
雑に扱う理由? 何それ? そんなの要らない。知りたくない。もったいらしく理由を付けないでよ。
肉塊でも石塊でも、生物でも非生物でも、人間でも人形でも、私には関係ないんだよ。友達は友達なんだよ。扱いどうたら、区別どうたら、境界どうたら関係ない。ケンはベガの活動を受け入れた。ベガはケンの活動を受け入れた。それだけでしょ?
私は、私の話を聞いてくれることが嬉しかったの。私の言った事に反応してくれることが嬉しかったの。私にとっては、それだけが大事なの」
辛見伖は八草辷の手を振りほどいた。そして、八草辷の手を掴んだ。元来た方へ歩きだした。
「だから、ほら! 羽田さんの所に戻るよ!」
「…いや、待て。俺の話を聞け」
八草辷は足を止めた。辛見伖は後ろへ引っ張られるように止まった。
「何さ?」
「人間じゃないから人形だからって、俺はそんな話がしたかった訳じゃない」
「そうなの?」
「そうだよ」
「スーちゃんが人間でも人形でも、私は構わないよ?」
辛見伖は八草辷の顔を覗き込んだ。八草辷は顔を逸らした。
「俺は、姫の作った人形が信用ならねえって言いたかったんだ。槌ノ子や羽田の態度からして、夢ノ国は俺や辛見に何もさせないつもりらしい。そんな奴らに時間をやる余裕はないだろ」
「そうかな?」
「そうだろ」
八草辷は辛見伖に目を向けた。
「そもそもそも、あんた、能天気すぎやしないか? いくら夢の影響を受けているとは言え、このままだと人類滅亡だぜ? もっと危機感とかあってもいいだろ」
「そういうものだよ。私も人間なんだし」
辛見伖は目を逸らした。
八草辷は辛見伖の言った事を今一つ理解できなかった。それでも、辛見伖の感情を揺るがす方法は知っていた。
「辛見。このままだと、
「え? なんで?」
「人類が滅亡したら、必然的にそうなるだろ。そんな訳だから、行くぞ」
八草辷は辛見伖の手を引いた。辛見伖は八草辷について行った。
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