第15話

 さっき入ったカフェの正面のチェーンのほうに入って、今度はコーヒーだけを頼んだ。時間のせいか空いていて、私たちはソファ席の隣同士に座った。私は話をした。桐生にしか聞こえないような小さな声で、でも自分でも驚くほど淀みなく、話し続けた。私は自分が語りたがっていたのだと初めて気づいた。秘密を抱きしめる愉悦が、いつの間にか尽きていた。

「本当のことなの?」

 そう尋ねるが、桐生は私の話を信じたようだった。頷く。ぶつけた膝が痛い。突き落とされたとき、急にすべてがゆっくりになって、バランスを失って自分の足が階段から外れるのを、止められない自分が不思議だった。こうしてゆっくりと、死ぬのかと思った。桐生の手を握った。桐生は一瞬だけ指先をこわばらせたが、振り払ったりはしなかった。手を握られていることにも気付いていないようにだらんと手を脱力させている。そんなもんだろうなと思う。桐生がしてくれることはそんなものだろう。彼女は私を責めはしないし、突き放しはしないが、私のために何かをしてくれるわけではない。

 自分を助けてくれるのは自分だけだ。それでいいと思う。本当のところ、初めてそう思うことができた。私は話している間に、自分の気持ちを一つの場所に落ち着けた。私は警察に捕まるか、殺されるかするだろう。もう、それでいいと思う。恐れや怒りや野心。それまで大事にしていたものが急に、全てが色褪せてしぼんでいった。ほしかったすべてを手に入れるのは不可能だった。だが、それでも私は私なりに戦った。背中を押されたことで、初めてそのことを実感した。屈し続けたわけでもなく、何もなさないわけではなかった。それでもういい。それ以上のことを、もう自分に期待できなかった。

「じゃあ……他の遺体は?」

「それは知らない」

 そのことは本当に知らなかった。桐生はそれも信じたようだった。話が早い。

「……でも見当はつく」

「本当?」

「多分だけど」

 そのことを思い出すと、胸に、じわじわ痛みが沸き起こってくる。涙が出そうだった。許せない。そう思う。でも、三年前のような情熱はなかった。ただ、許せない。そういう判断がある。情動のない判断が。

「行かなくちゃ」

 私は言って、立ち上がった。今、この瞬間。これを逃すともう立ち上がれないと思った。人生には多分、そういう瞬間があるのだ。私が今までそれを掴めてきたのかはわからない。

「私も行く」

 桐生が言い、立ち上がった。殺人犯を監視するためではなくて、私を一人にしないために言ってくれているのだと思った。ありがたい話だ。好意を受け取れなくとも、ありがたいとは思う。一気に年をとった気分だ。私は首を振って、握っていた手を離した。

「一人で行く」

 何も怖くはない。私はこの対決のようなものが、楽しみでさえあった。

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